第2話 再会

 祖母と千佳さんの隠された恋という大きな秘密を共有する間柄になった成海さんは、私にとってはもうひとりの母のような――母よりももっと心の内を話せる年上の友だちのような存在になった。

 遠くに住んでいるということもあり、母にも友人にも言いづらいようなことでも気軽にLINEで相談できた。成海さんはいつも押しつけがましくなく、私の立場を考えたアドバイスをくれた。私から相談ごとがない時にも、最近どうしているの? 悩みはない? などと聞いてくれる。時折、好きな人はできた? とも。

 きっと、どんな私でも味方になってくれようとしているのだ。


 でも、まだ私は私のことがわからない。

 私は誰かを好きになるのか。

 誰かにあなたじゃないと嫌だと、深く愛されるのか。

 その相手が男なのか女なのか。

 誰かを好きになることで答えがはっきりするのも怖い。それなら誰のことも好きにならなくてもいいと思う。

 その一方で、ものすごく恋に憧れている自分もいる。

 成海さんは時間をかけて母達の恋愛を理解し、受け止めて秘密を守ったけれど、自分が誰を好きになるのか迷ったことがない。

 だから人を好きになること自体が怖いことは、成海さんには言ってはいけない気がしていた。


 成海さんの長男・和貴が大学二年、私が高三、長女・佳海が高二の今年の夏、成海さん一家は揃って仙台にやってきた。

「家族旅行なんてもうなかなか出来なくなりそうだから」

 と成海さんの夫が言ったらしい。

 和貴は来年には専門課程に進んで忙しくなるし、佳海は受験の年を迎える。どうせ妻が「真希子ばあばのお墓参り」に仙台に行くならと、車で夏祭りに合わせた東北一周旅行を計画したそうだ。

 私たち三人が顔を合わせたのは十年ぶりくらいだった。佳海とも五年ぶりくらい。子どもの時の記憶しかなかったから、二人ともすっかり見違えた。私もずいぶん変わっただろうけれど。

 私の両親は彼らの来訪を喜び、広瀬通にある牛タンの有名店に招待した。父は息子として母と千佳さんが年に一度の旅行をしていた仲の良い友人だったことを知っているし、娘の成海さんが生前の母と親子のように親しかったことも、毎年お墓参りに来てくれることも、私を可愛がってくれることもわかっているので、ささやかなお礼だった。

 和貴は見ていて気持ちいいほどよく食べた。彼はもう二十歳を過ぎ、すっかり大柄でたくましい男になっていた。高校からずっとラグビーを続けているという。会計学を学び、在学中に会計士の資格を取ることが目標だとぼそっと喋った。照れているのだ。浮ついたところもなく実直なので、父が和貴をすっかり気に入って、「うちのこのみをもらってくれないかなあ」と言いだし、母も手を叩いて賛成した。

