第2話 だから君と恋人になった

 デートの場所として選んだのは動物園だった。

 わりと都会の中にあるそこを選んだのは、僕の中でデートとして行く場所のイメージが動物園しかなかったことと、――もう一つ。


 平日の昼間だからか園内もさほど混んでおらず、そんな人気もまばらな動物園をぎこちない距離感でふたりして歩く。


 何を話せばいいのかも分からなかった。

 女性を喜ばせる会話が出来るような男なら、もう少し楽しい学生生活が送れたはずだ。

 僕たちはゆっくりとしたスピードで獣臭い園内を歩き、目の前に現れる動物を見ては、


「象だ」

「象だね」


「虎だ」

「虎だね」


 とただ動物の名前を繰り返すロボットのような会話をしていた。


 鳥のコーナーにいた大きなオウムの前にさしかかったとき、檻の中から「ミルクちゃん、可愛いね。可愛いね」と聞こえてきたので、僕たちはそこで足を止めた。

 声の主は檻の中の白いオウムからだった。

 檻の看板には「ミルクちゃん」というオウムの名前が書かれていた。


「ミルクちゃんっていうんだね」


 凛が興味深そうに檻をのぞき込むと、オウムがそれに気付いたかのように「ミルクちゃん、可愛いね。可愛いね」と叫び出す。


「みんなが言ってる言葉を覚えたのかな」


 凛がふふふと笑う。それが、今日初めて見た彼女の笑顔だった。


「あっ」


 凛が何かに気付いたかのように檻を指さす。


「見て、羽が」


 凛の指さす方を見てみると、檻の床に白い羽が散らばっていた。


「ストレスがたまると自分で抜いちゃうんだって」


 凛が看板に書かれた文字を読んでそう言った。


「かわいそうだね」


 僕はそう呟いた。

 呟いてはみたものの、正直よく分からなかった。

 檻の中のミルクちゃんをかわいそうだと思えるほど、自分は立派な存在なのかということが分からなかったからだ。

 でも、僕のそんな気持ちを知らない凛は、僕の言葉に同調するかのように深く頷いていた。


 一通り歩き回った僕たちは、併設されている喫茶店で食事をとることにした。

 僕はカレーライス、凛はオムライスを頼んだ。

 料理を待ってる間も、これといった会話は生まれなかった。

 むしろこうなる前、大学で会っているときのほうが会話が弾んでいたような気がする。

 緊張しているのか、それとも。

 それとなく凛の顔を見ると、黙って窓から外を眺めていた。


「……楽しかったね」


 ふいに凛が声を出したから、僕は驚いて飲みかけていた水を吹き出した。


「あ、ああ、うん。……楽しかった」


 ほんとに? と心の中の自分が問いかけてくるが、その声は無視することにした。


 ほどなく注文した料理が運ばれてきたので二人で黙ってそれを食べる。


「小説は?」


 食後のコーヒーを飲んでいるときに、凛が言ってきた。


「小説はもう書かないの?」


 僕はその問いに少しだけ吹き出して「書いても意味ないよ」と答えた。

 僕の答えを聞いて、凛は少しだけ口を尖らせていた。

 怒らせてしまったかもしれないなと僕は少しだけ反省した。


 喫茶店から出ると、僕は駅と反対側へと歩き出した。


「どこへ行くの?」


 凛が後ろから聞いてきたけど、僕は答えない。

 なぜなら答えはすぐに分かるからだ。


 動物園の塀沿いを少し歩くと、とたんにいかがわしい建物が並ぶ通りに出る。

 一部の人間には有名な話だが、この動物園の裏はカップル御用達のラブホテル街があるのだ。


 ――それが、僕がデートの場所としてここを選んだもう一つの理由だった。


 何かを察知したかのように凛が身体をこわばらせる。


「……今日だけは恋人だから、――いいよね?」


 僕は地面に目を落としたまま、凛に向かって言う。

 何から何まで不正解の、女性の誘い方だった。


 凛は何も言わずにショルダーバッグの紐を握りしめてうつむいている。

 でも、いまさら怖いものなんてなかった。


 僕は凛の腕を掴むと、そばにあったホテルの入り口へ半ば強引に向かっていった。


 自動ドアが開くと目の前の壁一面に部屋の写真が並んでいた。

 光っている写真もあれば、暗くなっている写真もある。

 勢いよく入ったはいいものの、どうすればいいのか分からなかった。


 しばらく写真たちの前でフリーズしていると、痺れを切らしたかのように凛が「その、ボタン、押すんじゃないの?」と言ってきた。


「あ、あぁ」


 僕はそこでようやく電気が通ったロボットのように震える指で目の前の部屋のボタンを押した。

 すると押した部屋の写真の明かりが消えた。

 これでいいのだろうか。


「あの……」


 凛が遠慮がちに天井を指さす。

 見てみると天井のランプが点滅しており、エレベーターへと導いているようだった。


「あ、うん」


 僕は恥ずかしさのあまり掴んでいた凛の手を離し、真っ赤になった顔を見られないように凛より先に歩いて行く。


 エレベーターに乗り込むと、すでに行き先ボタンが点灯しており、それは五階を示していた。

 ラブホテルとはこれほどまでにハイテクなのかと驚いた。

 それと同時に――。


「こ、こういうところ来るの、初めてじゃない感じ?」


 どもりながらそう聞くと、凛は言葉を発することなくわずかに頷いた。

 その答えに、いまこのときに余命が来てしまったんじゃないかと思うほど、僕の胸はぎちゅりと痛んだ。


 エレベーターが目的の階に到着する。

 扉が開くと、一階のロビーと同じように天井に備え付けられた案内看板が点滅していた。

