ぶらでまり

高里奏

ぶらでまり


 どこの地域にも七不思議だとか怪談だとかそんなものがある。そして大抵、内容が似ていたりする。

 近頃流行り始めた怪談も似たようなものだった。

 鮮血の麻里。

 どこだかの高校で麻里という名の女の子が自殺したらしい。それもナイフで自分を切り裂いて。

 その時に白い服を着ていただかで、血塗れの、それも血を吹き流しながら彷徨う幽霊になっただとかそんな話だった。

「呪文を唱えると現れるんだって」

「深夜に鏡の前で三回唱えるんでしょ?」

 クラスメイトの声が聞こえる。楽しそうに怪談話をしている。

 馬鹿馬鹿しい。小学生じゃあるまいし。

 はため息を吐く。

 夜に鏡の前だとか三回唱えるだとか怪談の定番過ぎる。

 だいたいその麻里という子が自殺したかなんてニュースを調べればすぐに真相がわかりそうなのに、そんな子の記事は見つからない。

 美緒はどうせ作り話だとこの話をあまり気にしていなかった。


 美緒は手芸部に所属している。手芸部と言っても幅広く、小物から舞台衣装までなんでも作るような部活だ。そして、今年の手芸部はとても力が入っていた。

 先輩の公募デザインが入賞して、作品を制作することになったのだ。

 それはもう忙しかった。

 何日も遅くまで学校に居残りして、ようやく完成した作品を、選ばれたチームでショーに持ち込むことになった。

 美緒もまた選ばれたチームの一人だった。

 美緒の役目はフィッター。モデルに服を着せる役目と言ったところだろうか。ショー当日、裏方でデザイナーとモデルの間でサポートするような役割だ。

 モデルといっても、部員ではあるものの、いざショーとなるといつもと違う空気に緊張してしまう。それも、本州に行くのだ。みんな緊張してしまうに決まっている。

 ショーの前日、ホテルに宿泊することになった。三人一部屋でメンバーは全部で九人。そのうちの三人がモデル役だ。一年生は、美緒とちか美琴みことの三人で、丁度一部屋になった。

 ショーの前日で少し興奮して眠れなかったのもある。外泊でテンションが上がっていたのも大きいだろう。普段なら幼稚と切り捨てるような怪談話なんかをはじめた。そして、オカルト部と掛け持ちしている央が例の話をし始めた。

「もう二人も知ってると思うけど、鏡の前で呪文を唱えると現れる幽霊の話。あれね、なんでも鏡の中の幽霊が質問に答えてくれるらしいの」

 央は真面目な表情で言う。

 噂話はいくらでも尾鰭が付くけれど、これは美緒も初めて聞く変化形だった。

「鏡の前で刃物をもって『ぶらでまり』って三回唱えると、麻里って子の幽霊が出てきて質問に答えてくれるんだって」

「こっくりさんの変化形みたいな?」

 美緒は思わず口を挟む。

「こっくりさんとは違うよ。紙とか十円玉は使わないし」

 央は笑う。

 そして、美琴が少し考え込む様子を見せた。

「質問って、どんなことでも答えてくれるの?」

「どうだろう? 幽霊だからってなんでも知ってるわけじゃないとは思うけど」

 央も首を傾げる。そこまで詳しくは知らない様子だ。

 だいたい本当に幽霊が居るとして、噂の女子高生の幽霊がどんな質問にも答えられるなんて思えない。

 喩え本物だったとしても、美緒には試す価値があるとは思えなかった。

 けれども美琴の考えは違ったようだ。

「試してみない?」

「え? 本気?」

 思わず訊ね返す。

「いいじゃん。本当に現れたら次のテスト範囲と答え教えて貰いたいし」

「幽霊にそんなこと訊いてわかるの?」

 馬鹿馬鹿しい。そう思っても顔には出さないように気をつける。美琴は拗ねさせるとちょっと面倒くさい子だ。

「え? じゃあ、央の彼氏が浮気してないか聞いてみる?」

「ちょっと! それ失礼でしょ!」

 央が枕で美琴を叩いた。

「いいじゃん。訊くだけただでしょ? それに、そういう質問だったら本当のこと言ったかどうかわかるじゃん」

 すっかりやる気満々な美琴に流される形で、やってみることになってしまった。

「刃物って言っても……裁ちばさみと糸切りばさみくらいしか持ってないよ?」

「うちカッター持ってる」

「ま、なんでもいいんじゃない?」

「鏡って、洗面所のあれでいい?」

「たぶん」

 電気を消して三人並んでぞろぞろ歩く。

 どうしてか美緒が先頭にされてしまった。

 このびびり共め。

 内心二人を馬鹿にしていた美緒は糸切りばさみを手に洗面台の前に立つ。

「えっと、呪文、なんだっけ?」

「ぶらでまりだよ。三回唱えるの。美緒、お先にどーぞ」

「どーぞ」

 調子のいい二人は美緒を人柱にすることに決め込んだらしい。怪談話が好きなくせに怖がりな子達だ。

 どうせなにも起きなくて、ベッドに戻ったら今度はサッカー部の部長がかっこいいだの演劇部のだれがどうだの、そんな話で夜更かしをするのだろう。

 そんなことを考えながら、投げやりに呪文を唱えた。

「ぶらでまり、ぶらでまり、ぶらでまり」

 ほら、なにも起きない。

「なんにも起きないよー」

 そう、二人に振り返ろうとした瞬間だった。

 鏡の中になにかが居る。

 自分の影に驚いたなんてそんな小心者ではないはずだ。そう思って鏡の中を確認しようとする。

 やっぱり、白い服の女が居る。俯いて立っているように見えた。

 美緒が着ているのは学校指定のジャージだ。央と美琴だってよくわからないバンドのTシャツや脱力系キャラクターのTシャツにジャージを組み合わせているから、二人の影でもない。

