第25話

 職員にイルミネーションを見に行くことを伝え、莉子と悠真は駅へと向かった。ケアハウスから五分ほどの距離にあるその駅では、クリスマスの特別ライトアップが行われていた。


 駅に近づくにつれ人が増えていく。さすがクリスマスイブだけあって、ようやくたどり着いた駅はたくさんの人で混み合っていた。


「凄い……」

「ホントにね」


 駅の大階段がライトアップでクリスマスに染め上げられていた。行き交う人達が足を止め光のショーに見入っている。莉子たちも同じように立ち止まった。

 けれど。


「人が多すぎてじっくり見るのは難しそうだね」

「そうだね。どこか他に……あっ」

「え?」


 辺りを見回した悠真は、ちょうど大階段と正反対の一にあるイルミネーションを指さした。


「あそこも、ライトアップしているみたいだよ」


 そう言った先には小さな教会ような場所と、それからいくつかのイルミネーションが見えた。こちら側よりは随分と人も少なそうに思える。


「行ってみようか」

「そうだね」


 頷くと、悠真は莉子の手を引いて歩き始める。反対側のそこへ向かうには、エスカレーターを下り、1階へと向かい、それからまた反対側のエスカレーターに乗る必要があった。


 下りエスカレーターにはたくさんの人が乗っていたけれど、反対方向へ向かうエスカレーターに乗る人は少なかった。

 少しだけ不安に思いながらも、悠真と一緒に目当ての場所へと向かった。


「わ、え、嘘」

「へー……これは凄いな」


 口を押さえた莉子の隣で、悠真も思わずといった様子で感嘆の声を上げていた。


 まるで木から涙が流れ落ちているようなもの、隣のビルの壁に映写されたもの、トナカイやサンタといったライトアップされた置物たち。どれもとても綺麗だったのだけれど、中でも――。


「ロマンチックだね……」

「ホントに……」


 そこは下から見た小さな教会の場所のようなところだった。実際にそこにあったのは、教会と言うよりは鐘をつくための場所だったけれど、ライトアップされており幻想的な雰囲気が広がっていた。

 

「結婚式を挙げた後の新郎新婦がここで鐘を鳴らすんだ」


 スマートフォンの検索画面を悠真が莉子に見せた。そこには『出発たびだちのプリエ』と書かれており、ウエディングドレスとタキシード姿の男女が写っていた。


「こんなところがあるって知ってたの?」


 あのとき、辺りを見回して初めて気付いたにしては手間取ることなく答えを言う悠真に疑問を覚えた。悠真は莉子の問いに一瞬視線を逸らすけれど、肩をすくめて笑った。


「そういうところだけ鋭いんだから」


 悠真は莉子の肩を掴むと、そっとその目を見つめる。あまりの距離の近さに、莉子の心臓は痛いぐらいに鳴り響く。真剣な表情で莉子を見つめる悠真の目をまっすぐに見つめることができない。


「ホントは、さ。何かプレゼントをしようと思ってたんだ」

「え?」

「クリスマスプレゼント。……でも、やめた」


 悠真の顔がだんだんと近づいてくる。こんなに近くて悠真はドキドキしていないのだろうか。莉子だけなのだろうか。それとも本当はドキドキしていて、なんともないフリをしているだけなのか。けれど、そうだとしたら悠真の心臓は――。


