第11話 番外編:幼少期のルーファス
僕の世界はいつも暗くて、笑顔がなかった。
ご飯を食べないと、お腹が空く。
お腹が空くのは、辛くて苦しい。
だけど、僕たちのご飯は、食べるとお腹が痛くなる時が多かった。だから、世話をしてくれる侍女たちが「どくみ」をしてから食べるのが日常だった。僕は物心ついたときから、出てきたご飯を自分だけで食べたことがなかった。
そして、物心ついた頃から、母様はいつも、悲しそうな顔をしていた。侍女たちが「どくみ」をするのを見ながら、辛そうな顔をしていた。
侍女たちはどんどん、顔ぶれが変わっていった。母様は、毎日泣いていた。最初の頃にいた侍女たちの名前を呟きながら、夜に一人で泣いていた。
父様は、何度か会ったことはあるけれども、殆ど言葉を交わしたことはない。だけど、父様が来る日は、母様は笑顔だった。もちろん「どくみ」は欠かさないけれども、父様が来る日のご飯は、お腹が痛くなるご飯じゃないのだ。父様は、兄弟姉妹がいない、唯一の
そのうち、僕たちの食事の「どくみ」をする人が居なくなった。
新しい侍女はきたけれども、その侍女たちは、「どくみ」をしてくれなかった。
だから、僕たちはお腹が痛くなることが多くなった。
母様は、料理をしようとした。お金持ちの家で育った母様は、今まで料理をしたことがないと言っていた。それでも、料理をしようとした。
だけど、料理をするところ――厨房に入ろうとすると、お母様も僕も追い出されてしまうのだ。いつもその部屋から料理を運んでいる侍女たちが、僕たちを追い払ってしまう。
そんな中、料理を作っているおじさん達の一人が優しかった。侍女たちが見ていない深夜、こっそり厨房を使わせてくれるときがあった。
そのおじさんは母様に、後宮の厨房の料理人はそれぞれ、権力を持つ側妃と
料理人たちは、自分を守ってくれる側妃の指示で、標的のご飯に、少しずつ毒を混ぜることが多いのだという。料理人が毒を盛ったのではなく、死んだ者たちの体が弱かっただけなのだと思わせるために、少しずつ、その日のうちの症状が出ないような量を飲ませる。そして、指示が出た日に、一気に致死量を盛るのだそうだ。
それとは別に、嫌がらせ目的で侍女を使って毒を盛る迷惑な側妃もいる。こちらは、即日で症状が出るものが多いけれども、軽傷で済むとのこと。
おじさんは、「人を笑顔にしたくて料理人になったのに、こんなのは嫌だ」と泣いていた。
その話をしてくれたおじさんは、すぐにいなくなった。
僕たちは、厨房を使うことができなくなった。
母様の両親は、僕が物心ついた頃から、週に1回、食べ物を届けてくれていた。
平民である母様の両親は、後宮に毎日会いに来ることは許されていない。それでも、週に一回、面会を取り付けて、ご飯を届けてくれているのだ。
僕たちは、おじさんから話を聞いてから、「どくみ」の有無に関わらず、なるべく後宮の厨房から出された料理に口をつけないようにしていた。だから、母様の両親が届けてくれる食べ物が、僕たちの命綱になっていた。
一週間以上の量の食事を一気に持ってくるので、その内容は、乾物や乾いたパン等が多く、僕たちは温かい食べ物を食べる機会が少なくなっていく。
そんなふうに苦労して手にいれた食材だけれども、鍵をかけた部屋に金庫に入れて保管しているというのに、寝ている間にいたずらされたり、食器に何か塗られたりすることがあった。
だから、安心して食べられるのは、母様の両親が面会に来て、誰にも触られないよう目を光らせているその日だけだ。
僕は、ご飯が嫌いだった。
それに加えて、寝るのも嫌いになった。寝ると、その間に、ご飯にいたずらをされる。
母様は、こっそり井戸から水を組んで、母様の両親からもらった卵を、毎日こっそり部屋の中で茹でた。
母様の両親に頼んで小さな鍋と燃料を手に入れて、侍女たちに気づかれないよう、朝の暗いうちから起きて、よく水で洗った卵を茹でてくれる。
井戸に毒を入れることだけは、お家断絶の大犯罪とされているので誰もやらない。殻が割れていないから、卵にも毒は入っていない。僕たちは、茹で卵だけは安心して食べた。
母様は、ご飯のことを改善してあげられないと嘆きつつも、僕に「きょういく」だけはしっかり施してくれた。
母様は母様の両親から、沢山の本を贈ってもらった。僕の勉強のための本だ。
母様曰く、僕には兄弟姉妹が多くて、誰が
僕はご飯を食べるのも、寝るのも嫌だった。
だから、お腹が空いたという気持ちも、眠いという気持ちも無視できるように、できるだけ本を読んで過ごしていた。
たまに、庭で他の兄弟姉妹を見かけることがあったけれども、お互いの母様に、近づいてはいけないと言われていた。だから、子供同士で遊んだりしたことは一度もなかった。