「え? 麻里……さん?」

 呪文を唱えたら現れる麻里という女の子は白い服を血まみれにしていると言う話だった。

 まさに噂通りではないか。

 鏡の中の女は、全身に生々しい刺し傷がある。そして、傷口からは絶えず血が噴き出している状態だ。

 あんなの自傷じゃない。誰かに何度も何度も滅多刺しにされたような姿だ。

 そして、かつて白かったであろうワンピースは錆色に染まっている。

 あれに質問しろと言うのか。どうかしている。

 むしろ、目を合わせてはいけないような気さえする。

 思わず美緒が後ずさろうとすると、すぐ後ろに居た央にぶつかる。

「ちょっと美緒、どうしたの?」

 まさか、央にはあれが見えていないのだろうか。

「麻里さんが現れたなら質問しないと」

 とんとんと肩を叩かれるけれど、それどころではない。

 逃げた方がいい。

 だって、鏡の中のあの女は、少しずつこちらに接近している。

 そう、鏡の中の女は少しずつ美緒の方へと近寄っていた。そして、徐々に手を伸ばしてくる。

 まさか。

 鏡の中から這い出てくるのではないかと考えてしまう。

 そんなの、物理的にありえない。

 頭はそう考えるのに、本能は必死に逃げようとしている。

 はやくと、央たちが急かす声が聞こえる。

 女が近づいてくる。

 質問に答えてくれるという噂があるのなら、質問した人は無事に生き残ったと言うことだろうか。

 そう、考え、この状況で一体どんな質問が出来るだろうかと考える。

「あの……えっと……麻里、さん、ですか?」

 意を決しての質問がこれか。

 自分でも呆れてしまう。

 これに答えられても困るが、声をかけたことで完全に女に存在を把握されてしまった気がした。

 俯きがちだった女の顔が美緒を向く。

 なにが麻里だ。

 絶対に違う。

 女の瞳は青く、仄暗い色をしていた。その瞳が真っ直ぐ美緒を見据え、近づいてくる。

 印象的な青。濁った青だ。

 そして、女の顔もまた、何度も切りつけられたような痕跡と共に血が流れている。

 どう見たって麻里じゃない。それどころかアジア人でもなさそうだ。言語すら通じないのではないだろうか。

 美緒は得体の知れないその女に怯えつつもまだ余計なことに考えを張り巡らせる余裕があった自分に驚く。

 女から視線を逸らせないまま、体は硬直してしまう。

 そうしているうちに、とうとう女の顔が目の前にあった。

「ひっ」

 思わず悲鳴を上げてしまった。

 女の手が、鏡から伸びて、美緒の手を掴む。

 ぼそぼそとなにかを呟いているような音も聞こえた。

 これはあの世に連れて行かれるというやつだろうか。

 まずい。こんなところで、化け物に殺されるなんて嫌だ。

 そう考えるのに、体が硬直して動かない。

「    」

 女がなにかを言った。

 その言葉を聞き取ることが出来ない。外国語のようだった気もしたけれど、ただの音としか認識出来なかった。

 そして、次の瞬間、大きな音を立てて鏡が粉々に砕けた。

「ふうっ、危なかったー。やっぱ本物だったかぁ」

 央の声で女が消えたことに気がつく。

「ほ、本物って?」

「いやぁ、来る気がしてたんだよね。で、どう? 噂通りだった?」

 面白がるように訊ねられる。

 央の手には椅子が握られていた。どうやら鏡が砕け散ったのは央が椅子で叩き割ったからだったようだ。

 央はあんな化け物が出てくるとわかっていて美緒を人柱にしようとした。

「なにが麻里よ……アジア人ですらなかった! 気になるなら自分で確かめて!」

 もう二度とあんなの見たくない。

 疲れて、幻覚でも見たんだろう。そう思いたいのに、女に掴まれた手首に、しっかりと手形が残っている。美緒よりも大きな手だ。

 一体何者だったのだろう。

 けれどもこれ以上気にして調べてはいけない気がした。

 鏡がなければ、あの女は来ないはず。

「もう、寝るよ」

 割れた鏡のことは明日考えよう。

 央との付き合い方も考えなくてはいけない。

 カーテンが開かないようにしっかりとクリップで留めてからベッドに入る。

 鏡になりそうな物は全部伏せた。

「美緒、大丈夫?」

「……たぶん」

 きっと疲れてたせい。

 あんなことあるわけがない。

 そう思うのに、掴まれていた手首が痛む。

 あの女はなんて言っていたのだろう。

 そう考えても答えは出なかった。


 翌朝、鏡を割ったことを顧問にこっぴどく叱られる。当然だ。

 けれども、もし、央が鏡を割ってくれなかったらどうなっていたのだろう。

 そう考えると落ち着かない。

 幸いにもショーがあるのでなんとか停学処分は受けずに済んだ。けれども反省文は何枚も書かなくてはいけないだろう。

 ショー自体は問題なく終わり、審査員の反応もそんなに悪くはなかった。

 そしてその翌日には家に戻った。

 その後も鏡の中にあの女が居るのではないかとびくびくする日々を過ごしたけれど、あれきり女は現れない。

 ただひとつ気がかりなのは、あの女がなんと言っていたのだろうということだ。

 けれども今更確かめる術はない。

 なにより、美緒は二度とあの呪文を口にしないと心に決めていた。

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ぶらでまり 高里奏 @KanadeTakasato

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