第24話

 その日の放課後、莉子は悠真に連れられて真っ白な建物の前にいた。そこはケアハウスと呼ばれる建物で、鼠動病患者が最期を迎えるための施設だった。全国に数カ所しかないその建物が莉子の住む市にあることを、この日まで莉子は知らなかった。


「最期の一週間はここで寝泊まりをすることになってるんだ」

「ここで……」

「あとどれぐらい生きられるのかを明白にして、最期の瞬間を大切な人と迎えれるようにって話だったけど、まあ早い話が突然街中で倒れて死なれて、死因が鼠動病だったって騒ぎになったときが困るからだろうね」


 口ではそう言いつつも、なんとなく悠真はこの施設を気に入っているように見えた。


 施設の周りには色とりどりの花が咲いている。綺麗に手入れされたそれらのおかげで、ここが死を迎えるための施設だなんて、言われなければわからないだろう。


 ……もしかすると、そのためにそうされているのかもしれない。


 当事者になればこういう施設が近くにあることを有り難く思うだろう。家族が会いに来るにも負担にならない距離にあるときっと助かることも多い。


 けれど、死を迎えるための場所が自分たちの住む街に、すぐそばにあるということを受け入れられない人がいるであろうことも想像に難くなかった。


 葬儀場の建築に反対する人がいる、そんなニュースを莉子も見たことがあった。誰しもいずれ自分や自分の家族がその場所を必要になるということがわかってはいても、いざ身近な場所にできるとなると心情的には拒絶したくなるのかもしれない。


 立ち止まったままそんなことを考えていると、悠真は不思議そうに首をかしげた。


「どうしたの?」


 尋ねられたところで、正直に今思っていたことを伝えることはできない。


 なんとかごまかそうと、先程ふと思ったことを聞いてみることにした。


「あ、うん。えっと、なんかここのこと、そんなに嫌いじゃないような口ぶりだったから」

「あー……まあね」


 割り当てられた部屋のドアを悠真は開ける。どうやら外から入れるようになっているようで、『B号室』と書かれたドアの向こうはワンルームの部屋になっていた。

 こぢんまりとしてはいるが、シンプルで綺麗な部屋だ。ただ。


「何もないね」

「まあ、死ぬための部屋だからね」


 さらりと言われたその言葉に、自虐的な空気や投げやりになっている様子は感じられなかった。


「さっきの、ここのこと俺が嫌いじゃないみたいだって莉子言ったでしょ? ここならさ、誰に迷惑をかけることも心配と不安で泣かれることもなく過ごすことができるから」

「あ……。ご両親……?」

「そ。まあ二人の気持ちもわかるんだけどね。でも、残していく俺としては、ああやって泣かれるたびに申し訳ないことをしたって思い続けるんだ。それよりはこうやって一人でケアハウスに入るほうがずっと気が楽だよ」


 悠真の気持ちがわからないでは、ない。思い出すのは明日音の葬式。あんなふうに泣き崩れる両親を思い浮かべたら、寂しくても一人でケアハウスに入る方を選んでしまうかもしれない。


「それにさ、ホントはここでゆっくりとした時間を過ごす方がいいみたいなんだけど申請さえすれば職員さんが一人付くっていうのが条件で外出も自由にできるんだ」

「そうなの?」

「うん、だから」


 悠真は柔らかく微笑むと、莉子の手を取った。


「あと一週間、俺といっぱいデートしてください」


 涙がにじみそうになるのを必死に堪えると莉子は満面の笑みで頷いた。大好きな人と過ごす最期の時間に寂しさを抱きながら。

 

 


 その日から一週間。莉子と悠真はいろんなところに行った。毎日、遊び歩く莉子に両親はいい顔をしなかったけれど――。


「二学期の終わりまで学校を休みたい?」


 夜、父親が仕事から帰ってきたあと、たまたま日勤だった母親と莉子の三人でテーブルについた。莉子の言葉に、母親は黙ったまま、父親は驚いたように目を見開いた。


「何を馬鹿なことを……!」

「まあ、あなた。……ねえ、莉子。何かあったの? 秋ぐらいまでは学校のことで莉子がしんどそうだったから心配してたんだけど、最近は楽しそうに行ってたでしょ? だから、お母さんよかったなって思ってたの」

「それ、は」


 上手く隠していたつもりだったのだけれど、気付かれてしまっていたようだ。あの時期、真凜たちのグループにしがみついていたあの時期は、学校に行くのが嫌で嫌で仕方がなかった。


 それでも、休めば次の日からハブにされてしまうのではないか、そう思って必死に毎日学校へと通った。……今とは正反対の日々だ。あの日々から抜け出させてくれたのは、紛れもなく――。


