12月26日(日)

12月26日(日)。


 オレは相田とビルの屋上にあるビアガーデンに来ていた。相田とは先日も飲みに行ったばかりだが、相田がまた誘ってきた。誕生日を祝てくれる友達が他にいないだろうからと言って、半ば強引に連れてこられた。いまは夜の8時で遅めの開始だ。今日は快晴で月が大きい。夜空は月明かりに照らされてきれいだった。

 オレと相田はチビチビとビールを飲む。この前に会って話したばかりだったので、特に話題はない。あのテーブルの女の子がきれいだの、あそこの子が巨乳だの、そんなことをだらだらと言い合っていた。この前と違って、今日の相田は静かだった。元気がないようである。オレは相田に話しかけた。

「みんな楽しそうやな」

「そうやな。特に女連れの奴らがな」

 オレは笑った。

「それは、お前のひがみフィルターが入っとるやろ?おっさん集団もすごい楽しそうやわ」

「そうかもな」

 やはり今日の相田は元気がない。オレは相田の表情をうかがいながらビールを飲んでいた。

「不思議だよな?」

 相田が言った。

「ここにおる連中はみんな笑ってるけど、世界には全然笑えないような人もおるんやろ?紛争とか、飢餓とかさ、そういうので苦しんで笑えない人はいっぱいおるんやろ?」

「別に不思議でもないやろ?当たり前のことやんけ」

「いや、不思議やねん」

 相田が間髪入れずに答える。

「別にオレらも、あいつらも特別な人間とちゃうやろ?これといった何かがあるわけじゃない。みんな、めちゃくちゃ何かを頑張って生きてるってわけでもないやろ。結局、生まれたときのステータスでほとんど人生が決まっとるんや。もちろん、それだじゃないけどさ。でも、ほとんど決まってるような気がするわ」

「そんなもんやろ。平等なんかないわ。自然界でもたぶん一緒やろ?山の中の鹿と、奈良公園の鹿が平等やと思わんやろ?」

 相田は笑う。

「そりゃそうやな」

 相田は一口ビールを飲んだ。

「宮沢賢治の言葉でな、世界中の人が幸せにならん限り、個人の幸せもないっていうのがあるんや」

 オレもビールを一口飲んだ。

「まあ、無理やなって思うけどな、好きやねん、その考え方がさ」

「そりゃあな、みんな幸せになった方がええに決まっとるわな」

「別にいま幸せなやつらに不幸になれとは言わんけどな。でも、その幸福ってのがいろんな偶然の積み重ねの上にあるっていうのだけは分かっていてほしいな」

「案外、みんな分かっとるんちゃうか?わかってても、そんなこと口に出して言わへんやろ?」

 相田は少し間をおいた。何かを考えているようだった。

「この前、通り魔事件があったやろ?覚えてるか?駅前で通勤途中のサラリーマンとか通学中の学生が包丁で刺し殺された事件や」

「うん。結局、犯人が逃亡して自殺した事件やろ?50歳ぐらいの引きこもりやったらしいやん」

「みんなさ、死ぬなら独りで死ねって言うとったやん。犯人に対してさ」

「そりゃそういう意見もでるわ。ホンマの動機は分からへんけど、人生に嫌気がさしたから、他の人も巻き込んで死んだろうっていう感じの事件に見えるからな。そんなもんに巻き込まれた人からしたら、そりゃそう思うわ」

 相田はまた考えている。オレは辺りを見渡す。相変わらずみんな楽しそうに騒いでいる。

「それは分かるんや。オレもそう思う。でもすごく寂しいっていうか、痛くなるんや。死ぬなら独りで死ねっていう言葉を聞くとな、自分に言われてるみたいで、痛くなるんや」

 相田はビールジョッキを見つめながら言う。

「別にお前が言われとるわけちゃうやろ?」

「分かっとる。分かっとるけど、何でか自分が言われとる気になるんや」

「お前はあんなことせんやろ?お前は全然違うやんけ」

「それも分かっとる。けどな、そんなに違うんかなって思うんや。通り魔の男とオレはそんなに違うんかなって」

 相田はどこか悲しげだった。

「犯人の境遇を知ってるか?」

「引きこもりやったんやろ?50歳で引きこもりやったら、人生に絶望してもおかしくないわな。それでサラリーマンとか学生とか、普通に幸せそうに生きとるやつらがうらやましくて妬ましくなる。死ぬ前にこいつらも道連れにしたるって思ったんやろな」

