第2話 お互いの自己紹介

 還血の吸血鬼はおよそ二十万分の一の確率で生まれてくるとされている。吸血鬼の世界人口が十万人程度であることを考えるとかなり稀なケースだと言える。

 通常の吸血鬼は好みの差はあっても吸う人間を選んだりはしないし、吸血できない人間も基本的には存在しない。多少の精神的ダメージを覚悟の上ならば聖なる力に満たされている人間からでも吸血は可能である。

 しかし、還血の吸血鬼は普通の人間相手では吸血衝動が起きず、自身の魂と波長の重なる限られた人間にしか吸血衝動が発生せず、吸血の可能な『授血者じゅけつしゃ』が現れない限り吸血鬼としての力を全く発揮することが出来ない。

 更に還血の吸血鬼は幼い頃から吸血に馴染めないまま成長するため、運よく吸血鬼として覚醒してからも血をあまり吸えず、しかも授血者から吸血する際に自身の魔力を代償に捧げなければならない。

 このように吸血鬼側のデメリットがあまりにも大きい上、存在自体が吸血鬼社会の安定を損ねるものであるとされていることから、普通は還血であることが分かった時点でその吸血鬼は吸血鬼社会から追放され、普通の人間として生きていく事を強いられるのだと稀姫は語った。


「それじゃ、その……稀姫さんも?」

「はい、そうなるはずでした……」


 そう俯き気味に話す稀姫の目からはいつしか光が失われていき、折角発現させた牙も口から消えている。

 稀姫が還血であることが発覚したのは三歳のときで、親族だけで行われた初吸血の儀式で牙を出せずに失敗したのがきっかけだった。

 当然の様にその場で親族会議となり、慣習に従って家からの追放ということで概ね意見の一致を見たものの、稀姫の母親が猛反対をしたのだという。


「そのお母さんっていうのは……」

「カリン・モデラリエカ。昔は『千夜魔女チャロディニツァ・ティシック・ノッチ』という名前で恐れられていたそうです」

「うぇっ! 『千の夜のカリン』って界隈じゃかなりの知名度がある吸血鬼じゃないか。……いいところのお嬢さんなんだなぁ」


 名前を聞いた善人は目を丸くする。『千の夜のカリン』ことカリン・モデラリエカといえば欧州でも有数の実力を持つ吸血鬼として知られ、凄まじいまでの魔力と数千を超える人間と吸血経験を交わした魅力あふれる美貌の持ち主とされる。

 あまりにも危険な存在であるため、同じ吸血鬼であっても直接の面会が可能なのは家族と一部の親類、及び彼女自身が認めた相手に限られ、吸血のとき以外普通の人間の前には姿を現すことも無いのだという。

 善人の両親の仕事の話の中でも度々出てきた吸血鬼であり善人も名前だけは知っていたが、まさかそのカリンの娘とこうして直に対面することになるとは思いもしていなかった。


「……それで、お母さんが反対したっていうのは……?」

「母が言うには『還血といえども吸血鬼は吸血鬼。今現在血が吸えないというだけの理由で追放して人間社会へと追いやるのはおかしい!』、ということでした」

「ある意味で吸血鬼らしくないけど、正論には違いないな」

「はい、私も母の言うこと自体は正しいと思っているのですけれど、それでも血の吸えない吸血鬼が普通の吸血鬼に混じって暮らすというのは困難が大きすぎて……」


 稀姫はため息をつく。結局カリンに押し切られる形で普通の吸血鬼と同じように育てられることになった稀姫であったが、他の吸血鬼の子供たちが吸血を経験することで成長していくのに比べて明らかに発育に差が出るようになり、それが原因となって子供たちの中で孤立しがちであったという。

 また、食事などで魔力を摂取してもその行使が出来ないため、体内の魔力が循環させられずに沈殿してしまい、沈殿した魔力が熱病を引き起こす魔禍まか中毒に陥ってしまうなどの問題も起こった。

 流石のカリンも我が子の悲惨な有様を見て自分の考えを改めざるを得ず、稀姫が十五歳を迎えた日に止む無く吸血鬼勢力の影響力が及ばない日本への留学という形で稀姫を家から出すことになったのだという。

 その時、稀姫の身元を引き受けることになったのが善人の父である朱野森善行と母の瀬楽せらであった。


「……そういや二年前くらいからやたら頻繁に親父もお袋もいなくなることが続いたけど、あれは稀姫さんの世話に行っていたのか……」

「善行さんにも瀬楽さんにも二年前に来日して以来、ずっとお世話になっています。私、こういう出生ですから吸血鬼の社会を出たら出たで、今度は人間の標的にされるようになってしまって……」


