夏の日の淡き幻想

伊藤紗凪

本文

 車に揺られて数時間。気付くと外の景色は閑静な住宅街から一面緑になっていた。要は、田舎の風景。

 毎年連休のどこかで、祖父母の住むこの町へ帰省を兼ね家族とやってくる。それ自体は構わないのだけど、今年に関しては私は不満を持っていた。

 中学三年生の夏休み。既に受験が始まっているこの時期に、なんで三泊四日で出かけなければならいのか。塾の夏期講習だってある。そっちに出る方が絶対有意義だ。なのに両親に半ば強引に連れてこられた。

 塾からはその分の大量の課題。勉強には困らないけど、そう言う問題じゃない。正直、落ち着かない。


「友希。もうすぐ着くわよ」


 母さんの声で意識を切り替える。あれこれ考える時間は終わり。さすがに祖父母に不満な態度を見せるわけにはいかないし。

 そうして着いた家。古めかしくも大きな家。毎年のことながら、圧倒される。


「いらっしゃい。よく来てくれたねー」


 荷物を降ろそうとしていると、おばあちゃんが出迎えてくれた。約1年振りの表情は、とてもにこやかだった。


「ただいま母さん」

「おかえり」

「お世話になります」

「もう、いいのよ遠慮しないで」


 親子の会話を余所に、私は荷物を降ろす。小さい頃は飛びついて喜んでいたけど、今は、ね。

 早く勉強したい。とっとと受験終わらせて、楽になりたい。

 喉かな田舎の空気が、苦しかった……。


「友希ちゃんお疲れ様。お茶でいい?」

「あ、うん」


 居間に座ってすぐ、伯母さんに声をかけられた。

 都会に出た父さんと違って、伯母さん夫婦はここに住んでいる。私を実の娘の様に可愛がってくれる、良い人達。

 けど、年に数回しか会わないから、なんか今は居心地が悪い。

 早くお茶もらって、一人になりたい……。


「辛気くさい顔してるわね」

「千花ちゃん……」


 そんなとき声をかけてきたのは、三つ上の従姉の千花ちゃん。

 私と違って快活で物事をハッキリという、根っからのお姉さん。


「別に」

「どーせあんたのことだから、受験とか、そういうの気にしてんでしょ」


 図星。小さい頃からこの人には隠し事が一切できない。そして私がまだ答えを言ってないのに、それが正解だというようにケラケラと笑っている。


「どの高校に入るかは、重要でしょ」

「たったの三年で何が変わるの?良い高校入れたって、楽しめなきゃ無駄無駄」


 当然の様に言う。それがちょっとムカつく。けど反論できるものが何も無い。


「楽しむためには、やっぱ良い高校入って安心しなきゃ」

「そう考えてるうちは何も変わんないよ。ほんと、堅物なんだから」


 あなたが軽すぎるだけよ。そう言いたいけど、言えない。私はただ黙るしかなかった。


「……やっぱ、今日ここ来てくれて良かったわ」

「え?」


 唐突に何を言うの?さっぱり理解できない。


「あんたさ、余裕なさ過ぎ」

「!?」

「自覚はあるんだ」


 優しそうで寂しげな目を向けてくる。そういうの、やめてほしい。だって、簡単に見透かされている感じで、自分が薄っぺらく感じる。


「叔父さんと叔母さん、たぶん分かってるよ。だから無理矢理だけど連れてきたんでしょ」

「そんなの……」


 なんとなく、気付いていた。少しは気分転換しろ、てことくらい。

 でも。


「私は、要領良くないから」

「……はいはい」


 そこで会話は途切れて。伯母さんがくれた冷たいお茶を静かに飲んで。少し遅めのお昼ご飯は、みんなの会話を聞きながら黙々と食べた。


 食休みを兼ねて勉強しようと思っていたときだった。


「少し歩いてきたら?」


 千花ちゃんが唐突に言ってきた。


「へ?」

「長時間の移動で疲れたでしょ。今日くらい、勉強休んだって大丈夫でしょ」


 そうあっけらかんと言う。

 その態度に何となくムッとしたけど。でも普段より勉強する気が起きてなかったのも事実で。


「分かった」


 どうせなら、と思って。私は外へ出た。

 暑い日差し。あちこちに響く虫の音。灼熱に揺れる陽炎。ああ、本当に田舎の風景だ。懐かしさと同時に、煩わしさを感じる。

 どこへ向かおう。行き先も分からず、歩き始めた。


「あれ?」


 そんな時、ふと懐かしい声が聞こえた。


「もしかして、友希じゃね?」

「……なんだ、友則か」

「なんだはねーよ。全く」


 そう言いつつカラッと笑う男の子。あの家の近所で、千花ちゃんの一つ下の幼馴染の、友則。