 相田はうなずく。

「何かな、子供のころに両親が離婚して、叔父さん夫婦に引き取られたらしいな。どんな環境やったんかは知らんけどさ、良くはなかったん違うか?少なくとも、普通に両親から愛情をもって育てられた人よりもな」

 オレは黙って聞いていた。相田はビールを飲んだ。相田のジョッキはほとんど空になっていた。

「オレもそうなってたかもしれへんやろ?」

 相田がオレに問いかける。

「オレもそうなってたかもしれへん。オレの親は普通にオレのことちゃんと育ててくれたけど。それはオレの親がたまたまそうやっただけや。オレが獲得したもんやない。たまたまや。たまたまそうやっただけやろ?」

 相田は淡々と続ける。

「オレもほんの少し違ってたら、似たようなことになったかもしれへん。通り魔の犯人はオレやったかもしれへん。オレの未来の可能性のひとつやったと思うんや」

 オレは反論した。

「別に同じような境遇でも、ちゃんと生きてる人はいっぱいおるやろ?離婚なんて珍しくもなくなったんやし、両親にちゃんと愛情をもって育ててもらえへん子供も多くなってきてるやろ?たぶんさ。それでもみんながみんな通り魔したりせんやろ」

「そうやな。でも可能性はあるやろ?オレも、もし同じような境遇になって同じようなことをせんとは言い切れへん。せんと思うけど、その可能性はあると思う」

 相田は真剣な表情で言う。

「やから、あの犯人は、オレのありえたかもしれん未来の一つの姿やと思うんや。その犯人に言われた言葉はオレにも言われてる気がするんや。逆にな、何でみんな平気でそんなこと言えるんか分からへん。何で自分が絶対にそうならんと思えるんかが分からへん。みんな可能性があったはずや。同じようになってた可能性が」

 相田はため息をついた。

「どうしたらええんやろな?どうしたらよかったんやろ?」

 相田はつぶやくように言った。

「独りで死ねばええんや」

 オレは相田の問いに答える。

「独りで死ねばええ。独りで死ねるようにならなあかん。その強さを得んといかん」

 相田は驚いたという表情でオレを見た。

「人はみんな独りで死ぬんや。病院のベッドの上か、路上かは知らんけど、本質は同じや。独りで死ぬ。それだけや。あとは遅いか早いかの違いや。だから、みんなちゃんと死ねるようにならんといかんのや。どんな境遇でも同じや。幸せでも不幸でも、もっとるもん全部捨てて、死ねんとあかん。その強さをもっとかなあかん。もってないんやったら育てんといかん。自分の手で育てんといかん。みんな同じや」

 オレは虚空を眺めながら言った。そして最後に、相田の目を見つめて言った。

「オレは死ねるぞ・・・独りでな」

オレの言葉を聞いた相田は、寂しそうに笑った。

「それがお前の思う強さか」

 相田はオレの目をみて言う。

「オレはそんな強さを持ちたいと思わんし、持ってほしいとも思わん、誰にも」

 ゆっくりと、そしてはっきりと相田は言った。


「お前にもな」


 オレ達は店をでた。22時だ。機関の場所はそう遠くないので、まだ時間には余裕がある。ハガキの有効期限は午前0時きっかりだ。午前0時までにハガキを窓口に提出する必要がある。ラーメンでも食べていこうかと考えていたら、相田が言った。

