第6話 ルーファスとお買い物




「サンドラ様。僕も買い出しに一緒に行きたい」



 12歳になったその日、ルーファスは私にそんなことを言ってきた。

 賄賂のクッキーを食べたくせに、蒸し返すとはなんて奴だ。


「だめだよ、危ないもの」

「サンドラ様は危ないことをしてるの」

「そうじゃない。ルーが、護衛もなしに外に出るのが危ないって言ってるの」

「サンドラ様の傍より安全な場所はないよ」


 全幅の信頼が重い!


「でもね、ルーファス」

「お願いします」

「ルーったら」

「サンドラ様」


 だんだん、私は壁際に追い詰められていく。

 ルーファスは子供だけれども、身長はすでに160センチは超えている。私が162センチなので、ほとんど同じくらいの背丈だ。

 まだ12歳なのにおかしいって? 私だってそう思うよ! でもね、聞いて。ラッセルもリチャードも、180センチ以上背丈があるの。巨人なの!! 10代半ばで巨人に仕上がるためには、12歳時点で160センチは当然で、王家の血筋的にはまだ小さいらしいの。162センチの背丈で完成してしまった私には、信じがたい世界だ。


「ルー、大きくなったねぇ」

「ごまかさないで。僕も一緒に行く」

「だめだったら」

「サンディ」


 え? え、何、ここで愛称で呼んでくるの? くそラッセルとは違う、プレイボーイの血を感じる!


「今日、僕の誕生日なの、知ってるよね。プレゼント、欲しいな」

「……」

「一回だけ。ね、サンドラ様。お願い」


 首を傾げると、淡い金髪がふわふわと揺れる。あざとい。うちの子、あざと可愛い……。



 私は折れた。



 なんだ、何なのだ。ここの王族はおねだりがうますぎないか。いつも私は、こいつらの掌の上だ。


 しかし、その日は私はルーファスを買い物に連れて行かなかった。行かなかったというか、行けなかった。

 何しろ、ルーファスの服は王子仕様なので、キラキラしすぎて市井で浮くこと間違いなしなのだ。

 だから私は、その日は、王都で、ルーファスが着るお忍び用の服を買ってくるに留めた。


 翌日の昼ごはんの後、私はルーファスをつれて、王宮の階段を上に上がっていく。


「どこに行くの?」

「し! 静かに」


 防音魔法は使ってないので、静かにして欲しい。


 私の精霊友達の魔法は基本的に、彼女たちが大好きな私や自然を対象にしたものしか長く使えない。つまり、ルーファス単体に、精霊友達の魔法をかけることはできない。

 そこで、私とルーファスは、手を繋ぎながら階段を登っていた。私と接触することで、光花ちゃんが私にかけている透明化の魔法が、ルーファスにも及ぶのだ。


 歩いて歩いて、ようやく目的の場所に辿り着く。

 王宮内部のとある塔の屋上だった。


「ルーファスがいるから、箒を持ってきたのよ」

「意味が分からないし嫌な予感がする」

「じゃあやめとく?」

「……」


 ぎゅっと手を握ってきたので、止める気はないのだろう。

 仕方がないと諦めた私は、箒にまたがった。


「ほら、後ろに乗って」

「え? いや、まさか」

「箒に乗ったら、このベルトで私とルーを固定して。ルーは私に触ってないと軽量化の魔法が解けるから、落ちるわよ」

「…………」

「ルー?」


 ルーファスは躊躇いつつも、箒にまたがった後、言われたとおりに私たちの体をベルトで固定した。そして、おずおずと、私の腰に腕を回す。よし、これで魔法が解けて落下することはないだろう。