「はる――」

「黙って。ね、莉子の初めてを、俺にちょうだい」


 莉子の言葉を遮ると、悠真は――莉子の唇に口づけた。


 触れるだけの、冷たいキス。


 なのに、涙が出るぐらいに優しかった。


 悠真は莉子からそっと身体を離す。莉子の真っ赤に染まった顔を見て、おかしそうに笑った。


「顔、真っ赤だ」

「あっ……たりまえでしょ……!」


 口元を押さえた莉子を、悠真は嬉しそうに笑う。恥ずかしくて心臓が痛くて、今すぐこの場所から逃げ出してしまいたいぐらいだった。


「可愛い」

「可愛くない!」

「可愛いよ。凄く可愛い」


 悠真はそっと伸ばした手で莉子の頬に触れる。冷たい指先が、熱くなった莉子の頬に気持ちいい。


「もう一回してもいい? クリスマスプレゼントってことで」

「バカじゃないの……」

「何か贈ろうかと考えたけど、これが一番いいかなって。莉子が、俺の最初で最後の恋人だから」

「……っ」


 嫌なわけがない。好きな人と唇を重ねて嬉しくないわけがない。けれど、それ以上に――。


 頷いた莉子の唇に悠真もう一度優しく唇を重ねた。


 ファーストキスはもっと甘酸っぱいものだと思っていた。けれど、二人が交わしたキスは、甘く切ないものだった。


「……っ」

「え……?」

「あ……」


 唇を離した悠真が、突然心臓を押さえてうずくまる。苦しそうな表情に莉子は心臓が凍り付くように冷たくなるのを感じた。


「悠真くん!?」


 慌ててしゃがみ込むと、悠真の背に手を回す。


 苦しいのだろうか。痛いのだろうか。


 でも、どうして。余命宣告された日までまだ一日あるはずなのに。


 まさか、今のキスが……?


「悠真くん!」


 泣き叫ぶ莉子に――悠真は顔を上げた。


「なんちゃって」

「……っ!?」

「嘘だよ。ビックリした?」

「…………」

「莉子? あ、ごめん。怒った? ごめんね?」


 黙り込んでしまった莉子に、悠真は慌てたように両手を合わせる。それでも莉子は何も言うことができなかった。


 怒るとか悲しいとか、そんな感情より、なにより――。


 莉子は悠真のコートの裾を震える手でぎゅっと握りしめた。


「よか……った」

「……ごめん」

「悠真くんの、ばか……」

「うん……。ホントごめん。……ごめん、ね」


 悠真の腕が莉子の身体をそっと抱きしめる。腕の中で莉子は悠真の鼓動の音を聞いた。明日には止まってしまう鼓動の音を、全身で覚えておくかのように。




 翌日は朝から雨が降っていた。しとしとと降り続ける雨のせいで、天気予報で表示されている気温よりも随分と寒く感じる。


 夜には雪に変わるかも知れない、とテレビの中のキャスターが言っている。クリスマスに初雪だなんてロマンチックですね、そんな言葉を聞きながら、きっとその雪を悠真と見ることはないのだと感じる。


 最期の日だということもあり、この日だけは悠真の両親もケアハウスにやってきていた。莉子は遠慮した方がいいのでは、と思ったけれど、悠真が「いてほしい」と言ってくれたのでいることにした。悠真の両親たちも、悠真の願いなら、と赤の他人である莉子がこの場にいることを受け入れてくれた。


