第4話 そしてズタボロ雑巾を拾った
最初の印象は、床に落ちていたボロ雑巾。
とても王子に対する感想ではなかった。
「ちょっとあんた、大丈夫!?」
リチャードを弔って1年。喪が明けてからようやく、私は久しぶりに後宮をぷらぷら歩いていた。
私の部屋は後宮にあるけれども、後宮にはない。
リチャードが即位した際に、ラッセルの妃である私は、リチャードの正妃であるイレイザちゃんとは別の建物に住みたいという要望を出し、それが認められたので、後宮の敷地内にある別棟を利用しているのだ。トイレ台所風呂完備なので、リチャードの側妃達とは一切顔を合わせることなく生活することができている。
だから、久しぶりに後宮内を歩いていて、まさかこんなボロ雑巾のような子どもを拾うとは思わなかった。
「うぇっ……う、げほ」
大丈夫ではないようだ。何かずっと吐き続けている。
なんだこれは、食中毒か? いや、……毒?
「誰か来なさい! 水!」
なんだこれ。誰もこないじゃないか。
ここにいる子供なんて、全員リチャードの子供のはずだ。王子がこんな状態なのに、誰も助けに来ないとは何事だ!
「
私は木の精霊友達と、水の精霊友達を呼ぶ。
自分の魔法で氷のグラスを作り、
冷たい水は体に悪い? 知るか、他に水の入れ物がないんだ! 土の器の方がいいっての?
なお、この頃には、私の魔法禁止の腕輪は外されていた。精霊友達がいるから意味がないということらしい。
それでも、破産者の腕輪は破壊できなかった。なんだこの腕輪。
私は、ボロ雑巾に物を吐かせている傍で、
植物毒だ。
細菌毒と違って、物が腐ったりして自然発生する訳ではない。自分で摂取するはずもないから、誰かに盛られたのだろう。
「
『植物の毒に、治療薬はない』
「どうしたら!?」
『とにかく吐かせる。水を飲ませて、吐かせる』
結局、やることは一緒らしい。
何度も吐かせては、水を飲ませて、吐かせる。
吐くものが無くなって落ち着いた頃には、ボロ雑巾は、ズタボロ雑巾に進化していた。
私は、ズタボロ雑巾を自分の棟に連れて帰った。
「何かあったら呼んで!」
火の精霊の
ズタボロ雑巾の吐いた後を、侍女二人が掃除していた。おいこら、呼んでも来なかったのに、今更何をしているのだ。
彼女達はぎょっと私を見たけれども、そんなのは無視だ。
そのまま、ズタボロ雑巾が出てきたであろう部屋に、先触れの声がけもせずに突入する。
っていうか、声がけしようにも、誰もいないのよ。侍女も護衛も、誰もいない。なんで後宮なのに、誰もいないのよ!
女性が一人、倒れていた。やっぱり!
彼女の周りにも、大量に吐いた後がある。
「ちょっと! 意識はある?」
痙攣している彼女の頬を叩いて、大声で呼びかける。
すると、ゆっくりとその目が開いた。さっきのズタボロ雑巾と同じ、空を模した澄んだ色をしていた。
「あ……う、……」
「いいから水を飲んで! とにかく、吐けるだけ吐きなさい!」
私は、自分で作った氷のグラスではなく、自分の家から持ってきたコップに、水花ちゃんにぬるい水を注いでもらう。
冷たい水は体によくないからね。
「い、や……」
怯えたような顔をする彼女に、私は水を自分で飲んでみせた。
「大丈夫だから。これで安心でしょう? 早く飲んで! 全部吐きなさい」
女性の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
何度も水を飲ませて、何度も吐いて、ようやく落ち着いた頃には、彼女もズタボロ雑巾になっていた。
私は
そして、自分の棟まで、彼女をお持ち帰りした。
掃除をしていた侍女達は、女性を抱き抱えている私を見て、ぎょっと目を剥いた。
「お前ら顔は覚えたからな! クビだクビ! ふっざけんなよ!」
ガラ悪く激怒する私に、二人の侍女は真っ青になって逃げていった。
二人の顔? 多分覚えている。私は覚えてないけど、後で
ズタボロ雑巾二人をお持ち帰りした私は、暇に任せて、何日もせっせと看病をした。
植物に詳しい
私は、緑茶と、砂糖と塩を少し入れたぬるま湯を定期的に飲ませながら、二人の様子を見守る。
最初は警戒していた二人も、「試飲するわね!」と言いながら美味しそうに全部飲み干してしまい、結局2杯目を注ぐ私を見て、だんだんと安心しながら飲み物や食事を口にするようになっていった。
なお、毎日10時のお茶に来ているアリエルちゃんも、毎日15時のお茶に来たラッセルも、当然二人のことは知っている。
知っているし、心配もしていたけれども、私は国の重鎮二人を、ズタボロ雑巾二人には会わせなかった。まずは体力の回復が最優先だ。
「それでさ、あんた達って何者なの?」
二人を拾って三日位たった日、食事の材料の買い出しから帰って、15時のお茶の準備をしている私がポロッとそんなことを聞くと、ズタボロ雑巾二人はぎょっと目を剥いて私を見た。
「ご存じないから……助けてくださった?」
「いや、知ってても知らなくても助けるでしょ」
何を言っているのだこの子は。私、そんな鬼畜に見える?