「前は、友達のことでちょっとしんどくて……。でも、今は大丈夫。心配かけてごめんね」

「子どもなんてね、親に心配かけるものよ。……それで? じゃあ、どうして学校を休みたいの?」

「……大事な人がいるの」


 莉子の言葉に、父親は勢いよく立ち上がる。その拍子に、ガタンという大きな音を立てて、父親の座っていた椅子が倒れた。


「そいつと過ごすために学校を休むって言うのか」

「……そう」

「ふざけるな!」

「あなた!」


 怒鳴る父親の腕を母親が掴んだ。けれど、怒られたって構わない。もう悠真には時間がないのだ。一緒に過ごせる時間は限られている。


「莉子」

「……っ」

「何か理由があるなら、話して? あなたが恋愛に夢中になって周りが見えなくてこんなことを言い出したなんてお母さんには思えないの。だって莉子だもの」

「あ……」


 その瞳に込められているのは、信頼だった。


「……鼠動病、なの」


 莉子はぽつりと呟いた。『鼠動病』という単語に、両親が言葉を失ったのがわかった。


「だから……」

「……いつ、なの?」


 母親は悲痛な面持ちでそれだけ言う。莉子は泣きそうになるのを必死に堪えると、どうにか声を絞り出した。


「一週間後、だって」

「……そう」


 母親はそれ以上何も言わなかった。父親は眉間に皺を寄せたまま腕を組み目を閉じている。重苦しい空気がダイニングを包む。カチコチと時計の針の音だけが鳴り響いていた。


 どれぐらいそうしていただろう。「んんっ」と父親が咳払いをしたかと思うと、母親がふっと微笑んだ。


「好きにしなさい」

「……いいの?」

「ええ。その代わり、あなたもそれからあなたの大事な子にも、後悔の残らない日々を送りなさい」

「ありが、とう」


 最後まで父親が何かを言うことはなかった。けれど、自分の部屋に戻ろうとした莉子に母親が「お父さんが『莉子が傷つかなければいいんだけど』って心配してたわよ」と教えてくれた。父親の態度もまた、莉子を想ってのことだったのだとわかる。ただ、それでも今は、傷つくことになったとしても悠真のそばにいたかった。

 



 次の日から、莉子と悠真はいろんなところへと行った。冬の海、映画館、美術館に博物館。二人で一緒にいられるならどこでもよかった。


 終わってしまう命を前に、なんとか思い出を作ろうと必死だった。


 まだ一週間もあるはずだった。もっともっとたくさんの場所へ行けると思っていいた。けれど、時間は確実に流れていく。どんなに拒んでも、無情にもその日は確実に近づいていった。


「ねえ、莉子。イルミネーション見に行かない?」


 悠真がそう言ったのは、ケアハウスに入って六日目、余命まであと一日となった日のことだった。


 莉子は悠真の入れてくれた紅茶を飲みながら首をかしげた。

 

「イルミネーション?」


 不思議そうに言う莉子に悠真は笑う。


「今日、クリスマスイブでしょ」

「あっ」

「忘れてた?」


 そういえば、今日はクリスマスイブだ。


 カレンダーを見てようやく気付く。悠真の余命のことばかり考えていて、カレンダーの日付を意識することがなくなっていた。


「そっか、24日って、クリスマスイブだ……」

「そう。クリスマスデート、しませんか?」


 悠真の言葉に、莉子は喜びそうになって、でも不安が胸を過った。もしも、そのデートで悠真の心臓がさらに早く鳴り響いて、もっと寿命が短くなったら――。


「大丈夫だよ」

「え?」


 まるで莉子の心の不安を読んだかのように、悠真は微笑む。手に持った紅茶を一口飲んで、それから口を開いた。


「今日まで来たんだ。あと少しぐらい早くなったとしてもそれで縮まるのは1時間や2時間だよ」

「そう、なの?」

「それとも、莉子は俺とクリスマスデートしたくないの?」

「したいよ! ……でも」

「なら、しよ? ……最初で最後の、クリスマスデート」


 鼻の奥がツンとなるのを感じたけれど、悠真に気付かれないようになんとか笑顔を作る。けれど、全てお見通しとばかりに悠真は莉子の手を取る。


「ごめんね」

「謝らないで」

「うん、じゃあ……ありがと」


 ぎゅっと莉子の手を握りしめると、悠真は寂しそうに、でもどこか幸せそうに微笑んだ。莉子も悠真に微笑み返す。そんな莉子の頬を自然と涙が流れ落ちていた。

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