「なあ、ちょっと寄っていきたい所があるんやけど、ええか?まだ時間、もう少し大丈夫やろ?」

 オレは答える。

「ああ、ええけど。どこ行くんや?」

「あの犬の墓に寄って行こうかなってさ、大学時代に一緒に墓をつくったやろ?あいつのところ、ここから近いんだ」

 オレは少し間をおいてから答えた。

「おう、いこう」

 オレ達はのろのろと歩いた。二人とも千鳥足になるほど飲んではいないが、ほろ酔いではあった。犬の墓は橋の近くだ。そこまで二人並んでゆっくり歩いた。二人とも黙っていた。

 10分ぐらい歩いて、オレ達は河川敷の犬の墓についた。何年もたっているにもかかわらず、奇跡的に墓石がまだ残っていた。相田は墓石をそっとなでた。オレはただその様子を眺める。

 それから相田は川べりの方へと歩いて行った。オレもついて行った。相田は川をずっと眺めている。オレもそばに立って、川を眺めていた。風が気持ちよかった。

「いい風が吹いてんな」

 相田が言う。

「そうやな」

 オレは答える。

 沈黙。風がオレ達の髪をなでる。

オレは相田に別れを言うべきか悩んでいた。何も言わないつもりだったのだが、今なら言えそうだった。ただ、なんというべきかを考えていた。すると、相田の方から口を開いた。

「なあ?オレらが今こうしているのってさ、どういう意味があるんやろな?」

 相田の問いの意味がすぐには分からなった。

「そのさ、オレが生まれて、今まで生きてきて、いまこの川べりにお前と一緒に立ってるわけだよな?そんでもって、お前も同じ。生まれてきて、今まで生きてきて、いま、オレと一緒におる」

 オレは黙って相田の言葉をきく。

「何か意味があるんかな?」

 オレは何も答えない。

 相田が言葉を続ける。

「オレはさ、ないと思うんだよ」

「ないんかい」

 オレは笑った。相田も笑った。

「ロマンチストなら、オレとお前の出会いには意味があるとか、ここで今こうしていることに意味があるとか、言うんだろうけどな。オレはそうは思わない。意味なんてないと思う」

「そうか」

 相田はうつむいている。次の言葉を探しているらしい。オレは待った。相田は顔をあげて、オレの方を向いた。相田がオレの目を見つめる。相田の真剣な表情にオレは驚いた。相田は言った。

「でもな、オレは・・・」

 相田ははっきりと言った。

「意味がなくたって、オレはいま、お前とこうしている時間が大切だ。お前と出会って、くだらない話して、くだらないことやって、そんでもって、いまこうして川べりで二人して突っ立ってるこの時間がさ、今までひっくるめて全部がさ、オレは好きだ」

 相田は泣いていた。じっとオレを見つめたまま泣いていた。

「意味なんてない。くそどうでもええことや。オレも、お前もどうでもええ人間や。オレ達がいなくなってもほとんどの人間は気にも留めへん。そんなオレ達が過ごしてきた時間になんの価値もない。なんの意味もない」

 オレは黙って聞いていた。

「でも関係ない。オレにとっては大切なんや。お前と、いま、ここでこうしていることが、この時間が、この場所が、全部、全部・・・」

 相田は声をふりしぼるように言った。


「大切なんや」


 オレはただ黙って相田の目を見ていた。相田の真剣な眼差しがオレをつらぬく。オレは相田から目をそらすことができなかった。そして、最後に相田は言った。


「松谷、元気でな」


 相田は後ろを向いて、走り去った。オレは結局何も言えないまま、ただ立っているだけだった。

 


 相田と別れた後、オレは機関へ向かった。今いる場所からそう遠くはない。オレは歩いて向かうことにした。

 夜の街を独り、ゆっくり歩く。もう23時過ぎだったので、あたりに人気はなかった。でも、家々にはまだ明かりがついていた。改めて街を見渡すと不思議な気分になった。オレの全く知らない場所に知らない家族がいて、みんなそれぞれの生活を送っている。当たり前のことだが、なぜか不思議に思えた。オレがいる世界はオレを内包してまわっているが、オレのいない世界もまた、それぞれでまわっているらしい。結局、オレに見える世界っていうのはあくまで一部分にすぎないわけだ。オレはそんな当たり前のことを考えながら歩いた。

 オレが消えたら世界はどうなるのだろうか?