 一応私より二つ年上だけど、上下考える前からの付き合いだから、先輩って感じじゃない。


「今年も来たんだな」

「無理矢理ね」

「それでもいいじゃん」


 何がいいのかよく分かんない。こいつ、ほんと単純だ。


「一人?千花は?」

「家」

「あ、そう……」


 そう言って明後日の方向を向く。あー、ほんと、分かりやすい。こいつは昔から千花ちゃんの事が大好きなんだ。私がいれば千花ちゃんがいるって勝手に思ってる。

 別にいいけど、そんなに好きなら早くしろっての。


「じゃあね」

「なんだ、もう行くのかよ」

「いいじゃん。特に話す事ないでしょ」

「いやいや、近況報告とかさ」

「どーでもいい」


 友則には悪いけど、長話する気はなかった。あいつの声を無視して歩き出す。

 幸い、追ってはこなかった。あいつのくせに、気遣いできるようになったんだ。少し関心した。

 当てもなく、ふらふらと歩く。暑くて、もう帰った方がいいのかなと思ったけど、なんかそういう気にもなれなかった。

 ……ほんと、何やってんだろ。やっぱ塾か、せめて家で勉強していたかった。


 -こっちへ……-


 そんな時だった。ふと、声が聞こえた気がした。


「誰?」


 周りを見ても、誰もいない。人が隠れている様子もない。空耳?でも、確かに聞こえたような気がした。

 なんだったんだろう。そう思って改めて周りを見ると、横に山道へと続く大きな階段があった。

 山道じゃない。しっかり作られた石造りの階段に、その途中には大きな鳥居。山の奥に神社があって、そこへの階段だと分かった。

 ……どうせ行く先もないんだから。と思って、階段に足を踏み入れた。

 木々が生い茂っていて分からなかったけど、この階段、思った以上に長い。あと坂が急だ。すっごく息が上がる。行くんじゃなかった。でもここで引き返したらなんか悔しい。

 そうして上ること数分。やっと目的地に着いた。

 そこには神社と言うには小さいお社。なんだ、こんなもんか、と思っていたら。


「……っ」


 目の前に、人がいた。

 ううん。ただいたんじゃない。その人は、輝いていた。

 比喩表現かもしれない。けど、私の目には確かに輝いていたように見えたの。

 太陽に照らされた髪は白銀色のように煌めいていて。透き通る白い肌は陽の熱さえ装飾にして。すらりとした体躯はまるで生きた人形のように綺麗で。

 まるで人間とは思えなかった。


「……どうしたの?」


 振り返って目が合った瞬間、そう声をかけられた。

 私は色んな意味でびっくりした。

 まず、後ろ姿じゃ分からなかったけど、その人は男の子だった。たぶん、私とそう変わらないくらいの年齢。

 そして、綺麗だった。

 整った顔立ち。私に柔らかい視線を向ける目は、まるで宝石のように感じた。

 何?こんな人、本当にいるの?

 あまりにも現実的じゃなくて、私は夢を見ているような錯覚にとらわれていた。


「お人形さんみたいだね」

「……え?」

「何も言わずとも、ただ、そこに美しく在るから」


 な、何を言ってるの?お人形さんとか、美しいとか!

 ば、ばかじゃないの!?私のようなのが。目が狂ってんじゃないの!?あれか、新手のナンパか。それとも悪い宗教の勧誘か。


「困ってる。いや、戸惑ってるのかな」

「な!?」

「そういう所、可愛いよ」


 な、なななななななな!!

 ほんとこの人は、何言ってるんだ!?あれだ、きっと私をからかって遊んでるんだ。そうと分かれば私も落ち着こう。


「……初対面の人に変なこと言わないでください」

「……」

「あまりにひどいなら、警察呼びます」

「本当のことだけど。うん、今日はもう言わないよ」


 あっさり引き下がってくれた。けど、本当のことって。なんか、調子狂う。


「ね、最後に一ついいかな?」

「何ですか?」

「ここは、どう?」

「どうって?」


 この小さい神社のこと?思ったより大した事なかった、が率直な感想だけど。

 でも。うん。たぶんそうじゃない。

 ここの雰囲気や空気。そういうのなら。


「安らぐ、かな」

「……ありがとう」


 そういって、彼はとても優しく嬉しそうな笑みを私に向けた。

 そういうの、すごく、ずるい。何かあるって思っても、ドキッとくる。

 なんか、このままいるのが落ち着かなくて。私は駆け足で来た道を戻った。

 階段は急だから駆けれないけど、追ってくる感じはないから、たぶん大丈夫。

 けど、きっとそういう問題じゃなくて。なんだか心臓の鼓動が落ち着かない。なんで、どうして?

