第3話 ひまわりと蜂

 夕食も終わり、店の外で親たちがまた会いましょうと和やかに挨拶していると、佳海が私の腕を引っ張ってスマホを見せた。並んで立つと年下なのに佳海のほうが背が高い。きっと私はもう今の162センチで止まりそうだけれど、佳海は両親や和貴に似てもっともっと伸びていくだろう。

「ママとLINEしてるんでしょ? 私ともしよう」

「うん、もちろんいいよ」

 佳海に友だち申請していると、和貴もスマホを取り出しながら近づいて来た。

「じゃ、俺とも……」

 途端に佳海が後ろ手に私を隠そうとした。

「お兄ちゃんはダメ」

「なんでだよ。受験のアドバイスしてって言われたし」

「それだけじゃないでしょ。下心が見え見えだよ。このちゃんだって別にお兄ちゃんとなんて繋がらなくてもいいよね?」

 振り返る瞳の強さに私は曖昧に頷いた。

「そんなんじゃないのに、バカだなあ。じゃあいいよ」

 和貴がため息をついてスマホを操作しつつ離れていった。

「邪魔者は去ったか。さっそくなんか送るね」

 佳海が満面の笑みでスマホに指を走らせた。

 間の抜けた音と共に画面に吹き出しが現れる。


〈このちゃんと会えて嬉しかった。今日、一緒に泊まりたいよ〉

 びっくりして佳海を見ると、唇をとがらせながら私の表情を伺っている。

 声で返事をしないほうがいい気がして、私もスマホの画面に指を滑らせた。

〈だって、明日は朝から岩手に向かうんでしょ〉

〈岩手なんて興味ないもん。私、ずっとこのちゃんと会いたかったの〉


 胸の奥で線香花火が灯った、そう思った。

 暗闇に浮かび上がる、小さな、でもチカチカと星屑のようにきらめく火。音も立てずひっそりと、しかし鮮やかに形を変えながら私の闇を照らす光。

 

 ――このちゃん。

 祖母だけの私の呼び方。父母も成海さんも友だちも私のことをこのみと呼ぶのに、なぜ佳海は何も知らないのに、祖母と同じように呼ぶのだろう。

〈このちゃんは?〉

 私も、と入力した時、佳海の父が、

「さあ、そろそろホテルに戻ろうか」

 とのんびりした声で言ったので私はその一言だけを送信した。

 〈私も一緒に泊まりたいよ〉? 〈私も佳海に会いたかったよ〉?

 私は一体なんて書こうとしたのだろう。

 画面を確認した佳海は、

「私、このちゃんと泊まりたい」

 と言い出したので私は再び驚いた。本当に思ったことをそのまま口に出す子だ。

「だめよ、私たち明日は朝早く出発だし、急にそんなこと言ってもこのみちゃんにも迷惑でしょ」

 成海さんが慌てて言い、私の両親もまた今度改めてうちに遊びにおいで、と慰めた。

「このちゃんともっとたくさん話したかったのに……」

 膨れる佳海が可愛かった。

「LINEで話そう。旅行楽しんでね」

「また会いに来るから」

「うん」

 胸の奥の線香花火がチカチカと瞬いた。


 佳海からは旅行中もその後も毎日何通もメッセージが来た。岩手のリアス海岸の景色。青森の勇壮なねぶた祭。秋田の一面緑の田んぼと灯籠まつり。東北に住みながらも一度も見たことのないそれらの景色を佳海の隣で見る自分を想像しながら、笑顔の佳海が写る画像をそっと保存した。

 佳海家族の旅行中、私たちはしょっちゅうやりとりをしていた。その時だけで終わるかも知れないと少し身構えていたけれど、旅行から戻っても佳海はおはようから始まり、他愛もない日常の内容や道に落ちていた何かや綺麗な空や花の画像を送ってくれたし、友達とのトラブルや、親に怒られたとか、水泳部の怖い先輩のことだとか、近い友達には言いづらいことをこのちゃんなら言えると打ち明けてくれた。嬉しかった。

 でも佳海が私に示す親しみは、私にとっての成海さんみたいな感じなのかもしれないとも思った。友だちづきあいも誰かのおまけみたいに呼ばれるくらいだし、告白もされたことがない私は、まっすぐに誰かに選ばれたことがない。この世で一番私を大切に価値あるものとして扱ってくれたのは祖母だったから、祖母亡き後は胸に穴が空いたままだった。

 線香花火のようなきらめきは、佳海の言葉を見る度に胸に灯った。目を離したすきに佳海から連絡が来ているかもしれないと思うと、スマホを確認する頻度が増えた。両親や学校の友だちからも指摘されるくらいに気になるくせに、落ち着きを取り戻そうと、私は佳海に姉のような意見を言うように努めた。

〈このちゃんって好きな人いる?〉

 そう聞かれた時も、

〈受験生には恋は邪魔だし大学入ってからゆっくり相手を探すよ〉

 なんて答えた。恋なんていまだによくわからず、経験もしていないくせに。

〈大人だね。でもわかる、前に友だちと同じ子を好きになって、面倒だった。好きになるのってしんどいことも多いしね〉

 佳海のメッセージを読んで、ああやっぱり、とがっかりした。

 やっぱり佳海は普通の子。まっすぐ伸びて太陽を正面から見ることができるひまわりみたいな子。誰かに選ばれ、自分もまた誰かを選べる子。

 私は蜂だ。輝く太陽に向かって大きく花開いたひまわりの蜜を少しでももらおうと、周りを飛び回る蜂。花から蜜をもらえなければ死ぬしかない蜂。


 佳海はいつも無邪気だった。

〈私たちが仲良くなったのって運命じゃない?〉

〈運命?〉

〈おばあちゃん同士が親友で、孫娘の私たちも仲良くなるだなんて運命でしょ〉

 私はその運命が怖かった。何十年間も深く愛した人と突然の死で永遠に分かたれた祖母の運命。

 私も佳海とは運命で繋がっていると思う。しかしそれは祖母と千佳さんの運命だ。できれば祖母も何も関係なく佳海とゼロから出会いたかったと思う。何も関係ないのにここまで短期間で仲良くなれたなら、私ももっと素直に自分と佳海との運命が信じられたかも知れない。

〈そうなのかな〉

〈そうだよ。私、このちゃんとは永遠に仲良くしていられる気がするの。こんなに話が尽きない人って初めて。このちゃんは?〉

〈永遠なんて遠すぎてわからないよ〉

〈ずーっとってことだよ。このちゃん、ノリ悪い~〉

 無邪気に運命や永遠を語れる佳海が眩しくて羨ましかった。

 運命を恐れ、永遠を信じられない自分が悲しかった。

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