第398話 最悪に備える
巨大な噴煙が立ち上る光景を見た『マスターズ』の面々は、これが組織の長であるユイトの行った合図だと判断した。
この時、ユイトの逃走支援に当たったのは、レオナが搭乗するヘカトンケイルと、専用のカーゴに移ったアンジェロくんである。
逃走中のユイト――つまり『マスターズ』のトップが、『シスターズ』の護衛する施設にこっそり潜入して要人を連れ出す……表ざたになると面倒なので、通常戦力は使えない。
結果としてユイト達は事前の取り決めとしてアンジェロくんの体に埋め込まれた《パフューマ―》インプラントを使うことにした。
かつてはシステムを封印して永遠に使わないつもりであったが、事情が事情なのでアンジェロくんも躊躇いがない。モンスターの誘引物質を放出して誘導し、ユイトと『シスターズ』の追跡部隊を分断するようなタイミングで引っ張ってきたのだ。
……引き連れたモンスターの群れと接触する『シスターズ』。追撃部隊から銃声が聞こえる。
「無事引き剥がせか、世話をかけたな。レオナにアンジェロくん」
「いいえ、お安い御用ですよ、ユイト様」
『……』
ところで先ほどから沈黙したままのレオナはいったい何がご不満だったのだろうか。
思わずアンジェロくんと秘匿通信を開いて密談する。
『……なぁ、アンジェロくん。さっきからレオナが一言も喋らないの怖いんだけど』
『お姉ちゃんはユイト様がおっさんをお姫様だっこしながら走っている姿にかなりイラッとしてまして』
……ライゲン=イスルギは、ヘカトンケイルの装甲の上で腰かけて遠くの噴煙を見上げていた。放心でもしたかのようだった。麻薬組織の一員、調達部門のトップにとって、麻薬の備蓄が……文字通り宝の山が灰になったのだからそうもなろう。世界で最も高価なキャンプファイアーでユイトは楽しかった。
悪党の目論見をめちゃくちゃにしてやるのは楽しい。
……しかし、お姫様だっこか。
ユイトは思った……もしかするとお姫様だっこをしたのはこれが最初かもしれない。どうだったろうか。(何せ連載も長いので作者も見落とししているかもしれない)
ユイトは内功を極めたおかげで腕力は相当だ。カレンは小柄だから問題ないし、女子として長身の部類に入るレオナはもちろん、女の子チームの中で一番身長のでかいミラ=ミカガミでさえ問題なくお姫様抱っこできるだろう。
知り合いの中で一番背丈がある上、体のかなりの部分を機械に換装した重サイボーグのオネエ、イカルガでさえお姫様抱っこできてしまう。
ライゲンのおっさんを肩で担いでもよかった。けれども、後ろから発砲されていて、至近距離を弾丸が掠めるような状況だったため、彼の頭や臓器を保護するためお姫様だっこで射線からかばうしかなかったのだ。
ああ。だがその気になれば誰だってお姫様だっこできたろうに。
、よりによって麻薬密売を仕事とする犯罪者のオッサンが初体験だったなんて。
ユイトはへこんだ。
『ユイト、緊急で耳に入れて情報をクロエから受信しました』
ヘカトンケイルに便乗して本拠地に戻る最中のことだった。ドローンによって構築されたwifiネットワークに接続した途端聞こえてくるサンの音声。思わず耳をそばだてる。
本土の『壁』の向こう側に存在する巨大曲射砲群、『ヘビーレイン』の概略図とその内部に運び込まれる砲弾。その中で最も警戒を要する対象として表示される核砲弾。
文字通り世界を滅ぼす力。
『企業の本土軍は、『ヘビーレイン』を改修し、核攻撃の準備を進めているとのことです』
さすがに背筋にじわりと否な感覚が這い上がってくる。
世界を滅ぼす力がこっちに向けられているという驚き――だが、ユイトは動じなかった。
「……まぁ、そんなもんだろうな」
『ええ、そんなところですわね』
ちょっと頭の冷えたレオナのため息が『ヘカトンケイル』の外部音声越しに聞こえる。
アンジェロくんも『来るべきものが来た』と緊張じたいはしているが、恐怖や狼狽までには至っていない。
「まぁ……企業だしな。こういう事をやるんじゃないかと思っていたぜ」
強がりでもハッタリでもない。
彼らの冷酷さや悪辣さを想えば想定の範囲内だった。
だが、だからこそ隠していた手札が生きてくる。
「サン。オーラやウーヌスをはじめ、現地人の協力者側に連絡してくれ。やつらが実際に核を使うと決まったわけじゃないが、可能性は高い。
受け入れ準備をすると。……それから、空間圧縮機能の解除も視野に入れる。お前に山ほど避難させるぞ」
『……少し感慨深いですね』
サンの言葉には、長年纏い続けてきた偽装を解くというある種の解放感があった。
そうだろうな――ユイトと共に行動を共にしてきた空中都市艦三番艦『ブルー』はようやくその本来のサイズを解放する。空間圧縮機能で巨大なトレーラーのようなサイズに偽装してきたが、それを止めたなら……非常に膨大な余剰電力が生まれるだろう。
「ガーディ」
ユイトの呼びかけに対して、空間に投影されていたサンの背中に一瞬で現れておぶさる幼女――かつてアズマミヤ都を滅ぼしかけた《破局》以前の超兵器『スカイネスト』の制御AIが姿を現す。
企業の連中は一つだけ見落としがある。
『マスターズ』の保有する戦力の中に……全面核戦争に備えて設計されたレーザー要塞、巡行ミサイルの雨から庇護する迎撃システムが残されていることを連中は知らないのだ。
「お前が俺達の切り札だ。頼むぜ」
ガーディはサンの背中におぶさったまま大きく仰け反り、両手でピースを噛ましている。
……どういう意味? と物言いたげな視線に対して、会話用インターフェイスを持たないガーディに代わってサンが通訳した。
『任せとけ、だそうです』
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