第3話 近付く距離

「い、言いませんよ……今後その機会があるかも分かりませんけれど……」


 稀姫はそう言って窓の外をちらりと見やる。今はまだ外に怪しい人影は見えないが、モデラリエカ家専属の魔道士が張り巡らせた結界を破られて別荘を破壊されたばかりの稀姫には、今の状況がどうにも落ち着かないものらしい。

 稀姫の不安を察した善人はあえて大げさに体を伸ばす仕草をすると、ゆっくりと稀姫が最初に寝かせられていたソファに腰を下ろし、稀姫にも隣に座るように促す。

 こういうのは善行が得意にしていて、瀬楽が留守の時にはしばしば武勇伝を善人に語っていたものである。善行の様に上手くいくかどうかの自信はないが、今はとにかく稀姫の不安を取り除くのが先だと善人は思った。


「あ、あの……?」

「座って稀姫さん。家の中で立っていても仕方ないさ」

「でも、善人さん……」

「自分が死ぬ時のことを想像なんてしたら、折角の初吸血が台無しじゃないか? とにかく座って」

「……は、はいっ……!」


 初吸血の言葉が効いたのか、稀姫は光を失いかけていた瞳に再び爛々とした輝きを宿らせながら善人の横にちょこんと腰かける。善人は上手く行ってほっとするのと同時に、そんな稀姫の純粋さが微笑ましく感じられた。

 一呼吸置いて、善人は稀姫の気をほぐそうと軽い話題を切り出す。


「……そういえば、吸血鬼って自分の『はじめての人』を覚えているものなのか?」

「はい、吸血鬼にとっては独り立ちするための最後の試練ですから。……吸血鬼としての力は当然として、身だしなみや会話技術など社交的な能力も無ければ人間からの吸血は出来ませんし、覚えている方は多いと思います」

「意外に厳しいんだな。その辺は魔力の行使で手早く片付ける奴も居そうな気がするけど」

「魔力による魅了は高等技術ですから、初吸血の時点で行使できる人はまず居ません。それに自分の容貌に自信がないか会話する余裕がないくらいの危機的状況にある吸血鬼以外は、人間との会話を楽しみつつ吸血するのが一つの作法みたいなものなのです。母も『無闇に人間から吸血するなど無作法の極み』と口癖の様に話していました」

「……なるほどねぇ……」


 稀姫の解説を聞いた善人は感心したように大きく頷く。


「それにしては、俺への態度が随分前のめりだった気がするけど」

「……あ、あれはその……急に授血者である善人さんに出会えたせいで……えっと、ちょっとだけ興奮してしまいまして……」


 痛い所を突かれたのか、稀姫は小さな顔を真っ赤に染め上げながら懸命に弁解する。こういう所に吸血初心者なのが透けて見える、と善人は感じた。


「ははは、こんな可愛い女吸血鬼に興奮される日が来るとはね」

「……もう、何言っているんですか!」

「いやいや、三割くらいは本気だぜ? 何せ俺、純粋地球人じゃないからさ、付き合う相手も選ばないといけないし」

「あ……!」

「……気にしない気にしない。その辺りの事情は吸血鬼と似たり寄ったりだし」


 善人の素性を思い出し目を伏せる稀姫に善人は手を振って大丈夫だという意思を示す。

 稀姫はそれでも善人のことが直視出来ず、自分の膝の上に視線を落としながら質問をする。


「……善人さんは、ご自分の生まれをどう思っているんですか?」

「俺? ……一言でいえば面倒臭いよ。さっきの話だって、最低二回は同じこと言わないと通じないだろうし、更に言えば気軽に話せるものでも無い。どんなに仲の良い親友相手でも気軽に明かせない素性なんて足枷のようなものさ」


 善人はそう言うとため息をつく。実際のところ最初に善人が自分の素性を教えられた時に、両親から『最低でも十五歳になるまでは自分の判断で人に素性を明かすな。もし明かしたら明かした相手諸共記憶を強制的に書き換える』という、実の親の言葉とも思えないような脅迫をされている。

 しかし、と善人は言葉を続けた。


「まあ、あれだ。生まれなんて変えられないものを今更あれこれ言っても仕方がないよな。そんなことに時間を使う暇があったら、友達と好きな女子やゲームの話でもしていた方がずっと有意義だよ」


 その言葉を聞いた稀姫が頷くのを見て、今度は善人が尋ねる。


「そういう稀姫さんはどうなのよ。自分の生まれ、どう思っている?」

「……複雑です。どうあがいても吸血鬼らしく振舞うことが出来ない自分に苛立ったことなんて数えきれないほどありますし、そういう生き方を強いた母のことを恨んだこともあります」

「……」


 善人は稀姫の心情を慮って無表情で小さく頷くが、稀姫の方は意外にもすっきりとした表情で話を続ける。


「……でも、その一方で還血だったからこそ、普通の吸血鬼ではできない経験も出来たと思うんです。日本への留学もそうでしたし、善行さんや瀬楽さんと出会ったことも、今日こうやって善人さんに出会えたことも、すべて……」


 稀姫はそう言って小さく善人に微笑みかけ、それを見た善人は妙な気恥しさを覚えて思わず視線を外して外を見る。

 そこから外の景色に違和感を覚えるまでには時間はかからなかった。まだ日が沈む前だと言うのに外が暗い上、街灯の明かりも見えず人影が全く無い。

 善人が再び壁のリモコンに目をやろうとした瞬間、リビング中の電化製品の電気が落ちてしまう。


「え……?」

「……稀姫さん、そこから動かないで!」


 善人は稀姫に動かないように告げるともう一度壁のリモコンを操作するが反応がない。手元のスマートフォンを動かそうとするがこちらも反応がない。

 普通の電化製品はともかく、自家発電で賄っているアスファレス・メーロスやバッテリーで動いているスマホまで等しく使用不能になるというのは只事ではない。

 何よりまずいのは通信を遮断されたことである。善行や瀬楽に救援を要請したくとも肝心の通信が出来ないのではお話にならない。念のため固定電話も試してみたがこちらもつながらない。

 稀姫が不安そうな顔で善人を見ている。


「善人さん……これは……」

「稀姫さん、魔力は感じられる?」

「……駄目です。この一帯全域の魔力が感じられません。別荘の時とそっくり同じ状況です……!」


 怯えた声で答える稀姫。恐怖ですっかり体が震えてしまっている。

 善人は素早く稀姫のところまで戻って隣に座ると、そっとその手を握る。少しひんやりとした感触が善人の手の中に伝わってくる。

 前置きも無く手を握られた稀姫は、少し驚いたように善人の顔を見つめた。


「善人さん……?」

「……今の状況は正直な話かなり危険だ。けど、相手の狙いが稀姫さんの命じゃないのなら、家ごとどうにかしようとは思っていないと思う」

「でも……」

「……気持ちはわかる。けど、今の状況で動くのだけは絶対ダメだ。下手に動けば相手の思うつぼだし、親父やお袋の足を引っ張ることにもなりかねない。だから、今は待つんだ」


 善人ははっきりと言い切る。良く分からない状況で自分から先に動くのは愚策、というのは善行と瀬楽が善人に最初に教え込んだ絶対の教訓だった。

 動けば罠や待ち伏せにかかる恐れがある上、動いてしまえば場所の特定が遅れて救援に手間取るという悪影響も出る。それならばいっそ動かずに敵が出てくるのを待った方が生存確率は高まる。初めてそれを語ったときの瀬楽の真剣な表情を、善人は今もはっきりと覚えている。

 稀姫はしばらくの間、善人の顔と握られた手を交互に見ていたが、やがて決心を固めたように表情を引き締めると自分から善人の方に体を寄せた。


「分かりました。善人さんは他ならぬ私の『はじめての人』ですもの。言う通りにします」

「……何なら、今吸ってみる?」

「……遠慮しておきます。どうせ吸うならもっとこう、幸せな状況でしたいです。こんな殺伐としているのはちょっと……」


 少し前に風情も何もなく善人に噛みつこうとしていたのはもう記憶の彼方へ押しやってしまったのか、稀姫はまるでファーストキスのシチュエーションを考える人間女子のような物言いをしている。


「稀姫さんの考える幸せな状況ってどんなの?」

「そうですねぇ……やはり両家の親族が見守る中で、誓いの言葉か何かを交わして、終わった後は優雅に会食でも……」

「それってもう何かの儀式じゃない?」


 善人はあえてツッコミでは触れなかったが、稀姫の思い描いているシチュエーションは完全に結婚式のそれである。


「そう言われるとそうかも知れませんけど、ほら、私は子供の頃に初吸血の儀式に失敗しているじゃないですか?」

「ああ……要するにやり直しをしたいのね」

「そうです。あの時は果たせなかった初吸血を今度こそ果たすためにも……こんなところで死にたくありません……!」


 稀姫がそう語気を強めた時、消えていた部屋の明かりが一瞬だけ強く明滅し、再び消える。

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