第10話 ルーファスとその妻 ……?



 ルーファスが成人した日、彼は王宮へと住まいを移した。

 そして毎日、私がルーファスの部屋に通うことになった。


 何しろ、ラッセルの後宮に、ルーファスは足を踏み入れることができないのだ。今まで成人した子は皆王女だったので、こんなことになってしまったのはルーファスが初めてだ。

 そして、ルーファスは私が作った食事以外のものを一切口にしない。お茶の一口ですら、口につけない。


 仕方がないので、私が日に何度も出前をすることになってしまった。忙しいので、アリエルちゃんが、ラッセルと一緒に15時のお茶に来るようになっていたのは本当に助かった。今の私には、10時のお茶を用意する時間がないのだ。


「あのくそ爺さんも、そろそろ折れると思う」


 自室で私を抱きしめながら、ルーファスはそんなことを言う。私を下賜してもらう話だ。


「ルー、あのね」

「うん、どうしたのサンディ」


 そう言いながら、ルーファスは私の唇を塞いでくる。

 話を聞く気、ないよね!?


「……なんで私のこと、愛称で呼ぶようになったの?」


 うちに通ってくる王子王女の中で、ルーファスだけは私のことを、頑なに《サンドラ様》と呼んでいた。


「大人になるまでは、そんな資格ないと思ってたし」

「えー、そんなこと……」

「子供としてじゃなくて、サンディを口説く大人の男として呼びたかったんだ」


 あざとい。うちの子は本当に、あざと可愛い。

 誰だ、こんなふうにこの子を育てたのは。私じゃないから、きっとフリーダちゃんが犯人だ。そうに違いない。



 こんなふうにルーファスはところ構わず私に抱きついてくるので、ある日、ラッセルと鉢合わせた。


 ルーファスの執務室にお昼を届けにきた私を、ルーファスが例の如く抱きしめていたら、ルーファスに用事があったラッセルが、祖父の気安さで前振りの声がけもなく入ってきた形だ。


 時が止まったかと思った。


 というか、なんだこの空気は。


 私からすると、ラッセルに義理立てするものは何もないし、ルーファスからラッセルに私達のことについては報告されている訳だし。ただまあ一応まだラッセルの側妃なので、ルーファスと執務室でいちゃついているのはよくなかった……かもしれない。

 いやまあ、勝手にルーファスが絡みついてくるから、私の力じゃ逃げられないんだけどね!? 前振りの声がけがあれば、すぐに離れたしね!?


 ラッセルは、何も言わずに、扉を閉じた。そのまま去っていった。


「……なんか、やばい?」

「僕が話に行くから、大丈夫」


 そう言って、ルーファスはラッセルのところへと向かった。


 そして、お昼の時間には帰ってこなかった。

 私は仕方がないので、森花ちゃんをその場に残して、後宮に戻った。


 15時のお茶の時間、来たのはアリエルちゃんだけで、ラッセルは来なかった。


 夕方に、お茶を差し入れに行った時も、ルーファスと会うことはできなかった。

 私はまた、森花ちゃんとお茶を執務室に置いて、後宮に戻る。


 夕飯を出しに行った時もそうだった。


 私は痺れを切らした。


「闇花ちゃん」

『なぁに?』

「ルーの場所を教えて」


 人の行き先、気配に鋭い闇花ちゃん。

 最終奥義を使った私は、物の見事にルーファスを見つけた。


 ルーファスがいたのは、リチャードとイレイザちゃんがよく使っていた、自習室だった。

 私が絶対に、自分から立ち寄らない、唯一の場所だ。


「ルー」


 現れた私に、ルーファスは本当に驚いていた。


「どうして」

「ルーが、私を避けるから」

「……ほんの、数時間だけなのに」

「ルー」


 私はルーファスのところまで歩いていく。

 その顔を見上げると、目の端が赤くなっていた。


「あのくそラッセル……」

「ち、違うんだ。お祖父様は、色々と、本当のことを教えてくれただけで」


 なんだ、急に仲良くなったな? 本当のことってなんだ。


「……サンディ、そんな不安そうな顔をするのは、ずるい」


 そう言うと、諦めたようにルーファスは私を抱きしめた。不安にさせてる人がそんなことを言うのは、もっとずるいと思う。


「サンディが、お祖父様に騙されて、無理やりここにいるって聞いたんだ」


 ……一応、本当のことだった。


「お祖父様とサンディがそういう仲じゃないのは気がついてた。だから、遠慮なく、僕のものにしたいと思った。でも僕は、なんでエルフのサンディが、何のしがらみもないこの国に居てくれているのか、考えたこともなかった」


 ルーファスの手が震えている。


「僕は、サンディが好きだ。サンディとずっと一緒にいたい。この幸せが、ずっと終わらないようにしたい。だけど……」


 震えているのは手だけじゃない。声も震えていた。


「サンディの幸せがそこにないなら、意味がない。君が、この国を出たいのなら、僕はそれを叶える。僕は………」


 君を、愛しているんだ。


 そう、小さく呟いたルーファスは、泣いていた。

 声もなく、静かに涙を落としていた。



 そうか、この子は、私を優先してくれるのか。


 本当は、私にずっと傍にいてもらいたいくせに、それを押し通したりしない。私を本当に幸せにしたいと、自分の気持ちを殺して、耐えている。


 …………。



 私は、ルーファスを抱きしめた。


 初めて、私からルーファスを抱き返した。


「……サンディ?」

「好き」


 私の言葉に、ルーファスは身を固くする。


「え?」

「好き。ルーが好き」

「……え?」


 いつしかのアリエルちゃんみたいに、戸惑った様子のルーファスを、私は上目遣いで見上げる。

 ルーファスが、ごくりと唾を呑んだのが分かった。


 胸が熱い。目頭も熱くて、視界が揺れる。

 若すぎるとか立場とか、色々と悩んでいたことが全部吹き飛んでいる。


 私、この人が好きだ……。


「だから、ルーが好きなの。愛してる。私、あの、本気なの。だからその、ルーも私のこと……好きって言って?」

「す、好き、だ」

「ルー、嬉しい」


 ぽろりと涙が落ちる。

 それが合図みたいになって、自然と唇を重ね合わせた。

 いつもみたいに軽いキスじゃない、大人のキスだ。ルーは一体、どこでこんなことを学んできたのだ。私だって知らないのに!


 長い間夢中でキスをしていた私達は、離れた時には息も絶え絶えだった。


「……初めてなの」

「え?」

「だから、こんなふうにキスをするのは、初めて」

「…………え?」

「誰かとキスをしたのも、こんなに人を好きになったのも、全部、ルーが初めて……」


 真っ赤になって固まっているルーファスの目の前で、私は破産者の腕輪を外す。


「え!?」

「この間、兄さんが来て、外してくれたの」

「……え? 兄さん? 外せるの? ちょっと待って、情報量が……」

「私以外のこと、考えなくても大丈夫だよ」


 ちゅっと音を立てて、軽くその唇を奪うと、ルーファスはハクハクと口を開いたまま、真っ赤な顔で絶句してしまう。


「ルーのいるところが、私の行きたいところ。私は、私の意思でここにいて、ルーとこうしているの」


 そう言って、私はルーファスの頬に、両手を添えた。


「私のことを好きになってくれて、ありがとう」


 ルーファスは、顔を背けなかった。

 じわりと、彼の目に涙が浮かんで、そのまま零れ落ちる。

 透明で、綺麗な涙だ。その一筋でさえも、なんだか愛おしい。


「……サンドラ様は、僕が迷惑をかけると、いつもお礼を言う」

「迷惑なんかじゃないって、言ってるのに。私、嘘つくの得意に見える?」

「……見えない」


 そう言うと、ルーファスは私をしっかりと抱きしめる。

 ちゃんと納得してくれたようだ。本当によかった。


「……僕で、いいの」

「ルー以外は、私に触れないのよ」

「冗談ばっかり」

「本当なのよ、もう。ルーじゃないと、嫌なの」


 笑いながら、私はそう言った。偽らざる私の本心だ。


 それから、ルーファスは何度も私に「ありがとう」と言った。

 好きになってくれてありがとう。幸せにしてくれてありがとう。そう、何度も何度も、私に囁いた。


 愛する家族が、私の愛しい人が、私を見て、幸せを感じてくれている。こんなに幸せなことってあるだろうか。

 ルーファスを好きになってよかった。そのことを、ちゃんと素直に伝えられてよかった。素直な方が、人生は楽しい。兄さんの言ったとおりだ。


 私達はその後、ルーファスの執務室に戻って、笑いながら夕飯を一緒に食べた。

 お互いに「あーん」と言いながら食べさせあったりしてみて、あまりに恥ずかしくて目を合わせられなくなったりと、色々あったけれども、食べ終わった頃には、いつもの笑顔に戻っていた。


 いつもの、とくべつで、だいじな笑顔だ。きっとこれは、普通になんかならない。




 次の日、私は15時のお茶会にて、ラッセルとアリエルちゃんを、ルーファスと共に迎えた。

 まずは、ラッセルがルーファスに意地悪をしたことを、コテンパンに締め上げた。


「すみませんでした」

「どうせ、『自分が触れないのにお前だけ触れるなんてー!』的な嫉妬だったんでしょう」

「そのとおりです、すみません」


 アリエルちゃんは呆れた顔で、「ラッセル様、人の恋路を邪魔するなんて最低です」と切り捨てている。「まだ俺の側妃なんだぞ!」と言う嫉妬全開のラッセルに、「騙して側妃にしておいて……」「指一本触れられない白い結婚のくせに……」とこき下ろしていた。

 ルーファスは「指一本触れない?」と不思議そうな顔をしていた。


「えっ、ルーファスは知らないの? お姉様には、お姉様が好きな異性以外が触れないよう、結界が……」

「わぁーっ!? アリエルちゃん、やめてお願い!!!」


 私の叫びも虚しく、アリエルちゃんによって、ルーファスは私にかけられた兄さん達の結界の存在を知ることになってしまった。

 私は羞恥で震え上がっていた。もう消えてなくなりたい。


「でも、僕は一度も弾かれたことはないです」

「あらぁ、ルーファスは愛されているのねぇ。ラッセル様なんか、お姉様に発情するたびに電撃をくらって、不能になったというのに」

「アリエル!!」

「ほほほ」


 ぽかんとする私とルーファスの前で、ラッセルが今にも地団駄を踏みそうな真っ赤な顔で、アリエルちゃんを睨みつけている。

 そう言えば、イレイザちゃんが亡くなった時、ラッセルが子を増やすという提案は一切成されなかったような気がする。まさか、不能だったからなのか。そして、私が原因だったとは……。


 若干の気まずさを覚えながら、目をうろうろ彷徨わせていると、ルーファスが頰を赤くして口元を隠しているのが目に写った。


「……ルー?」

「いや、あの……ごめん。嬉しくて」


 自分が愛されていたと知って、にやついているらしい。

 何故だか悔しいしとても恥ずかしいけど、喜んでいるルーファスは可愛い。だから、文句を言うこともできず、私は涙目で床を見るしかできなかった。


 そんな私達の様子を見て、アリエルちゃんは大変喜んでいた。


「あらあらまあまあ、仲がいいこと。これじゃあ、二人の仲を妨害するなんて、できないわよね。――ね、ラッセル様?」


 その一言が最後の一押しとなって、ラッセルの抵抗は終わった。


 私は、ルーファスに、下賜されることとなった。




 しかも、結婚式を挙げることとなってしまった。


 私は恥ずかしいから嫌だと抵抗したけれども、ルーファスがどうしてもウェディングドレスを着た私を見たいと言うので、私は折れてしまった。

 その代わり、貴族達は参列させずに、王族だけで内々に執り行うということで、決着がついた。


 だってね、ラッセルの側妃として「私の子供達やその伴侶の命を大事にしろー!」とか宣っておいて、1年以内にルーファスに下賜って、絶対噂になるでしょ!? 子供達の命……あーなるほどねーカレの命が大事ダッタノネー、みたいな! 生暖かい目で見られちゃうでしょ? もう穴があったら入りたい。私は消え去りたい。どうしても結婚式をしないといけないなら、せめて外野には見られたくない。


 ちなみに、私は後数年は待たないかと訴えたけれども、ルーファスに断固として反対されてしまった。

 出前でしか私に会えない状況に耐えられないそうだ。

 早く前みたいに一緒の家で生活したいとおねだりされて、やっぱり私は折れてしまった。本当に、ここの王族は皆、おねだりが上手い。



 ルーファスの母のフリーダちゃんに私達のことを報告すると、フリーダちゃんは「お姉様が娘になるなんて、私は世界一の果報者です!」と大喜びしていた。ドン引きされると思っていたので、私としては拍子抜けだ。


 うちに通っていた面子も皆、暖かく受け入れてくれた。というか、皆口を揃えて、「ようやく、くっついたか」と言ってくるのだ。どういう、ことだ……。


「外堀はしっかり埋めておいたよ」


 不思議そうにしている私に、ルーファスは満足そうに言う。


「本当に、小さい頃からずっと私のことが好きだったの?」

「もちろん。プロポーズを断られたこと、鮮明に覚えてるよ。絶対に許さない」

「執念深い!!」


 でもさ、5歳のプロポーズを受け入れる145歳ってなんなのよ!?


「嘘でも、大きくなったらねーって言ってくれたら、そこにつけ込んだのに」


 黒い笑顔で言わないでほしい。


「……こういうねちこい王族の性格が、毒の国を作ったのかも」


 私を抱きしめながら、ルーファスはポツリと呟く。

 沈んだ声で言われた言葉に、私は首を傾げる。


「それは分からないけど……。ルーファスはそんなことしないわ。そうでしょう?」


 毒で何度も死にかけて、辛い思いをして。

 それを知って、他の人に同じ思いをさせたいと思うような人ではない。


「ルーは、自分の痛みを他の人に押し付けることをしない強い人だわ。だから、私は好きなの……」


 だんだん恥ずかしくて、声が小さくなってしまう。

 顔を見られたくなくてぎゅっと抱きつくと、「生殺しだ……」という切実な呟きが上から降ってきた。ええと、聞かなかったことにしよう。





**********




 果たして、内輪で結婚式を終えた私は今、ルーファスと共に王宮の一室に住んではいるものの、通いで、リチャードの後宮で三度のご飯作りをしている。

 私が毒を許さない宣言をしたとはいえ、貴族の毒殺癖はすぐには治らないので、皆のご飯作りはやめられないのだ。そして、生きているラッセルの後宮と違って、亡きリチャードの後宮であれば、成人した王子であるルーファスも立ち入ることができる。


 だから私は毎日リチャードの後宮で、ルーファスも含めていつもの顔ぶれで、三食ご飯を食べていた。

 皆相変わらず、美味しい美味しいと、私の料理を食べてくれる。

 食べている皆も、作った私も、全員が笑顔でいっぱいだ。




「ルー」

「何? サンディ」

「20年後くらいかなぁ。この国から毒の風習が消えたら、私の村に行かない?」


 キョトンと目を瞬くルーファスに、私は笑顔でおねだりする。

 私が夜会で宣言して一年以上経ったけれども、やはりまだ完全に毒の風習が消えたとは言い難い。実際、森花ちゃんと水花ちゃんは大活躍だ。

 だから私が年単位で国を空けても大丈夫になってからにはなってしまうけれども、一度村に帰ろうと思っているのだ。

 そしてその時は是非、ルーファスも一緒に来てほしい。


「ちゃんと、ルーファスが生きているうちに、村に帰って報告したいなと思うの。私の好きな人ですって」

「僕も一緒に連れて行ってくれるの」

「もちろんよ。往復で20……ゲフゲフ、2年くらいかかると思うけど、一緒に来てほしいの」

「20……?」

「2年よ! 2年!」


 必死に取り繕う私に、ルーファスは優しい笑顔で応じてくれる。


「じゃあ、サンディが国を空けても大丈夫なように、頑張らないとだね」

「うん。期待してるわ、ルー。兄さんも言ってたんだけどね。うちの村の人達って、世界的に有名な身内に甘い戦闘民族だから、あまり長い間私が帰らないと、心配して探しに来ちゃうと思うの」

「……え?」

「ルーが頑張ってくれるなら安心ね。私を縛るような国などいらん! って、手のひら一押しで王宮を全壊させるような人達なのよね、あの人達」

「…………え?」

「肩の荷が降りたわ。私のせいで国家存亡の危機とか、嫌だったのよね。ありがとうルー、よろしくね」


 そう言って頰にキスを落とすと、ルーファスは目を白黒させながら、「え?」「サンディ、旧姓は?」「え、サンダーソン!?」と愕然としていた。


「急にサンダーソン!? なんなんだ、悩みが尽きない……」

「まあ、でもね。なんだかんだ迎えに来ちゃったら、対策はなくはないのよ」

「……対策?」


 期待の目で見てくるルーファスに、私は恥じらいながら、目線を彷徨わせる。


「だから、あの人達は、私が幸せならなんでもいい訳で……」

「うん?」

「ルーが私を好きでいてくれるなら、私は幸せなの。だから多分、大丈夫……」


 小声で呟く私に、ルーファスは満面の笑みだ。


「そういうのなら得意だよ。任せて」

「う、なんだか嫌な予感がする」

「とりあえず、10人くらい子供を作ろう。証拠固めは大事だよね」

「証拠固めで子作り!?」


 そんなことを言いながら、ルーファスは流れるような仕草で私を抱き抱えて、寝室に連れて行ってしまった。

 最近、ルーファスのスキンシップは本当に過剰だ。夫婦になったとはいえ、こんなに必要なものなのか。本当に本当に過剰で、睡眠不足で本当に困っているのだ。助けて、兄さん。




 結局、私はルーファスとの間に、8人ほど子を設けることとなってしまった。四捨五入で10人!



 そして、私という探知機がいたのがよかったのか、毒の風習は無事、10年くらいで廃れた。本当によかった。


 子供達は今、私の手料理じゃなくても、安心して食事を口にすることができる環境にいる。

 でも、ルーファスだけは相変わらず、私の手料理しか口にしない。


「お母様、なんでお父様はお母様の料理しか食べないの?」

「んー? なんででしょうね。お父様が甘えん坊だからかしら」

「甘えん坊!」


 娘達は、「パパは甘えん坊!」と言いながらルーファスにまとわりついてる。

 ルーファスはそれを、幸せそうな顔をして受け入れていた。



 最初は騙されて連れてこられた、この王宮。

 でも今は、特別で大切なもので溢れている。


 皆に幸せになれと言ったけれども、きっと私が一番幸せだなあと、私は今この時間をしっかりと噛み締めるのだった。








  終わり。

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