真夏の雪だるま(大団円)
裏山に逃げようとする牢人者に、両手を広げた岡埜同心が立ちはだかった。
「どけ!」
と叫んだ牢人者は、長刀を下段に構えた。
岡埜が、帯に手挟んだ十手を抜いて構えると同時に、長刀の鋭い一撃が足を刈りに来た。
飛び退った岡埜が、勢い余って尻もちをついた。
袈裟斬りにしようと、牢人者が長刀を上段に構えた瞬間、ふたりの間に割って入った髭面の牢人者がいた。
振り下ろされた長刀を、その牢人者が、瞬時に抜いた脇差で受け止めた。
「東洲斎先生!」
浮多郎が叫んだ。
「遅れたな。こやつを斬ってもよいかな?」
東洲斎が、切れ長の目で牢人者を睨みつけたまま、横に一間ほど離れた浮多郎に声をかけた。
「かまいません!」
浮多郎が答えると、
「何をいうか!」
頭に血が上った牢人者が、荒い息を吐き、刃を一気に押し込んだ。
いったん押し返してから、東洲斎が脇差を真横に外して半歩引くと、つっかい棒を外された牢人者は、つんのめってたたらを踏んだ。
そこを横に払うと、牢人者は二つに切れて、斜面に転がった。
それからしばらく経った夏の終わり・・・。
鼻削ぎの悪源太と植辰の跡継ぎだった辰郎は小塚ッ原で磔の刑にされた。
受刑者は、牢庭改番所で検使から判決を申し渡され、獄舎の裏門から裸馬に乗せられて市中引き回しの後、思い川に架かる泪橋で親族・知人との最後の別れをして刑場へ向かう。
浮多郎と女房のお新は、泪橋のたもとに立ち、橋を渡る悪源太と辰郎を見送った。
ふたりに別れを惜しむ親族・知人はなかった。
非人が槍で、褌ひとつの受刑者の右の脇腹から左肩先の一尺ほど穂先が出るまで一気に貫き、ひとひねりして槍を抜く。
別の非人が左の脇腹から同じように突き、あとは交互に三十ほど突く。
槍の柄を伝う血は藁で拭って突き続ける。
罪人が息絶えようとする時、左右から止め槍で喉を突く。
死体は、磔にされたまま三日二夜晒される。
(稲垣史生著「考証『江戸町奉行』の世界」より)
秋の初め、植辰の大広間で、得三と吉乃の祝言が質素に執り行われた。
悪源太が植辰から奪った金は、半分しか残っていなかった。
身請け金の残りは、得三と吉乃が働いて得た金で栄屋に払うことになった。
これが、吉原開闢以来初の、女郎の身請け金の後払いの分割払いだそうだ。
ふたりは身を粉にして働き、数年で返済を終えたという。
(了)
真夏の雪だるま~寛政捕物夜話13~ 藤英二 @fujieiji_2020
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます