眠れる森のシンデレ雪ツェル

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魔女たち

 あるところに、継母と三姉妹の魔女のイジメにより、茨で囲まれた塔の上で七人の小人とともに暮す長い髪の少女がいました。

 少女は元来、清楚で気立てもよく、女王の鏡調べで世界で最も美しいとされていたのですが、なにしろ塔の上ではやることもなく、七人もの小人がいるわけで、色々な意味で奔放怠惰な退廃的生活をしていました。


「――ふぅ。次は誰? 早くして」


 シンデレ雪ツェルがベッドに寝そべり所望します。ですが、七人の小人はもうクタクタです。最初は大人の凄さを分からせようと躍起になっていたのですが、十代の少女の旺盛な体力に、老年期に差し掛かりつつある小人が敵うはずなかったのです。


「もう勘弁してくれ……死んでしまう……!」


 ゲッソリやつれた小人が息も絶え絶えに嘆きます。いかに相手が絶世の美女であろうと、毎日毎日、三度も四度も求められては困ります。まして小人からすれば少女は大女に等しい。


「――何? また家事をすればいいの?」


 シンデレ雪ツェルが無慈悲に問います。早々にギブアップした小人たちのリーダーが、躰を休める時間を確保するべく交わした、交換条件です。失敗でした。塔の上は狭く、家事などすぐ終わるのです。


「ワシ腎虚じんきょ……!」

 

 リーダーは素っ裸で床に伏したまま呟きました。シンデレ雪ツェルがベッドを降りてガラスの靴を履きます。


「……もういい。最近マンネリだったし」


 小人たちはホッと息をつきました。ひとまず腹上死の危機は去ったのです。シンデレ雪ツェルは長い髪をロープのように編み、塔の上から垂らします。


「な、何を……?」


 小人のひとりが戦々恐々として尋ねます。


「あなたたちがだから、大人の男の人を誘うの」


 なんという強欲でしょうか。小人たちは神に救いを求めます。しかし、ここは眠りの森。祈りは呪いの茨に阻まれます。小人たちは継母と三姉妹を恨みました。怒りが聞こえようはずもありません。


「……あ」


 シンデレ雪ツェルが獲物を見つけた狼の目をしました。


「どうぞこちらに上がっていらして」


 小人たちが目を瞑ります。新たな犠牲者が髪を伝って登ってきます。


「く、くるなー! 逃げろー!」


 小人のひとりの叫びも虚しく、若く見目麗しい青年が窓から入ってきました。


「な、なんて格好をしてるんですか!?」


 頬を染めています。シンデレ雪ツェルが手早く髪の毛で縛りあげ、ベッドへ引きずり込みました。


「――


 そう、女郎蜘蛛のように。


  *


 同じ時、女王の寝室では、女王が日課の鏡エゴサを試みていました。


「鏡よ、鏡。世界で最も美しい女王は誰?」


 連日のエゴサで鍛え抜かれた鏡は間髪入れずに答えます。


「女王様にございます」


 朝、昼、晩、そして就寝前の日に四回、鏡は同じ答えを返します。そうでなければ女王は安心して暮らせない躰になっていました。

 希望通りの答えをもらい、満足げに微笑んでいた女王でしたが、笑みを曇らせ問い直します。


「鏡よ、鏡。では世界で最も美しい女は誰?」


 鏡に戦慄が走ります。せっかく自分がトップに躍り出られる検索方法を学んだにも関わらず、女王はさらなる高みを求め続けているのです。


「……眠りの森に暮らす、シンデレ雪ツェルにございます」


 ほぅ、と女王が重い溜息をつきます。お腹を痛めて生んだ我が子といえども、認めがたい回答でした。自分に似て美人なら許せても、自分を上回る美人となると胸にモヤモヤした感情が残ります。


 ――娘に嫉妬だなんて浅ましい。


 頭では分かっていました。しかし、若い頃からエゴサで承認欲求を満たしてきた女王は、母である前に誰よりも美しい女王でなければならなかったのです。

 

「こんな思いをするくらいなら、里子に出さずに殺してしまえばよかった……」


 胸裏に湧いた黒い願いに気づき、女王はハッと首を振ります。


「鏡よ、鏡。娘は、どうしているの?」


 鏡は心中で身震いします。伝えて良いものかどうか。せめて、あられもない姿を見せないようにしなければ――。


「シンデレ雪ツェル様は……殿方とご歓談されております――」


 ピロートークを良いように言い換えました。映像も上手にトリミングし、傍目にはそれと気づきようがないはずです。

 しかし。

 女王は気付いてしまいました。


「――これは、この青年は――!?」


 女王は開いた口を手で覆い、わなわなと震えます。

 わずかに見切れてしまっていた、蕩け顔の青年の顔に、見覚えがありました。


「隣国の……王子……!?」


 女王の耳には、戦争の足音が聞こえていました。


  *


 その日、隣国の王様は頭を抱えていました。


「いったいウチの子はどうしてしまったんだ……!」

 

 数週間前、遠乗りから帰ってきた日からずっと、王子が蕩けた顔でガラスの靴を磨き続けているのです。また、目を離せばすぐに遠乗り出かけ、帰ってくるたびに酷くなり、今では鍵をかけた部屋に閉じ込めておかなければ遠乗りに出る始末です。

 先日に至っては、どうしても外せない見合いの席で、相手側の姫を一瞥して鼻を鳴らすという失態まで冒しました。

 その場はどうにか取り繕ったものの、放置すれば近いうちに友好国との関係に亀裂が入りかねません。


「……そもそも、あの子はどこに遠乗りに行っているのかしら?」


 お妃様が呟きました。


「分からん。どうやらあの、茨の森の奥らしいが……」

「……まさか、魔女?」

「恐ろしいことを言うな。魔女なぞいるはずがない」


 とは、言ったものの、王様には心当たりがありました。隣国の、この世のものとは思えない美しさの女王です。謁見するたびに身を焦がすような情欲を掻き立てられるのです。もし、お妃様を伴っていなければ、あるいは、と思うくらいです。

 隣国に潜ませた間諜によれば、たしかに腹を膨らませたはずが、子の影すら見当たらないとのことです。


「……もし、娘だったとしたら……」


 さぞや美しいのでしょう。女王の美貌を引き継ぎ、若いとくれば、理想郷に咲くといわれる匂い立つ椿のような――。


「あなた?」


 お妃様の訝しげな声に、王様は慌てて背筋を伸ばします。ただ想像するだけでこうも魅せられるとするならば、と王様は確信を強めます。


「どこに遠乗りに言っているのか……後を追ってたしかめるか……?」

「そんな……危険じゃありませんか?」

「もちろん、斥候を使うつもりだ」

「それが危険だと言っているのです」


 お妃様は言います。いかに忠臣といえども人は欲に流されるものです。万が一、王子様の醜聞を掴んだとあれば、強請ゆすりにくる可能性を捨てきれません。


「それに、隣国に情報を持ち込まれたらどうするのです」

「ふむ……では、しばらく影を立て、私が追うか」

「それがいいでしょう。あなた、気をつけてくださいね」

「う、うむ……」


 やけに前向きなお妃様の態度に一抹の不安を覚えましたが、王様は王子様の居室に赴きます。鍵を解き、部屋に入ると、王子様は飽きもせずガラスの靴を磨いていました。


「……倅よ。遠乗りにいかんか?」

「遠乗り!? 行く! すぐ準備するよ!」


 人が変わったように積極的になる王子様の姿に、王様は溜息をつきました。

 

  *

 

 シンデレ雪ツェルは、その日もベッドで寛いでいました。小人たちは、もはや骨と皮だけの抜け殻状態です。また、目を凝らせば、燭台の明かりが生む闇に隠れ、痩せさばらえた若い男たちが転がっています。このところ次から次へと青年や少年を引き上げ交歓を重ねてきましたが、シンデレ雪ツェルの渇きは癒えなかったのです。

 

「……小人たち。ガラスの靴はできたの?」

「……は……い……姫、さ……ま……」


 ガリガリになった小人たちが、もうこれで許しくださいと言わんばかりに、できたばかりのガラスの靴を捧げ持ちます。

 シンデレ雪ツェルは一糸まとわぬ姿で降り立ち、ガラスの靴に足を通すと、窓辺から髪を垂らしました。その目には、若干の飽きが覗きます。


「……次は趣向を変えてみようかしら……?」


 遠くに見える、ここしばらく来ていなかった青年を見て、シンデレ雪ツェルが呟きました。お供にしては威厳の溢れる顔立ちの、壮年の男を連れていました。

 シンデレ雪ツェルは甘やかな言葉で誘いかけます。


「さあ、昇っていらして」


 果たして、真っ先に昇ってきた青年がシンデレ雪ツェルに飛びかかります。

 しかし、ほんの一足でたいかわし、


「おすわり!」


 と命じました。青年が床に膝を揃えます。続いて昇ってきた男は、シンデレ雪ツェルを見るなり、顎を落しました。


「な、なんと……お美しい……」


 さすがは大人の男と言うべきか、王様は飛びかかるような無礼はしませんでした。

 シンデレ雪ツェルは妖しく言います。


「……どうぞ、に口づけを」


 牝鹿のようなおみ足の先、輝くガラスの靴を指差し、言いました。


  *


「お妃様……このようなこと、もう終わりにしなければ……」


 城のねやにて、近衛隊長が切々と訴えました。


「――いまさら? それなら、あの人に話してあげましょうか?」


 お妃様は試すように流し目を送ります。


「『あなたの留守中に、無理やり――』って」

「そ、それだけは! それだけは、どうか――」


 近衛隊長は飛び起き、頭を垂れました。そうです。二人は姦通していたのです。ですが、所詮は王族と騎士の間柄、生殺与奪のすべてはお妃様の掌の上にありました。


「それにしても、あの人……どこまで行ったのかしら?」


 ただの遠乗りと聞いていたのに、王様は一週間も帰ってきていません。いくら愛は冷めていると言っても、執政を担う王不在とあれば面倒な事柄がいくつも自分の身に降り掛かってきます。風よけは必要でした。

 そのときです。

 廊下を足音が駆けてきました。


「――! 隠れて! 見つかったら死罪になるわよ!?」

「ヒィッ!」


 近衛隊長が慌ててベッドの下に潜り込みます。寝室の扉が叩かれました。


「お妃様! お妃様!」

「なんです! 騒々しい!」


 言いつつ、お妃様は床に散らばっていた衣服を手に取ります。しかし、いつも服は侍女に着付けてもらっているので、一人では着られません。仕方なく、シーツを剥ぎ取り躰に巻きます。


「どうぞ」

 

 答えると、扉を開けるなり侍女が頭を下げました。


「お、お休みのところ申し訳ありません!」


 男だったら面白かったのに、とお妃様は嘆息します。


「構いません。許します。それよりも要件を――」

「り、隣国の女王様お越しです!」

「……なんですって?」


 お妃様の眉間に細かい皺が寄りました。隣国の女王といえば、誰もが美貌を認める魔性の女です。顔をみるだけでも腹立たしいというのに、王様がいないとあってはお妃様が話すしかありません。


 あの――!


 お妃様は胸の内で王様に悪態をつき、侍女に命じました。


「すぐに行きます。私に、服を。それから――」


 少し脅かしてやろうと、お妃様はベッドの下を一瞥しました。


「近衛隊長を探して、連れてくるように」


 顕になった足首で、近衛隊長の緊張を受取り、お妃様は満足げに微笑みました。


  *


 女王は通された応接の間で、悩んでいました。日課の鏡エゴサで、とうとう恐れていたことが起きたと知ったのでした。


「鏡よ、鏡。どうしてもっと早く教えてくれなかったの……?」


 女王は誰に言うでもなく呟きました。分かっています。恐ろしさのあまり見ようとしてこなかったのです。エコーチャンバーに浸っていたかったのです。

 けれど、娘の足に傅く隣国の王様を見てしまっては、もう放っておけません。シンデレ雪ツェルは魔性の女――魔女になってしまったのです。

 血は争えないものです。

 隣国の王様といえば、謁見のたびに嫌らしい目で見てきた男です。

 親子ともども、女王の若い頃ににたシンデレ雪ツェルに魅入られたのでしょう。


「お待たせいたしました」


 目を怒らせ、お妃様が現れました。避けたかった直接対決です。女王にしてみれば鏡ランキングで十位にも届かない雑魚です。しかし、外交上、かかわりを持たないわけにはいかない女です。

 女王はこれでもかと美貌を見せつけながら、被害者然として囁きかけます。


「貴女に、王国の危機をお伝えしに参りました」

「……危機?」

「はい。魔女です」


 女王は超然とした艶やかさで語ります。


「この地のほど近く、眠れる森に住まう女が、貴女の王と王子を籠絡しました」

「なんですって――?」


 お妃様の顔が歪みます。後世に伝え残してやりたいくらい醜い顔でした。それは嫉妬に狂った女の顔です。女王は、自分と同じ匂いを嗅ぎ取れたからこそ、理解しえたのでした。


「今の内に兵を挙げれば、討ち果たせるでしょう――」


 そうです。女王は覚悟を決めてきたのでした。

 国の安寧と娘の命、くわえて鏡の国エゴサ一位を同じはかりに乗せれば、美貌ランキングが当然の勝利です。

 しかし、愛娘を自分の手で亡き者にするなど、あってはなりません。

 その点でいえば、隣国に派兵させれば自分の手が血で汚れることもなく、また激戦となれば現有戦力を漸減ぜんげんさせることにも繋がります。友軍を送れば恩を売ることもでき、威力偵察にもなりえるのです。


「お妃様、魔女を討ったとなれば、貴女の名声も世界に轟くはず――」


 女王は、絶体絶命の危機に、起死回生の一手を討ったのでした。


  *


 名声――その言葉はお妃様を魅了しました。悔しくも決して勝てないと知る女王が頭を下げているというのも、高揚をもたらしました。

 お妃様は全軍のうち半数を挙げ、自らも豪奢な鎧をまとって兵を率います。


「目指すは眠りの森の茨城! 我らが王を! 名誉を! 救命するのです!」


 お妃様が指揮剣を振りかぶり命じます。


「弓ー! 放て!!」


 弓兵たちが茨に囲われた城めがけて雲霞の如く矢を放ちます。しかし、太い呪いの茨に阻まれ届きません。かくなる上はと、お妃様は大隊長に命じます。


「全軍! 突撃!」

「し、しかし! まだ敵がどう出てくるか――!」

「敵に兵はありません! 確認ずみです! 行きなさい!」


 そうです。憎き女王の言葉がたしかなら、塔に住まうは少女が一人に小人七人。くわえて、情けない王と我が子の二人だけです。

 兵士たちときの声をあげ、斧をを手に城に迫ります。茨を打ち、矢を放ち、城壁にへばりつきました。

 すると、


「もう、止めてください!」


 塔の上から兵たちに、大瑠璃の囀りを思わせる声が響き渡りました。兵士たちは、そのあまりに美しい声に手を止めて、塔を見上げます。すると、


「もう、降伏します……!」


 するりするりと、白いリボンを結んだ艷やかな髪が降りてきました。


「どうぞ、こちらをお伝いになって、こちらにお越しください……」


 兵士の一人が、魅入られたように髪に手をかけました。そうはさせじとお妃様が叫びます。


「射って! 射掛けなさい! あの魔女を射殺すのです!」


 しかし、お妃様の金切り声は誰の耳にも届きません。兵士たちは次から次へと塔に昇っていきます。いったい、何人が取り込まれていくのでしょう。やがて、塔がギシギシと揺れだしました。重量に耐えきれなくなったのです。

 そして。


「塔が……崩れる……!?」


 お妃様の目の前で、塔が、茨に守られるようにして傾ぎました。下を向いた窓辺に兵士たちが集まり、両手を広げて待っています。人が連なり梯子となって、その人を降ろしました。

 一糸まとわぬ美貌の少女。足ともにガラスの靴。ガリガリに痩せた小人と王子、王様にリードを繋ぎ、侍らせる魔女。


「あなたは……その顔は……!」


 お妃様は遠く隣国の女王を睨み、叫びました。


「図ったな、女王!!」


 シンデレ雪ツェルが妖しく笑いました。


  *


 ドン、ドン、と太鼓のような攻城の音が聞こえます。

 何百何千という男を率い、娘が城門を叩いているのです。

 女王は、これが最後と、日課の鏡エゴサをしました。


「鏡よ、鏡。世界で最も美しい女王は誰?」


 鏡は、もう震えません。


「シンデレ雪ツェル様にございます」

「そう……そうよね」


 女王は鏡のそばを離れ、窓辺に立ちます。

 遥か遠く、目には、はっきり見えないはずだと言うのに、分かります。


「綺麗になったわね……」


 無数の男を色香で惑わせてきた女王をして、恐れを抱かずにいられませんでした。

 美貌を力に変え、暴力の化身となった、シンデレ雪ツェルの姿が見えます。

 女王を指差していました。

 その姿は、さながら、竜のようでした。

 

 めでたし、めでたし――。

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