第6話 会いたくて

 今まで経験したことがないほどのスピードで自転車を漕ぎ、坂道を下った。パーカーにデニム姿の佳海がコンビニの灯りの中で、リュックサックを背負って所在なげに立っているのが見えた。夏に会った時より背が伸びているのに、なんだか小さな女の子のように頼りなげだった。

「佳海!」

「このちゃん……!」

「店内にいてって言ったのに」

 私を見るなり、佳海の大きな目は潤み、顔全体を歪ませながら走り寄って私に抱きついてきた。自転車にまたがったままの私は佳海の勢いに倒れそうになりながらなんとか踏ん張る。

「無事でよかった……どうしてこんなことしたの?」

 大きく安堵しながら佳海の背中を撫でると、佳海が鼻先がぶつかりそうな近さで顔を上げた。

「このちゃんに会いたいからに決まってるじゃない」

 まっすぐに言われると私は言葉を失う。言いたいことは私だってあるのに、つい飲み込んでしまう。

「このちゃんに姉って言われて……本当にただの友だちなのかどうか、私たち、夏に一度会ったきりだから、自分の気持ちと私たちの運命を確かめるために来たんだよ」

 運命を確かめるために来た。

 佳海らしい理由だと思った。その大きな目が夜空を映した海のように揺れて、私は溺れそうになってしまう。

「お母さんにはなんて説明したの? まさか私に会いたくて、なんて言っていないでしょう?」

 声がかすれてしまう。佳海はうん、と大きく頷いた。

「部活とか進路に悩んで気分転換したくなったけれど、親戚もみんな関東にいるし、離れたところにいる知り合いはこのちゃんしかいないから、思い切って仙台まで旅に出てみた、って言ったら、ちゃんと相談して欲しかった、このみちゃんちに迷惑をかけて申し訳ないって怒ってた」

 思ったことをそのまま言う佳海にしてはそれらしく考えられた理由だと思った。

 いや、今日ここに来ることを私にも隠していたのだ。佳海はもう夏に会った時の彼女ではないのかも知れない。

「いつからこんなこと考えていたの?」

「このちゃんに告白して振られてから、どうしてももう一度会いたいって思って行き方を調べていたの。週末だとずっと親がいるし、木曜までの平日に行くと学校を二日休むことになるから、さすがにそれはダメかなって。金曜なら一日で済むなって思って」

「別に振ってないけど……割と現実的に考えていたんだね」

「私、よく夢見がちって言われるけれど、割と現実的なんです。一応替えの下着も持って来ているし。でもこのちゃんのお母さんも怒るかな?」

 不安そうに眉を寄せた佳海を見て私は思わず笑った。

「うちのママは別に怒ってないから大丈夫。ご飯追加で炊いて待ってるって。何か食べた?」

「このコンビニでトイレ何回か借りたの。その時ちょこちょことお菓子買ったよ」

「じゃあお腹空いたでしょう?」

「うん。でも私太ったでしょ? だから泥縄だけどダイエットのつもり」

 佳海は隠すように両手で二の腕をさすった。

「何言ってるの、全然太ってなんかいないよ。また背が伸びたね?」

「そんなにでっかくなりたくないんだけどな。水泳部だからどうしても肩幅もがっしりしちゃうし」

「夏に会った時よりもっと可愛くなったよ」

 本心からそう言うと、佳海は目を丸くして笑った。

「ほんと? そういう風に言ってくれるところ、大好き」

「だって本当だもん。じゃあうちに行こうか。牛タンもあるかもよ」

「やった~、仙台の牛タン大好き」


 自転車を押しながら、並んで坂道を登る。胸がドキドキするけれど同時に温泉に浸かっているようなぽかぽかとした温かさも感じるし、スキップしたいほどにウキウキもしている。見慣れたいつもの場所に佳海がいる、それがこんなにも嬉しいだなんて。見上げれば上弦の月が浮かび、秋の星が夜空に広がっている。


「こっちのほうが星がたくさん見える」

「田舎だもん」

「うちだって何もない住宅街だけれど、仙台のほうが空気が綺麗だと思う。このちゃんはいつもこの道を通って学校に通っているんだね」

「そうだよ」

「画像でも見てきたけれど、やっぱり実際に見るとなんだか感激する。たくさん想像してきたけれど、これからはもっとリアルに感じられるな」


 嬉しそうに呟く佳海を横目で見ながら、胸がぎゅっと痛んだ。

 これからも――また離れても。

 そう、今のこの時間は特別な瞬間なのだ。明日には佳海は帰ってしまう。


「明日のバス、予約してるの?」

「ううん。帰りたくないけれど……このちゃんちで時間とか調べて予約するよ。お金はお年玉貯金していたのを持ってきてるから」

「そっか……明日、仙台駅のバスターミナルまで送るからね」

「ありがとう……」

 夜のとばりのように沈黙が降りてきて、私たちは無言で坂を登った。道沿いの草むらから虫の鳴く音が響く。佳海が聞きたいことも、私が言いたいこともわかっている。けれど私にはまだ勇気が必要だった。

「あの、ね……連絡くれたらちゃんと私の気持ちを伝えるってLINEしたこと……私の部屋で話したいの。部屋でふたりになるまで、待っててくれる?」

 佳海はうん、と嬉しそうに頷いた。


 家にはすでに父も帰っていた。父母は笑顔で佳海を迎えた。

「学校を休んで高速バスに乗って遠くの友だちの元へ行く、か……青春だね」

 佳海からの説明を聞いた父はなぜかはしゃいだ様子だったが、母は少し真面目な表情で佳海を見つめた。

「でも女の子ひとりで危ないよ。怖い目に遭わなくてよかった。今度からちゃんとお母さんやこのみに相談してね。うちはいつでも歓迎するから」

「はい、もうこんな無謀なことはしません。今日は突然なのに泊まらせてもらってありがとうございます」

 佳海は礼儀正しく頭を下げた。母が我慢しきれない様子で両手を組み合わせる。

「本当はね、このみがお友だちを家に連れてくるなんて小学生の時以来だからおばさんなんだか嬉しいの。さあ、手を洗ってきて。たいした準備できなかったけれど、佳海ちゃんが大好きな牛タンがあるからね。まず私は佳海ちゃんのママにお電話しないと」

「余計なこと言わないでよ」

 母がウキウキと成海さんに電話している声を聞きながら佳海を洗面所に案内する。

「このちゃん、お友だちを家に呼ばないの?」

「私、人気なくて親しい友だちっていないの。がっかりした?」

「ううん。安心した。私もそうだし、このちゃんを他の友だちに取られないで済むもん」

 佳海はそう言っていたずらっぽく笑った。そう。私たちは似ているんだよ。


 食事をしながら、父は祖母と千佳さんの話をした。

「母さんと佳海ちゃんのおばあちゃんも遠距離なのにずっと仲良くて、毎年いろんなところに旅行に行っていたんだよ。きみたちもそうなるかもなあ」

 父が祖母から聞いた日本各地の旅行の思い出話を、佳海も興味深そうに聞いていた。私も父が祖母について語るのを聞くのは久しぶりだったので、なんだかとても新鮮だったし祖母の気配を感じられるようで嬉しかった。

「そんなにいろんなところに行ったんですね。私が生まれるずっと前に祖母は亡くなっていたから……私も直接聞きたかったなあ」

「あとで私の部屋でばあばたちが買ってきたお土産とか見せてあげるよ」

「うん、ありがとう」


 佳海に続いて私がお風呂を済ませている間に、佳海は父母と相談しながらスマホで翌日帰る高速バスの予約をしていた。素直で明るい佳海はすっかり父母にも溶け込み、普段静かな我が家はぱっと光を灯されたようだった。

「たまたまうちは一人っ子だったけれど、姉妹がいるってこんな感じかな。明るくていいね。佳海ちゃん、またいつでも来てね」

「なんならこっちの大学に進学して、うちから通ったらいいんだよ」

「わあ、そうしようかな~」

 突拍子もないことを言い出す父に私は慌てた。佳海は無邪気に喜んでいる。

「ちょっと、この間は和貴くんに私の受験についてアドバイスしろって言って、今回は佳海にこっちに来いだなんて、ほんとパパもママも調子いいんだから」

 私が苦言を呈しても、飄々とした父母は全く気にしない。

「こっちより関東のほうがいい大学は多いんだろうけれど、佳海ちゃんも考えてみてよ。仙台はなかなか住みやすいし、牛タンも萩の月もあるし」

「あ、ずんだ餅も大好きです」

「いいねえ! 近くにずんだ餅の名店があるから明日お土産に持たせるよ。牛タンも駅前でお土産に買って行きなさい、おこづかいあげるから」

「ありがとうございます!」

 時計を見るともう十二時近い。放っておくと三人はいつまでもおしゃべりしていそうだ。

「はいはい、じゃあ佳海ももう疲れてるし、寝るよ。おやすみ、行こう佳海」

「ゆっくり休んでね」

「おやすみなさい」

 私は佳海を自分の部屋に連れて行った。全身が震えるほど緊張しながら。

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