 初めて会った成海さんの夫は、

「いやいや、このみちゃんは美人だしむしろ和貴をもらってほしいくらいだよ」

 と笑って言っていたが、私は居心地が悪い思いでうつむいた。和貴はどうだろうかとそっと伺うと、全く意を介さない様子で食べている。

「変なの、このちゃんもお兄ちゃんもモノじゃないのに。第一、このちゃんに失礼でしょ」

 口を挟んだのは佳海で、牛タンを頬張りながら私を見て、ねっ? と同意を求めた。

 成海さんは私と佳海の顔を見て少し困ったように微笑みながら、

「まずはこのみちゃんが無事に受験を終えるのが大切よね」

 と言ってやんわりと話を終わらせようとしたのに、父がまた調子に乗った。

「和貴くんM大学でしょう、このみに受験のアドバイスしてやってよ」

 和貴の在籍している大学はランクがとても高く、私なんてまず行けそうもないところだった。

 和貴は、あ、はいと父に向かって頷いてから私を見た。

「僕で役に立つなら。このみちゃんは第一志望はどこなの?」

「あ……T学院大の文学部」

 ここの私大なんて和貴は知らないだろう。

「文学部を出てもそれで食べていけないし、和貴くんみたいにもっと実利的なところにしてほしいんだけれどな」

 父がわざとらしく言うと、和貴は首を振った。

「いえ、僕も会計関係以外も結構取っていますよ、哲学とか天文学とか。それに文学部の先輩方ってオールマイティーでいろんな企業に幅広く就職していますしね」

 そうだ、和貴は昔からこんな子だった。愛想が良いわけではないけれど、さりげなくフォローを入れてくれる。成海さんの血を引いているのがよくわかる。

「それに就職のことだけ考えて大学なんて行かないもんね。青春を楽しむためだもんね」

「こら、佳海」

 和貴に比べて妹の佳海は思ったことをまっすぐ言う子だった。くせ毛で、前髪をアイロンで伸ばして垂らした先にくりっとした大きな瞳が表情豊かに輝いている。幼い頃はくるくるの髪の毛をカチューシャでまとめて丸いおでこを出していたのが可愛かった。明るいけれどちょっとわがままで、自分の思い通りになるまで満足しない。その満足の基準が私と違うから、小さい頃から会った時に佳海が泣き出したりすねたりすると私はどうしたらいいかわからずはらはらした。成海さんも、この子はわがままで困るの、といつもため息をついていたけれど、ぐずる佳海を優しく言い含めている様子を見ていると、自由に振る舞える佳海の性格も、それが許されるのも全て羨ましかった。


 成海さんは、和貴と佳海には私たちの祖母ふたりの恋について教えていなかった。成海さんが結婚する前に千佳さんは亡くなっていたので、ふたりは祖母と会ったことがない。だから話すタイミングが分からないと言っていた。

〈このみちゃんはうちのふたりにも教えた方がいいと思う?〉

 ある時、LINEで成海さんにこう聞かれた。

〈かなりびっくりすると思うし……わざわざ教えなくてもいいと思いますけれど〉

〈でもこのみちゃんだけが知っていて、つまり秘密を背負っていて、うちの子たちが何も知らずにのほほんとしていることがなんだかこのみちゃんに悪い気もするの〉

〈私には成海さんがいるから大丈夫です〉

 ――ずるいなと思った。成海さんは私がこう答えることを見越しているのではないか。私の回答を免罪符に我が子たちがこのまま普通の人生を歩むように守っているのではないか。

 異性と恋をして、結婚して、家族を作るという「普通」の人生。

 きっと何も知らない私の両親も、私が男性に恋をして結婚し、子どもを産むだろうと疑いもせずに信じている。


 本当はこういうことを、和貴と佳海と三人で話してみたい。

 私たちの祖母がどれほど強い思いで恋を繋いだのか。

 和貴と佳海は祖母たちのことをどう思うのか。その上で彼らはどんな恋をするのか。

 私は祖母たちの思いの深さが恐ろしくて、誰のことも好きになれないのだと言いたかった。

 私もまた、祖母のように誰かを好きになったら最後、一生を捧げるほどの思いを抱くかも知れない。それほど思い続けても実らなかった愛の残酷さを誰かに知ってもらいたかった。そして私もまた祖母のように、女性を好きになるかも知れないという遠雷のような予感を理解して欲しかった。

 だけど、和貴と佳海は何も知らない。異性しか愛したことのない成海さんもまた、この怖さは理解できないだろう。それどころか、母たちの恋の事実に苦しんだこともあるのだから、もし私までが女性を愛するようになったら、私を見る目も変わってしまうかも知れない。和貴と佳海からも引き離されてしまうかも知れない。

 父母の期待を裏切り、祖母の秘密を共に受け継いだ成海さんや、和貴と佳海からも離れてしまうかもしれないのならば。

 私は誰のことも好きにならないほうがいい。

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