彼女が彼から初めての吸血を終えるまで
緋那真意
第1話 出会い
家のリビングで一人のんびりと過ごしていた
女の子は黒に近い碧い髪を持ち、小柄で細い体をしていて、顔も可愛らしく整っている。身にまとっている簡素な黒のワンピースと合わせて、善人の目には着せ替え人形の様にも見えた。
「おいおい親父。急にそんな女の子抱えて入ってきて。今度は何事が起きたんだ?」
「善人、済まんが今はそれに答えている暇がない。ともかくその子を守らなければならん」
スーツの上から薄手のコートを羽織った姿をしている父の
「親父、この子はどうするんだ?」
「私は関係各所と連絡を取り、その子の今後について話し合わねばならん。もうしばらくしたら母さんも戻ってくるだろうから、それまでその子を見ていてくれ。頼むぞ!」
善人の質問に必要最低限のことだけを告げると、善行はさっさと玄関から外へ飛び出していった。それを見届けた善人はやれやれという感じでため息をつく。
(また始まったよ……あのバカ親たちは……)
善人の父と母は、表向きにはブレプラニティス・コネクテッド・サービス(BCS)と呼ばれる便利屋を夫婦で切り盛りしていることになっているが、裏では地球上で迫害され絶滅が危惧される希少種族の保護活動に従事している。
両親ともにそのことを子供に隠すつもりは全くと言っていいほどなく、善人は物心も付かない赤子の頃から両親と共に各地を駆け回り、時には凄惨な修羅場にも立ち会ってきた。
流石に就学年齢を迎えてからはきちんと学業に励んでほしいという両親の意向もあってあちこちに連れまわされることも無くなり、少なくとも父と母のどちらかは自宅にいるようにはなったのだが、それでもたまに両方ともいなくなってしまうこともあり、そういう時は大抵とんでもなく厄介な一件を抱えているのが常であった。
今回も一週間前から両親が揃って説明もなく居なくなっていたので、相当に危険な事態が起きているのだろうと善人も感じていたが、それでも家にまで仕事に関わる相手を連れ込むというのは流石に過去にも例がない。家にまで仕事を持ち込むことは善人の身を危険にさらすのと同義であるからだ。
勿論、自分で自分の身も守れないほど幼かった頃と違い、善人も両親の手ほどきを受けて多少の護身程度ならば難なくこなせる程度にはなっていたものの、両親が相手にしている連中の大半は人を殺すことを厭わない凶悪な存在であり、善人自身も実際に家で襲われたらまず抵抗は出来ないだろうと感じていた。
それでも少女を家に置いていき善人に見張りを任せるというのは、少女が家に連れ込んでも平気なくらいに危険度が少ないのか、善人のことも当てにせざるを得ないほどに危険な状況なのか、あるいはその両方なのか……。
(ま、そこの子に危険は無くても俺を頭数に入れないといけない程度には切迫した状況ってことか……やれやれ、俺、明日ライヴに行く予定だったのに……)
善人は後ろ頭をぽりぽり掻きつつそんなことを考える。明日は大好きなアーティストのライヴに友人と出掛ける予定だったのだが、この分ではおちおち一人で出掛けられもしない。また、仮に行けたとして会場で騒動などが起きない保証もない。善人としては遺憾なことではあるが、今回は涙を呑んでライヴ参戦を見送るしかない。
(……くそ、今回の件は定期小遣い半年増額プラス一回臨時支給くらい要求しないと割に合わないぞ……)
頭の中で両親への機会損失に対する補填要求をまとめつつ、気持ちを切り替えて友人に連絡を入れようとしたところで、善人は右腕に妙な違和感を覚える。何やら生暖かいものが腕に触れたり離れたりしている。
右腕の方に視線を向けるとそこには先程善行が連れてきた少女が、何やら熱に浮かされたような表情で善人の腕をぺろぺろと舐めまわしていた。
それを見た善人は何故だか見てはいけないものを見てしまった様な気まずさを覚えてしまい、声が出せなくなる。一方の少女の方も善人が見ていることに気が付きこちらも気まずそうな表情を見せたものの、善人の腕を舐めることを止めようとはしない。
しばらくそんな状況が続いた後、ようやく少女の方が腕を舐めるのを止めて、それを見た善人も我に返る。
「……あ……あの……その……お嬢さん……?」
「……ご、ごめんなさい……お兄さん。……こ、これは……その……ち、違うんです……!」