 よく分からず、私は下山した後、走って祖父母の家へと戻った。


*******


「はぁ」


 広い湯船に浸かりながら、あの時のことを考えていた。あれは一体何だったのかな。

 不思議な人だった。神秘的で、この世の人とは思えなかった。

 まるで幽霊みたいな表現だけど、そうじゃなくて、他の人たちとは違う何かがあった。

 もし神様や天使って言われても、きっと信じちゃう。そんな感じ。


「……何考えてるんだ、私……」


 突然恥ずかしくなった。顔の熱が引かない。まだお風呂から出られそうにない……。


*******


「お祭り?」

「そ。明日」


 朝、千花ちゃんから唐突に聞かされた。


「折角だから行きなよ。浴衣なら貸してあげるよ」

「いらない」


 浴衣なんて恥ずかしい。それに私になんて似合わない。あと、千花ちゃんは私より身長が高い。サイズが合わない。


「全く、可愛げがないんだから。折角可愛い顔してるのに、勿体ないぞ」

「別に、可愛くなんてない」


 正直、可愛いとか言われるのは苦手だ。人付き合いが苦手で、愛想も良くない。可愛いとか言われても、疑ってしまう。だから、昨日のあれも。


「……どした?」

「べ、別に!」


 変に意識してしまった。


「ちょっと散歩してくる」

「はいはい、いってらー」


 このままだと余計なこと考えて、千花ちゃんに弄られそうだ。それから逃げるように私は外を歩くことにした。

 少しして、部屋に戻って勉強していればいいと気付いた。でも遅い。今戻ったら変に勘ぐられそうだ。

 はぁ。なんでこう上手くいかないんだろ。

 そう考えて歩くこと数分。道の先に見覚えのある人影を見付けた。

 もうすぐ私に近付くのに、そいつは私に全然気付かない。そのままなら何事もなくすれ違えるかな、と思ったけど、あと数メートルの位置でやっと気付いた。


「また一人か」

「悪い?」

「いや、別に」


 だったら聞くなよって思う。どうせ千花ちゃんがいるかもって思ったんだろう。でも、それにしてはどこか上の空のような感じがする。


「どうしたの?」

「あ、いや。ちょっと人を探してて」

「ふーん……」


 人探しね。こいつが周りに気付かないほど探すとか、どういう人なんだろ。ま、考えても分からないし、案外どうでもよくなってきた。


「じゃあね」

「あ、あぁ」


 歯切れが悪くてなんか引っかかったけど、友則はすぐ離れていった。何だったんだろ。考えてもしょうがなくて、また歩くことにした。

 明日はお祭りだからか、行く先々が賑やかに思えた。こんな田舎でも、ううん、そういうところだから、こういうのに熱が入るのかな。なんて、自分のこの考えが都会住まいの悪い見本に思えてくる。