そんな日常にも限界がきた。
ある日、僕たちはご飯を食べた後、激しい嘔吐をした。
ああ、もうだめなんだ……。
そう思ったけれども、僕は部屋の中で死ぬのは嫌だった。
僕は、食べることが嫌いだった。寝ることも嫌いだった。そして、意地悪な人たちがいるこの後宮が、嫌いだった。
だから、せめて最後は、この建物の外に出るんだ。
そう思って、沢山吐きながら、庭にでるための廊下までなんとか這いずって出た。
そうしたら、天使が現れた。
僕と同じ金色の髪をした、綺麗な女の人だ。
今まで、見たことがない人。
耳がピンととんがっていて、大きな深い紫色の目が、こぼれ落ちそうなくらい見開かれて、こちらを見ている。
「ちょっとあんた、大丈夫!?」
今まで聞いたことがないような乱暴な言葉で、侍女達が眉を顰めそうな大きな声で叫んだ彼女は、すぐさま僕に駆け寄ってきて、僕を助けてくれた。しかも、彼女は、母様のことも助けてくれた。やっぱり、この人は天使さまなんだ。
数日ほとんど寝たきりだった僕たちは、半分寝たまま、少しだけ体を起こしてもらって、ポットでぬるいお茶や、砂糖と塩が少し入ったぬるま湯を飲ませてもらう日々だった。
意識がはっきりしてくると、何かを飲まされると思うだけで身をこわばらせた僕たちを見て、彼女は「ごめんごめん」と笑う。
「試飲するわね」と言いながら僕たちの口にあてがおうとしていたポットに直接口をつけて、ごくごくと飲んでいる。飲んでいる。飲み干した。……飲み干した?
「ごめん、また注いでくる……」
そう言って台所に戻った彼女は、耳まで真っ赤になっていた。
僕と母様は、笑う元気はなかったけれども、肩の力が抜けるのを感じて、目を見合わせた。なんだか、心の中で固くなっていたものが、少しほぐれたような、軽くなったような気がする。これも、天使さまの力なんだろうか。
「固形物は多分きついだろうから、具を溶かし込んだスープにしてみたの。できれば、パンも浸して食べれるといいんだけど」
彼女がそう言って持ってきてくれたのは、とっても美味しそうな匂いのするスープと、真っ白くて柔らかそうな食パンだった。
初めて、水やお茶じゃなくて、彼女がご飯を持ってきた。
美味しそうだと思うと同時に、それでも、毒が入っているんじゃないかと反射的に体がすくむ。
「ああ、そうよね。パンまでは分からないものね」
そう言って、彼女は、精霊である
『毒は入ってないよ、大丈夫だよ』
『いっぱい野菜が溶けてるから、いっぱい元気になれるよ』
そう言って、精霊達が声をかけてくれる。
そうしたら、母様が涙をポロポロこぼし始めた。
母様は、精霊は嘘をつくことができないのだと言った。だから、もうこのご飯は安全なのだと。
「一応念のため、このパンもスープに全部入れちゃうわね」
そう言って、彼女はパンを焼いて、小さい角切りに切った後、全部スープに放り込んでしまった。
そして、そのスープとパンを、スプーンで一口掬って、ぱくりと食べる。
「美味しいぃ。いいコンソメ味。はい、これどうぞ」
そういうと、彼女は自分が使ったスプーンごと、母様に渡した。母様は、それをそのまま受け取った。
「君の方もどうぞ」
そう言って同じように試食してから渡されたスープは、湯気がほかほかと立っていて、とても美味しそうな匂いがした。
だけど、僕の手はなかなか動かない。
それを見ていた母様が、僕の隣で、スープを飲み出した。
「ルーファス、美味しいよ。温かくて、とても美味しい」
母様は、泣きながらそのスープを飲んでいた。
それを見た僕は、ようやく、スプーンを動かした。
温かくて、少し塩気の利いた、コンソメ味のスープだった。
とても、とても美味しかった。頭で安全だと分かっていても、体が怖がって、ゆっくりとしかスプーンを動かすことができない。それでも僕は、ちゃんと、口に運んだ。久しぶりに飲んだ温かいスープは、とても柔らかい味がする。苦かったり酸っぱかったり、お腹が痛くなる味じゃない。
「もー、二人とも泣かないの」
そう言って、彼女は清潔な布で、僕と母様の顔を拭ってくれた。
「無理して全部食べなくていいからね。病人仕様で少なめに注いだけど、それでも苦しかったら残していいからね」
そう言って彼女は、僕たちと同じスープとパンの他に、自分のために焼いたであろうお肉とサラダも食べていた。
僕は、食べられるときに食べなければと、残さないつもりでスープを食べていたけれども、結局一皿を食べ切ることができなかった。母様も同じだったらしい。それを見た彼女は、僕たちの皿を受け取って、残ったスープとパンをそのままもぐもぐ食べていた。それを見て、僕たちはまた泣いた。「だから泣かないの」と言って、彼女はまた、僕たちの顔を拭ってくれた。
