第5話 失踪

 佳海がいなくなった、と成海さんから電話が来たのはそれから十日ほど経った金曜の夜のことだった。

「発熱したから休むって学校に私のふりをして連絡したらしいの。私、何も知らずに仕事から帰ってきてもいなくて、携帯にも出なくて……和貴もかけているんだけれど出ないの。私に黙って学校を休むなんて初めてだし、夜出歩いたこともないの。このみちゃん、佳海と仲良くしてくれているでしょう? 何か聞いていない?」

 思いがけない突然の知らせに手に汗を感じた。

 何も聞いていない。佳海は私なんて何も打ち明ける価値はないと思ったのだろうか。途端に自分の無力さに打ちのめされる。

「いえ……今日は私からおはようって送っても返信がなかったです」

「そうなんだ……佳海ったらどこに行ったのかな……」

「佳海のお友だちにも確認したんですか?」

「うん……でも佳海って思い込みも激しいし、思ったことそのまま言ったりわがままだったり、ちょっと子どもっぽいところがあるでしょう? だから周囲から微妙に浮いているっていうか、そんなに友だちが多いわけじゃないの」

 それも初めて知ったことだった。

 佳海はいつも親しい友だちに囲まれて笑っているイメージしかなかった。私は佳海の何を見て知っていたのだろう? 眩しく遠く感じていた佳海を近しいものに感じる。 

「私も佳海に連絡取ってみますね。何か返信あったら成海さんにお知らせします」

「うん、よろしくね」

 成海さんの声は憔悴していた。佳海はなんだかんだ言っても親の言うことを聞く子だったから、ショックなのだろう。

 電話を切ってすぐに佳海とのトーク画面を開く。

 やはり私から送った〈おはよう〉に既読がついたまま返事がなかった。寝坊して慌てているのかな、なんて思ってそのままにしていた。あれから――佳海の〈告白〉をごまかして流した時から、やり取りはだいぶ少なくなっていたから半分諦めていた。

 私だって、会いたいと思う。話をしたいと思う。佳海の弾むような言葉を見たかった。このちゃん、このちゃんと呼びかけてもらいたかった。何度もスマホを見て返信がないのを確認するたび胸が痛んだ。佳海の笑顔の画像を見つめて泣きたくなった。今だって胸が痛いけれど、それは慣れていかなくてはいけない痛みだと自分に言い聞かせていた。

 でも結局、私は自分のことだけに気を取られていた。

 あれだけ私を慕ってくれた佳海のことを思いやってあげていなかった。

 なぜ、佳海の変化に気づかなかった。なぜ、黙り込んだ佳海を放っておいた。なぜ、もう一度連絡をしなかった。なぜ、佳海の思いを拒んだ。なぜ……

 後悔が内側からとめどなく押し寄せて立っていられなくなった。


〈佳海、今どこなの? 成海さんから連絡もらったよ。みんなが心配しているよ〉

〈何か悩みがあるなら私に聞かせて〉

〈連絡待ってるから〉

〈お願い、連絡して〉


 立て続けに送っても既読は付かなかった。

 もしかしてもう佳海は私を見限ったのかも知れない。佳海の思いを受け止めなかった私に失望し、ただの友だちとも思えなくなったのかも知れない。

 佳海はどこにいるんだろう。

 変な人に頼って騙されてしまったらどうしよう。危ない目に遭ってしまったらどうしよう。佳海に何かあったらどうしよう。

 あのひまわりみたいな子は何からも傷つけられたらいけないのに。

 ただ太陽を見て明るく笑っていて欲しいのに。


〈この間はごめん。佳海は真剣に私に告白してくれたのに、茶化してごめん。考えがあって姉としてって言ったけれど、傷つけてしまったよね。佳海を傷つけたのはすごく後悔してる〉

〈また連絡くれるなら、今度こそちゃんと佳海と向き合いたい。ちゃんと私の気持ちも伝える〉

〈だからお願い、連絡して〉


「ご飯だよ」

 仕事から帰ってバタバタと料理していた母が部屋のドアを開けて顔を出した。

「あ、うん、でもちょっと今食べられないかも」

「どうかしたの?」

「さっき成海さんから電話があったんだけれど、佳海が今日学校に行かなかったんだって。今も連絡がつかないらしくて、私のLINEにも返信がないの」

「あら、どうしたの? 前からずる休みする子だっけ?」

「そんな子じゃないよ」

「誘拐じゃないといいけど。こないだも東京で女子中学生が失踪したじゃない」

 のんびりした母の声に私は苛立ちを覚えた。

「変なこと言わないでよ」

 その時、スマホが震えた。

 佳海からの着信だった。

「佳海だ! ちょっとママ、向こう行っててくれる?」

 不服そうな母を慌てて追い出すと、スマホの通話ボタンを押した。

「佳海? 佳海、どこなの?」

「……このちゃん、もう帰った?」

 消え入りそうな声が聞こえた。

「帰ったって? どこから?」

「学校……。今、真っ暗になって。最後の先生が車で帰ったっぽい」

「佳海、私の学校にいるの?」

 まさかと思いながら聞くと、佳海が涙声で言った。

「うん。バスで朝、千葉を出発して、午後に仙台駅に着いたの。このちゃんの住所は知らなくて高校の名前だけ教えてもらっていたから、色々人に聞いたりして迷いながらバスに乗って夕方に高校まで来て、校門のところで待っていたの。何も連絡しないでうまく会えたら、ほら私たちはやっぱり運命なんだよって言うつもりだった。でも会えなかった。運命じゃないのかな……」

 喉がぎゅっと締め付けられ、視界が揺れた。

 私の学校は駅からバスで四十分もかかるところにあり、最寄りのバス停からも少し離れている。親に連れられて仙台の街中しか来たことがない佳海が、どんな思いで高校までたどり着き、そしてこんなに暗くなるまでひとりで待っていたのかと思うと、涙がこらえきれなかった。


 私との運命を信じてくれたのに、なぜ私はいつも通りさっさと帰ってしまったのだろう。なぜすれ違ってしまったのだろう。


「――バカ、何言ってるの」

「バカって言わないでよ。私がどれだけ悩んでここまで来たか、知らないくせに」

「そうだけどさ。今すぐ迎えに行くから、学校の前の坂を下って右側のコンビニで待ってて。自転車で十分くらいだから」

「わかった。待ってる」

「私が行くまでの間にお母さんに電話しておきなよ。今日は……うちに泊まるからって言っておいて」

「いいの?」

「当たり前だよ。だから電話しながら待っててね。危ないから店内にいてよ」

「ありがとう。早く来てね」

 電話を切ると、ジャンパーを羽織りながらテーブルに夕食を並べている母に声をかけた。

「佳海、私に会いにこっちに来ていたんだって。ずっと高校の前で待っていたんだって」

「あら、無事でよかったねえ」

「今日は佳海をここに泊まらせるから。いいでしょう? 成海さんには佳海から今連絡させてる。私もあとで電話するから」

「このみよりお母さんから連絡したほうが成海さんだって安心なんじゃない? 佳海ちゃんがうちに着いたら電話しましょ」

「うん、ありがとう。助かる。それじゃ行ってくる」

「気をつけてね。それじゃあごはんもうちょっと追加で炊いておいたほうがいいかもね。あの子牛タンの時よく食べていたし。あ、貰いものの牛タン、まだ冷凍していたかも」

 母はさっそく冷凍庫を漁り始めた。あまり深く考え込まずに飄々としている母の性格にいつもは物足りなく思うことが多いけれど、今日は心から感謝しながら玄関を飛び出した。

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