「行くわよー」

「うわっ、わ、わっ、飛んでるとんでる!!」

「ちょっと、王宮から離れるまで声を落として!」


 こうして、光花ちゃんの透明化魔法、闇花ちゃんの軽量化魔法、風花ちゃんの浮遊魔法をかけられた私達は、優雅に空の旅を始めた。

 いや、優雅だと思っているのは私だけかもしれない。

 ルーファスは、私の腰周りをこれ以上ないくらい強く抱きしめながら、緊張しているのだろう、体を強ばらせていた。


「ルー、この高度ならもう喋っても大丈夫よ」

「なんで、こんなルートを」

「こんなルートじゃないと、結界に引っかかるのよ」

「結界?」


 この国には、宮廷魔術師達がいる。

 彼らは王宮の防衛も担っていて、王宮に結界を張って、勝手に出入りができないようにしているのだ。

 ただし、上空からやってくる敵はあまりに少ないため、省エネの観点から、王宮上空は結界が張られていない。

 雨が地面に届いてくれないと、庭園の草木も困るしね。


「なんて杜撰な……」

「んー、そう? 効率的だと思うけど」

「現に、こんな簡単に行き来されてる」

「私みたいなのは、いざとなったら結界を破壊できるからあんまり意味ないのよ」


 空の旅はいつも楽しい。私はいつになく上機嫌だ。

 憮然としていたルーファスは、私の笑顔を見て、「サンドラ様には敵わない」とポツリと呟いて、頬を緩めた。

 うんうん、固いことを考えるより、空の旅を楽しむのが正解だよ。私に引きずられなさい。


 王都に着いた私達は、食肉市場でお買い物をすべく、果物市場や魚市場を通り抜ける。


 うきうきしている私と違って、ルーファスは借りてきた猫みたいに、私の後ろを静かについて回っているだけだった。けれども、目線はきょろきょろと忙しそうに動いている。興味津々みたいで、なんだかんだ楽しんでいるようだ。


 ただし、私がいろんな店の人から、「サンディ今日も美人だね! 買っていかない?」「サンドラ、いいの入ってるよ! かわいい子向けだよ!」と声をかけられているのを見ては、眉に皺が寄っていた。なんでだ?


「ドラちゃん、今日もかわいいねー」

「おじさん、よく分かってる! いいの入ってるの?」

「今日は珍しく、鮎が大量でね。お肉なんかより、どうだい?」


 いつもお世話になっている魚屋のおじさんが、声をかけてくれる。

 どやっといい笑顔で見せてくれたのは、大量の新鮮な鮎だった。鮎! 私の大好物である。つやっつやの、ぴちぴち……。


「うわー美味しそう! 負けてくれるなら、買っちゃおうかな〜」

「ドラちゃんがそういうなら仕方ないねえ。ほれ、何匹買う? 20匹かい?」

「うーん、これは多分、おかわりが出るよねぇ。えーい、45匹!」

「気前もいいとくらぁ! よし、このぐらいでどうだ!」

「安い! おじさん大好き!」


 45匹の鮎を袋に入れてもらい、それを持ってきた密封できるバッグに仕舞い込む。王宮で、魚の匂いをさせる訳にはいかないのだ。


 ついでに、今日のお魚屋さんは一味違った。

 なんと、生の魚を売ってるだけじゃなくて、隣で、炭で焼いた塩焼き鮎も売ってくれている! これは買わずにはいられない。


「ルー、これ食べながら行こう! おじさん、焼き鮎も二本!」

「えっ、でも」

「はいよ、毎度ありー」

「おじさんありがとう! またね!」

「明日も待ってるよー!」


 私は強引に二本の焼き鮎を買うと、一本をルーファスに手渡す。

 ルーファスが、ごくりと唾を飲んだのがわかった。


「美味しいよ。骨まで食べられるんだから」

「でも、森花フォリファさんがいないのに」

「市井で売ってるものに毒を盛るやつなんていないわよ。皆の商売や外交、観光に影響が出るからね」


 そう言って、私は鮎にかぶりつく。


「うんまーい! 美味しいぃ」


 ふわっふわの鮎の身に、塩だけの味付けが堪らなく美味しい。

 これだけ美味しい鮎だ。今日は絶対に一人二匹は食べるだろうな。男子組は三匹かもしれない。

 火花ちゃんに協力してもらって、うちでも炭火の塩焼きにしようかな。


 私が美味しそうに鮎を頬張っているので、ルーファスも恐る恐る、焼き鮎を口にする。


「うわ、美味しい」

「でしょ? 今日はせっかくだから、色々買い食いとかもしちゃおう」


 あっという間に消えてしまった鮎を見て、私はにんまりと笑う。

 買い食いを躊躇っていた癖に、あっという間に鮎を平らげてしまったルーファスは、バツが悪そうに頬を赤くしながら頷いた。


 それから私達は、焼きまんじゅうや棒に刺さった甘菓子を買って食べながら、ゆっくりと市場を通り過ぎていく。

 ルーファスも慣れてきたのか、「あのお菓子が食べたい」だの「あれは何?」「これも美味しそう」と、いつもの元気を取り戻していた。


 ふと、ルーファスが、ある露店で立ち止まっていた。


「どうしたの? 欲しいものがある?」


 目線の先を見ると、紫色の小さな宝石がはまった、かわいい指輪だった。


「……っ、別に、なんでもない!」

「ん? 多分女物だね。何なに、あげたい子でもいるの?」


 返事がない。おや? これは本当に、当たってしまった?