「もう少し、ですね」


 モニターを見ながら医師が言う。それまで早かったはずの鼓動が、まるでカウントダウンを始めるかのようにゆっくりと下がっていく。


「苦しくはないですか?」


 医師の問いかけに、悠真は「はい」と微笑む。その返事に医師は頷くと「残りの時間はみなさんだけで」とモニターを置いたまま部屋から出て行った。


「残りの時間がこんな感じでわかるってすごいね」

「はる、ま……くん」

「嬉しいなあ」


 悠真は、莉子の手をそっと握りしめる。そんな二人を悠真の両親が涙を堪えることなく見守り続ける。


「はる……ま……くん……」

「莉子」


 悠真は莉子の手を握りしめたのと反対の手で、莉子の頬に触れた。溢れる涙をそっと親指で拭いながら嬉しそうに笑った。


「父さんと、母さん。それに莉子に見送られるなんて、本当に、幸せだなぁ」

「はる、ま……く……。だい、すき。大好きだよ」

「俺も。莉子のこと、ずっと、ずっと大好きだよ」


 悠真はそう呟くと同時に、瞳を閉じた。少しずつ鼓動が0へと近づいていく。


「悠真くん! 悠真くん!」

「悠真っ!」

「あっ……ああぁっ」


 動かなくなった身体を悠真の両親は抱きしめながら、嗚咽混じりの声で何度も何度も名前を叫んだ。莉子はまだぬくもりの残った悠真の手をそっと握りしめる。


 悠真の手が莉子の手を握り返すことも、閉じられてしまったその口が莉子の名を呼ぶことも、もう二度と、ない。


 少しずつぬくもりが失われていくその手を、莉子は涙が涸れるまで握りしめ続けた。





 開けっぱなしだったカーテンの隙間から入ってきた光で目を覚ます。気だるい身体を起こしながら、全てが夢だったらいいのにとそう思う。けれど、泣きすぎて腫れた目が、泣き叫びすぎて枯れた喉が、昨日の出来事が全て現実だったと思い知らせる。


 悠真はもう、この世界に、いない。それでも日は昇り、一日は始まる。


「うっ……ふ……」


 気付けば莉子の目から涙が溢れ、頬を伝いベッドにシミを作る。必死にパジャマの袖で拭う莉子の脳裏に、悠真の言葉がよみがえる。


『笑ってても泣いてくれてもいいんだ。俺のことを思い出して、それで俺のことを想ってて』


「泣いても、いいんだよね……」


 悠真との思い出が莉子の中に溶けていつか一つになるその日まで。


「ね、悠真くん」


 莉子は机の上に置いた写真立てに声をかける。そこには、悠真と二人で撮った写真が飾ってあった。たった一枚だけ、水族館に行ったあの日に二人で撮ったあの写真。それが莉子の手元にある、唯一の悠真との思い出だ。あとは全部、記憶の中にしか悠真はいない。それはきっと、悠真がそうであるようにと望んだから。


 莉子の手元に、思い出を残してしまわないように、と。


「ズルいよ、悠真くん……。ホントに、ズルい……」


 溢れる涙を何度も拭いながら、莉子は学校へと向かう準備をする。いつも通り弁当を作り、そして家を出た。


 いつもなら門を出たところで悠真が待ってくれていた。けれど、今はもうそこには誰の姿もない。


 悠真と二人何度も歩いた通学路を、一人で歩く。つい隣に話しかけそうになるけれど、ぽっかりと空いた左側が妙に寒くて、辛くて、悲しい。


「莉子!」

「……え?」


 遠くから、莉子を呼ぶ声がした。


 そんなわけがない。そう思いながらも、一瞬期待して顔を上げた。


「りこちん!」

「あ……」


 けれど、そこにいたのは悠真、ではなく――涙で顔をぐちゃぐちゃにさせた美春の姿だった。


 心配そうに駆け寄ると、美春は莉子の身体を抱きしめた。


「りこちん! りこちん! はるくんが!」

「あ……えっと、うん」

「りこちん……?」

「……っ」


 昨日の出来事を、美春にも伝えなければと思った。悠真の病気のこと、悠真の最期。莉子しか知らない秋から冬の話を、伝えなきゃいけないと。友人だった美春にも、きっと知る権利はあるはずだから。

 でも――。

 

「あっ……ああぁっ」


 まだ思い出になんて、できない。誰かに何かを伝えられるほど、悠真とのことは莉子の中で昇華され切っていない。


 莉子の頬を涙が伝う。アスファルトにいくつも、いくつも染みを作っていく。

 その涙を拭ってくれた悠真は、もういない。


 もう二度と触れることのない優しい手のぬくもりを思い出しながら、莉子は一人泣き続けた。


 悠真と過ごした大切な日々を胸に抱いて。



 完

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この鼓動が止まったとしても、君を泣かせてみたかった 望月くらげ @kurage0827

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