 そんなことを考えながら歩いていると、昨日訪れた神社がある山にまた来ていた。

 周りと違って、ここはとても静かだった。まるで、喧噪から守られているようで。

 立ち止まって、ただ山を見ていた。


「また、来てくれたね」


 鈴の音のような声が聞こえた。私の耳の奥に優しく響く音。

 彼が、立っていた。

 陽の光を背に、まるで、この地に降り立った聖人か何か。身に纏う雰囲気が幻想的に思えた。


「おいで」


 その一言を置いて、彼は山の神社へ続く階段を上る。いつもなら付いていかないのに、私の足は自然と動いていた。彼の行く方へ。

 彼と一緒にゆっくり歩いて、神社に着いた。昨日と同じように、何も無く、でも温かで優しい空気があった。


「気に入ってくれた?」

「……うん」


 私は答えた。ここは、とても居心地が良い。包み込んでくれる優しさがある。


「前は、もっと人がいて、賑やかだったんだ」

「そうなの?」

「うん」

「どうして?」

「誰も、いなくなったから」


 寂しげな彼の目が私の心に刺さるようだった。

 目を伏せようとしたとき、目の前に彼の手が差し出された。


「その時の光景、見てみる?」


 見れるわけがない。なのに彼の言うことを信じてみたくなって、その手にそっと触れた。

 瞬間、目の前の景色が変わった。

 たくさんの人たちの賑やかな喧噪。溢れる笑顔と活気。実際に見ているような、ううん、今確かに見ている。


「なに、これ……」

「これが、ここの本当の景色なんだ」


 そして彼は手を離して。そして、さっきと同じ誰もいない風景になった。


「今の、なんだったの?」

「驚いた?」


 いたずらが成功したような可愛らしい笑みを浮かべる。思わず、ドキッとした。


「な、なんだったの!?」

「昔から、こういうことができたんだ」

「昔から?」

「うん」


 いつから、どういうことができたの?とても気になって、私は彼の事を知りたくなた。


「少し、話そうか」

「……うん」


 ずっと昔からこういう力があった。違う景色を見せること。人の夢を思い出させること。夢のような幻想的な風景を作り出すこと。そんな、お伽噺のようなもの。

 普通だったら嘘だって切り捨てるのに。でも、彼の言うことは、どうしてか信じられた。

 今さっき彼の力を体験したから、じゃない。彼の持つ雰囲気が、そうさせているのかもしれない。


「もっと、見れる?」


 また見たい。そう思ったら自然と言葉が出た。


「いいよ」


 彼は優しく微笑んで言った。それが嬉しくて、次はどんなのが見れるのか期待した。


「でも、明日がいいかもね」

「明日?」

「うん。夜の方が、もっと綺麗なのを見せられるよ」


 明日の夜。確かお祭りがある時間帯。

 そんなときに男の子から誘われる。本当ならすごく警戒して、断るべきなんだけど。でも。


「……うん。いいよ」


 私は、頷いた。もしかして、という不安より、彼の見せる綺麗な世界に心を奪われていた。

 私の返事を聞いて彼はとても嬉しそうな笑顔を浮かべた。まるで花が咲き誇ったような印象で。本当に、綺麗だと思った。


「じゃ、今日はここまで」


 そう言って彼は背を向けた。その時の空気が少し寂しげに感じられた。どうして?考えても分からない。何か声をかけたいけど、なんて言えばいいんだろう。

 分からなくて。でも何か言いたくて。そしてふと、思ったこと。


「ねぇ!名前は?」


 私は彼の何も知らない。どこの誰かさえ。だからせめて、何かを知りたいと思った。

 立ち止まって、彼は私の方を向いて。少し切ない表情を浮かべながらも、笑いながら言った。


「リト」


 聞いて、トクンッ、と心臓が高鳴った気がした……。


*******


「急に行くなんて言い出して。どういう風の吹き回し?」

「別に……」


 ここに来て三日目の夕方。私は千花ちゃんから着付けを受けていた。色々考えて、お祭りに行くことにした。私服で良かったんだけど、千花ちゃんの押しに負けてこうして着ることになった。


「よし。うん、似合う!」


 紺色の生地に花や風船があしらわれたそれは、私が着ても違和感が無さそうに思えた。


「今あんた、私が着ても大丈夫そう、なんて思ったでしょ」

「……別に」

「ほんとこういうのは分かりやすい子なんだから」


 少し呆れたように笑う千花ちゃん。なんだか少し悔しい。


「じゃ、行ってきます」

「一人?」

「うん」

「友則とか呼べばいいのに」

「いいよ」


 あいつは私じゃなくて千花ちゃんをご所望だよ。なんて言わない。

 ていうか、あいつ誘ってないんだ。千花ちゃんの格好はどう見ても行く気配無さそうだし。何やってんだか。

 しばらく歩くとお祭りの広場に到着した。既に人が賑わっている。たぶん、余所からも来てるんだろう。

 適当に出店で買い物したり、射的とかで遊んだり。思えば、こういう風に遊ぶのって、何年ぶりだろう。気付いたらいつも部屋に閉じこもって、勉強ばかりしていた。楽しくないのに、自分の為って言い聞かせて。