「……あげたい子は、いる」


 つい、目を丸くする。そっか、ルーファスももう、そんな年なのか。

 耳まで真っ赤にしながら、こちらを見ない彼は、私の知らないうちに大人の階段を登っていたらしい。


「でも、お金とか持ってないし」

「……なあに、そんなことで落ち込んでるの?」

「そりゃあ、落ち込む」


 んー、と私は考え込む。

 確かに、王子や王女達は、現金を持つことはない。予算は貰っているけれども、金額が金額なこともあり、親達が管理していて、お小遣いのように自分達で使えるお金を与えられるのは、まだ先の話だった。


「家に戻ったら、このぐらいのものならなんでも買ってもらえるよ」


 王宮の予算からでも、フリーダちゃんの実家からでも、なんでも買ってもらえるだろう。


「それじゃ、意味ないんだ」

「私が買おうか?」

「絶対にやめて。……行こう」


 ルーファスは、有無をいわせず、私の手を引いて先へ進んでいってしまう。

 けれども、分かれ道が来たところでぴたりと止まってしまった。


「道が分からないんでしょう」

「……どっち」

「どっちだろうね」

「サンドラ様!」


 頬を赤くして怒っているルーファスは、やっぱり可愛い。

 その頭を、嫌がられながらもぐりぐり撫でて、「左だよー」と答えを教えてあげる。


「もう、行くよ!」

「ふふっ」

「なんでそんな、嬉しそうなの」


 なんでだろう。自分でもよく分からない。


「ルーファスが恋をして、嬉しいような、寂しいような」

「……嬉しいの?」

「そりゃあもちろん。ルーには幸せになって欲しいんだよ」

「……そう」


 それから、しばらくルーファスは落ち込んでいたけけれども、結局街の喧騒に引き摺られて、最後は笑顔になっていた。ちょろいお子様である。

 結局、普段1時間で終えている買い物に、しっかり2時間も使ってしまった。食肉市場でお肉を買って、元の場所に戻った頃には、時間はギリギリだ。


「そろそろ帰ろっか。15時に遅れるとラッセルがうるさいし」

「……」


 しまった、ラッセルのことを口に出すと、ルーファスはいつも機嫌が悪くなるのだ。

 それ以上何も言わず、私はルーファスを箒の後ろに乗せて、行きと同じように、空を通って王宮に戻る。


「ルーファス、今日は楽しかったね。一緒に来てくれてありがとう」


 私がお礼を言うと、ルーファスは、私の腰に回している手に力を入れた。


「……僕が迷惑をかけると、いつもサンドラ様はお礼を言う」

「迷惑じゃないよ。楽しかったもの。毎回ついてくるなら、確かにちょっと困るけど」


 私は一応この道中、ルーファスが誘拐等の危険に晒されないよう、ずっと気を張っていた。まあ、正確には、私を守っている雷花ライファちゃんが気を張っていたので、私はノー天気なものだったのだが。毎日となると、ちょっと気疲れしちゃうかもしれない。


 私の言葉を聞いて、ルーファスは、ポスンと私の肩に、後ろから頭を埋めた。


「ルーファス?」

「……」

「まだまだ甘えん坊さんだねぇ」


 けらけら笑っている私に、ルーファスは、聞き取れるか聞き取れないかという小さな声で、ぽつりと呟いた。


「……僕だって、サンドラ様のこと、綺麗だと思ってる」


 え!? ちょっとなに、どうしたの。聞こえちゃったんだけど。聞いてないふりした方がいい?


 結局、私達はそこから、私の棟に帰るまで無言だった。

 別に照れていた訳ではない。相手はたった12歳の子どもだ。ちょっと褒められたからって、こんなふうに狼狽えてしまうなんて、そんなことはあってはならないのだ。


 本当に、ルーファスはどうしちゃったのだ。恋か。恋がこの子を、こんなマセた子に育ててしまったのか。恋愛スキルにおいては、お義婆ちゃんわたしよりもはるかに伸び代があるようだ。恋ってすごい。


 私は少しだけ、ルーファスが好きな子が誰なのか、気になってしまった。もちろん、ほんの少しだけだ。

 そして、ほんの少しだけ、寝る前のベッドの中でゴロゴロしながら悩んでしまった。


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