第4話『夏は終わらない』

 ある日、学生の噂話を耳にした。学食で話している声がたまたま聞こえてきたのだ。

 それは、舞季まいきの悪い噂だった。なんでも彼女は長年この学校に通っている超留年女子なんだとか。そして3か月に一回彼氏を取り換えるヤリマンなんだとか。

 ヤリマンというのは、前にも聞いたことがあった。季節ごとに彼氏をとっかえひっかえしてりゃあそんな噂が立つのも仕方ない。しかし留年は意味がわからない。

 もしも噂通りなら俺よりもかなり年上にならなきゃいけない。けれど彼女は下手したら高校生くらいに見える。老け顔ならわかるが、どう考えてもそんな噂が立つのは不自然だ。ということは、逆に事実なのだろうか?


「あー、うん。わたし留年しまくってるの」


 聞いたらあっさり答えてくれた。なぜか、というのは聞かなくてもわかる。単位を落としているからだ。問題はそっちではない。


「その割に、えらく若く見えるな」

「あら嬉しいわね。でも、それもそのはず、わたしは不老不死だから。そういう体なのよ」

「今日はエイプリルフールだったか?」

「もしも今日がエイプリルフールなら、あなたと付き合ってないわ」


 そらそーだ。


「本当のところ、なんでなんだ? 門限厳しいことや激しい運動ができないことと、関係してるのか?」


 もう一歩踏み込んでみると、彼女は押し黙った。


 舞季が言葉を探しあてるまで待った。

 白い肌の上の薄桃色の唇が、静寂を割る。


「わたし、病気なの」


 ——成長が止まる病。かかったのはおそらく高校生の頃。生理が来なくて病院に行った。最初はストレスから来る生理不順と診断されたが、さらに一か月待っても生理が来なかったので調べて貰ったらそう言うことらしかった。


 生理が来ないということはつまり、子供を産めないということになる。

 それに、体の発育が阻害されているということは、代謝の機能などが本来の役割を果たしていないということだ。医者の予想では、寿命は通常の半分以下なのだとか。その辺は酷く曖昧だったみたいだが、舞季は50くらいで死ぬだろうと思って生きているらしい。


「付き合った彼氏に病気のことを言ったら、しばらくしてフラれたわ」


 彼女は俺を見ているようで見ていないような瞳だった。俺のうしろにいる誰かにピントが合っているような。


「元カレに抱いた最初の感情は『あの人は酷い』だったわ。でもそれから違う人と付き合っても、同じようにフラれちゃって、『男はみんな酷い』ってことになったんだけど……」


 今まで吊り上がっていた彼女の眉が下がる。


「最終的にはわたしがおかしいだけだって理解したわ」

「なんで、舞季がおかしいんだよ」

「誰だって、結婚しても自分の子供ができなくて、自分より先に死ぬってわかってる将来性のない人と付き合いたくないでしょう」


 そんなのは男の都合だ。そう思った。けれど言い返せなかった。舞季がずっと苦しんできたことを、事情を知ったばかりの俺の軽率な言葉で濁してはいけないと思った。


 実際、結婚を真剣に考えるくらいに好きだから将来を考えるのだろう。俺だってそうだ。舞季との結婚を夢見たし、子供と手を繋ぐことだって想像した。老後は豪華客船に乗って旅でもしたいな、という妄想も。

 それらがすべて叶わないと言われたらどうだ。

 舞季を傷付けた彼氏たちが許せないと思う反面、少しだけだが同情してしまっている自分がいる。


「なんかごめんね。暗くしちゃった」


 糸がれたような笑顔をしていた。そんな彼女から発せられた明るい声を、ヒグラシの寂しい鳴き声がさらに浮かしていた。



※  ※  ※  ※


 

 言葉が見つからなかった。言葉未満のなにかが体の中をふよふよと漂ってはいたけれど、その中の一個として具現化してはくれなかった。


 家に帰ってもなにもやる気が起きなくて、俺はシャワーも浴びずにベッドに横たわっていた。スマフォを手にし、LINEを開いては閉じる。彼女になにか言葉を掛けたい。でもなにを言ったらいいのかわからない。


 LINEのタイムラインに赤い点が付いていた。タップすると元カノの日記が更新されていた。未練があるわけじゃあないが、わざわざフレンドを解除する必要性も感じなくてそのままにしてある。


 元カノは俺と別れてからも元気そうだ。そう言えば、今まで付き合ってきた女の子とは、妄想の中ですら結婚したことはなかった。そういう未来を考える前に別れた。というより、多分そこまで好きじゃなかったんだろうなと思った。自分から惚れた子に関しても、刹那的な感情で動いていただけのような気がする。彼女たちが俺をフるとき、もしかしたら将来のことを考えていたのかもしれない。だとしたら俺にもきっと将来性がないのだろうなと思った。


 舞季が季節ごとに彼氏を変えるのは、自分の病気が知られる前に別れたいからなのかもしれない。或いは、知られたとしてもすぐに別れるという前提があれば、フラれるのも怖くないから。


 ずっと舞季と一緒に居たいと思う。好きな人と一生ともに居たいと願うことは悪いことじゃあないはずだ。しかしこんな気持ちも、彼女を追い詰めてしまうことになるのかもしれない。

 彼女の価値観を否定したくはない。けれど、そんな寂しい理由で別れてほしくない。


 LINEの元カノが、今彼とのツーショットをアップロードしていた。幸せそうでなによりだ。


 もしも舞季が次に付き合う彼氏となら一生幸せに暮らせるというのなら、俺は身を引くことができるだろう。けれど彼女はそうじゃない。次も、その次も、そのまた次も、同じように寂しい別れを選んでいく。去年の彼女は俺をフッたんじゃあない。俺と付き合う自分自身をフッたんだ。傷付く前に。傷付ける前に。舞季は、誰よりも自分の将来性のなさに絶望しているんだ。その絶望に巻き込まないために、離れていくんだ。素敵な思い出だけを残して。花火みたいに。


 そんな舞季を前にして、子供とか老後とか将来とか、バカじゃねえのか。俺は。


 ピロンッ。舞季のメッセージ。


『もうそろそろ夏も終わりね』


 俺はその言葉を見て、反射的に指を動かした。


『夏は終わらない』

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