死者の幸せを祈る人

白色野菜

死者の幸せを祈る人

幽霊画の個展が開かれると聞いたのは、何時の事だったか。


職場の同僚が話してたのかもしれないし。

通勤途中の電車の中で女子高生が騒いでたのかもしれない。


自分には関係ない事だとその事を記憶することなく日々が過ぎ

いつの間にか個展も終わり、季節も変わり、昇給もして、ボーナスも出て、飲み会の幹事を適当にこなして。

あっという間に、捲られていった職場のカレンダーに、忙殺しながらも変わり映えの無い馴れた仕事のルーティーンに欠伸を一つ零した頃。


里帰りという名の、堕落した長期休暇を送る為に実家に戻った。

母親の話がどういう内容だったのかは、寝起きに聞いたからかテレビを見ながらだったからか、ぼんやりとしか思い出せない。


ただ、久しぶりに中学の友人と会って。

酒を飲みながら、仕事の愚痴を話して。

それで――――それで?




「それであんさん、この中に引き摺りこまれたんやね」

男の思考を引き継ぐように、イタチが囀る。

男は今、廊下に立っていた。


今は、過疎化と老朽化で取り壊された中学の校舎。

古く、歩くまでもなく少し体重を偏らせればぎしりと鳴る床。

成人の男からしてみれば、天井も入り口も机も椅子も何もかもが少しだけ小さく低く。

まるで、巨人になったようだとアルコールが回った頭で考えた。


「あんさん、あんさん。寝たらだめでっせ。寝たらお陀仏でっせ」

イタチが囀る。


「寝たらも何も、夢だろ。イタチがしゃべってんだから」

「あんさん、5Gが飛び交う時代になんつー、夢の無いことをおっしゃいますか」

やれやれ、と首をふったイタチが妙に気に障る。


「いいでっか、あんさん呼ばれてるんでっせ?さっさと出口探さんと―――」

「呼ばれた?」

そうだ、確か、帰り道に誰かに声をかけられて。

それで。

それで?

ずきずきと頭が痛い。

思い出せそうでとっかかりを掴みかけると痛みが邪魔をする。


「先輩」

幼い女の声がした。


見るなと頭の痛みが警鐘を鳴らす。

それでも、体は吸い寄せられるように振り返り、声の主を見上げた。


「先輩、こん■■は」

後輩の声にノイズが走る。

一瞬で、窓の外が塗りつぶされたような黒い空から昼へそして夕方に移り変わり

また、黒に染まる。


ひょろりと、自分よりも背の高い引っ込み癖のある後輩。

そのくせ、腕は枝よりも細くて手はしっとりと柔くて。

その手を引いて部活に行くのが日常だ■■。


「どうしたんですか、先輩。部活に行きましょう?」

そう言いながら、彼女が手を差し出した。

エスコートを望むように手の甲が上。

そうだ、確かにロマンチストな彼女はそんな癖があっ■『る』。


■■『愛お』しい。

何もかもがずっと■『続いていたこと』のようで

癖の染みついて■た腕は■■■『酷い』無かったのか、恭しく彼女の手を取ろうと『早く』腕を『早く』伸ばし『早く速くハや早早くハヤヤヤヤヤヤヤく』■。


触れるよりも早く、右足に鋭い痛みが走る。

思わず振り払った足にくっついていた毛むくじゃらは、キィキィと甲高い声を立てて廊下に着地した。


「なんだこいつ」

分厚いジーンズを易々と貫いて、捲り上げた足にはくっきりと獣の牙の痕が付いている。

滲み出る赤い血の球に、おっちょこちょいの後輩の為に何時も生徒手帳に挟んでいる絆創膏を取り出そうとして


―――ポロシャツの布地に触れる。


詰襟特有の息苦しさが消えた。

だぼたぼのワイシャツの袖が無くなり

見上げていたはずの彼女を、頭一つ分ほど見下ろす視界にアルコールで動きが弱っていた頭がパニックを起こす。


アルコール以外の理由で冷や汗が、止まらない。

じっとりと湿ったシャツの生地が冷たく、気持ち悪く。


「先輩」

一歩、後退る


『先輩』

二歩、声の主を見る


なんで自分はあんなものを後輩だと思ったのか。


皴だらけの皮膚は枯れ木の表皮のようにカサカサで。

それなのに、どろりと所々液状に溶けては、腐臭をまき散らしながら床のシミになる。

声は何重にも重なった罵声から無理やり音を継ぎ接ぎしたかのように不自然で。

そして、なにより目が。

何も写さないシロイ目がこちらを見て。



『せせセセセェンパァぁぁぁぁぁぁアアアアアアアアアアイ』

三歩、駆けだした。

キィキィとイタチが先導する。

何が何だか、これっぽっちもわからないがとにかくアレについていけばどうにかなると直感した。

というか、どうにかなってもらわないと困る。

他にあてなどどこにもありはしないのだから。


『先『先輩』『せんぱ『セェェェェェェン』い』』

何十の声が背を追いかけてくる。

ギシギシとなる床板の音は明らかに一人分ではなく。

胃液と肉が腐ったような匂いが混じりあって、首筋を撫でていく。


視線が背中に突き刺さる。

すくみそうになる、もつれそうになる足が無理やりに前に進められる。

ぐいぐいと、太い糸で引っ張られているような。

引き摺られる一歩手前で、ただ前へ前へ。



そして、それは唐突に。

景色が変わるわけでも光に包まれたわけでもなく。


ソコを越えた瞬間、世界が割れて。




「いってええぇぇぇぇぇ!!」

「先生!先生!!患者さんの意識が!」

「なに?なんだこれ??いっっっった!!!」

「先生!先生!!患者さんが暴れています!!」


すったもんだの大騒ぎを乗り越え。

母親に林檎を剥いてもらいながら、話を聞いたところ。


飲み会帰りに車に引かれる→そのまま拉致られかける→友人共が奪還する→意識が戻らないまま病院へ→今


という、ドラマチックな展開が俺が寝てる一週間であったらしい。


「あそこのお家の奥さん、娘さんが死んでから随分とオカシクなっちゃってね……」

俺を轢いた運転手は、錯乱状態で精神病院に押し込まれたらしい。

刑事事件には問えないものの、幸い旦那さんはまともな人で慰謝料まがいの治療費はたっぷりと貰えるらしい。


「そうそう、あんたの荷物にこんなの混じってたけど」

そう言いながら手渡されたのは赤い封筒だった。

覚えのないそれを受け取り、古めかしい蜜蠟の封を剥がして―――


「あっ」

「あら」

ビッ、と軽い痛みと共に手の中から封筒が消えた。

母親の声に視線を辿ると、窓の外。

ちょうど病室の高さにある木の枝にイタチが封筒を咥えてこちらを見ていた。


キィ、と小さな鳴き声と共にイタチは瞬く間に木から駆け降りると姿が見えなくなる。


「こんな街中にも、イタチなんてでるのねぇ」

誰かのペットかしら。なんて呑気な母親の声に生返事を返す。


空は今日も青く。

街のどこかから、煙が高く高く空へと伸びていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死者の幸せを祈る人 白色野菜 @hakusyokuyasai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