第6話 論より証拠

 赤坂先輩がスマートフォンを更に触る。東京湾の周辺を示す映像が消え線画になった。さらに線画が二重になり上下にずれる。下側の線画のところどころに緑、黄、赤の点々が描画された。かなりの広範囲が真っ赤になっている場所が一か所ある。あれはええと。


 私の視線に気が付いた赤坂先輩が説明をする。

「中央防波堤外側埋立地。要はこの東京のごみ捨て場さ。あそこには捨てられた物の思念が渦巻いている。攻撃者はその思念をそそのかして、人に報復をさせようとしているんだ」


 ここまでは理解したかい、というように私を覗き込んでくる。いえ、全く。これっぽっちも。私の顔を見て肩をすくめた。

「まあ、でも思念は所詮は精神エネルギー。この物質界に直接作用するのは難しい。ただ、物質界と精神界は合わせ鏡みたいなものだ。向こうでのエネルギーが大きくなると様々な影響が出る」


 赤坂先輩はよどみなく説明を続ける。本来、体と不可分に結びついている人間の魂が精神界に落ち込んでしまうことがあること。その状態で、思念に干渉されると魂が傷つき、最悪の場合、消滅してしまう場合もある。そうなれば、当然体の方に様々な悪影響が出てしまうのだそうだ。


 思念は凝り固まるとかりそめの精神エネルギー体を獲得する。元の物体を模した形状を採るその状態では、以前の記憶に従って、自分が廃棄物として出される前にいた場所に戻ろうとするだけらしい。故郷に戻ってそのまま満足してしまうことも多く、それは単に存在するだけで害はない。緑色でプロットされているのがそれだ。


 なんらかの影響で人への恨みを募らせたとき、エネルギー体は変容し手足やそれ以外の器官を獲得しはじめる。これが居る場所は黄色い点。そして、十分に怨念が強くなると、物質界に影響を及ぼし始め、感度の強い人間の魂を精神界に引きずり込んだり、物質界にしみ出して復讐を果たすことになる。赤い点がその危険な状態を示しているそうだ。


 気が付くと私は半口を開けていた。慌てて口を閉じると赤坂先輩が微笑む。うわあ、この人の笑みも破壊力抜群だ。

「まあ、理解できなくて当然だよ。僕の頭がおかしくなったんじゃないかって疑ってるでしょ?」


「ええと……」

「正直だね。それじゃあ、論より証拠だ。実際に見せてあげよう。全員で行くわけにはいかないし、そうだな。深川くん。一緒に来てくれるかい」

「了解です」


 赤坂先輩と深川先輩は手近なクッションに体を預ける。

「ほら、太田さんも同じようにして」

 よく分からないけど私も座った。全体重を預けるとお尻が沈み込み足が上がりそうになって、慌ててスカートを押さえた。セーフ、だよね?


 赤坂先輩が指を鳴らすと、3人だけになっていた。大井先輩と蒲田先輩の姿が消えている。同時に壁や床の明かりが消えていた。

「さて、分かりにくいと思うけど、僕たちは今精神界に来ている。そうだな。別に危険を冒す必要はないから、なりかけを調伏しようか」


 赤坂先輩は大きく息を吸い込む。

「高輪ゲートウェイ!」

 極彩色の光がレーザー光線のように彼方の一点から何本も飛んできた。まばゆいばかりの光が消えると私たちはどこかの商業施設の中にいる。


「えええっ?」

 思わず声が出てしまった。深川先輩が落ち着いた声で解説してくれる。

「精神世界では自分の持ち場にちなんだ特殊な力を発揮できる。赤坂先輩は精神世界の2点間を跳躍することができるんだ」


 赤坂先輩は周囲を見回し、あっちだと指をさす。私たちは無人の商業施設内を移動した。高級そうな服や雑貨の店が並ぶ通路を歩いていく。無人の学校も不気味だったが、商業施設も人気が無いとかなりうら寂しい。そんな私の不安を見透かすように深川先輩が、大丈夫だよ、と呟いた。


 かたん。音がして何か動くものが目に入る。あれ? 人がいると思ってよく見たら別の物だった。真っ裸というのも変だけど、何も着ていないマネキンがゆっくりと歩いている。向こうも私たちの存在を覚知したのか、こちらに向かってキイ、カタンと音をさせながら歩いてきた。


 のっぺらぼうのはずの顔に赤い目が二つ。怪しい光をたたえながら近づいてくるマネキンだけど、そんなに不快な感じはしない。

「どうするんですか?」

 横にいる深川先輩に目をやって驚いた。


 いつの間にか水干烏帽子姿になっており、紙が垂れ下がった棒を手にしている。ええと、大幣おおぬさって言うんだっけ?

「じゃあ、よろしく」

 赤坂先輩が声をかけると深川先輩はしずしずと前に出た。


 何か低く言葉を唱えながらマネキンの前に出ると大幣を振る。よく聞こえないけど、抑揚をあまり効かせていないその節回しはどうやら祝詞のようだ。見ているうちにマネキンの目が消えてなくなった。そして段々と透明になって薄ぼんやりとした存在になる。マネキンはゆっくりと一軒のブティックに入って行ってそこで動かなくなった。


 赤坂先輩が私の顔を横からのぞきこむ。

「どう。これで少しは理解できた?」

「はあ、まあ。でも、やっつけちゃわなくていいんですか? それこそ、蒲田先輩は消しちゃったように見えましたけど」


 深川先輩が私たちの所に戻って来て言った。

「まあ、蒲田は脳筋だし、ぶん殴るしか能が無いからな。その点、私は荒ぶる思念を沈めることができる。あのマネキンもまだ堕ち切っていなかったからね。見ろよ。今のマネキンから禍々しいものを感じるか?」


「なんか幸せそうです」

「そうだろ。元々はこの場所に愛着が強かっただけなんだ。汚れ壊れて捨てられて諦めきれない気持ちも分かる。ああやって、この場所に憑りつくだけで満足するなら、その方がいいさ。これも人のエゴには変わらないけどね」


「質問はあるだろうけど、あまり長居はしない方がいい。一旦戻ろうか」

「黒電話を探すんですか?」

「その必要はないよ」

 赤坂先輩はポケットからスマートフォンを取り出す。


 促されてスマートフォンを持っているのとは反対の手に私の手を重ねた。自然と順応してしまっている自分が怖い。たぶん、色んなことがありすぎて頭の容量が一杯一杯になっているのだろう。私の手の上に深川先輩が手を重ねる。あ。さすがにイケメンの手にサンドイッチされるとか刺激が……。


 次の瞬間には生徒会室の奥の小部屋に戻ってきていた。

「ただいま」

 赤坂先輩の声に蒲田先輩が反応する。

「早いですね。3秒と経ってないですよ」


 さっさと起き上がった2人に対し、私はビーズクッションに沈み込んで起き上がれないでいた。さすが人をダメにするクッション。なんて恐ろしいの。ジタバタとひっくり返った晩夏のセミのようにもがいていたら、蒲田先輩が手首を掴んで引っ張り上げてくれる。


 私に注目していたみんなの視線が恥ずかしかった。追い打ちをかけるように鳴り響くグウゥというお腹の音。穴があったら入りたい。

「遅くまでつき合わせちゃってごめんね。それに僕がちょっと霊力吸いすぎちゃったかも」


「吸い過ぎちゃったって?」

「ああ。まだ説明してなかったね。僕らが精神世界で活動するには特殊なエネルギーが必要なんだ。体を休めていれば自然と回復するんだけど、ここのところ活動が多くて枯渇気味でさ。太田さんのエネルギーをちょっと吸収させてもらったってわけ」


 私は自分の体を見下ろした。

「それって、体に悪かったりしないんですか?」

 秋田先輩は、途端に物凄く申し訳なさそうな顔をする。私の心臓は跳ね上がった。

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