最終話「残るんだよ。どうしたって」

 駅で待ち合わせて、舞季まいきと二人で電車に乗った。


「なにをするの?」

「なにも考えてない」


 俺がそう言うと、舞季は眉を困らせた。


「じゃあそのリュックはなに?」

「内緒だ」


 ぶーっと頬を膨らませる。舞季は相変わらずかわいい。


「夏だから、山に行くとかバーベキューをするとか、そういう当たり前の夏の使い方はもうやめようと思う」

「どういうこと?」


 俺は車窓から見える空に浮かぶ雲を指した。


「雲の峰」

「夏の季語ね」

「もう秋になるのにな。晩秋にだってたまに見かけるぜ。入道雲。それなのに雲の峰を入れたら夏の俳句になっちまう。季語って融通が利かないよな」

「そういうものだし」

「俺はそういうものじゃあない。それに舞季も」


 舞季は俺の言わんとすることを察したのか、気まずそうに視線を外に戻した。


「この間のこと? 全部わたしのわがままだから、気にしないで。あなたとわたしは楽しい夏を過ごした。それでいいじゃない。わたしはそれ以上求めてないから」


 彼女の声のトーンは落ちたが、俺は関係なく話を続ける。


「夏と言えば焼肉だな」

「そう、ね」


 舞季は少し遅れて相槌を打った。


「北海道では真冬に外で焼肉をする祭りがあるらしいぞ」

「面白そうね。冬の彼氏と一緒に行くとするわ」

「ダメだ。夏と言えば焼肉。なら焼肉は俺のもんだ」

「なにそれ!?」

「あと入道雲が出ている間中は夏な」

「雲基準なの!?」

「季語だからな」

「融通効かないわね」

「そういうものだろ」

「ぐっ」

「沖縄では3月中旬に海開きが行われる。海は夏のものだから、俺と舞季は沖縄に行って海に入らなければならない」

「なんでマストなのよ」

「でも楽しそうだろ? 行ったことあるか? 海開きに合わせて、沖縄に」


 舞季は言葉を詰まらせ、ややあってから首を横に振った。


「春には春のことをしなければ……なんて思っているから沖縄に出掛けられない。季節ごとにその季節でしかできないことを味わうことも楽しいだろう。でももういいんじゃねえか? ずーっと夏でも」


 彼女は言葉を発せず一点を見つめている。握った白い拳。


「秋にも冬にも春にも、俺との行事を作ったら、季節ごとの彼氏に対して浮気をすることになるな」

「あなたのせいでしょうが」

「浮気しないただ一つの方法は、ずっと俺と一緒に居ることだ」


 ガタンッ。レールの繋ぎ目を渡る音が一際大きく響き、続いてスキール音が響いた。遠心力に抗わなかった彼女の頭が俺の肩に触れる。

 電車がコーナーを曲がり切ったあとも、舞季の頭は変わらず俺の肩に乗せられたままだった。彼女はなにかを考えるように車窓に切り取られた晩夏を見つめていた。



※  ※  ※  ※



 電車を降りても舞季は無言のままだった。

 そんな彼女の手を引いて、駅を離れて河川敷を下っていく。


「ねえ」


 彼女の声を久しぶりに聞いた気がした。川のせせらぎよりも透き通った声は、入道雲よりも重苦しい不安を孕んでいた。


「わたしと付き合い続けることがどういうことかわかってるの?」

「ああ」

「わたしは老けないから、あなたと一緒に居たら、エンコーと間違えられるかもしれないわよ」

「そう思わせないくらい、若さと健康を維持するように頑張るよ」

「わたしはその……」


 彼女が突然立ち止まったから、繋いでいた手と手がほどけた。向き合う形で彼女の言葉を待つ。


「先に死んでしまうわ。あなたは取り残されるの」

「取り残されるんじゃなくて、看取れるんだよ」

「そうやってわたしのためにたくさんの時間を使っても、あなたは報われない。わたしが50で死んだら、あなたはそこで一人ぼっちになるの。再婚するには歳をとり過ぎているし、寿命まで何十年もあるのよ? 耐えられる?」

「さあな」


 わからないさ。そんなこと。舞季が居なくなった寂しさと悲しみを抱えて、何十年も生きられるかなんて、知らない。


「でも一つだけ確かなことがある。俺は舞季と共にいられない明日が耐えられない。数時間が耐えられない。数分、数秒が耐えられない。舞季のいない80年より、舞季と共にいられる30年を、いや、この先の一秒を選ぶ」


 俺はリュックサックを下ろし、そこから持ってきた代物を取り出した。

 平行な場所にセットして導火線にライターを近づける。


「花火、だったんだ。……夏、だから?」


 呑気を装った声のうしろを、涙の雫が滑り落ちる音を聞いた。

 俺は導火線に火が点いたのを確認して、舞季の元まで走った。


「違うよ」


 ——シュポンッ。打ち上げ花火の筒から光が抜け出した。


「夏のために買ったんじゃない。夏だから上げるんじゃない」


 ——パーンッ。緑色の光が無邪気に散らばって、乾いた音が鼓膜を打った。


「舞季のために買って、舞季が居るから上げた」


 まだ竜胆りんどう色を携えた夕景に、その花火はあまりに場違い的だったけれど、季節を選ばない俺たちにはちょうどいいかもしれないと思った。


「きれいで、儚くて。あとに残らないのがいいって言ってたな」


 彼女はこくりと頷いた。

 俺は打ち上げ終わったあとの筒を指す。


「残るんだよ。どうしたって」


 彼女の大きな瞳が水たまりみたいに揺らいだ。舞季は小さな声で「そうだね」と言った。俺にはそれが「ごめんね」という言葉に聞こえた。だから俺は心の中で「いいよ」と返した。


「考えてみたら俺、小学生の頃冬でも半そで半ズボンだったんだよな」


 眼を見て真剣に言うと、しばらくしてから舞季は噴き出した。


「なんの告白よ」


 腹を抱えてけらけらと笑っている。


「ずっと夏を終わらせないでいられるってことだよ。半そで半ズボンは夏の特権だろ」

「はいはい。わかったから。風邪ひかないでね」


 そう言って彼女は俺の手を取った。

 俺はその手が二度とほどけないように、指を絡ませた。

 季節の終わりに彼女がなにかを諦めなければいけないのなら、終わらない夏を続けよう。将来性皆無の、俺たちだけの夏を。

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セツなき恋と終わらない夏 詩一 @serch

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