第4話 マネキンシンドローム

ガラス張りのドアに映る、自分の姿を見る。


そこには顔もなく、皮膚もなく、ただ白い人形が立っている。


マネキンだ。


プラスチックの上に、肌の色に似せた白っぽい布が貼ってあるような、ただの、モノ。


それは何も話さず、何の表情も見せず、ガラスの重い扉を開いた。


「いらっしゃいませ」


受付で、予約していた旨を伝える。


「はじめてのお客様ですね。嬉しいです。こちらへどうぞ」


今日は男性か。恐らく同年代だろう。彼は準備をしながら、鏡越しにこちらを見ながら言う。


「今日はどうされますか?」


鏡に映るマネキンを見る。相変わらず、何の特徴も無い、真っ白な僕。


「これくらいまで、切ってください」


今日はいつになく落ち着いた声だ。


「かしこまりました」


しばらく髪を切ってもらいつつ、他愛もない会話をした後、美容師が聞いた。


「お仕事は、何をされてるんですか?」


僕の、仕事。

鏡を覗き込む。僕は何をしている人だろう。僕の仕事は何だ?


いや、今日こそは。今日こそは、正直に答えるんだ。


「えっと…」


美容師は髪を切り続けている。


「宇宙飛行士です」


空気が、凍りつく。


自分で笑ってしまった。


なんだ、宇宙飛行士って。そんな訳あるか。


しまった。またやってしまった。でもまあ、いいんだ。なんだかもう、笑うしかなかった。


しかし、美容師は大真面目な顔で言った。


「そうなんですか。実は、僕もなんです」


「え?」


あまりに突拍子もない答えだったので、一瞬何を言っているのかわからなかった。


「この前、火星で宇宙人に会いました」


思わず吹き出す。


そんな訳あるか。


「そうなんですか。僕はこの前、木星に出張でした」


思わず会話に乗ってしまった。


「木星、寒いですよね」


美容師はぶるぶると震える動作をした。なんてユーモアのある人だろう。この日、僕らは髪を切ってもらう間、宇宙飛行士だった。


面白かった。子どもみたいな作り話を互いに披露する。土星に行ったり、銀河を泳いだり、ブラックホールを滑ったり。


あまりにも会話が弾むものだから、時間が経つのがあっという間だった。


『何にでもなれるあなたの全部が、あなた自身なんだよ』


ああ、彼女の言ったことは、正しかったな。


結局全部が僕。どうしようもない全てが、僕なのだ。


会計を済ませた後、美容師は玄関まで僕を送ってくれた。


「ありがとうございます。また、お待ちしております」


春の暖かい風が、切ったばかりの髪をさらさら撫でた。次は何になろうか。なんだかわくわくする。嬉しかったのだ。だから、こう答えた。


「はい、また来ます」

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マネキンシンドローム @hitomimur

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