何故か、お互いしどろもどろになりながら受け答えをする善人と少女。
「ち、違うって言われてもなあ……何が違うのかさっぱりなんだけど」
「いえ、その、あの……いやらしいとかやましいとかそういう話では……いや、ちょっぴりやましくはあるんですけれど……って、そういうことでも無くってですね……!」
言葉に過剰に反応してまるで説明になっていない説明をする少女を見て善人はつい笑ってしまい、笑われた少女の方は不満げに頬を膨らませた。少女が何を言いたいのかは善人にも大体理解は出来る、
「わ、笑わないでください……! ……私、これでも真剣なんです! 私……」
「……真剣だから血を吸わせてください、ってこと? 吸血鬼さん」
「……えっ? ……どうして……?」
少女はいきなり自分の正体を言い当てられて絶句してしまい、呆然と善人のことを見つめている。善人は苦笑いをしながら少女に種明かしをする。
「俺、ガキの頃に親に連れられて欧州の吸血鬼ネットワークに出入りしていたことがあってさ。その時に行く先々で腕を散々舐めまわされた経験があるんだよ」
「……腕に噛み痕なんて一つも無いのに……どうして噛まれなかったんですか?」
「そりゃ自分の身を自分で守れないガキを親が放っておく訳も無いだろ。あの親父とお袋をわざわざ本気にさせるほど連中も馬鹿じゃない。あんただって吸血鬼なんだからそれくらいわかるだろ?」
善人はそう言って肩をすくめてみせたが、話を聞いた少女は金色の美しい瞳をさらに美しく輝かせてうっとりとした表情で善人を見つめる。
「すごい……すごいです! もう出会えないかと思っていたはじめての人にようやく巡り合えただけでもすごいのに、その人が他所の吸血鬼に吸われてないまっさらの純血だったなんて! こんな奇跡があるなんて信じられない……!」
「……? おいおい、一人で勝手に感動するな。大体『はじめての人』ってどういう意味だ? あんた、見たとこそれなりに生きている吸血鬼だろ。それが一度も吸血経験がないってどういうことだ?」
今すぐ吸血行動に移りかねない少女を善人は慌てて押しとどめる。善人の知る限り、一般的な吸血鬼は物心がついた頃に初吸血の儀礼を行って吸血鬼としての自覚と作法を教わり、人間年齢で十八歳を迎える頃には複数の人間に対して吸血経験を持っているのが普通である。
目の前にいる少女は見た目の上では現在十七歳の善人とそんなに歳が離れてはいないように見え、『はじめての人』くらいとっくに通過していてもおかしくはない年齢であるだろう。
善人の言葉に少女の表情は少し陰るが、それでも瞳の輝きまでは抑えきれず爛々と輝いたままだった。理性では抑えきれないほどの吸血衝動に支配されつつある証拠である。
しかし、少女はそれでも律儀に善人へ頭を下げる。
「……お願いします、吸わせてください! ……私、特異体質の吸血鬼で今までろくに血を吸えたことが無かったんですけど、お兄さんを見ているうちにだんだんやる気が出てきて、牙だって……!」
そう言って顔を上げた少女の口元からは小さな牙が二対見え隠れをしている。吸血鬼の牙は吸血するとき以外は生まれつき備わっている魔力によって抑え込まれているのが普通で、吸血に及ぶときになって初めて牙が解放される。故に血を吸う気満々の少女がそうなっていても不思議でも何でもないのだが。
「……話が見えないな。あんた……そういやまだ名前も聞いてなかったけど……一体何者なんだ?」
善人は不思議そうな表情のまま首を傾げて、少女に訊ねる。目の前の少女は確かに吸血鬼には違いないが、どうにも善人の知る一般的な吸血鬼像とは異なるところがありすぎる。両親がどういう意図で少女を自宅にかくまったのかは分からないが、素性くらいは訊ねても何かを言われることも無いだろうと善人は思う。
善人の言葉を聞いた少女は前のめりになりかけていた姿勢を慌てたように正すと、可愛らしい顔を凛々しく引き締めて善人に名乗る。
「私の名はキキ。日本に来てからは
「かんけつ……? 聞いたことのない言葉だけど何それ?」
「魂の波長の合う人からしか吸血を行えない、ある種の特異体質です」
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