 何も変わらないだろう。変わらないように努力してきた。オレがいなくなっても何も変わらない。どこも同じで、どの世界でも同じ。

でもただ一つだけ、消える世界がある。

オレの世界だ。

オレの世界は消えてなくなる。オレの意識が消えるのだから。


街を眺めて、見ず知らずの家族を思うオレが消える

夜の静寂を楽しむオレが消える

河川敷に独りたたずむオレが消える

会社の上司に小言を言われて、嫌な気分になるオレが消える

深夜のコンビニで店員に適当に会釈するオレが消える

尊敬していた先輩がいなくなって、悲しんでいるオレが消える

ずっと好きだった人から、笑顔でさよならを言われたオレが消える

お前と過ごす時間が大切だったと親友から言われたオレが消える

歴史の中でもおそらく何の意味も持たない時代に、何の意味もなく生まれたオレが消える


オレが消える。オレの世界が消える。それだけだ。どうでもいいことだ。どうでもいいと思うから消えるんだ。


じゃあ、なんでオレはいま悲しいのだろうか?

なんでオレの心は締め付けられているのだろうか?

なんで先輩は死ぬなと書いたのだろうか?

先輩のお母さんは、気づいて、といった。オレは何に気づいていないのだろうか?


オレは空を見上げた。月がでていて、空は明るかった。雲が見えた。ゆっくりと流れている。今までにも、オレは雲を眺めてきた。オレは何を思ってきたか?流れる雲を見ながら何を思ってきたか?

オレは自分に問いかけた。

すると、雲の中に色々な記憶が写った。


犬の死を悼む相田の姿

笑いながら泣いていた有紀の顔

サンドバッグを蹴る先輩の姿

ビルから飛び降りようとする彼女

仏壇の遺影を眺める先輩のお母さん

嫌味ばかりの上司

興味のなかった同僚

大学時代に一緒に講義を受けていた奴ら

深夜のコンビニ店員


雲の中に次々と記憶が流れ写る。オレは立ち止まって、それを夢中で見ていた。


大切じゃないもの

どうでもいいもの

自分で捨てたもの


オレはそいつらを夢中になってみていた。

気が付いたら空が晴れて雲がなくなっていた。オレは目線を前に戻した。いつの間にか機関の前に着いていた。オレはポケットからハガキを取り出す。ハガキを見つめる。だけど何も写らない。オレはもう一度、空を見上げた。もう一度見たかった。でも、もう何も見えなかった。オレはぼんやりと空を眺めていた。月明かりに照らされた青空を。

次の瞬間、何かがオレの手に触れた。オレは驚いて、下を向く。犬がいた。犬がハガキをくわえてこちらを見ていた。オレはハガキをとられたことに気づく。オレはすぐに取り返そうとして、犬に手を伸ばした。しかし、犬はするりとかわして、走っていった。そして、10mほど離れた場所でこちらを振り向いた。しっぽを振っている。遊んでいるつもりだろうか?オレは茫然として犬を見つめた。犬もこちらをみつめていた。どこかで見覚えのある犬だった。茶色い毛の大型犬。

オレが再度、ハガキを取り返すために歩み寄ろうとした瞬間、機関の方からチャイムが聞こえた。オレは機関の扉の方を振り向く。

 今日の終わりを告げるチャイム。そして、新しい今日の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。

チャイムが鳴り終わってから、オレはまた犬の方に視線を戻した。だが、あいつはもういなかった。ハガキだけが地面に落ちていた。オレはとぼとぼ歩いて行って、ハガキを拾う。犬がくわえていたのに、ハガキはきれいなままだった。オレは辺りを見渡す。けどあいつはいなかった。オレは大きく息を吸って吐いた。そしてまた空を見上げる。雲が流れていた。でも、そこにはもう何も写らなかった。オレは空に向かってつぶやいた。


また、探すか


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ハガキ @MeiBen

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