それから、毎日が幸せだった。
朝昼晩、彼女は、美味しくて安全なご飯を出してくれる。
そうすると、僕も母様もだんだん元気になってきて、そして、逆に不安になってきた。
だって、彼女は、僕たちが倒れていたから助けてくれたのだ。
僕たちが元気になったら、また元の場所に戻らされるのかもしれない。
そう悩んでいたら、彼女は僕たちに、ここに居ていいよと言ってくれた。
母様曰く、彼女は僕のお祖父様に、僕たちをここに置くことについて交渉してくれたらしい。
母様は毎日、彼女に感謝していた。本人に対しても感謝していたし、寝る前に僕の前で、何度も、サンドラ様はすごいんだと褒めて、感謝していた。
母様に言われなくても、僕だって分かっている。僕の天使さまは、すごいんだ。
だけど、毎日美味しいご飯を食べて、毎日お腹が痛くならなくて、毎日たくさんの精霊さんが遊んでくれて、僕はまた不安になってきた。
僕はこんなに幸せでいいのだろうか。何か、とんでもないしっぺ返しが待っているんじゃないだろうか。
不安で不安で、視界に彼女の姿がなくなると、必死で探した。
見つけた後は、必死でしがみついた。できるだけ傍にいたくて、足元をうろうろしたし、普段はべったりくっついて過ごしていた。母様も僕と一緒だったみたいで、僕と同じような行動をしていた。
僕たち二人がべったりくっついていたので、大人になって思い返すと、この時の彼女は相当うっとうしく感じていたと思う。だけど彼女は、僕たちに離れろとは一度も言わなかった。たくさん抱きしめて、たくさん笑いかけてくれた。
「何でもします。僕が大きくなったら、きっと恩をかえします。だから、僕たちをみすてないでください。ずっとここにおいてください」
それでも不安が抑えられなかった僕は、とうとうある日、僕は彼女にそうお願いした。
「大丈夫だよ」と言われても、きっと僕は明日には不安になっていると思う。だけど、それでも、言葉が欲しかった。「ここに居ていいよ」という許可が欲しかった。
彼女は、そんな僕の頭を撫でながら「可愛いねぇ」と言った。
母様みたいに、僕のことを愛おしそうな目でみて、抱きしめて、僕の欲しい以上の言葉をくれた。
「いつも一緒にいてくれてありがとうね。ルーがいっぱいご飯食べてくれて、フリーダちゃんが沢山美味しいって褒めてくれて、私は幸せだよ」
咄嗟に「うそだ」と否定したけれども、彼女は本当だという。確かに、彼女はうそをつくのが得意には見えない。
じわじわと、心に幸せが広がってくる。
「大丈夫」よりも、「ここに居ていいよ」よりも、ずっとずっとすごい言葉だった。彼女が何の気無しに言ったこの言葉は、僕の心に、強烈な安心感を与えた。
安心して、僕はもっと欲が出てくるのを感じる。
僕は彼女とずっとずっと、一緒にいたい。そして、女の人とずっと一緒にいるための方法を、たくさん本を読んで勉強していた僕はもう知っていた。
「ぼ、ぼくは大人になったら、サンドラ様をお嫁さんにする!」
僕はフラれた。
一刀両断もいいところだった。生まれたばかりの恋心は、木っ端微塵に砕かれた。物心ついてから記憶にある限り初めて、体調の悪さ以外の理由でわんわん泣いた。
僕はめそめそ泣きながら、母様に相談した。
母様は困った顔をしながら、体調以外のことで子どもらしく駄々をこねる僕を見て、なんだか嬉しそうにしていた。
「サンドラ様はエルフだから、あなたが成長した後もまだお若いはずよ。だから、あなたが大きくなったときにまた考えてみましょう」
母様の言葉は全てを保留にするものだったけれども、まだ5歳だった僕は希望はあるのかと、機嫌を良くする。
そこに、笑顔のサンドラ様が、片手にいい匂いのするお皿を持って現れた。
「ルー、さっきはごめんね。ルーのために、美味しいご飯を作ったんだ。どうかな?」
それは、僕が大好きな卵がとろとろになった、ふわふわのオムライスだった。
トマトのソースで、ハートマークが書かれている。
僕は、頰が自然と緩んでいくのを感じた。
だって、僕の大好きなサンドラ様が、僕が大好きな卵のご飯を持って現れたのだ。
僕の世界は明るくなって、幸せでいっぱいだ。
だから、僕が笑顔になるのは当然なんだ。
罠にはまって仮の側妃になったエルフです。王宮で何故かズタボロの孫(王子)を拾いました。 黒猫かりん@「訳あり伯爵様」コミカライズ @kuroneko-rinrin
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます