ニ 誰もいない街

 でも、それからというもの、A君の周りでちょっと奇妙なことが起こるようになったんですね。


 といっても、最初の内は家でラップ音がしたりだとか、夜寝ていると金縛りに遭うだとか、ひどい場合でも何か枕元に気配を感じるくらいのもので、まあ、こう言ってはなんですが、ごくごくありふれた怪現象に見舞われる程度のものだったんですが、廃トンネルへ行ってから半月ほどが経った日のことです。


 その日の夜、A君はB子さんと近所のレストランで外食しようと、珍しく車ではなく徒歩で出かけたんです。


 こうして夜の散歩を楽しむのも久しぶりでしたが、週末とは思えないくらい、夜の街は静かでした。


 ……いや、静かというより、静かすぎるんですね。


 ふと見れば、周りにはA君達以外、人影がまるで見当たらないんです。


 その上、道路を見渡してみても車一台走ってはいない。


 無論、人の話声だったり、車の走行音だったり、そうした街の音というものも一切聞こえません。


 深夜の田舎町とかだったらわかりますけどね。A君の住んでるマンションがあるのはけっこう大きな都市でしたし、まだ深夜と呼べるほどの遅い時間でもない。


 なのに、まるでこの世界からA君達以外、すべての人間が消え去ってしまったかのような、そんな人気ひとけのない静寂に街は包まれているんです。


「おい、なんか変じゃないか? こんな車一台通ってないなんてことありえるか……?」


 家を出てしばらく歩いた後、ようやくその異変に気づいたA君は、言い知れぬ恐怖を感じながら、譫言うわごとのようにB子さんに尋ねてみました。


「うん……とりあえず、もう少しだけ歩いてみよう? 誰かいるかもしれないよ?」


 すると、B子さんも訝しげな様子ながら、そう言ってA君を諭すんですね。


「あ、ああ。そうだな……」


 確かに、偶然にも自分達の周りだけ誰もいなくなったんであって、少し移動すれば普通にみんないるかもしれない……。


 言われてA君もそう思い直し、目的地のレストランの方へ向けてまたしばらく歩いてみたんですが……やっぱり人とも出会わないし、車を目にすることもないんです。


「……おかしい……やっぱりなんかおかしいよ……」


 起こっていることといえば、ただ、夜の街から人と車が消えただけのことです……ですが、普通ならありえないその異常さに、A君はだんだんと狼狽うろたえ始めました。


「もう少し……もう少し行けばきっと誰かいるよ。あと少しだけ行ってみよう?」


 そんなA君に対し、あくまでこれは怪異なんかじゃないと信じたいのか? B子さんはなおも彼をそう諭して先へ進もうとします。


「あ、ああ……」


 そう言われると、A君としても半信半疑だったし、同じく怪異じゃないと信じたい思いもあったので、彼女の言葉に従ってまたしばらく歩いてみることにしました。


 ……でも、案の定というか、やっぱりどんなに歩いてもひとっこひとり見当たらないんです。


「やっぱりおかしい……いったいどうなってんだよ!?」


「もう少し、もう少し行ってみよう?」


 ですが、A君が足を止める度にB子さんは彼を諭し、諦めずにまだ先へ歩かそうとします。まるで、廃トンネルへ行った時と立場が真逆のようなんですね。


「もう少し、もう少し……」


 言い知れぬ不安と恐怖に駆られながらも、そんなB子さんの言葉に促され、誰もいない夜の街をA君は歩いて行きます。


「もう少し、もう少しだけ行ってみよう?」


「あ、ああ。わかったよ……」


 見慣れた景色だけど、やっぱり人も車も見当たらない……そんな大通りの横断歩道の前でまたも足を止め、そして、また彼女に促されて再びA君が歩き出そうとしたその時。


「危ない!」


 突然、そんな大声が周囲に響き渡りました。


「……っ!?」


 その声にA君がハッとして足を止めると、不意に目と鼻の先を車が猛スピードで駆け抜けて行くんです。


 びっくりしながら辺りを覗えば、いつの間にか街はいつも通りに戻っていて、人も車も普通に往来しているし、ガヤガヤとうるさく街の音も聞こえてるんですね。


「……え? ……どういうことだ? ……さっきのはいったい……」


 車にはねられそうになったショックに心臓をドキドキさせながら、唖然とA君はキョロキョロ周りを見回します。


「ねえ、ほんとどうしちゃったの?」


「ど、どうしたって、さっきまで人も車も……」


 そんな彼を心配そうな顔で見つめ、尋ねてくるB子さんにA君が逆に訊き返すと、B子さん、怪訝そうに眉をひそめて、こう答えるんですね。


 突然、A君が無言で黙々と歩き出し、いくら声をかけても聞こえない様子でこの大通りまで来たんだけど、赤信号なのに車の行き交う道路へ歩き出そうとしたんで、慌てて大声をあげて彼を止めたんだと。


 そうなんです。この見慣れた夜の景色が、あの人も車もいない奇妙な街に見えていたのはA君だけだったんですね。


 それに「もう少し、もう少し…と答えてたじゃないか?」と反論しても、B子さん、そんなこと一言も言ってないっていうんです。


 じゃあ、A君にずっとそう言っていたのはいったい誰なのか? 


 もう少し、もう少し…と言うあの声に促され、彼は車の見えない大通りへ歩み出して危うく轢かれるところだったんです。とても善意からのものとは思えません。


 その事実に気づき、改めてゾっと背中が冷たくなるA君の耳元で、「チッ…」と女性の舌打ちする音が聞こえたんだそうです……。


 一連の出来事を振り返ってみると、やっぱりあの廃トンネルで見た女性の霊を連れて来てしまったんじゃないか? 轢き逃げされて命を落とした彼女の霊が、取り憑いたA君も道連れにしようとあんな幻覚を見せたんじゃないか? ……そう考えたA君は、翌日、B子さんと一緒に車ごとお祓いを受けに行ったそうです。


                    (もう少し、もう少し…。 了)

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もう少し、もう少し…。 平中なごん @HiranakaNagon

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