不幸図書館

春泥

ようこそ、ようこそ

 ようこそ、不幸図書館へ。私は司書で館長のブカウォームと申します。どうぞ、お見知りおきを。あなたがこの国にずっとお暮しになるのなら――我々一同心からそれを望んでおりますが――この図書館との関係もずっと続くということです。末永いお付き合いになるよう心から祈っております。


 ご存知とは思いますが、この国の永住権を得るための条件はただ一つ、この図書館の蔵書を順番にもれなく読んでいただく、それだけです。まずは三冊。これは一ヶ月以内に読み終えていただきます。


 おや、読書はあまりお好きではない? 


 ご心配なく。必要ならば二週間の期限延長が可能です。延長は一回のみ許可されます。


 ああ、そんな不安そうな顔をしないでください。


 この通り、さほど厚くもない本を、たった三冊ですから、ご安心を。必要ならば、読書期間に入る前に読み書きの訓練コースを受講していただくこともできますし、やむを得ない事情があれば朗読人を斡旋しますので、遠慮なくおっしゃってください。この図書館の蔵書を実際に読んでいただくということが大事なのですが、識字障害の方、今まで読み書きを習う機会に恵まれなかった方を排除するつもりはございません。こちらの流儀に最大限の敬意を表していただけるのであれば、我々もできる限りのお手伝いをさせていただきます。私どもにとって、新たな住民というのは、この国の未来を担う貴重な財産なのですから。


 最初の三冊を読み終えるまでは、仮住民センターで過ごしていただきます。当座の生活に必要なものは、全てそろっているはずです。課題図書を読む以外では、この国でできるだけ早く仕事に就けるように、ソーシャルワーカーがお手伝いをいたします。職業訓練コースも各種取り揃えております。訓練の種類によっては、仮住民センターでの生活が最長六ヶ月まで延長されます。詳細については、またその時になったらお話しすることにしましょう。


 国民一人一人が皆自分にできる仕事をするというのがこの国の原則だということをご理解ください。勿論、病気や怪我、障害等で働くことができない場合は別です。弱者は、皆で一丸となって助けなければなりません。働けない者、働けなくなった者は切り捨てよなどという考え方をお持ちの方は、このコミュニティにはそぐわない。ここでは誰もが、自分と他者の幸福を実現することをモットーとしているのですから。


 ところであなた、ここに来る前は何を……? 

 ああ、そうですか。そうでしたか。それはすばらしい。それならば、すぐに仮住民センターを出て自活することができるでしょう。


 職業が決まれば、それに合わせて本住居の手配も致します。家賃・生活費は、初めの三ヶ月間は無料です。新しい環境に慣れるための準備期間だと思ってください。ただし、ええ、お察しの通り、この三ヶ月の間に、次の二冊を読み切るという条件付きでの、家賃・生活費の免除です。この条件を満たさないと、永住許可が取り消されてしまいますので、くれぐれもご注意ください。


 なぜ本を読ませるのか。


 この国の評判は、あなたもご存じだと思います。

「飢えも争いもない幸福の国」

 にわかには信じられないでしょうが、これは真実です。人々は互いを思いやり、助け合い、平和に暮らしています。財産を蓄えることは自由ですので、一握りの金持ちというのは存在しますが、国民の大半は中流階級、貧困はほぼ撲滅されています。元々の住民に加え、ありとあらゆる国から多くの人が移住しており、それでも諍いもなく暮らしています。肌の色、宗教、それぞれ異なっていますが、そんなことはここでは問題にならないのです。それというのも、彼らは皆、移住の際にこの国の厳しい審査を通過した者だからです。


 ああ、そんな不安そうな顔をしないでください。


「厳しい審査」というのは、あなたがこれからすることになっている、一ヶ月以内にこの図書館の本を三冊読むという、それです。

 なら簡単、と思われるかもしれませんが、この段階で全体の三分の二が脱落します。と言っても、本の内容が難しすぎるとか、退屈過ぎる、ということではありません。シュテファンは――この図書館が所蔵する膨大な不幸図書をたった一人で書き上げたのがこのシュテファンなのですが――学識の高い男でしたが、誰にでも読める平易な文章を常に心がけていたようです。ですから、難解過ぎて読めないということは決してありません。世界の三十ヶ国語に翻訳もされています。ちなみに、この国の言葉が理解できない者には、無料で語学レッスンが提供されますし、ここは移民の多い国際都市ですので、何ヶ国語も話せる者が多数おります。言語に関しては、何も心配することはありません。


 では、簡単な書物を三冊読むだけの審査に、なぜ三分の二が脱落するのか。


 彼らは、その壮絶な内容に耐えられなかったのです。人間の残酷さ、愚かさ、腐敗した社会の無慈悲さによって登場人物達が経験した様々な悲劇に。この不幸図書館に収められている書物には、この国の民が経験したありとあらゆる不幸が網羅されています。

 ええ、それがこの『不幸図書館』の名前の由来です。この図書館は、シュテファンの偉業を称え、これらを書くことによって彼の味わった苦悩を国民全員で分かち合い、後世に語り継ぐために建設されました。私は、この図書館の三代目の館長です。


 シュテファンは私が子供の頃に亡くなってしまいましたので、残念ながら私は生きていた頃の彼をよく知りません。覚えているのは、老人のような白髪で、腰の曲がった、覇気のない男の姿です。彼はまだ四十にもなっていなかったというのに、そんな姿をしていたのですよ。それもこれも、この国の不幸を一人で背負って、彼の記す書物に塗り込めたがために。


 おや、話が随分飛んでしまいました。あなたが戸惑うのも無理はありません。順を追ってお話ししましょう。


 若い頃のシュテファンは、どこにでもいるような、気弱な青年でした。大学を卒業した後は司書となって、この図書館――当時は別の名前の市営図書館でした――に勤務していました。彼は、内気な青年らしく、人と話すよりは本を読んでいる方を好むという質でしたが、好きな本のこととなると目を輝かせて熱弁を振るうという一面もありました。だから、人付き合いが苦手でも、図書館の利用者からある小説について尋ねられたりすると、それはもう親切丁寧に教えてやり――彼の書物に関する知識は実に豊かだったそうです――即答できないようならば、丹念に調べ上げて回答を探し出しました。書物に関して、彼が見つけられない答えはない、というのがもっぱらの評判でした。


 そんな彼が、殊更に力を入れていたのが、移動図書館でした。馬車の荷台に書棚を積んで、図書館がない地域を回り、住民に本を貸し出すというあれです。


 今でこそそんな不届きなことを口にする者はおりませんが、当時は、移動図書館の運営費を捻出することによい顔をしない者がかなりいたのです。彼らの言い分は「この市にそんな予算はない」でした。それに対しシュテファンは、気弱な性格に似合わず、強固に反論しました。


「図書館を利用できる環境にいない人々の所には、こちらから本を届けるようにしなければならないのです」


 彼は、市議会の同意を得られないとなると、自らボランティアとして仕事が休みの日に移動図書館ホタル号を駈って、図書難民が生活する区域を回ることを志願しました。


 たった一台の馬車から始まったホタル号は、今ではシュテファン号と名前を変えて数を増やし、図書館まで足を運ぶことができない人々が暮らす辺縁の地を漏れなく巡回しています。この国の住人は、定期的にこの不幸図書館の蔵書を読むことが義務付けられていますし、勿論、シュテファンの『不幸全集』以外の本を読む自由も保証されています。


 ええ、『不幸全集』というのが、シュテファンの残した膨大な遺稿を含めた著作群につけられた名前です。最初に彼の原稿を出版することにした好事家アルフィ・ブカウォーム――ええ、お察しの通り、アルフィは私の祖父です――が、彼の偉業を称え、彼の死後、その六千を越えるエピソードを『不幸全集』として全三百五十巻にまとめました。この国でかつて起きた不幸の貴重な記録です。最も、『全集』三百五十巻は一冊一冊が大きく、重い。これを老人や子供に読めというのは酷ですから、通常国民が読むのは四五篇のエピソードを小冊子にまとめたエディションです。


 一人の人間がそんなに大量の物語を記すことができるのか。


 しごくもっともな疑問です。シュテファンは、この『不幸全集』を書き上げるために、自らの寿命を縮めて挑みました。それはもう、とり憑かれていたと言っていいほどの打ち込みようだった、と祖父アルフィは申しておりました。そして、彼がこのような大作を書き記すに至ったきっかけは、移動図書館ホタル号で貧民街に出向くことも多かった彼が、胸の破れるような不幸な出来事に多く遭遇したからだったといいます。


 彼はまず、あるご婦人の身に降りかかった不幸を記すことから始めました。飲んだくれの夫に毎日暴力を振るわれ、子供を三人流産したあと、ようやく生きて生まれた子をそれはそれは慈しんでいたのに、仕事をしない夫の代わりに夫人が夜の酒場で働いている間に酔っぱらった夫が眠り込んだ部屋で赤ちゃんが凍死するという悲劇に見舞われ、絶望のあまり井戸に身を投げた女房。これが後に『不幸全集』第一巻にエピソード1として収録されることになる「ミセス・Dの悲劇」です。


 私の祖父アルフィが、シュテファンの書いた原稿を読んで、出版するよう強く勧めました。嫌がる彼に、このような悲劇を世に知らしめて再発防止を訴えることには多大な意義がある、必要な資金は自分が援助しようと説得したと言います。どうにか承諾させ出版したところ、これが大評判となりました。


「客が判断力を失うほど泥酔するまで酒を飲ませてはいけない。また、アルコール依存が疑われる客に酒を売ってはならない」という酒場法第二十九条が生まれたのは、この『ミセス・Dの悲劇』の影響です。


 莫大な印税の収入が祖父とシュテファンにもたらされましたが、祖父はそのお金をシュテファンの次の著作『ABC長屋の倒壊』の出版費用や、本を買うことができない人々への無料配給、更には読み書きができない貧しい人々に教育を受ける機会を与えるために使いました。シュテファンは自分の取り分で図書館の蔵書を増やしました。更に、図書館のない地域に新たに図書館を建て、その恩恵に預かれない人々のために馬車を何台も購入してホタル号を増やして移動図書館員を雇用し活動範囲を広げることに費やし、残った全額を困窮家庭を救済する基金に寄付しました。


 彼の書く市井の人々の不幸は、次々とベストセラーになり、印税が入るたびに祖父とシュテファンはそれを不幸な人々の救済のために使いました。彼が本を書くたび、そして人々が彼の本を読むたび、一般市民の教育水準が上がり、経済が潤い、貧困に苦しむ者の数が少なくなり、人々の心が慈悲と慈愛に満たされて、この国は以前より少しずつよくなるのです。それはあたかも、彼が書き記すことによってその不幸が書物の中に封印され、現実世界から姿を消していくかのようでした。そうしてシュテファンはいつしか、恵まれない人々の様々な不幸を書き記す作業にのめり込んでいきました。


『まるで、何かにとり憑かれているかのようだった。他者の心の痛みに共感し、彼自身が身を切られるような痛みにもだえ苦しみながら、見る見るうちに痩せ衰えていくのに、彼を止めることができなかった』


 晩年の祖父は折あるごとに悔しげにそう申しておりました。気弱で、生きている頃は友人がほとんどなかったシュテファンの唯一の友が私の祖父アルフィでした。祖父は相当に成功した実業家でしたが、当時は既に隠居の身で、時間を持て余してよく市営図書館に通っており、そこでシュテファンと知己を得る幸運に恵まれました。彼の私利私欲を捨てた生き方に感銘を受けた祖父は、自身の財産の大半をこの不幸図書館の設立に費やしました。お陰で今では全く裕福ではなくなった我が一族ですが、この国の社会福祉は大した財産を持たない私の老後をも手厚く保証してくれますから、何ら問題はありません。


 いけない、また話が逸れでしまいました。


 これらの逸話は追々あなたの耳に入るでしょうから、今長々と話す必要はありますまい。とにかく、なぜこの国の住民はシュテファンが短い生涯を通じて取り組んだ未完の大作『不幸全集』を読み続けなければならないのか、概ねご理解いただけたものと思います。この国の犯罪の発生率が非常に低いのも、社会福祉がどこの国よりも手厚いのも、全てこの『不幸全集』のお陰なのです。


 それでは、こちらの三冊をお渡ししておきます。期限は先ほど申し上げた通り、最長で一ヶ月プラス二週間です。あとのことは、仮住民センターの職員が面倒をみてくれますから、どうぞご心配なく。あなたは既に手に職をお持ちなので、すぐに仕事に就くことができるでしょう。


 では、一ヶ月後にまたお目にかかりましょう。

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不幸図書館 春泥 @shunday_oa

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