 間違っていたとは思わない。でも、もっと他の過ごし方があったはず。そんなこと考えながら、ぶらぶらと歩いた。


「友希?」


 ふと名前を呼ばれた。その方を向くと、友則がいた。


「珍しいな、一人で」

「あんたこそ」

「……浴衣、着るんだな」

「悪い?」

「いや別に」

「あっそ。で、あんたは何してんの?」

「ああ、ちょっとな……」


 歯切れが悪い。誰かといるでもなさそうで、なんでここにいるのか全く分からない。そんなこいつを見ていても、正直楽しくない。


「私もう行くから」

「ああ」


 特に引き留められるわけでもなく、友則から離れていった。

 日が落ちて辺りが暗くなってきた。お祭りはここからが本番なんだろう。けど私はあそこへ行くことにした。

 光の無い夜の山道。正直怖い。スマホのライトで足下を照らしながら、なんとか階段を上った。

 そして着いたとき、辺り一面、淡い輝きに包まれていた。

 様々な色が淡く光っては消え、また光って。まるで来たことを喜んでくれているような。


「どう?」


 その中から、彼が、リトが優しい笑顔で迎えてくれた。


「すごい……」

「気に入ってくれて良かった」


 やっぱりリトがしてくれたんだ。その事がとても嬉しく思えた。

 もっと見たい。色々な景色を、世界を知りたい。


「リト」

「うん」

「もっと、見てみたい」

「いいよ」


 私のおねだりをとても嬉しそうにしている。それがすごく照れる。

 リトは少し離れて、静かに息を吐いた。瞬間、辺り一面が輝きだした。

 光で出来た蝶や鳥が羽ばたいて、地には輝く花が辺り一面に咲き誇って。光の花びらが上への舞い上がる。とても幻想的で、綺麗だった。まるで、この世界のものとは思えない光景。


「リトは、どういう人なの?」


 私と同じ普通の人とはもう思えない。どこか違う世界の人って言われた方が納得いく。けど、それでも良いって思った。


「もっと、すごいの見せてあげるね」


 そう言って静かに私に向けられた手を迷わず握った。

 瞬間、世界が暗転した。

 その先に広がった光景は、小さな星々が瞬くほどの輝きを灯していて、そこにいる誰もが笑顔で満ち溢れていて、みんなが幸せそうだった。

 この世界じゃないような。ううん、きっと、違う世界の出来事なんだって感じた。だってここには、不安も怖さも無い、みんなが笑顔になれる未来があった。


「僕は、ここへ還りたいんだ」

「リトは、ここの人なの?」


 何も言わなかったけど、リトの目が伝えてくれた。ここに在るべきなんだって。

 リトが求める世界が羨ましかった。ううん、私もほしかった。そこにいたいって。

 私も、もっと笑顔で、幸せでいたいから。


「私も、ここにいたい……」


 リトに伝えた。私は、リトと、ここにいたいって。


「うん、いこう」


 その言葉と共に、握ってたリトの手をもっと意識した。この手を離さないようにって。

 意識が遠のいていくような感覚。同時に、まだ知らない新しい世界へ引き込まれるような感じ。

 ここに行けば、きっと私は、もっと私でいられる気がする。

 行きたい、ここへ。私は、もっと私でいたい。私が私を好きでいられるところにいたい……。


「大丈夫。僕がいる。君を守るよ」

「リト……」


 うん。リトがいてくれる。私は大丈夫。このまま、リトに任せて……。


「行くなっ!!」


 私たちではない、必死な叫び声をキッカケに世界が崩れる。崩れたっていうのはそう感じただけで、実際はリトの作った幻想が消えただけ。

 ただ、そういう問題じゃない。誰が?その疑問は、視線のすぐ先にあった。


「……なんで、止めるの?」

「行かせねぇよ」


 絶対揺るがないっていう気持ちが強く滲み出ていた。止めるように、力強く手で抑える。


「そんなの望んでない」

「俺だってそんなの望んでねぇ!なんで勝手に行く!なんで俺等を信じられねぇんだ!!」


 見方によってはどっちも身勝手な考えで。でも、お互い確かな想いがあった。

 もしそれを言葉にするなら、悲しみ。

 一人は、悲しいから行く。

 もう一人は、悲しくなるから行かせない。


「信じてるよ。でも、行きたいんだ」

「信じてんなら、なんで……」


 二人とも今にも泣きそうな声で自分の意思をぶつけ合う。お互いそれが正しいと思ってるから。

 そう、正しいと。

 私は、それが分からない。


 友則がリトの肩を、どこにも行かせまいとする強さで掴んでいるのを見ても、その本当の理由が分からない。


 なぜ友則がここにいるの?リトと友則は知り合いなの?

