第5話 幸せな吸血を

 善人の言葉を聞き咎めた瀬楽は事の重大さから急に声をひそめてしまうが、それがかえってカリンの気を引いてしまう結果になってしまう。


「キキ、今の言葉は一体何のことかしら? あなたが腕を舐めるなんて……」

「ああ、そうだわ……お母様、ようやく私見つけたんです、『はじめての人』を!」


 稀姫は金色の目を輝かせながら、少し得意げに口元から牙を覗かせ、それを見たカリンはこれ以上の感動はあり得ないと言わんばかりに感極まった声を上げる。


「なんですって! ……ああ、今日はなんて素晴らしい日なのかしら! キキと再会できただけではなくて、キキにも『はじめての人』が出来たのですもの!」


 そう言ってカリンは瀬楽と善人に視線を向ける。息を呑むほどの壮絶な美人が満面の笑みで視線を向けてくるということは、それだけで物理的な圧力を伴うのだということを善人は初めて知った。


「キキ、こちらにいる殿方が?」

「ええ、朱野森善人さんよ。善行さんと瀬楽さんの息子さん」

「……カリン、うちの子はあなたに慣れてないんだから、そんなにじろじろ見ないで頂戴」

「あら、ごめんなさいね。私としたことがつい……」


 瀬楽にたしなめられたカリンが優雅に視線を移すと、そこでようやく善人はカリンの魅了から解放される。

 おそらくは魔力など使っていない状態の今ですらこの破壊力である。これで魔力を行使した状態ならばおそらくカリンの魅了に抗える人間は存在しないに違いない。

 欧州屈指の吸血鬼の実力を、身をもって体感した善人は背中に冷や汗をかいていた。

 そんな善人を見やりつつ、カリンが瀬楽に話しかける。


「……瀬楽、あなたの子供もすっかり大きくなったのね」

「お陰様でね……まさかうちの息子が稀姫ちゃんの授血者だとは思わなかったけれど」

「これも運命の巡り会わせかしら……神はいつだってすこし意地悪だから嫌ね」


 カリンが少しだけ不満そうに言うと、稀姫がそれをなだめる。


「いいじゃないお母様。答えの出ない近道よりも答えに辿り着ける回り道の方がずっと素晴らしいと私は思うわ」

「あら、キキも中々言うようになったのね」


 カリンは一本取られたというように感心してつぶやくと、今度は柔らかに善人のことを見る。


「……ところでキキ、もうあの方の血は吸ったのかしら?」

「ううん、まだ」

「駄目じゃないの。これだと思う殿方がいたならすぐに交渉を持ち掛けなさい、とちゃんと教えたでしょう?」


 カリンは恐らく吸血の作法について稀姫に注意しているのだと思われるのだが、肝心な単語が省かれているせいか善人と瀬楽の耳には妙な具合の会話に聞こえてしまう。

 そこで瀬楽が善人を肘で小突きつつささやく。


「……何で稀姫ちゃんに吸わせてあげなかったの?」

「単にその余裕がなかっただけだって! ……というか、俺が吸われるのはいいのかよ?」

「稀姫ちゃんなら許す。……というよりカリンが怖いからさっさと吸われてきなさい!」

「無茶苦茶言うな! 我が子が可愛くないのか!」

「可愛いけど、それ以上に我が身と善行さんの方が可愛い!」

「開き直るなよ! ……正直ちょっと空しくなったぞ」


 善人と瀬楽が言い争っている間に、カリンは稀姫からあれやこれやと初吸血への希望を聞き出したりしている。


「……そう、つまりパーティ形式にしたいの、キキ?」

「うん、でもあんまり大きい会もちょっと……」

「それなら身内だけはどう? 私と旦那様と執事、それに向こうの三人だけでなら最小限度の規模で出来るわ」

「お母様の意見でいいと思う」

「それじゃあ、次は食事ね」


 とても和やかな調子で話を弾ませる稀姫とカリンの脇で、遠慮の全くない親子喧嘩を繰り広げる善人と瀬楽。全くの平行線を辿っていた二組の親子の会話は善人の一言をきっかけに噛み合い始める。


「……最後は会場ね。どこか希望はある?」

「うーん、出来れば星空の綺麗な場所が良いんだけど……」

「夜にしたいの? それなら丁度いい古城もあるわよ」

「それもいいけど、もっとこう、皆にとって素敵な体験になるようにしたいの……」

「難しいわね……」


 大事な娘のお願いにカリンは頭を悩まし、稀姫はじっとカリンのことを見つめている。


「……往生際が悪いわね、男の子なんだからバシッと覚悟くらい決めなさいよ!」

「うるさい! 覚悟を決めろと言うのなら誠意を見せろ、誠意を」

「お小遣い百円増額半年でどう?」

「それ去年聞いたけど未だにしてないじゃないか……一生ものの出来事なんだからもっとでかいこと要求させろ」

「……仕方ないわねえ、何が望みなの?」


 中々自分を曲げない善人に根負けした瀬楽はようやく要望を聞く態勢に入り、善人は千載一遇の機会を逃さずに長い間我慢していた夢を告げる。


「いい加減に宇宙に連れていってくれよ。ブレプラニティスまでとは言わないからさ」

「善人、それは……!」

「宇宙……! そうよ、私も宇宙に行きたい! 星空の中、地球を見ながら吸血したいな」

「キキ……ちょっと、冗談よね……?」


 ほぼ同時に子供たちの要求を聞いた二人の親は一様に困惑した表情を見せ、子供たちの方はその機を逃さず攻勢をかける。


「……子供の頃からずっと出たいって言っていたのに反故にされてきたんだぞ。俺ももう十八歳の手前だし、そろそろ宇宙を体験させてくれてもいいんじゃないのか、お袋? 俺、もう待ちくたびれたよ」

「気持ちは分かるけど……」


 いつになく真面目な態度で迫る善人の言葉に、瀬楽は言葉に詰まってしまう。一方の稀姫も極めて真面目な表情でカリンに訴える。


「地球にいると他の吸血鬼に気を遣ったりしないといけないし、今回みたいに襲撃される可能性もあるでしょ? 宇宙でならその危険性は格段に減らせるし、何より私たちが普段住んでいる星を望みながらの初吸血なんて、他のどの吸血鬼もしたことがないでしょ? きっと、これ以上は望めないほど素敵な時間になるわ!」

「……ふう……」


 見たことも無いほど目を一杯に輝かせながら話す娘に、カリンは同意も反対もせず小さくため息を漏らす。内心ではどうしたらいいものか考えあぐねているのだが、『千の夜のカリン』としては娘の前であっても困惑した姿を見せるわけにはいかない。

 結局打開策を見つけられなかったカリンは、稀姫に向けていた視線を瀬楽に向ける。この中で宇宙に行く手段を知っているのは瀬楽だけである。後を追うように稀姫も視線を瀬楽に向ける。

 三人に視線を向けられた瀬楽は、この難局をどう乗り切ればよいのか分からず苦悶の表情を浮かべた。

 実際、宇宙に出る許可というのは簡単に降りるものではない。地球側で言うなら国連安全保障理事会の決議が必要なレベルであり、当然ブレプラニティス本星にも同様の許可が求められる。

 地球出身のブレプラニティス人である善人が宇宙に出ることすら何度も申請しながら許可が下りていないのに、更に吸血鬼の親子連れまで一緒に宇宙に上げろ、などとはとても申請できたものではない。いくらカリンが怖いと言っても瀬楽はそこまで分別のない人物ではない。

 仕方なく事情を説明しようと瀬楽が口を開きかけた時、瀬楽にとっての救いの神が遅ればせながらやってきた。


「おいおい……三人で私の妻をそんなに見つめないでやってくれ」

「あ、親父……おかえり」

「善行さん、おかえりなさい」

「あら、ゼンコーじゃない。お久しぶりね」


 朱野森善行は善人、稀姫、カリンの三人に手を振って応えると、庭に転がったままのスコティノを一瞥したあと、ゆっくりと庭から家に上がり瀬楽の隣に立った。


「あなた、いいところに来てくれたわ!」

「瀬楽、君らしくも無いな。一体どうしたんだ」


 瀬楽が善行に事情を説明すると、聞いた善行の方も精悍な顔に難しい表情を浮かべて考え込んでしまったものの、程なくして名案が浮かんだのかすっきりとした表情に変わる。


「二人の希望は分かった。まあやれるだけやってみよう」

「本当かよ、親父?」

「善行さん、本当ですか?」

「ああ……私に任せておきなさい。……瀬楽、カリンさん、ちょっと相談があるから集まってくれ」


 善行は瀬楽とカリンを呼ぶと三人です巻きにされたスコティノを連れて庭先から外へと出ていき、後には善人と稀姫が残される。

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