第3話 解決編

 考えてみれば非常にシンプルな問題だった。いや、シンプルと言うか、短絡的と言うか。

 三隅夕子も三隅夕貴も自殺だった。「女が犯されてから死体となって発見された」という状況の性質上、どうしても性的暴行後の殺人に思われていたが、実際はある姉弟の異常な形の結びつき故の心中だったのである。

 三隅家は父親の死後崩壊した。母親は失踪、残された夕子は高校を中退して弟の夕貴の面倒を見なければならなくなった。

 そしてこの過程において、いや、二人残されたからこそだろうか、弟の夕貴と姉の夕子は特殊な感情を抱くようになった。二人が特別な関係に至ったのは、推定で夕貴が十六になった頃。西島が三隅父を死なせてしまった五年後のことだった。いや、それよりももっと前だった可能性さえある。弟の夕貴から迫ったのか、あるいは姉の夕子から迫ったのか、どちらかによってこの時期の仮説は変動する。

 後の調査で、夕貴が十七の頃、夕子が一時的に働かなくなっていたことが分かる。さらに詳しく調べてみると、どうも妊娠の兆候があったようだ。夕子と夕貴は一線を越え、そして子供までもうけていたのである。

 しかしその後出産したという情報がどこを探してもなかった。これも推測するに、流産か、死産か。あるいは産みはしたものの捨てたか。当時の二人の経済状況を見るにまともな医療を受けられた状況にはなく、子供を育てられる環境にもなかった。

 当の二人の心境がどうだったのかまでは、推測の推測でしかない。だが絶望したのは間違いない。

 三隅父の死から七年後。夕子がまた働きだす。この頃夕貴が何をしていたのかは分からない。だが地元の不良グループとつるんでいるところは目撃されており、これが捜査初期の段階で警察に回った情報のようだ。

 しかし二人はやはり密に接していたのだろう。三隅父の死から十年後、再びこうして二人はカメラの前で交わり、ドラゴンカーセックスという形で残ったのである。


 ……我ながら最後の一文の意味が分からない。何がどうなって二人がドラゴンカーセックスに辿り着いたのか理解ができない。だが、これもやはり、推測するに、だが。

 車の後背部から突き刺さった鉄パイプ。

 ドラゴンのおもちゃを生産していた「竜浜工場」。

 ミニカーにファンタジーゲーム。

「父の死」と「ドラゴン」と「車」が結びつくのは自然だったのではないだろうか。そこに来て、もしかしたら性的好奇心が強い男性の……弟の夕貴の方が、ドラゴンカーセックスというジャンルに辿り着いたとしたら。そしてそれを姉に共有していたとしたら。

 さらにこの仮説を裏付ける資料がある。それは本件から三か月後、やはり警視庁西島洋太に届けられた封筒。

 中には手紙があった。のたうつような筆跡で、夕子と夕貴、どっちが書いたものかは分からなかったが、しかし次のようなことが書かれていた。

「西島洋太様。この度はお騒がせして申し訳ありません。しかし父の死についてあなたを糾弾せずにはいられませんでした。あの事件で私たちは全てを失った。いや、失い始めた。再び光が得られる希望はありましたが、やはりだめでした。せめてもの報復として、二人の愛を残します。これは復讐であり、披露宴です。ご査収ください」

 そう。そういうことだ。これは、つまり。

 ドラゴンカーセックスという特殊性癖に飲み込まれた姉弟の、あまりに悲惨で、あまりに異常な、愛の誓いに他ならなかったのだ。

 考えてもみるといい。外国では母の結婚指輪をプロポーズに使うようなことがある。自分たちに所縁のある衣装を着たり、思い出を披露宴で再現することがある。

 そう、言わばこれは、やはり。

 愛し合う二人の、披露宴にして最大の復讐、だったのである。

「俺は馬鹿だな」

 捜査が終わり、私の研究室でインスタントコーヒーを一服していた西島が笑った。

「人を不幸にしておいて、何も知らなかったなんて」

「仕方ないさ」

 私はつぶやく。かつて殺人事件の捜査でレイプした女刑事のこと、歪んだ性癖を持った神父のこと、娘の復讐に囚われた母親のこと。

 そして、今も私の家で肛門フックにかけている永場のこと。

 そのどれも私は不幸にしてきた。私は疫病神と取れるかもしれない。

 ……いや、永場はあれはあれで喜んでいるからある意味幸せか。つまり私はあの豚女を幸せにすることで埋め合わせをしているのかもしれない。

 確かに西島は、ひとつの家族を不幸のどん底に陥れた。

 だがそれは、生きていれば誰もが犯しうる過ちであり、場合によってはその過ちにさえ気づかないで生きている人だっている。

 こうして被害を受けた人たちに目を向けられる西島は、やはり優しいのかもしれない。

「天国へは行けないな」

 しんみりする西島の背中を撫でながら私は返した。

「そんなことないさ」

 神はきっと、罪を認める者には手を差し伸べてくれる。

 そんな考えが私にはある。

 一方の私は、罪を認めず、人を不幸にしたことに快感さえ覚えるような男である。

 地獄に落ちるだろう。だがしかし、落ちたら落ちたであの世の女を壁にぶち込んで犯しぬいてやる。そんな覚悟が、私にはあった。

 きっと三隅姉弟も今頃二人で、あの世のどこかでドラゴンカーセックスに勤しんでいることだろう。



 西島が帰り、研究室に一人残された私は、本件についてのレポートを簡単に記すことにした。パソコンの前でキーボードを操作ししばし作業した後、出来上がったレポートを印刷し、バインダーに入れる。デジタルな管理とアナログな管理、どちらもするのが私の流儀だからである。

 ふとバインダーに綴じかけたレポートを見て、何かが足りないことに思い至った。それはおそらく私が本件を調べていく内に見つけたドラゴンカーセックスに関する知見だろうと思い至り、私はレポートの片隅に、手書きで次のような文言を書いた。


 ドラゴンカーセックス……「性表現の規制が厳しい欧米諸国において、規制の穴を突くべく生まれた」などという都市伝説が生まれるほどに特殊性のある性的嗜好。しかし本当にこの状況に興奮する一部フェティシズムの人間が存在する。「モルカーとドラゴンのセックスはドラゴンカーセックスに含まれるか」など、様々な議論が繰り広げられている分野である。ちなみに何故「ドラゴン」と「カー」なのかはここに記載するには余白が狭すぎる。

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ドラゴンカーセックス殺人事件 飯田太朗 @taroIda

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