第2話「とっても楽しい、最高の夏だったわ」
その夜にはもうご飯を食べるほどに距離を近づけていた。
隣で焼き鳥を美味しそうに頬張る
コミュ力お化けの彼女を見ていると、自分がいかに下手くそな付き合い方をしてきたかを思い知らされ途方に暮れてしまう。
俺から告白したパターンは、相手に好きになってもらえないまま終わった。相手に好きになってもらえるようにデートプランを考え、プレゼントを用意し、トークのために雑学の本を買った。しかし相手が気を許す前に俺の方が疲れてしまって、それを悟られ「終わりにしよう」と告げられた。絶望よりも先に安堵が来た。言うなればそれは、マラソン大会の足切りのよう。ここで終わってしまって悔しいと言うより、これ以上走らずに済んだというような。
告白されたパターンは、仲良くなれたかなと思った頃に突然フラれた。なんでも、付き合う前の理想と付き合ってからの現実のギャップにガッカリしたらしい。
どの恋も長続きしなかった。俺は相手のことを一途に思っていたし、できれば長い間、それこそ一生傍に居られたらと思って付き合っていた。頑張りすぎて疲れたことも、いずれは頑張らなくても繋がっていられるような関係になりたかったからだ。なのに。
「どうしたの?」
舞季の声が近くで聞こえ振り向くと、思いのほか近くに彼女の顔があった。気付けば、俺の手の甲には彼女の掌が添えられていた。汗ばんだ肌は冷房で冷されて、台湾カステラのようにピトリと張り付いた。
胸が高鳴った。
これくらいのことで、と思う。けれど、今日会ったばかりの美女にここまで接近されたら、ドキドキしてしまうのは仕方ない。それに彼女だってきっと俺と同じようにドキドキしているはずだ。なぜなら顔が赤い。それに酒臭い。
「……は?」
俺は彼女の前に置かれたグラスを見た。ソフトドリンク用のストローが刺さってない。
「それ、酒じゃないか?」
彼女は、俺が指したグラスを手に持ち、にへらっと笑った。
「いーじゃん別に。これくらい。硬いこと言わないのー」
「いやよかねえだろ! お酒は二十歳になってから!」
強い口調で咎めると、彼女は一瞬キョトンとして、それからまた笑った。
「そうね」
咎められたというのに、なんだか嬉しそうだ。
「夏志くんはなに飲んでんの?」
「ジンジャーエール」
「じゃあわたしもそれ。頼んでよ」
「自分で頼めよ」
「いーじゃん! 彼氏に頼んでほしいの! その方が美味しいでしょう?」
味は変わらないと思うが。結局俺は言われるままにジンジャーエールを注文した。
※ ※ ※ ※
舞季と過ごす日々はとても充実していた。
彼女は俺を見つけるなりすぐに声を掛けてきた。太陽みたいな輝きを振りまきながら。
学校内で衆目を浴びるのは恥ずかしかったが、同時に優越感も得ていた。
同じ授業を受けるときは隣に座った。たまにちょっかいを掛けられて勉強の邪魔をされたが、授業が頭に入らないようなレベルでちょっかいを掛けられることはなかった。ちょうどいい具合で心がほぐされた。彼女はちょっかいのプロフェッショナルのように思えた。
プライベートも充実していた。祭りがあれば必ず出掛け、セールがあれば百貨店を物色した。彼女はサーフィンやキャンプなどにも興味を示したが、道具をそろえるのにお金と時間が掛かりそうだったのでそれはやらなかった。代わりに磯遊びをしたりバーベキューをしたりした。
舞季は門限があり、夜遅くまで出歩くことはなかった。夜祭も19時過ぎには解散していた。だから二人で花火を見たことはない。
「一度でいいから二人で打ち上げ花火を見てみたいわ。わたし、花火好きよ。きれいで、儚くて。あとに残らないのがいいわね」
かわいくて、プロポーションもよくて、行動力があって、話し上手で……。どうしてこんなに素敵な女性が、俺のことを好きになってくれたんだろう。不思議で仕方なかった。だから、いずれ聞いてみようと思った。
デートに出掛けた帰り道、予定にない夕立に遭って、空きテナントのひさしの下で二人寄り添って雨が通り過ぎるのを待っていた。
「あのさ」
土砂降りの中ではあまりに小さな声だった。聞きづらいことを聞くときは、咽喉が
「なに?」
彼女は黒い空を見上げながら声が通じていることを教えてくれた。
「どうして俺と、付き合ってくれたんだ?」
彼女はすぐさま俺の顔を見た。驚いた素振りはないが、いつもより瞳が大きく感じた。目を細め、それを今にもハチの巣状に穴が開きそうなアスファルトに向けた。
「初めに言ったでしょう? 夏ピッタリって」
「あんま意味わかんなくて」
彼女は短く息を吐く。
「服を買うときに、どういうわけか惹かれてしまうものってあるじゃない? 多分それって、その季節に合っているからなんだと思うのよ。逆に、欲しかった服が80%オフになっていても買わないのは、今の季節に合ってないからなんだと思うの」
雨脚が弱くなっていく。
「ねえ。服に衣替えがあるように、季節ごとに恋人が変わったっていいって思わない?」
それって、どういう。
黒い雲を引き裂いて、一条のオレンジ色が差した。まるでその夕日が運んできたように、風が通った。夏の熱を失った、秋の装いを
雨粒に濡れた半袖は冷たくて、少しだけ震えた。舞季は凍えていないだろうか。目を向けると彼女は平気そうな顔をしていた。それもそのはず、長袖のブラウスを着ていた。つい先日まで鳴いていたはずのヒグラシの声は、もうしない。
「すっかり秋ね」
俺はその言葉になにも返せなかった。豪雨の中を突き破った囁きも、今は繰り出せる気がしない。
「とっても楽しい、最高の夏だったわ」
彼女の言葉が終わりへ向かっていることを察して、俺はなにかを口にしなくてはいけないと焦った。けれど焦りは口をパクパクと動かすだけで、声帯の奥につっかえた言葉をサルベージしてはくれなかった。
「今までありがとう。それじゃあ、さようなら」
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