夏の日の淡き幻想
伊藤紗凪
本文
車に揺られて数時間。気付くと外の景色は閑静な住宅街から一面緑になっていた。要は、田舎の風景。
毎年連休のどこかで、祖父母の住むこの町へ帰省を兼ね家族とやってくる。それ自体は構わないのだけど、今年に関しては私は不満を持っていた。
中学三年生の夏休み。既に受験が始まっているこの時期に、なんで三泊四日で出かけなければならいのか。塾の夏期講習だってある。そっちに出る方が絶対有意義だ。なのに両親に半ば強引に連れてこられた。
塾からはその分の大量の課題。勉強には困らないけど、そう言う問題じゃない。正直、落ち着かない。
「友希。もうすぐ着くわよ」
母さんの声で意識を切り替える。あれこれ考える時間は終わり。さすがに祖父母に不満な態度を見せるわけにはいかないし。
そうして着いた家。古めかしくも大きな家。毎年のことながら、圧倒される。
「いらっしゃい。よく来てくれたねー」
荷物を降ろそうとしていると、おばあちゃんが出迎えてくれた。約1年振りの表情は、とてもにこやかだった。
「ただいま母さん」
「おかえり」
「お世話になります」
「もう、いいのよ遠慮しないで」
親子の会話を余所に、私は荷物を降ろす。小さい頃は飛びついて喜んでいたけど、今は、ね。
早く勉強したい。とっとと受験終わらせて、楽になりたい。
喉かな田舎の空気が、苦しかった……。
「友希ちゃんお疲れ様。お茶でいい?」
「あ、うん」
居間に座ってすぐ、伯母さんに声をかけられた。
都会に出た父さんと違って、伯母さん夫婦はここに住んでいる。私を実の娘の様に可愛がってくれる、良い人達。
けど、年に数回しか会わないから、なんか今は居心地が悪い。
早くお茶もらって、一人になりたい……。
「辛気くさい顔してるわね」
「千花ちゃん……」
そんなとき声をかけてきたのは、三つ上の従姉の千花ちゃん。
私と違って快活で物事をハッキリという、根っからのお姉さん。
「別に」
「どーせあんたのことだから、受験とか、そういうの気にしてんでしょ」
図星。小さい頃からこの人には隠し事が一切できない。そして私がまだ答えを言ってないのに、それが正解だというようにケラケラと笑っている。
「どの高校に入るかは、重要でしょ」
「たったの三年で何が変わるの?良い高校入れたって、楽しめなきゃ無駄無駄」
当然の様に言う。それがちょっとムカつく。けど反論できるものが何も無い。
「楽しむためには、やっぱ良い高校入って安心しなきゃ」
「そう考えてるうちは何も変わんないよ。ほんと、堅物なんだから」
あなたが軽すぎるだけよ。そう言いたいけど、言えない。私はただ黙るしかなかった。
「……やっぱ、今日ここ来てくれて良かったわ」
「え?」
唐突に何を言うの?さっぱり理解できない。
「あんたさ、余裕なさ過ぎ」
「!?」
「自覚はあるんだ」
優しそうで寂しげな目を向けてくる。そういうの、やめてほしい。だって、簡単に見透かされている感じで、自分が薄っぺらく感じる。
「叔父さんと叔母さん、たぶん分かってるよ。だから無理矢理だけど連れてきたんでしょ」
「そんなの……」
なんとなく、気付いていた。少しは気分転換しろ、てことくらい。
でも。
「私は、要領良くないから」
「……はいはい」
そこで会話は途切れて。伯母さんがくれた冷たいお茶を静かに飲んで。少し遅めのお昼ご飯は、みんなの会話を聞きながら黙々と食べた。
食休みを兼ねて勉強しようと思っていたときだった。
「少し歩いてきたら?」
千花ちゃんが唐突に言ってきた。
「へ?」
「長時間の移動で疲れたでしょ。今日くらい、勉強休んだって大丈夫でしょ」
そうあっけらかんと言う。
その態度に何となくムッとしたけど。でも普段より勉強する気が起きてなかったのも事実で。
「分かった」
どうせなら、と思って。私は外へ出た。
暑い日差し。あちこちに響く虫の音。灼熱に揺れる陽炎。ああ、本当に田舎の風景だ。懐かしさと同時に、煩わしさを感じる。
どこへ向かおう。行き先も分からず、歩き始めた。
「あれ?」
そんな時、ふと懐かしい声が聞こえた。
「もしかして、友希じゃね?」
「……なんだ、友則か」
「なんだはねーよ。全く」
そう言いつつカラッと笑う男の子。あの家の近所で、千花ちゃんの一つ下の幼馴染の、友則。