 吸血鬼でしかも還血という世にも珍しい体質の持ち主である稀姫は、やはりというべきか人間側にとっては格好の研究対象であるらしく、欧州の有力吸血鬼の娘という威光をも恐れずに手を出してくる不届き者が後を絶たないのだそうである。


「そうなると今回のも……?」

「……一週間程前から住んでいた別荘の周辺を怪しげなものがうろつくようになってすぐに善行さんに連絡を入れたんですけれど、善行さんが着た途端に取り囲まれてしまいまして……」

「……親父一人が相手なら物量で押し切れる、ってか? そんな甘ちゃんじゃあないだろう、親父も相手も」


 甘い甘いと言わんばかりの表情を浮かべる善人に、稀姫も頷きながら言葉を続ける。


「……はい、実際第三陣くらいまで善行さん一人で持ちこたえていて、そこで瀬楽さんも駆けつけてくれたんですけれど、最後の攻撃で別荘の対人結界を破られてしまって別荘が……」

「……ちょっと待った。相手は吸血鬼仕様の対人結界を破れるほどの魔道士なのか?」

「いえ、そうではないと思います。私も魔力を感知するくらいなら出来ますけど、結界を破るほどの魔力は感知できませんでした。それなのにいきなり結界が消えてしまって、善行さんも瀬楽さんもどうにもできなくて……」


 そこまで稀姫の話を聞いた善人は真剣な表情に変わり、一旦稀姫の側から離れてリビングの壁にあるリモコンのスイッチを三回押して稀姫の側へ戻ってくる。稀姫は不思議そうな表情で善人の顔とリモコンを見比べる。


「……あの、今の一体……?」

「家の周辺に張れるアスファレス・メーロスっていう防護装置の出力をゼロから最大に引き上げた。……無駄かも知れないけど、お袋が家に戻ってくるまでの時間稼ぎくらいにはなると思う」

「……あの、失礼ですがあなたは一体何者なんですか? ……善行さんも瀬楽さんもそうですけれど 、不思議な機械が持っていたり吸血鬼に詳しかったり……」


 稀姫は善人の顔を見上げながら言う。稀姫自身が小柄なのも含めても善人はとても背が高い。180センチメートルは楽に超えているだろうか。髪は淡い赤茶色で身長の割には細身ではあるが、着ている半袖シャツから覗いている腕は稀姫の想像よりも筋肉質に見える。顔は取り立てて美形ではないが、意志の強さを感じさせる目が目立っていた。

 稀姫の口から出た当然の疑問に、善人は肩をすくめながら答える。


「……俺は朱野森善人。地球生まれの地球育ちだけど、両親が異星人なんで純粋な地球人ではないんだけどね……」

「……?」


 善人の説明が頭で理解できないのか、稀姫はきょとんとした表情を浮かべる。もう一回説明して、と稀姫の目が訴えているのを見た善人は後ろ頭を掻きながら今度は分かり易く説明する。


「……親父とお袋は両方とも惑星ブレプラニティスってとこで産まれた異星人なんだよ。……でまあ、二人とも仕事で地球に赴任したんだけど揃って地球が気に入って意気投合して……で、母星に帰らないまま結婚して俺が産まれた、ってわけ」

「……? ……! ……?!」


 稀姫は声にならない声を上げて善人を右手で指差したまま体を硬直させている。勿論、善人の素性を聞いてすぐにその内容を理解する人間はまずいない上、理解したとして驚かない人間もいない。それが吸血鬼ならばなおさらかも知れない。

 善人自身、両親から生まれについて説明された時は三回も説明を聞き直したほどで、最初はこのような面倒臭い生まれにさせた両親を憎たらしく思っていたものである。

 そして、それなりの時間が経過した後ようやく硬直から立ち直った稀姫が目を白黒させながら震える声で問いかけた。


「……善行さんと瀬楽さんが異星人! じゃ、じゃあ善人さんも異星人なんですか?」

「……異星人って言い方は違う。一応地球上で生まれたことになっているし、地球外に出たことも無い地球育ちだからな。ただ、純粋な地球出身者とは別系統の人種であることは間違いないから、単に地球人という言い方も正確はないと思う。まあ、異星系地球人っていうのが誤解の少ない言い方かな」


 善人は素っ気ない態度で答える。


「そのブレ……何とかという惑星はどこにあるんですか?」

「正確な位置は知らないけど、ブレプラニティスは地球から大体12光年ほど離れているらしい。一般的な地球人はまず知らないから、稀姫さんも迂闊に外で話さないでくれよ」

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