当たり前のことを口にすると、二人はボロボロ泣き出してしまった。ちょっと、二人の正体は? 名前とかさぁ!
「ありがとうございます。ありがとう、ございます、……サンドラ様」
「ちょっと、私の名前知ってるの? 私は知らないのに!」
「そう、ですね。それはいけませんね……」
彼女は、体も弱り水分が不足しているというのに、ボロボロ泣いて、無駄に体力を消費していた。なんて、悪いズタボロ雑巾だ。罰として、小さなイレイザちゃんにしたみたいに、ぎゅーっと抱きしめてやった。
そうしたらもっとわんわん泣き初めてしまい、「もー、よく分かんないけど、あんまり無理しちゃだめよ?」と頭を撫でると、さらにわんわん泣いていた。
結局、名前を聞き出すのに成功したのは、それから30分も経った後だった。
なお、隣のベッドで、「僕も! ずるい、僕も! お母様ずるい!」と、小さいズタボロ雑巾が喚いていた。こっちは意外と元気だな。
残念だったな、君のお母さんが私にしがみついているので、私は動けないのだ。30分後、小さいズタボロ雑巾は、掛け布団のシーツを噛みながら、悔しそうにこちらを見ていた。うちのシーツを噛むんじゃない、私が洗濯してるんだぞ。
ようやく聞き出した話は、色々と最低だった。
大きいズタボロ雑巾は、リチャードの13番目の側妃で、フリーダと言うらしい。側妃の選考基準は、いかにリチャードの亡き妻イレイザちゃんに似ているかという一点のみだったため、平民だったフリーダは、身分に関係なく召し上げられてしまったのだ。
そして、リチャードの愛は全てイレイザちゃんに費やされていたので、彼の後宮は殺伐としたものだったらしい。若くして愛されない側妃達の鬱憤は、お互いや配下の侍女へと向けられ、外からは分からないように、巧みな嫌がらせが横行していたそうだ。
大豪商の娘とは言え、平民で13番目という最後順位の妃だったフリーダは、恰好の餌食だった。さまざまな嫌がらせに遭いながら、実家のお金を駆使して、なんとか子どもを産み落とす。
しかし、産んだのが男の子というのが運の尽きだった。
13番目に生まれた子、ルーファスは、リチャードの子の中で初めての男子であったのだ。12番目まで全員女の子を引き当てるとは、リチャード、稀有な奴である。
問題は、この国の国王位を継げるのは男子のみということだ。男が一人も生まれない場合は、仮の王として女が王太子に選ばれることもあるけれども、ルーファスが生まれたことで、その目は無くなった。
そして、何よりも問題なのが、この国で大きくなれる王子王女は、慣習上、一人だけということだった。
だから、他の側妃達はこぞって、まずはルーファスを目の敵にして、蹴落とし、なんとしても自分の子を生き残らせようとしていた。もちろん、ルーファスの後にもリチャードの子は産まれていたし、その中に男児もいたけれども、平民出身のフリーダの子である長男ルーファスは、貴族である他の側妃達にとって、誰に庇われることもない恰好の餌食であったようだ。
それでも、リチャードが生きている間は、大した動きがなかった。
しかし、リチャードを弔って既に一年。リチャードの妃達は暗躍を始め、とうとう今回の事件に至ったらしい。
「ちょっと待って。一人しか大きくなれない慣習って何よ」
今にもツノが生えそうな私の言葉に、一方的な被害者のフリーダとルーファスは、何故か申し訳なさそうに小さくなっている。
「毒は、貴族の嗜みですから」
「ふざけんなぁー!」
ツノが生えたかと思ったわ!
どんな嗜みだ、酒やタバコとは訳が違うんだぞ!
「ほ、本当なのです。毒は、この国の貴族の嗜みなのです。私は毒を嗜んでいないどころか、ルーファスのために守り石も用意してあげられない、だめな親で……」
「守り石?」
なにやら、毒による暗殺が横行するこの国の貴族は、守り石という石を懐に忍ばせて、毒から身を守っているらしい。
宝石商が売っているのだが、高価なだけでなく、お得意様以外に売ると信用が崩れると言うことで、貴族にしか売ってくれない貴重な品なのだとか。
「……
『そういえば、この国の貴族は大体、紫水晶を後生大事に懐に入れていますね』
「それ、持ってるだけで、毒から身を守ってくれる?」
『いえ別に』
…………。
「この国の貴族は馬鹿なの?」
「それは、その……。そうかもしれません」
高価で貴重な守り石に効果がないとはっきり言われてしまい、フリーダは困ったような顔で言葉を紡いだ。
「なんとなく事情は分かったわ。それで、二人はどうしたいの?」
「どう、といいますと」
「最後の一人になりたい?」
血で血を洗う跡目争い。肉親の屍の山の上で、最後に残った一人こそが勝者! もらえる称号は、《毒殺の専門家》か?
……そういえば、王妃アリエルちゃんも息をするように私に毒を盛っていたな!
「……私は、この子とひっそり暮らせればそれでいいのです。けれど、この子は……ルーファスは第一王子です。私が実家に帰ったり、再婚してしまうと、この子は一人、
ほろりと涙をこぼしながら、フリーダはルーファスを見つめる。
ルーファスは、床を見ながら、唇を噛み締めていた。
「ねえ、あんた達の侍女とか護衛は?」
「実家から連れてきた者は全員、殺されました。もうこれ以上は、誰も来てくれなくて」
「……いつもはどうしてるの?」
「他の王妃の手配した侍女か、王宮配属の共通侍女が、世話をしてくれます」
「世話したご飯に毒が盛られてる訳ね?」
「……」
あーあー、もう。
本当に、馬鹿だと思うんだけど、私こういうの、本当に弱いのよね……。
結局、私は二人をうちに引き取った。
私のいる棟は、前国王の側妃用に建てられた建物だから、無駄に広いのだ。まあ、ラッセルが前国王だったのは10年にも満たなくて、すぐ現国王に復帰してしまった訳だけれども。
引き取ってしばらく経った後、駆け回れるようになったルーファスは、私に頭を下げた。
「何でもします。僕が大きくなったら、きっと恩をかえします。だから、僕たちをみすてないでください。ずっとここにおいてください」
震えながら、泣きながらお願いするその姿に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。
だって、この子は5歳児なのだ。こんなことを言わなきゃいけない5歳児ってなんなんだ?
私はしゃがんで、ルーファスと目線を合わせる。
「ルー、急にどうしたの?」
「……」
「言わないなら高い高いの刑だ!」
私はルーファスをひょいと持ち上げて、高い高いをしながらくるくる回った。
ルーファスはめちゃくちゃ軽いのだ。この子は今まで、毒入りの食事ばかり食べていたせいで、ほんの少しずつ、しかも少量しか食事をしない癖がついている。もっと食べさせなければ。
殊勝な顔をしていたルーファスも所詮は5歳児だ。高いところに持ち上げられて、きゃあきゃあ言いながらはしゃいでいた。
その笑顔を見て気が抜けた私は、ルーファスを支えきれなくて、抱き締めながら、ベッドの上に二人でダイブする。
「ベッドが柔らかくてよかった!」とけらけら笑っていると、ルーファスがポツリと呟いた。
「幸せすぎて、怖いんだ」
ん? どうしたどうした。
なんだか、老齢の哲学者みたいなことを言っている。
いやどっちかというとイレイザちゃんと初キッスをしたばかりのリチャードみたいな。
「リチャードみたいなこと言ってどうしたの」
はっ、また心の声が口から出てしまった。
「……父様?」
ぱちぱちと目を瞬くルーファス。空色の瞳が、まんまるく見開かれている。金色の長いまつ毛もかわいい。髪の色はリチャード由来の金髪だけれども、その顔はイレイザちゃん……にそっくりな、フリーダそっくりだ。
「うん。リチャードも幸せ絶頂の時に、ルーと同じこと言ってたよ」
「父様が……」
嬉しそうにほんの少しだけ頬を染めるその姿は、5歳のときのイレイザちゃんに負けず劣らず可愛かった。はー可愛ええ。