一応私より二つ年上だけど、上下考える前からの付き合いだから、先輩って感じじゃない。
「今年も来たんだな」
「無理矢理ね」
「それでもいいじゃん」
何がいいのかよく分かんない。こいつ、ほんと単純だ。
「一人?千花は?」
「家」
「あ、そう……」
そう言って明後日の方向を向く。あー、ほんと、分かりやすい。こいつは昔から千花ちゃんの事が大好きなんだ。私がいれば千花ちゃんがいるって勝手に思ってる。
別にいいけど、そんなに好きなら早くしろっての。
「じゃあね」
「なんだ、もう行くのかよ」
「いいじゃん。特に話す事ないでしょ」
「いやいや、近況報告とかさ」
「どーでもいい」
友則には悪いけど、長話する気はなかった。あいつの声を無視して歩き出す。
幸い、追ってはこなかった。あいつのくせに、気遣いできるようになったんだ。少し関心した。
当てもなく、ふらふらと歩く。暑くて、もう帰った方がいいのかなと思ったけど、なんかそういう気にもなれなかった。
……ほんと、何やってんだろ。やっぱ塾か、せめて家で勉強していたかった。
-こっちへ……-
そんな時だった。ふと、声が聞こえた気がした。
「誰?」
周りを見ても、誰もいない。人が隠れている様子もない。空耳?でも、確かに聞こえたような気がした。
なんだったんだろう。そう思って改めて周りを見ると、横に山道へと続く大きな階段があった。
山道じゃない。しっかり作られた石造りの階段に、その途中には大きな鳥居。山の奥に神社があって、そこへの階段だと分かった。
……どうせ行く先もないんだから。と思って、階段に足を踏み入れた。
木々が生い茂っていて分からなかったけど、この階段、思った以上に長い。あと坂が急だ。すっごく息が上がる。行くんじゃなかった。でもここで引き返したらなんか悔しい。
そうして上ること数分。やっと目的地に着いた。
そこには神社と言うには小さいお社。なんだ、こんなもんか、と思っていたら。
「……っ」
目の前に、人がいた。
ううん。ただいたんじゃない。その人は、輝いていた。
比喩表現かもしれない。けど、私の目には確かに輝いていたように見えたの。
太陽に照らされた髪は白銀色のように煌めいていて。透き通る白い肌は陽の熱さえ装飾にして。すらりとした体躯はまるで生きた人形のように綺麗で。
まるで人間とは思えなかった。
「……どうしたの?」
振り返って目が合った瞬間、そう声をかけられた。
私は色んな意味でびっくりした。
まず、後ろ姿じゃ分からなかったけど、その人は男の子だった。たぶん、私とそう変わらないくらいの年齢。
そして、綺麗だった。
整った顔立ち。私に柔らかい視線を向ける目は、まるで宝石のように感じた。
何?こんな人、本当にいるの?
あまりにも現実的じゃなくて、私は夢を見ているような錯覚にとらわれていた。
「お人形さんみたいだね」
「……え?」
「何も言わずとも、ただ、そこに美しく在るから」
な、何を言ってるの?お人形さんとか、美しいとか!
ば、ばかじゃないの!?私のようなのが。目が狂ってんじゃないの!?あれか、新手のナンパか。それとも悪い宗教の勧誘か。
「困ってる。いや、戸惑ってるのかな」
「な!?」
「そういう所、可愛いよ」
な、なななななななな!!
ほんとこの人は、何言ってるんだ!?あれだ、きっと私をからかって遊んでるんだ。そうと分かれば私も落ち着こう。
「……初対面の人に変なこと言わないでください」
「……」
「あまりにひどいなら、警察呼びます」
「本当のことだけど。うん、今日はもう言わないよ」
あっさり引き下がってくれた。けど、本当のことって。なんか、調子狂う。
「ね、最後に一ついいかな?」
「何ですか?」
「ここは、どう?」
「どうって?」
この小さい神社のこと?思ったより大した事なかった、が率直な感想だけど。
でも。うん。たぶんそうじゃない。
ここの雰囲気や空気。そういうのなら。
「安らぐ、かな」
「……ありがとう」
そういって、彼はとても優しく嬉しそうな笑みを私に向けた。
そういうの、すごく、ずるい。何かあるって思っても、ドキッとくる。
なんか、このままいるのが落ち着かなくて。私は駆け足で来た道を戻った。
階段は急だから駆けれないけど、追ってくる感じはないから、たぶん大丈夫。
けど、きっとそういう問題じゃなくて。なんだか心臓の鼓動が落ち着かない。なんで、どうして?
