第6話 一生忘れられない味
善人と稀姫はお互いに顔を見合わせるとどちらからともなく口を開く。
「稀姫さん、結構宇宙に憧れがあったんだな」
「善人さんこそ、無関心なふりしてずっと待っていたんですね」
「……まあね。何だかんだ言ってもルーツはブレプラニティスにあるんだし、どんなところか気にはなるよ」
「なんで今回はブレプラニティスに行きたいって言わなかったんですか?」
「そこまで親の力を当てにはしたくない。今回宇宙に出てから先は俺の力で何とかしたいんだ」
「……そういうの、格好いいですよ」
そう言って稀姫は静かに善人に微笑む。
「稀姫さんはどうなの? 吸血鬼が宇宙に出て問題にはならないのかな?」
「問題になると思います。でも、そうしなければ分からないことだってあると思います」
「というと?」
「母は還血の吸血鬼を普通の吸血鬼と同様に扱うべきだと唱えました。結果についてはそれぞれで違う見解だと思いますけど、でも、そのおかげで私は吸血鬼として善人さんに出会うことが出来ました。もし私が人間として育てられた状態で善人さんに出会ったとしたら、私、きっと自分に悩んでしまったと思うんです」
「人間として育てられたのに、突如吸血鬼になってしまった……しかも特異体質で、か。確かにね」
稀姫の言葉に善人も頷く。善人の立場で言うならば、恋人に告白しようかというタイミングで初めて自分の素性を両親から明かされるようなものだろうか。
「……これまでだって還血の吸血鬼が吸血鬼社会を追放された後で授血者に巡り合ったこともきっとあったはずなんですけど、そう言った人たちがまた吸血鬼社会に戻ってきた記録も無くて、皆きっと人間と吸血鬼との狭間で悩みながら人間社会で生きていくしかなかったのだと思うんです」
「……」
「でも、その流れに母が一石を投じて、私は善人さんと出会えて、色々なことが良い方向に動き始めました。母の言葉は吸血鬼社会では禁句でしたけれど、それでも言ったことで事態は確かに変わっていったのだと思います。何かを変えたいのなら、まず行動しなければならないんです」
「なるほどね」
今度は善人の方から稀姫に笑いかける。力の抜けた良い笑顔だった、
「つまり、今の吸血鬼社会を変えたいわけだ」
「簡単ではない話ですけれど、すると言わなければ出来ませんから。善人さんの方こそ、ブレプラニティスに行くのは簡単そうでは見えませんでしたけど……?」
「別に何年かかっても構わないさ。要はやる気の問題だしな」
「善人さんがやる気になって何よりです」
稀姫はそう言ってくすくすと笑い、つられるように善人も小さく笑い、二人の幸せそうな笑い声が部屋の中に響き渡った。
そして、ひとしきり笑いあった後で改めて善人と正面から向き合った稀姫は、長い間言うことを待ち望んでいた大切な言葉を善人に告げる。
「あなたの血を、私に吸わせてください」
それに対する善人の答えも既に決まっている。
「俺の血で良ければ、どうぞお吸いになられてください」
必要な言葉を交わし合った二人は、そこでようやく静かに抱き合い、初吸血の前にファーストキスを交わしたのだった。
勿論、その光景は親たちにしっかり見られていたのだが。
騒動から二週間が過ぎた後、善人と稀姫は善行たちと一緒にゲフィラと呼ばれる月面の施設にいた。この施設は地球とブレプラニティスの間を行き来するための亜空間通路の中継地点となっていて、地球側との協定に基づきブレプラニティスが設置したものである。
後に善人が善行に聞いたところによるとこの施設に善人たちを上げるにあたって地球側では議論が紛糾し、ブレプラニティス側でも反対意見が強かったそうである。
しかし、地球側の方はカリンをはじめとした大物吸血鬼たちが抗議をしたことで一気に受け入れる方向に話が傾き、ブレプラニティス側でも同朋が地球の有力吸血鬼の娘を未遂とはいえ誘拐しようとした事実を重く見る勢力と連携した善行たちの下工作の成果もあって、事件への謝罪と口止めの意味を兼ね今回限りという条件付きで月面までの移動を許可されたということであった。
他の吸血鬼やブレプラニティス側の有力者の協力を仰いだ関係上、初吸血の儀式に一部の希望者を参列させざるを得なかったが、善人の説得を受けたこともあり稀姫は素直に応じている。
それからは儀式の準備やら月面移動の手続きやらで、あっという間に時間が過ぎて当日を迎えていた。
「善人、見てください! あれ月から望む地球なんですね」
「ああ、本当に蒼いんだな……何かこう、心に響くな稀姫」
「はい! こんな素晴らしい場所で儀式が出来るなんて……本当に嬉しいです!」
善人と稀姫は初めて見る地球の全体像に感動している。善人は白いシャツに青色の蝶ネクタイ、稀姫は装飾をたっぷりとあしらった純白のドレスで身を固めている。善人がジャケットを羽織っていないのは、吸血に臨む際に速やかに腕を出せるようにするための配慮である。
そんな子供たちの晴れ姿を見守る親たちも安心した表情を浮かべている。
「良い眺めね。セラもゼンコーもこんな素敵な場所があることを黙っているなんて人が悪いわ」
「誤解よ、カリン。私たちだって久々に来られたのよ」
「まあ、何にせよ再びここに立てて良かったよ。あの子たちの喜ぶ顔も見られたことだし」
しみじみと話す善行の言葉にカリンと瀬楽も静かに頷く。
初吸血の儀式は始められたのは、それから間もなくのことだった。
立会を務めるカリンの前に善人と稀姫が立つ。
「これより我らが偉大なる始祖の血に連なりし者、キキ・モデラリエカが初めて人の子よりその血を受け、飲み干します。我らが始祖のご加護があらんことを!」
カリンが宣言するのを聞いた善人はそっとシャツをめくって稀姫に右腕を差し出し、稀姫は丁寧にその腕を舐めていく。勿論、口元にはしっかり牙が顔を覗かせている。
稀姫は腕を舐め終わると静かに善人の目を見る。善人は小さく頷きそれに応える。
稀姫は善人に小さく微笑みかけると、善人の右腕を口元まで持ち上げ、一呼吸置いてから優しく腕に牙を突き立て、その血を舐めとる。
稀姫が善人の血を口に含んだことを確認したカリンは列席者に宣言する。
「キキ・モデラリエカは確かに人の子の血を受け、それを飲み干した。これよりこの者を偉大なる始祖の末席を預かる者として認めよう。列席者の皆様は盛大なる拍手を!」
カリンが告げると同時に、普段は静かな月面施設に大きな拍手が響き渡る
その拍手の中、稀姫は善人の腕を止血しながら訊ねる。
「痛かった、善人?」
「思っていたよりは痛くなかったよ」
「良かった……」
「俺の血はどんな味だった、稀姫?」
「……一生忘れられない味になりそうです」
そう言って最高に素敵な笑顔を見せる稀姫に、善人もまた最高の笑顔を浮かべ、二人で抱き合ったのだった。
彼女が彼から初めての吸血を終えるまで 緋那真意 @firry
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます