第3話「それなのに、秋が来たら別れるのか?」

 二人の関係は良好だったはずだ。雨宿りしたあの日だって、喧嘩していたわけじゃあない。

 彼女との会話。その続きを思い出す。『季節ごとに恋人が変わったっていいって思わない?』あの言葉。

 なにかの隠喩だと思っていた。けれど、もしかして言葉そのままなのか?

 あの豪快な笑い方や遅刻して謝るときの上目遣いや映画を観終わって泣き顔を隠すために抱き着いてくるところが嘘偽りない彼女の姿なのだとしたら、別れ際にわかりづらい嘘を吐くなんてことはしないように思う。秋になったから別れた。それだけなんだ。きっと。


 自分の中ではなんとなく納得ができる答えを見つけられたけれど、上顎に張り付いた味付け海苔を何度も舌先でまさぐってやっと取れたと思ったらそのまま喉の奥へ入っていってしまったような気持ち悪さが残った。


 俺はスマフォを手に取ってLINEを立ち上げた。もしかしたら既読スルーになるかもなんて不安より、気持ち悪さを払拭したい思いの方が勝った。



※  ※  ※  ※



 初秋の候。俺は来年の夏に向けて、自分の趣味を増やしていった。舞季まいきと付き合っているときにはやらなかったキャンプやサーフィンにも少しずつだが手を付けて行ったし、登山できる場所の開拓もおこなっていった。ジムにも通ってより海が似合うように鍛えた。一方で俳句なども勉強した。夏の季語でなら完璧に詠めるようになった。アルバイトの量を増やして、夏をエンジョイするための軍資金も得た。


 これほど自分を夏に追い込むのは、

「来年の夏になったらまた付き合うかって? それはわからないわ。言ったでしょう? 服と同じなのよ。あなたが来年の夏にも似合う人だったらきっと付き合うと思うわ」

 という返答があったからだ。


 LINEを送ったのが、秋が似合う男と付き合う前だったらしく、滑り込みセーフだった。


 努力すればまた舞季と付き合うことができる。

 俺は秋が来たと言う理由でフラれたのに、夏が来ると言う理由だけで舞季好みの彼氏を目指していた。


 今まで付き合った人に『別れよう』と言われたときは、すぐに諦められた。縋って付き合い直したところで、それ以上好きになれる気がしなかった。天井というのか底というのかはわからないが、とにかく限界のようなものを感じていた。でも舞季は違う。いっぱい話してたくさんのことを知ったけれど、それでも、果てなど見えなかった。どれだけ知っても、なにか大切なことをまだ隠しているように思えて、別れたその瞬間が二人の限界には思えなかった。


 御託をたくさん並べたけれど、端的に言うと、

「好きだ」


 この一言に尽きた。フラれても、一年経っても好きだった。諦められないんじゃあない。好きなままなんだ。


「付き合ってくれ。いや、今年もまた俺を選んでくれ」


 彼女はにへらぁっと笑って、人差し指を立てた。


「今年の夏は、俳句を詠みたい気分なのだけれど」

燦燦さんさんと笑うあなたと若葉風わかばかぜ

 一句詠みあげると、舞季は息を飲んで目を見開いた。そして目を細めて穏やかに笑い声を漏らした。それは初夏の若葉の隙間を縫ってやわらかに吹く風のように、俺の心をやさしく撫でた。彼女の微笑からは、夏の匂いがしていた。



※  ※  ※  ※



 登山、俳句、キャンプ、サーフィン、夏祭りなどなど。俺は舞季との夏を去年よりもっと充実したものにしたくて彼女を連れまわした。

 しかし舞季は激しい運動がどうもダメみたいで、サーフィンはできなかった。


「せっかく練習したのに、ごめんね」

「こっちが勝手にやったことだ。気にするなよ」


 カナカナカナカナと遠くでヒグラシが鳴いている。もうすぐ夏は終わるけれど、まだ夏の中にいる。その間に聞いておかなければならないことがある。


「なあ、舞季。俺は舞季と一緒居て、毎日が楽しくて楽しくて仕方ないんだ」

「それはわたしもよ」

「それなのに、秋が来たら別れるのか?」


 舞季は笑顔のまま頷く。

 俺は多分泣きそうな顔をしていただろう。ラムネのしゅわしゅわした感覚が、咽喉と鼻の間までせり上がってきていた。

 海も砂も茜色に染まり上がった浜辺で、影だけはしっかりと黒くそこに在った。

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