第4話 二人の母たち
稀姫は自分の手を握っている善人の手の上に空いている方の手も重ね、善人は稀姫の手の感触に心を努めて平静に保ちながら慎重に周囲を伺う。
と、そこで不気味な男の笑い声が善人と稀姫の耳に届いた。
「ククク……いけませんねぇ、子供が二人きりで外にも出ずに怪しげなおしゃべりに興じているなどと」
「……誰ですかあなたは?」
「昨夜あなたの別荘にお邪魔した者ですよ、キキ・モデラリエカ……今は碧河稀姫でしたか……昨夜は朱野森善行の邪魔が入りましたが、今度こそあなたの身柄を預からせていただきます」
男の声は慇懃無礼な態度で稀姫に告げ、今度は稀姫に代わって善人がどこかにいるはずの男に向けて呼び掛ける。
「勿体ぶらないで姿を見せたらどうなんだ? 親父の名前を知っててアスファレス・メーロスを無力化できるってことは、どうせブレプラニティス人なんだろう?」
「ほう。よく分かりましたね。流石は善行の息子といったところでしょうか」
「……そんなくだらない話は置いておいて、いいのかあんた? ブレプラニティス人が勝手に地球の原住民に手を出すのは地球側との安全保障条約違反じゃないのか?」
善人のその問いかけを男の声は鼻で笑う。
「ははは、あんな紙切れなど何の意味もありません。私の様に地球の原住民をさらっている業者などいくらでもいますよ。それに、地球人を守れなかった責任はどうせ善行が背負う問題で、私の関知する問題ではありませんからね」
「……この野郎……!」
「あなた……最低です!」
「おっと、少々おしゃべりが過ぎたようですね……」
善人と稀姫が揃って怒りの声を上げるのを聞いてか、男の声はその話題を切り上げる。
「……駄目で元々ですが、一応聞いておきましょうか。善行の息子、その吸血鬼の娘を大人しく私に引き渡す気はありませんか? そうすれば少なくともあなたの命だけは保証しますよ」
「……笑えないね。さっきの話の後で今の言葉をどう信用すればいいのか聞きたいくらいだ……」
「ならば……」
「あなたの言葉なんてこれ以上聞きたくもありません。あなたに従うくらいなら、この場で潔く死を選びます……!」
二人からはっきりと拒絶された形になった男は、大げさにため息をついてから二人に告げる。
「仕方のない子供たちですね。大人の譲歩を受け入れられない悪い子供には、ひとつ大人の実力というものをお見せしましょうか……」
男の声はそこで途切れ、二人は立ち上がって何が起こるのかと身構えて待ったが、何事も起きる気配がない。
善人と稀姫の耳には外から何やら金属のきしむような音が聞こえてくる。それも一度や二度ではない。
そこで善人と稀姫は同時にはっとなりお互いの顔を見合わせる。
「……親父かお袋が間に合ったのか?」
「……それだけではないです! これは……」
稀姫が何事か言いかけたその時、玄関の方から凄まじい爆発音が響き、それと同時に先程まで声だけが聞こえていた男の情けない悲鳴が聞こえてきた。
それから、少し時間を置いて明るい赤髪の女性が善人の家の庭に姿を見せる。戦闘用の迷彩ボディスーツに身を包んだグラマラスな女性で、決して若くはないものの美貌に全く衰えを感じさせず、体のラインがくっきり出るボディスーツも完璧に着こなしている。
「稀姫ちゃん、善人……二人とも無事ね?」
「瀬楽さん!」
「お袋……助かったぜ」
善人の母、朱野森瀬楽は稀姫と善人の無事を確認するとほっとしたような笑顔を浮かべる。
「善人のお陰で助かったわ。正直、別荘の襲撃から今までずっと後手に回っちゃっていたからね。ちゃんと教えた通りに家にこもってくれたお陰で、援軍を呼ぶ余裕も出来たし。上出来よ」
「援軍……?」
善人が何のことかと瀬楽に訊ねようとしたとき、す巻きにされた一人の男を連れて、稀姫と同じ髪の色をした絶世の美女が姿を現した。身長が善人にも負けないほど高く、胸は大きく腰は細く、と抜群のスタイルの良さを誇り手足も長くしなやかである。稀姫とは逆に白を基調としたワンピースドレスがとてもよく似合っている
「いいこと……私が良いと言うまでその場に転がっていなさい、野良犬」
美女が命令するや否や、す巻きにされた男は声も無く自分からその場に倒れ込んで動かなくなり、それを確認してから美女は親気に瀬楽に話しかけた。
「そこの無礼な男の躾は終わったわよ、セラ。急に呼び出された時は何かと思ったけど、あなたたちが苦戦しているとは思わなかったわね」
「そう言わないでよ、カリン。私たちはあなたみたいに身一つで空間跳躍なんて出来ないんだから。でも、お陰様であなたの娘も無事だしね……」
そう言って瀬楽は稀姫のことを見る。稀姫の無事な姿を確認したカリンという女性は、目に涙を滲ませながら稀姫に駆け寄りその体を強く抱きしめた。稀姫もそれに負けないくらい強くカリンに抱きつく。
「キキ! よく無事でいてくれたわ! この二年間どんなに心配していたか……」
「大丈夫、お母様。善行さんや瀬楽さんに良くしてもらっていたから……」
稀姫は久しぶりに会えた母の姿に、心からの安らぎを感じていた。
一方、稀姫とカリンが感動の対面を果たしている間に善人は瀬楽に今回の事件のことについて聞いている。
「す巻きにされているあの男は……?」
「……ブレプラニティスの人身売買ブローカー、スコティノ・エンポロスよ。三週間前くらいから稀姫ちゃんをマークしていたみたい」
「……エネルギー中和フィールドまで展開していたけど、相当でかい組織なんじゃないのか?」
「そこはまだ調査段階だけど、ブレプラニティス本星にかなり大きなスポンサーがいるようね。中和フィールド下でも稼働できる疑似生体型の
瀬楽は稀姫と嬉しそうに話しているカリンに視線を移す。
「お袋、そこの女性が……?」
「ええ……カリン・モデラリエカ、稀姫ちゃんのお母様ね」
「どうやって……いや、何でここにカリンさんが?」
「モデラリエカ家の別荘が破壊された時点で欧州にいたカリンにも情報が伝わっていてね。カリンは魔術原理を用いた空間跳躍を年一回だけ行使できるんだけど、それを使ってでも稀姫ちゃんを助けに行くって言って聞かないから、仕方なく私がカリンを指定した場所で出迎えて、善行さんには稀姫ちゃんを家まで運んでもらって、政府との折衝とかをお願いしていたのよ」
瀬楽の話を聞いた善人は何だか胃が痛くなるような錯覚を覚える。
欧州の有力吸血鬼の娘が暮らしていた別荘が破壊されただけでもかなりの大事なのに、その有力吸血鬼が急遽日本に空間跳躍してきましたとあってはどこもかしこも大騒ぎだろう。おまけに下手人がブレプラニティス人とあっては、あの男の物言いではないが善行の責任追及は免れないところである。
稀姫を連れて家に帰ってきたときの善行の表情を思い出した善人は、心の中でそっと善行に手を合わせる。
そんな善人の心中を知る由も無い瀬楽は、横目で稀姫とカリンの様子を伺いつつも母親の顔で善人に尋ねる。
「……ところで善人、稀姫ちゃんに変なことしなかったでしょうね?」
「何だよ、その目は。……腕を舐められたくらいで、俺からは別に何にもしていないって……」
「そう、それなら……って、ちょっと待ちなさい。稀姫ちゃんに腕を舐められたって……!」
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