よく分からず、私は下山した後、走って祖父母の家へと戻った。
*******
「はぁ」
広い湯船に浸かりながら、あの時のことを考えていた。あれは一体何だったのかな。
不思議な人だった。神秘的で、この世の人とは思えなかった。
まるで幽霊みたいな表現だけど、そうじゃなくて、他の人たちとは違う何かがあった。
もし神様や天使って言われても、きっと信じちゃう。そんな感じ。
「……何考えてるんだ、私……」
突然恥ずかしくなった。顔の熱が引かない。まだお風呂から出られそうにない……。
*******
「お祭り?」
「そ。明日」
朝、千花ちゃんから唐突に聞かされた。
「折角だから行きなよ。浴衣なら貸してあげるよ」
「いらない」
浴衣なんて恥ずかしい。それに私になんて似合わない。あと、千花ちゃんは私より身長が高い。サイズが合わない。
「全く、可愛げがないんだから。折角可愛い顔してるのに、勿体ないぞ」
「別に、可愛くなんてない」
正直、可愛いとか言われるのは苦手だ。人付き合いが苦手で、愛想も良くない。可愛いとか言われても、疑ってしまう。だから、昨日のあれも。
「……どした?」
「べ、別に!」
変に意識してしまった。
「ちょっと散歩してくる」
「はいはい、いってらー」
このままだと余計なこと考えて、千花ちゃんに弄られそうだ。それから逃げるように私は外を歩くことにした。
少しして、部屋に戻って勉強していればいいと気付いた。でも遅い。今戻ったら変に勘ぐられそうだ。
はぁ。なんでこう上手くいかないんだろ。
そう考えて歩くこと数分。道の先に見覚えのある人影を見付けた。
もうすぐ私に近付くのに、そいつは私に全然気付かない。そのままなら何事もなくすれ違えるかな、と思ったけど、あと数メートルの位置でやっと気付いた。
「また一人か」
「悪い?」
「いや、別に」
だったら聞くなよって思う。どうせ千花ちゃんがいるかもって思ったんだろう。でも、それにしてはどこか上の空のような感じがする。
「どうしたの?」
「あ、いや。ちょっと人を探してて」
「ふーん……」
人探しね。こいつが周りに気付かないほど探すとか、どういう人なんだろ。ま、考えても分からないし、案外どうでもよくなってきた。
「じゃあね」
「あ、あぁ」
歯切れが悪くてなんか引っかかったけど、友則はすぐ離れていった。何だったんだろ。考えてもしょうがなくて、また歩くことにした。
明日はお祭りだからか、行く先々が賑やかに思えた。こんな田舎でも、ううん、そういうところだから、こういうのに熱が入るのかな。なんて、自分のこの考えが都会住まいの悪い見本に思えてくる。
そんなことを考えながら歩いていると、昨日訪れた神社がある山にまた来ていた。
周りと違って、ここはとても静かだった。まるで、喧噪から守られているようで。
立ち止まって、ただ山を見ていた。
「また、来てくれたね」
鈴の音のような声が聞こえた。私の耳の奥に優しく響く音。
彼が、立っていた。
陽の光を背に、まるで、この地に降り立った聖人か何か。身に纏う雰囲気が幻想的に思えた。
「おいで」
その一言を置いて、彼は山の神社へ続く階段を上る。いつもなら付いていかないのに、私の足は自然と動いていた。彼の行く方へ。
彼と一緒にゆっくり歩いて、神社に着いた。昨日と同じように、何も無く、でも温かで優しい空気があった。
「気に入ってくれた?」
「……うん」
私は答えた。ここは、とても居心地が良い。包み込んでくれる優しさがある。
「前は、もっと人がいて、賑やかだったんだ」
「そうなの?」
「うん」
「どうして?」
「誰も、いなくなったから」
寂しげな彼の目が私の心に刺さるようだった。
目を伏せようとしたとき、目の前に彼の手が差し出された。
「その時の光景、見てみる?」
見れるわけがない。なのに彼の言うことを信じてみたくなって、その手にそっと触れた。
瞬間、目の前の景色が変わった。
たくさんの人たちの賑やかな喧噪。溢れる笑顔と活気。実際に見ているような、ううん、今確かに見ている。
