『オッサン化』という進行性の不治の病
お前の水夫
『オッサン化』という進行性の不治の病
最初に私の現在の病状を報告しておく。
・無意識に駄洒落を考えている。
・店内のBGMの中に頻繁に『空耳』が聞こえる。
・立ち上がる時に「ヨッコイショ」と言う。
・詰まらない事にやたら長い文句をつける。
・昔の自分の方が今より馬鹿だったと考えている。
私は今、避けようが無い進行性の病気に悩まされている。辛く無いと言えば嘘になる。
しかし「皆がそうである」という事実に諦めの気持ちも持っているし、致命的な程度にならないように進行を押さえる
昨年の話になるのだが、私は『尿管結石』と『椎間板ヘルニア』を1年の内に患ってしまうというある意味危機的状況に居た。
『尿管結石』については深夜に救急車で運ばれた挙げ句、めっちゃ可愛い(ノ≧▽≦)ノ看護師さんに、ボルタレンの座薬を尻に突っ込んでもらうという、ある意味
良い感じに石も出てきて、プラカップで見事に『小さい梅干しの種みたいなソレ』をキャッチし成分分析に回してもらった。
私は自分の『先っちょの身体感覚』にほんの少しの自信がついた。「俺GJ」と本当にそう思ってしまったのはここにしか書けない話である。
お爺様方が入り口の外まではみ出している、近所でも有名な泌尿器科のお医者様からは「シュウ酸を出来るだけ取らないように」という有難い助言も頂戴し私は一回目の危機を脱した。
痛くないというのは普通の状態では無い、運の良い状態なのだと認識を新たにしたものだ。
それから2ヶ月ばかり後の事、私は左足と腰に激痛が走り始めた為にまたも焦った。
これはイケナイとばかりに、こちらもお爺様方が入り口の外まではみだしている、近所でも有名な整形外科の先生を頼ったのは正解だったと思う。
診断結果は『椎間板ヘルニア』だった。熱帯植物の名前か何かだと思いたかったが私の病名だった。ギックリ腰のスゴい奴だと思いたかったが、MRI画像では出ちゃイケナイものがはみ出てしまっていた。
私の勘違いなのだが『ヘルニア』は麻痺が伴うものだと思っていた。病名がハッキリした段階ではむしろ麻痺の方が良いとさえ思っていた。しかし実際に私が襲われたのは割とキツい感じの激痛だった。
職場では両方の病気の経験者がいらして、私の状況について理解があった為に、私は世間の優しさというものにまたもや触れた気がして正直なところ心からありがたかった。
しかし業務を行う上で一番辛いことが『椅子から立ち上がること』になってしまった。
精神的ストレスなど物理的激痛に比べたら何程のことも無かった。私の中から詰まらない悩みの殆どが消えた。
私は物理ダメージに対する認識を新たにした。前衛の連中に対する評価を数段階引き上げ、そして奴らへの警戒を更に強くしたのは言うまでもない。
上記の症状は半年間も続き、ようやく私は鎮痛剤と円満に別れる事が出来た。
ここまで語っておいて何だが、やっと進行性の病気の話になってくる。
実のところ上記の件というのは、今私が直面している『オッサン化』という不治の病において、割と重篤な複数の自覚症状の一種でしかないと言える。
思えばこの年、帰省した折りに母からある言葉をかけられた際に、注意というか覚悟しておくべき事だったのではないかという気がする。
母が私に言ったのは「あんたちゃんと食べてるの」では無かった。
「あんたもういい加減痩せたら」だったのだ。
私もちょっと太ったかなとは思っていた。より直接的に言えば『デブ』ということにはなる。そして実の母親でさえ、取り繕いようが無い程に栄養状態が良かったと言われればその通りなのだろう。
『油断』という言葉が頭をよぎってしまう位には私も反省したと思う。私はもっと前からこの病気について注意し、やがて襲うであろう症状について備えておくべきだった。
取り敢えずダイエットを始めた事は白状しておきたい。
若い頃の私は、何故オッサンは『話が長い』のか『駄洒落』を連呼するのか『ヨッコイショ』と言ってしまうのか『手厳しい文句』を言うのか、まるで理解出来なかったしそれについて考えても仕方が無いと諦めていた。
そんな人間をある意味軽蔑し、そして的外れな批判でもって自分の視界から排除しようとしていた。
そして自分はそんなモノとは一生縁が無いと思っていた。
今にして思えば、見習うべきを見習い、自分の中にその経験から来る教訓を取り込んで、ある種の要領の良さをもっときちんと身に付けるべきだった。
人間観察力が低いと、周囲の同世代はそんな事とっくにやっている事にさえ気が付かない。彼らの老害批判は半分はブラフだと思った方が良い。
そして自分に対しては心地好い本音を語ってくれている、というのも甘い幻想であって、本音の場合には耳に痛い内容である事も理解しておくべきだろう。
イケナイ!これは『例の症状』だ!
もう既にお分かりかと思うが、これ等は冒頭に挙げた症状の内、下の2つになる。
つまり『詰まらない事にやたら長い文句をつける』という症状と『昔の自分の方が今より馬鹿だったと言う』という症状の2つだ。
昔はこんな事言いたくもなかったし、そもそも書くことが不可能だった。
ある意味自分の恥を晒しているに等しいのに、それについて羞恥心さえ失いつつある自分に戦慄してしまう。
賢いオッサンの方が助言なんかしないのはこういった事を理解しているからだ。しかし精神の塑性変形の度合いも酷い為、間合いの取り方を工夫される事をお勧めする。
冒頭に挙げた症状の内の3番目については、意識することで比較的軽くする事が出来る。
日常生活において緊張感を持つというのは良い経験でもある。うっかり「ヨッコイショ」と言わなければ良いだけなのだが、他人のソレを聞いたとしても『聞かなかったことにする』心構えを忘れてはイケナイ。
最後に冒頭に挙げた症状の1番目と2番目について書かねばならない。『無意識に駄洒落を考えてしまう』というやつだ。
実はこれ等の症状が、患者の内面において最も重篤な影響を及ぼしていることを知っていただきたいと思う。
私も自覚するのが一番遅かったと思う。それぐらいこの変化は緩やかでシームレスだったと思う。ちなみに『シームレス』をGoogleで検索すると、結果がいきなりパンツ画像からになるのでちょっと恥ずかしい。『継ぎ目が無い』という意味である。
最初は寂しい人間特有の防御反応だと思っていた。
しかし、若い頃だってそれなりの寂しさは持っていたはずだ。そしてこんな事は考えなかったはずだ。
次に考えたのはブログの影響だった。まだラノベなどには戻らない時期でも、世界のニュースや日常の出来事を面白く紹介するブログは観ていた。
私はこの『日常を楽しむ』という部分が自分の中で『駄洒落を作る』になっているのだと思った。古い話だが『空耳アワー』や『ボキャブラ天国』の特番の影響なども考えた。
だが上記の出来事から考えると、これ等は避けようが無い病気の一症状ではないかという疑いが濃厚になってきた。
この症状については露骨に出る人と出ない人がいる。そして私のように思い付いても口に出さないのであれば、他人に認知される事が無い為に発見がより遅れるだろう。
私はもう避けようが無い
そしてその事実について、私の小説をヒッソリと読んで下さっている方々に隠していたという自覚と反省はある。
正直な話、自身のこんな窮状を訴えた上で同情を買うような真似は私は絶対にやりたくなかったし、後年自身をぶん殴りたくなるような気持ちになるかもしれない。
しかし私が『オッサン化』というある意味では『ハンデ』と言えるモノを背負っているが故に、こんな『エッセイもどき』を書き
本当に今さらではあるのだが、以上が現在の私の状態であり私が緩和に努めるべき症状の一覧である。
私自身は『街路上に火炎瓶を投げて、学生を自殺の道連れにする』老人にだけはなりたくない。この先だって辛い事はあるだろう。それでも絶望だけはしないようにして生きたい。
『オッサン化』という進行性の不治の病 お前の水夫 @omaenosuihu
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