幕間 幸福の予感
そこは『上』の中でも特別な区画であった。
空中都市艦一番艦である『ノア』は増築することが難しい。部屋一室を借りるだけでも普通の人間が一生働こうが手の届かない金額がかかる場所で、トレーニングルームなどを準備するならどれほどかかるか。
さらに付け加えるならそこは富裕層が健康のために使う共用スペースでさえなく、一個人のために作られたものだった。
部屋のドアが開く。
内部に張り巡らされた絶縁物質は外部から中の人間を守るためではなく、中の人間から外の人間を守るためにある。
全身を覆う強化スーツ、保護と正体の隠蔽を目的とするフルフェイスのヘルメット。
『何か異常はなかったか』
「お耳に入れておきたいことがあります」
『聞こう』
ここ数か月、レイジ=トールマンこと
完全ではないが8、9割は回復したと思っている。
訓練の際に放出された大電力は膨大で、しばらくは空中都市艦を無補給で飛行させることができるほど。これを機に主機関の総点検を行うと言っていた機関士長の顔が思い出された。
「ヘビーレインが稼働しています。メンテナンスを行い、再度使用できるようにしたとか」
『私に頼らずにか、楽でいいが』
もちろん裏があるに決まっている。
当時の人類の総力を結集して作られた、超大型曲射砲群『ヘビーレイン』。フォーランドと本土を隔てる『壁』越しにスタンピードを食い止めるはずの巨人砲は、しかし
何せレイジ本人が飯を食い、水を飲み、健康を維持するだけで
だから、最近まで『ヘビーレイン』は最低限のメンテナンスを残して放置されていたわけだが、ここにきて使用可能にするということは、使う予定があるわけだ。
レイジも……『フォーランド』に人間がいたという真実を閲覧する権利はある。
驚きはあったが、それだけだ。
「未確定情報ですが、核砲弾もロックを解かれて運び込まれたとのことです」
『……』
それで、わかった。
企業は表向き、フォーランドの現地人を助けておくというポーズを取っているが、実際は『ヘビーレイン』が本格稼働をするまでの時間稼ぎ程度にしか考えていない。それに長年フォーランドには人間がいないというスタンスを取っていた企業の嘘も、もろともに消し飛ばしてしまえば問題がないわけだ。
……確かに、この虐殺に
核砲弾と
引き起こされる結果は灰も残らない破壊だが、罪悪感という点では大きな差がある。
……《破局》以前の刑法による死刑では、死刑執行を行う際のボタンは、複数人の執行官が同時に押すという方法が執られていた。これは人を殺めたことによるストレスを複数人で分担するために和らげるため、だそうだ。
もし相手が人類社会を脅かすモンスターであったなら
大虐殺とその殺業はレイジ一人の肩にのしかかる。PTSDを発症して今後の活動に大きな支障が出るリスクがあった。
それに対して『ヘビーレイン』は複数人が共同して運用する超兵器だ。彼らは現地人が生きているなんて知らされないだろう。
今後
……『ヘビーレイン』に装填された核砲弾が双子の弟に向けられていなければ、レイジだってなにもしなかったかもしれない。
それに……。
「レイジ様」
『なんだ』
「何か、良い事でもお有りでしたか?」
声の響き、所作の端々から……見抜かれてしまったのだろうか。
レイジは自分に良く仕えてくれる副官の言葉に、少し虚を突かれたような気持になる。
『なぜだろうな。なぜか……』
……この不思議な感覚は血縁に由来するものなのだろうか。
弟のユイトと再会して以来、レイジの神経に引っかかっている何か。恐らくは
恐らくは誰かいる、自分やユイトと同じように
『なぜか、慶事でもあった気がするんだ』
確証はないのに嬉しい。喜ばしい。
何かとても尊くて歓喜すべきものが地上に生まれ落ちた直感があるのだ。
『クロエ、ヘビーレインの稼働を『マスターズ』に伝えてやってくれ』
「……よろしいので?」
『上』の人間であっても企業の意向は無視しえない。
レイジのその言葉は彼らに睨まれる結果になるだろうが……だからといって
レイジは頷いた。
『……とはいえ、企業の卑劣な二枚舌はいつものことだ。
ユイト達も、対応策ぐらい準備しているだろうが』
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