 私はどうすればいいの?何が正しいのか分からない。

 分からないけど、なんとなく感じる。このままじゃいけないって。

 だから、迷ったけど、私は。


「リト」

「ユキ……」

「やっぱ、だめだよ」


 私はリトの手を優しく握って、そう返した。


「……どうして?」

「だって、あなたを引き留めてくれる人がいるんだもん」


 理由も正解も分からない。でも、もしここで行ってしまったら、きっと誰かにずっと消えない悲しみを残してしまう気がしたから。それは、ダメだって感じた。


「だから、ここに居よう?」


 縋るように、リトの目を見て言った。


「……ずるいよ」


 そう言ってリトは私の手を解いた。


「リト。私は、何も知らない。ここに居る方が辛いのかもしれない。でも、やっぱ今のまま行っちゃいけないと思うの。だから」


 一度息を整えて、言った。


「私も、ここに居るから……」


*******


「悪かったな」


 山道の階段を降りきった頃に、友則がやっと口を開いた。


「……知ってたの?」

「あいつが消えようとしてたのは。けど、お前と会ってたのは知らなかった」

「てことは、リトのことはずっと前から知ってたの?」

「ああ」


 やっぱり。少しして、また口を開いた。


「あの神社、昔はもっと賑わってた。でもあいつの両親が事故で亡くなってから、親族が最低限の管理をする程度で。暫くして、誰も来なくなった」


 それを聞いて私は何も言えなくなった。

 リトの見せる力は、彼をこの世界の人じゃないように感じさせてた。でも違った。彼は私と同じ人だった。


「あいつは昔から不思議な力があってな。両親が言いつけてたから、俺や千花くらいしか知らなかったけど。でも、あの力で、違う世界を見たっぽくてな」


 たぶんそれは、私が最後に見た世界だと思った。


「家族がいなくなってふさぎ込んだあいつは、俺たちから離れていった。ずっと悪い予感はしてたんだ。今年は一度も会えなくて、もしかしてと思ってた」

「そして、あの場に着いたわけ」

「ああ。まさかお前までとはな」


 ここに来て友則がずっと一人で行動していた理由が分かった。リトを探していたんだ。


「止めてくれてありがとな」

「……あれでよかったのかな」

「分かんねーよ。でも、友達に消えてほしくなかった」


 それを聞けて、少し安心した。私のしたことは間違いじゃ無かったんだって。


「でも、どうして私だったんだろ」

「ん?」

「もし一人で行くなら、初めて会った私じゃなくて、千花ちゃんや友則の方が良かったんじゃって」


 もしかして私だったら消えて平気って思ったのかな。

 伺うように友則を見ると、心底不思議そうに見ていた。


「お前、覚えてねーのか?」

「何が?」


 何言ってるんだろう。この数日の出来事を簡単に忘れるわけないでしょうに。


「なんだ。だとしたら、あいつ、まだまだだな」

「だから、何が」

「……お前、一度あいつと会ってるぞ」


 へ?いつ?記憶に無いわよ。でも友則が嘘をついているように思えなくて。


「昔こっち来たとき、俺たちと遊んだと思うけど、一度俺たち以外のやつがいなかったか?」

「うーん……。もしかしたら、いた?でも……」

「いたよ。それが、あいつだ」


 そう言われて、ふと、思い出した。口数が少なくて、儚げで、透き通っていて。そんな子がいた。そしてこの数日の記憶と照らし合わせると。


「あ……」

「そゆこと」

「そんな……」

「あの時も、お前が止めてくれた」


 それ以上は言わなかった。きっと思い出せってことなのかな。

 そうしている内に、祖父母の家についた。


「今日のことは」

「大丈夫。言わない」

「助かる」


 そうして友則と別れた。

 もうすぐ日付が変わるくらいの時間帯に、今日の事を振り返った。不思議すぎて目まぐるしくて、でも、楽しかったって……。


*******


 四日目。昼前に出発して、父が運転する車に乗りながらぼうっと考えてた。

 思えばこの四日間、全然勉強してない。でも、そんなのどうでもよく感じられた。

 だって、勉強はいつでもできる。でも、あの日の出来事は、あの日だけだったから。

 だから私は、またリトに会いたいって思った。

 勉強も受験もただの通過点。大事なのはそこじゃない。

 会いたい人がいて。その人と今度こそ向き合いたい。だから、頑張りたい。


 この夏の小さな出来事が、かけがえのない未来に繋がるために。

 私は、今度こそ彼と笑顔で過ごしたいと思った……。

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夏の日の淡き幻想 伊藤紗凪 @sana_ito

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