想いの名前

 「恋が終わったら、その後の想いはどうなるんでしょう?」


 そろそろマフラーとコートを身に着けても、寒さを感じるころに、ここねはそんなことをふとぼやいた。


 明日で仕事納めだけど、残業せずにあがれた帰り道。


 冷たい風に吹かれながら、二人揃って暗い夜道を歩きながら、そんなことを話し出した。


 「はは、まだ一年も経ってないのに、過去形じゃん」


 「……そこが一番、怖いです。まだ一年ですよ? 半年ちょっと前まで、自分があんなに突拍子もないことしてたなんて信じられません」


 私の言葉に、ここねは少し口をとがらせながら、ほんのりと頬を赤くする。


 「突拍子もないことって?」


 あえて深ぼってみると、朱色の顔がさらにバツが悪そうに、すぼまっていく。見てて面白いけど、あんまり揶揄いすぎもよくないと最近学びつつある私だった。


 「えー、……唐突に恋を教えてほしいとか言ったり、まなかさんとみそのさんを無理矢理引き合わせたり……すーぐ、感情爆発して泣いちゃったり……」


 「あれはあれで可愛かったじゃん」


 「恥ずかしいのでやめてください。これでも反省してるんです。他人様の事情に首を突っ込み過ぎるのはよくないし、もっと落ち着いて話せるようにならなきゃって……」


 口をすぼめてどこかいじけたように答えるここねに、私はふむと顎に手を当てて考え込む。


 「でもさあ、その暴走がなきゃ、ここねと私はここまで仲良くなってないじゃん?」


 「そーですけど……。ふとした瞬間に想いだしたら、自分のあほっぷりに喚きたくなります」


 「恋をすると、脳が変わっちゃうんだってねえ。正常な判断ができなくなる、だからまあ、三年しか持たないって言うんだろうけど」


 「私も三年ももちませんでした、もう既に恥ずかしいです」


 「あら、恋が覚めちゃった?」


 「すっかり、もうどうやったらあんな無茶苦茶できるのか、わかんなくなってますもん」


 「まあ、それは私もそうかも。初恋の頃とか、どんだけ浮かれてたか」


 「はー、想いだすたびに身体がぞわぞわします」


 「ちがいない」


 そうやって、二人、夜道を歩いてた。



 いつかの日。



 焦がれるような恋をした。



 煌めくような、燃え果てるような、自分の想いも心も身体も全てを燃料にして、焼き付けるような恋をした。


 

 もう、その恋で全てが終わっても構わないと。



 そう想うような恋をした。



 そう想い果てるほどに恋をして。



 想い果てるほど思ったのに、それでもやがて恋は終わって。



 じゃあ、残った想いは何と名前を付けるのだろう。



 全てを見失うほどに、誰かを想うことはもうなくて。



 自分の全てを犠牲にするほど、誰かのために願うことはもうなくて。



 そうやって、心すら燃やし尽くすような想いはもうなくて。



 それじゃあ、今の私に遺っているものは何だろう。



 焦がれるほどの理想を誰かに抱くときは終わって。



 憧れと諦めに足を止めることも、もう終わって。



 それでもまだ、胸の中に残る暖かい何かを感じてる。



 それでもまだ、こんな私にも隣を歩いてくれる誰かがいる。



 「でも、恋はやがて愛になるらしいよ」


 「あ、それまなかさんの台詞でしょ」


 「はは、バレたか」


 「私も聞きましたもーん……愛って何でしょうね」



 この暖かい何かを愛って呼んだりするのだろうか。



 目の前にいる君が笑顔になると、私もうれしい。



 目の前にいると君が泣いてしまうと、私も悲しい。



 君が幸せになるためなら、それなりの努力を私は払える。



 見返りがどうとかって気にもならない、綺麗ごとじゃないから疲れたら、休むけどね。



 これを、この想いを、愛と呼んでいいのだろうか。



 「愛してるよ、ここね」


 「今の流れで言うと嘘っぽいでーす」


 「まあ、確かに」


 「でも言われると嬉しくなりまーす」


 「いや、どっちよ」


 

 いやあ、正直なところよくわからんね。


 

 何せ、結局のところ、私にとって愛なんて言葉はまだまだ誰かの受け売りの域を出ないから。



 この想いに、なんていう名前を付けようか。



 君の隣にいる私の想いになんていう名前を付けようか。



 「そもそも名前なんているんですかね?」


 「はは、ここねが聞いてきたんじゃん」


 「そーですけど、なんかどういう風に表現しても違う気がしてきました」


 「ほう、その心は?」


 「え―……、そうだなあ。……言葉って、どうしてもイメージがひっつくじゃないですか。恋と言ったら甘くて、酸っぱくて、焦がれるような、燃えるような……みたいな」


 「ふむふむ」


 「でも、全員の恋がそういうわけでもないと、想うんです。ほろ苦い恋もあるだろうし、叶わない恋も叶う恋も、燃えるような恋も、慎重な恋もきっと色々あるじゃないですか。ドキドキする恋もあるし、ただ……隣にいて安心するような恋もあるし」


 「…………」


 「その恋で、どういう風に身体が動いて、どういう風に心が感じるかは結局ひとそれぞれじゃないですか。みんなが思い描くような恋じゃなくても、その人の心が動いて、その人がそれを恋だと想ったらそれが恋になるみたいに」


 「感じることは、人それぞれ違うから、一般的な恋ってイメージに当てはめるとしっくりこない?」


 「はい。だから、無理に今感じてることに名前を付けなくてもいいのかなって想います。恋かもしれないし、愛かもしれないし、もっと違う想いかもしれないけれど。大事なのはそこにつく名前やイメージじゃなくて、結局のその人がどう感じてどう想うかじゃないですか?」


 「うん、つまり―――」


 「恋じゃないかもしれない、愛じゃないかもしれない、でも、無理に名前なんてつけなくてもよくて、ただ想ってることをじっと感じてたらそれでいいんじゃないかなって……自分で言いだしといて、こんな答えでいいんでしょうか?」


 「うーん……そうだなあ」


 恋が終わって、その先は?


 恋がまだまだ続くのか、やがて愛へと変わるのか。


 それとももっと違う想いを君に抱いていくのだろうか。


 「わかんないけど、それでいいかも」


 「難しいですね」


 「そだねえ、難しいね」



 焦がれるような恋をして。



 捧げるような愛を経て。



 残った想いは何て名前?


 

 わからない。わからないから、わからないまま。



 ただ、今ある想いを噛みしめる。



 独りでいると少しだけ寂しくなる時がある。



 君といるとそんな寂しさを少し忘れる。



 君が泣くと、ほとほと困ってなんとかしなきゃって想いが湧いてくる。



 実際ちょっとやりすぎたこともあったけど、それで変わったこともある。



 君が笑うと、なんだか私もうれしくて。



 君の悩みが少し晴れると、私もなんだか晴れやかで。



 手に息を当てて、温めている君の前に、私の指をそっと差し出すと。



 優しく、どこかおどおどと、でも確かに。



 そっと指が絡められる。



 そういえば、今の私たちの関係は何と呼ぶのだろう。



 そんなことを考えて、まあしばらく後でいいかと笑ってた。



 いつか名前が付くその時までは。



 ただそこに抱く想いを感じて。



 いつか恋が終わっても、まだ私たちは隣にいて。



 そうやって、二人揃って、歩いてた。



 寒空の下、君と出会ってそろそろ一年がたつ頃に。



 手を繋いで歩いてた。









 おしまい

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恋した私と誰かを想うあなた キノハタ @kinohata

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