第3話 ありのまま

「どうしたの、こんな夜に」


僕は逃げるように電車に飛び乗って、気持ち悪くなって駅で吐いて、酔った勢いのまま、彼女を呼び出してしまった。


「急に呼び出すなんて、あなたらしくない」


ごめんと言おうとしたけれど、どんな口調で話せばいいのかわからない。答えられなかった。


「なんかあったの?」


「…」


何か言わなければ。何か伝えなければ。足元を覗き込む。まともに彼女を見ることができない。ゴミの塊になった自分を見つめる。僕は、自分に、自信がない。


「まあいいや。いつものカフェでも行こっか」


彼女は自然に僕の手を取ると、いつものカフェに連れて行ってくれた。


彼女はいつもと同じように席について、いつもと同じように僕が頼んでいる紅茶を頼んで、いつもと同じように自分の分のカフェオレをオーダーした。


しばらくすると紅茶が運ばれてきた。花の柔らかい香りが僕を包む。


「あれ、もしかして、紅茶嫌だった?」


中々飲もうとしない僕を見て、彼女が聞いた。


「…なんで、僕が紅茶を頼むって知ってるの?」


すると彼女は、馬鹿にしたみたいに鼻で笑って言った。


「何言ってるの?いつも頼んでるじゃん。紅茶、好きなんでしょ?ここの紅茶は、日替わりで味が変わるし、色んなのを試せるから」


紅茶のカップを覗きこむ。


手が震えていて、自分の顔が見えない。


「あのさ…」


僕は紅茶を一口飲んで、その勢いで今まで起きたことを全部彼女に話した。泣きたかった。不安だった。でも泣けなかった。泣くのが自分のキャラに合うのか、わからなかったからだ。


全部話終わると、彼女はなんだそんなことかと、真っ直ぐこちらを見ながら笑った。彼女はよく笑う。いつもそうだ。僕を叱るでもなく、貶すでもない。


「私はあなたの生き方、面白いと思うよ」


彼女はコーヒーを置いて、言う。


「二面性なんて、誰でもあるものだよ。まああなたは何百面性くらいかもしれないけど。私だってそう。会社での自分と、あなたと会っている時の自分は違う」


彼女は寂しそうに言った。


「あなたは自分がいつも同じじゃないこと、よくわからないこと、嫌いかもしれないけど、それってすごく人間らしいと思うよ」


人間らしい?この僕が…?


「だってそれって、人との関わりの中でしか生きられないってことでしょう?」


彼女は続ける。


「自分一人じゃ自分がわからない。誰かと関わる中でしか、自分を見つけられない。人は一人じゃ生きられない。それの究極系が、あなたなんだよ。

自分がわからないんじゃない。あなたは今ここにいるでしょう?嘘ばかりつく、まっさらなあなたが、何にでもなれるあなたが、何にでもなれるあなたの全部が、あなた自身なんだよ」


ああ、そうか、わかった。


僕は勘違いしていた。


このゴミの塊、全部が、僕なのだ。


どれが僕か、じゃない。全部が、僕なのだ。


何にでもなれる、マネキン。どんな風にでも、演じられる。その可変性こそ、僕の全てなのだ。


「ありがとう、なんか、元気出たよ」


彼女と話している時も、仕事をしている時も、友達と会っている時も、髪を切っている時も、全部が僕なのだ。自分に自信がない、自分に向き合えない、自分がよくわからない今の僕こそが、ありのままの自分だった。


体に張り付いたゴミたちが、マネキンの肌に溶けていく。


「どういたしまして。じゃあさ…」


彼女はまたにこりと笑って言う。


「役者にならない?」

「それは断る」


残念がる彼女を見て、僕も笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る