「なに、これ……」
「これが、ここの本当の景色なんだ」
そして彼は手を離して。そして、さっきと同じ誰もいない風景になった。
「今の、なんだったの?」
「驚いた?」
いたずらが成功したような可愛らしい笑みを浮かべる。思わず、ドキッとした。
「な、なんだったの!?」
「昔から、こういうことができたんだ」
「昔から?」
「うん」
いつから、どういうことができたの?とても気になって、私は彼の事を知りたくなた。
「少し、話そうか」
「……うん」
ずっと昔からこういう力があった。違う景色を見せること。人の夢を思い出させること。夢のような幻想的な風景を作り出すこと。そんな、お伽噺のようなもの。
普通だったら嘘だって切り捨てるのに。でも、彼の言うことは、どうしてか信じられた。
今さっき彼の力を体験したから、じゃない。彼の持つ雰囲気が、そうさせているのかもしれない。
「もっと、見れる?」
また見たい。そう思ったら自然と言葉が出た。
「いいよ」
彼は優しく微笑んで言った。それが嬉しくて、次はどんなのが見れるのか期待した。
「でも、明日がいいかもね」
「明日?」
「うん。夜の方が、もっと綺麗なのを見せられるよ」
明日の夜。確かお祭りがある時間帯。
そんなときに男の子から誘われる。本当ならすごく警戒して、断るべきなんだけど。でも。
「……うん。いいよ」
私は、頷いた。もしかして、という不安より、彼の見せる綺麗な世界に心を奪われていた。
私の返事を聞いて彼はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。まるで花が咲き誇ったような印象で。本当に、綺麗だと思った。
「じゃ、今日はここまで」
そう言って彼は背を向けた。その時の空気が少し寂しげに感じられた。どうして?考えても分からない。何か声をかけたいけど、なんて言えばいいんだろう。
分からなくて。でも何か言いたくて。そしてふと、思ったこと。
「ねぇ!名前は?」
私は彼の何も知らない。どこの誰かさえ。だからせめて、何かを知りたいと思った。
立ち止まって、彼は私の方を向いて。少し切ない表情を浮かべながらも、笑いながら言った。
「リト」
聞いて、トクンッ、と心臓が高鳴った気がした……。
*******
「急に行くなんて言い出して。どういう風の吹き回し?」
「別に……」
ここに来て三日目の夕方。私は千花ちゃんから着付けを受けていた。色々考えて、お祭りに行くことにした。私服で良かったんだけど、千花ちゃんの押しに負けてこうして着ることになった。
「よし。うん、似合う!」
紺色の生地に花や風船があしらわれたそれは、私が着ても違和感が無さそうに思えた。
「今あんた、私が着ても大丈夫そう、なんて思ったでしょ」
「……別に」
「ほんとこういうのは分かりやすい子なんだから」
少し呆れたように笑う千花ちゃん。なんだか少し悔しい。
「じゃ、行ってきます」
「一人?」
「うん」
「友則とか呼べばいいのに」
「いいよ」
あいつは私じゃなくて千花ちゃんをご所望だよ。なんて言わない。
ていうか、あいつ誘ってないんだ。千花ちゃんの格好はどう見ても行く気配無さそうだし。何やってんだか。
しばらく歩くとお祭りの広場に到着した。既に人が賑わっている。たぶん、余所からも来てるんだろう。
適当に出店で買い物したり、射的とかで遊んだり。思えば、こういう風に遊ぶのって、何年ぶりだろう。気付いたらいつも部屋に閉じこもって、勉強ばかりしていた。楽しくないのに、自分の為って言い聞かせて。
間違っていたとは思わない。でも、もっと他の過ごし方があったはず。そんなこと考えながら、ぶらぶらと歩いた。
「友希?」
ふと名前を呼ばれた。その方を向くと、友則がいた。
「珍しいな、一人で」
「あんたこそ」
「……浴衣、着るんだな」
「悪い?」
「いや別に」
「あっそ。で、あんたは何してんの?」
「ああ、ちょっとな……」