 導かれるように廊下を歩くと、上の部屋番号が点滅している扉をみつけた。

 僕はちらりと凛のほうを振り返ると、うつむきつつではあったが僕のすぐ後ろからついてきていた。


 部屋の扉を開ける。


 正面には広めの部屋が見え、入ってすぐ右手にはトイレと洗面所らしき扉があった。

 僕はたどたどしく靴を脱いで奥の部屋へと入っていった。


 そこは写真で想像していたよりも広く、手前に大きめのソファがあり、奥のスペースにはベッドがあるのが分かった。

 僕はごくりと生唾を飲んで、とりあえずソファに腰掛けた。

 凛もゆっくりとではあるが僕の隣、人ひとり分ほどの距離を取って座ってきた。


 そこから。


 果てしなく静かな時間が流れた。

 僕と凛は彫刻のように固まっている。

 ただほのかに凛から漂ってくる甘い匂いだけを感じていた。

 目の前の壁に備え付けられたテレビモニターは、操作を促すかのようにチャンネルの紹介を映し出している。それはなぜか、笑っているようにも思えた。


 強引にホテルに連れ込んだはいいものの、僕の頭は真っ白になっていた。

 もはや性欲などどこかに消え去ってしまっている。

 胸に去来するのは――。


「……あの」


 凛のその声と、僕の嗚咽が聞こえたのはほぼ同時だった。


 自分でも気付かないうちに僕は泣いていた。

 ふぐぅ、ひぐぅと声にならない声を漏らしながら。


 色んな思いが頭の中でぐるぐると回っていた。

 悲しい、悔しい、情けない、怖い、恥ずかしい、情けない、情けない――。


 余命半年だということを口実にしか女の子を誘えない自分が。

 そしてここまできてなお踏み出せない自分が。

 上手くいかない。何をやっても上手くいかない自分が。

 悔しくて、情けなくて。

 涙は止まってくれない。ついには我慢しきれずに、大きな声を出して泣き出してしまった。


 両目を押さえながら泣いている僕の頭が、ふいに柔らかいものに包まれた。


「大丈夫だよ」


 僕の頭上から声が聞こえる。

 凛が、僕を包むように抱きしめてくれているのだということが分かった。


「ごめ、僕は――」


 何かを伝えたいはずなのに言葉が出てこない。

 かわりに出てくるのは止めどない涙だけ。


「大丈夫。大丈夫」


 凛はそんな僕の頭を優しく撫でてくれる。

 それが余計に僕をみじめな気持ちにさせ、涙を誘発させてくる。


「違うんだ。こんなはずじゃ……」


「大丈夫だから」


 まるで母親が子どもにするかのごとく、凛は優しく優しく僕を抱き続ける。

 凛の服に僕の涙や鼻水が染みこんで、嗚咽とともに息を吸い込むと凛の甘い香りが僕の中に入り込んでくる。


「僕は、卑怯で。最低で」


「そんなことないよ」


「なんにも出来ないクズで」


「そんなことない」


「もうすぐ死ぬんだって分かってようやく。……でも、君にこんな」


「大丈夫だから」


 凛の手からふっと力が抜けたので僕は顔を上げる。

 彼女と目が合う。

 おそらく僕は酷い顔をしているだろう。


「生きよう? 堂前くんはまだ生きてるよ」


 凛の言葉に、もう一度涙腺が壊される。

 僕は言葉を発することなく何度も何度も頷いた。


「一日だけじゃなくて、死ぬまで一緒にいてあげるから」


 凛がそういって微笑んだ。

 よく見ると凛の目にも涙が浮かんでいる。


「ほんとはこういうセリフ、男の人から言うべきじゃないの?」


 一筋の涙を流しながら、それでも笑って凛が言う。


「……好きです。……付き合ってください」


 僕はびしょびしょになった顔面で、凛に向けてそう言った。


「ふふっ。順番がめちゃくちゃだけど……許してあげる」


 そう言って凛は再び僕を抱き寄せ、優しく抱きしめてくれた。


 ******


 そしていま、僕は病院のベッドの上でキーボードを叩いている。


 あれから僕は様々なメディアに連絡をした。――僕の人生を買って下さい、と。


 そうして僕が死ぬまで、密着取材を許可するかわりに報酬を受け取る契約を交わした。


 ブログやSNSも開設し、ありがたいことに雑誌のコラムも担当させてもらえるようになった。


 そうして得た収入を闘病に充てることにした。


 最悪半年と言われていた余命は、闘病のおかげか医師に聞くたびに伸びていった。


 ちなみに、いま書いているのは仕事ではなく趣味の小説だ。


「具合、どう?」


 病室に入ってきた凛が僕の顔色を伺ってくる。


「うん。今日はまだましかな」


「良かった。……小説のほうは?」


「そっちは重体かも」


「ちょっとぉ。楽しみに待ってるんだから、頑張って書いてよね」


 凛が笑いながら僕のおでこを指で突く。


 僕も笑顔でわざとらしく痛がった。


 ――幸せだった。



 皮肉なことに、余命宣告を受けてから、ようやく僕の人生は始まったような気がしていた。

 そうでなければ、君に想いを告げることなどなかっただろう。




 余命半年と言われた。だから君と恋人になった。




 今書いているこの小説のタイトルを、


 君はどんな顔して読むのだろうか。




【余命半年と言われた。だから君と恋人になった 完】



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余命半年と言われた。だから君と恋人になった 飛鳥休暇 @asuka-kyuka

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