「ルーは可愛いねえ」
隣に寝そべっている可愛い子のふわふわの金髪を撫でていると、撫でられた本人は真っ赤になって、ぷい、と可愛い顔を背けてしまった。
「ルー?」
「……」
「ルーってば」
「……」
「私のこと、嫌いになった?」
「そんな訳ない!」
ばっと音が出そうなぐらいの勢いで、ルーファスは身を起こしてこっちを向く。
その必死の形相に、私はまたけらけら笑ってしまった。
「分かってるよ。こっちにおいで」
「……」
「ルー、ほら」
渋々、といった様子で、ルーはおずおずと私の方にやってくる。
私はルーを、これでもか、としっかり抱きしめた。
「いつも一緒にいてくれてありがとうね。ルーがいっぱいご飯食べてくれて、フリーダちゃんが沢山美味しいって褒めてくれて、私は幸せだよ」
「そんなの、うそだ」
「嘘じゃないよ。本当だよ。私、嘘つくの得意に見える?」
「……」
納得したようだ。それはよかった。
「二人がねぇ、今はまだ不安で不安で仕方がないの、知ってるよ」
実は最近、二人の後追い行動がエスカレートしている。
私は、お昼ご飯の後に、食材の買い出しに王都に降りる以外は、ほとんど自分の家でグータラしている。
だから、私が家にいない時なんて、ほんのわずかな間だけだ。
それなのに、私の姿が見えないと、二人とも必死になって探し回っているし、私を見つけた後も1時間ぐらい、私にべったり寄り添っている。まあ暇人なのでそれは別にいいんだけど、トイレの扉の前までついてくるのはそろそろ勘弁してほしいところだ。
「いつか、このくらいのことが普通だって思えるといいね」
私の胸の中で、ルーファスが静かに沈黙している。
「……そんな日、こない」
「えー?」
「だって、僕は今がいちばん幸せだ。とくべつで、だいじなんだ! 普通なんかじゃない!」
急に身を起こした5歳児は、寝ている私の上から、なんとこんなマセたことを宣言した。
「だから、今がずっと終わらないようにするんだ。ぼ、ぼくは大人になったら、サンドラ様をお嫁さんにする!」
おお、ルーファス君にそんなことを言ってもらえるなんて、光栄だなぁ。
しかし困ったね。私は不本意ながら、人妻なんだ。
うーんしかし、こういうのってどう答えればいいのかな? 私の近くにいた子供なんて、リチャードとイレイザちゃんくらいだし、二人は私そっちのけで仲が良かったから、こんな経験をしたことなんて今までないのだ。
相手は5歳児、されど真剣なご様子。
顔は真っ赤だし、私の両肩に差し置かれている紅葉みたいな御手手は、ぷるぷる震えている。あああ可愛いいい。
「ルー、ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど」
「嬉しいことは、お礼を言って、素直にうけとるべきだ!」
「いいこと知ってるね、偉い偉い。でもねー、私、人妻なんだよね」
おお、真っ白になった。
人が真っ白になるって、こういうことを言うのか。
人妻というには、実態的に語弊がある気はするけれども、実際人妻なのだから仕方がない。すまぬルーファス、初恋は実らぬと本に書いてあったぞ!
「ついでに、夫は君のお爺ちゃんだよ」
さらにルーファスは真っ白になっていた。
もう言葉もないようだ。
「……うそだ! サンドラ様とお爺ちゃんとは年も離れてるじゃないか!」
いや、言葉はあるみたいだ。まだ頑張るか。
「私、145歳だから」
「!!?」
どうやら、ルーファスは私がエルフだということを知らなかったらしい。
想定以上の年齢差に、愕然としていた。うーん、すまぬ。
「ううぅ……」
「あれ、泣いてる? 泣いちゃってる?」
「うるさい! 僕と結婚してくれなきゃいやだ! お爺ちゃんが死んだ後でもいい!」
「リアルな妥協案出してきた!?」
結局、ルーファスは5歳児らしく、そのままわんわん泣きだしてしまった。
事情を知ったフリーダちゃんにはめちゃくちゃ謝られた。こっちこそ、ルーファスを泣かせちゃってごめんね。
私は、もうちょっと濁した返事の方がよかったのかと反省して、夕飯のとろふわオムライスを片手に許しを乞うてみた。
奴はすぐに笑顔になっていた。もぐもぐ食べてるほっぺは幸せで一杯だ。ちょろいお子様である。
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