歯切れが悪い。誰かといるでもなさそうで、なんでここにいるのか全く分からない。そんなこいつを見ていても、正直楽しくない。
「私もう行くから」
「ああ」
特に引き留められるわけでもなく、友則から離れていった。
日が落ちて辺りが暗くなってきた。お祭りはここからが本番なんだろう。けど私はあそこへ行くことにした。
光の無い夜の山道。正直怖い。スマホのライトで足下を照らしながら、なんとか階段を上った。
そして着いたとき、辺り一面、淡い輝きに包まれていた。
様々な色が淡く光っては消え、また光って。まるで来たことを喜んでくれているような。
「どう?」
その中から、彼が、リトが優しい笑顔で迎えてくれた。
「すごい……」
「気に入ってくれて良かった」
やっぱりリトがしてくれたんだ。その事がとても嬉しく思えた。
もっと見たい。色々な景色を、世界を知りたい。
「リト」
「うん」
「もっと、見てみたい」
「いいよ」
私のおねだりをとても嬉しそうにしている。それがすごく照れる。
リトは少し離れて、静かに息を吐いた。瞬間、辺り一面が輝きだした。
光で出来た蝶や鳥が羽ばたいて、地には輝く花が辺り一面に咲き誇って。光の花びらが上への舞い上がる。とても幻想的で、綺麗だった。まるで、この世界のものとは思えない光景。
「リトは、どういう人なの?」
私と同じ普通の人とはもう思えない。どこか違う世界の人って言われた方が納得いく。けど、それでも良いって思った。
「もっと、すごいの見せてあげるね」
そう言って静かに私に向けられた手を迷わず握った。
瞬間、世界が暗転した。
その先に広がった光景は、小さな星々が瞬くほどの輝きを灯していて、そこにいる誰もが笑顔で満ち溢れていて、みんなが幸せそうだった。
この世界じゃないような。ううん、きっと、違う世界の出来事なんだって感じた。だってここには、不安も怖さも無い、みんなが笑顔になれる未来があった。
「僕は、ここへ還りたいんだ」
「リトは、ここの人なの?」
何も言わなかったけど、リトの目が伝えてくれた。ここに在るべきなんだって。
リトが求める世界が羨ましかった。ううん、私もほしかった。そこにいたいって。
私も、もっと笑顔で、幸せでいたいから。
「私も、ここにいたい……」
リトに伝えた。私は、リトと、ここにいたいって。
「うん、いこう」
その言葉と共に、握ってたリトの手をもっと意識した。この手を離さないようにって。
意識が遠のいていくような感覚。同時に、まだ知らない新しい世界へ引き込まれるような感じ。
ここに行けば、きっと私は、もっと私でいられる気がする。
行きたい、ここへ。私は、もっと私でいたい。私が私を好きでいられるところにいたい……。
「大丈夫。僕がいる。君を守るよ」
「リト……」
うん。リトがいてくれる。私は大丈夫。このまま、リトに任せて……。
「行くなっ!!」
私たちではない、必死な叫び声をキッカケに世界が崩れる。崩れたっていうのはそう感じただけで、実際はリトの作った幻想が消えただけ。
ただ、そういう問題じゃない。誰が?その疑問は、視線のすぐ先にあった。
「……なんで、止めるの?」
「行かせねぇよ」
絶対揺るがないっていう気持ちが強く滲み出ていた。止めるように、力強く手で抑える。
「そんなの望んでない」
「俺だってそんなの望んでねぇ!なんで勝手に行く!なんで俺等を信じられねぇんだ!!」
見方によってはどっちも身勝手な考えで。でも、お互い確かな想いがあった。
もしそれを言葉にするなら、悲しみ。
一人は、悲しいから行く。
もう一人は、悲しくなるから行かせない。
「信じてるよ。でも、行きたいんだ」
「信じてんなら、なんで……」
二人とも今にも泣きそうな声で自分の意思をぶつけ合う。お互いそれが正しいと思ってるから。
そう、正しいと。
私は、それが分からない。
友則がリトの肩を、どこにも行かせまいとする強さで掴んでいるのを見ても、その本当の理由が分からない。
なぜ友則がここにいるの?リトと友則は知り合いなの?
私はどうすればいいの?何が正しいのか分からない。
分からないけど、なんとなく感じる。このままじゃいけないって。
だから、迷ったけど、私は。
「リト」
「ユキ……」
「やっぱ、だめだよ」
私はリトの手を優しく握って、そう返した。
「……どうして?」
「だって、あなたを引き留めてくれる人がいるんだもん」
理由も正解も分からない。でも、もしここで行ってしまったら、きっと誰かにずっと消えない悲しみを残してしまう気がしたから。それは、ダメだって感じた。
「だから、ここに居よう?」
縋るように、リトの目を見て言った。
「……ずるいよ」
そう言ってリトは私の手を解いた。
「リト。私は、何も知らない。ここに居る方が辛いのかもしれない。でも、やっぱ今のまま行っちゃいけないと思うの。だから」
一度息を整えて、言った。
「私も、ここに居るから……」
*******
「悪かったな」
山道の階段を降りきった頃に、友則がやっと口を開いた。
「……知ってたの?」
「あいつが消えようとしてたのは。けど、お前と会ってたのは知らなかった」
「てことは、リトのことはずっと前から知ってたの?」
「ああ」
やっぱり。少しして、また口を開いた。
「あの神社、昔はもっと賑わってた。でもあいつの両親が事故で亡くなってから、親族が最低限の管理をする程度で。暫くして、誰も来なくなった」
それを聞いて私は何も言えなくなった。
リトの見せる力は、彼をこの世界の人じゃないように感じさせてた。でも違った。彼は私と同じ人だった。
「あいつは昔から不思議な力があってな。両親が言いつけてたから、俺や千花くらいしか知らなかったけど。でも、あの力で、違う世界を見たっぽくてな」
たぶんそれは、私が最後に見た世界だと思った。
「家族がいなくなってふさぎ込んだあいつは、俺たちから離れていった。ずっと悪い予感はしてたんだ。今年は一度も会えなくて、もしかしてと思ってた」
「そして、あの場に着いたわけ」
「ああ。まさかお前までとはな」
ここに来て友則がずっと一人で行動していた理由が分かった。リトを探していたんだ。
「止めてくれてありがとな」
「……あれでよかったのかな」
「分かんねーよ。でも、友達に消えてほしくなかった」
それを聞けて、少し安心した。私のしたことは間違いじゃ無かったんだって。
「でも、どうして私だったんだろ」
「ん?」
「もし一人で行くなら、初めて会った私じゃなくて、千花ちゃんや友則の方が良かったんじゃって」
もしかして私だったら消えて平気って思ったのかな。
伺うように友則を見ると、心底不思議そうに見ていた。
「お前、覚えてねーのか?」
「何が?」
何言ってるんだろう。この数日の出来事を簡単に忘れるわけないでしょうに。
「なんだ。だとしたら、あいつ、まだまだだな」
「だから、何が」
「……お前、一度あいつと会ってるぞ」
へ?いつ?記憶に無いわよ。でも友則が嘘をついているように思えなくて。
「昔こっち来たとき、俺たちと遊んだと思うけど、一度俺たち以外のやつがいなかったか?」
「うーん……。もしかしたら、いた?でも……」
「いたよ。それが、あいつだ」
そう言われて、ふと、思い出した。口数が少なくて、儚げで、透き通っていて。そんな子がいた。そしてこの数日の記憶と照らし合わせると。
「あ……」
「そゆこと」
「そんな……」
「あの時も、お前が止めてくれた」
それ以上は言わなかった。きっと思い出せってことなのかな。
そうしている内に、祖父母の家についた。
「今日のことは」
「大丈夫。言わない」
「助かる」
そうして友則と別れた。
もうすぐ日付が変わるくらいの時間帯に、今日の事を振り返った。不思議すぎて目まぐるしくて、でも、楽しかったって……。
*******
四日目。昼前に出発して、父が運転する車に乗りながらぼうっと考えてた。
思えばこの四日間、全然勉強してない。でも、そんなのどうでもよく感じられた。
だって、勉強はいつでもできる。でも、あの日の出来事は、あの日だけだったから。
だから私は、またリトに会いたいって思った。
勉強も受験もただの通過点。大事なのはそこじゃない。
会いたい人がいて。その人と今度こそ向き合いたい。だから、頑張りたい。
この夏の小さな出来事が、かけがえのない未来に繋がるために。
私は、今度こそ彼と笑顔で過ごしたいと思った……。
夏の日の淡き幻想 伊藤紗凪 @sana_ito
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