12月25日(土)

12月25日(土)。

 

 今日はクリスマスだ。オレは有紀と遊園地にきている。

有紀はオレの恋人だ。オレと有紀が付き合うようになった経緯はこんな感じである。


 オレと有紀は幼馴染だ。小学校・中学校が同じだったが、高校で別々になった。そして大学で再会した。偶然にも同じ講義をとっていたのである。

オレが座った席の隣に彼女が座った。オレは左からの視線を感じて、そちらを向いた。そして彼女と目が合った。

「松谷でしょ?」

「え?うん。そうだけど、何で知ってんの?」

 彼女は言った。

「私のこと覚えてない?中学校まで一緒だった井上だよ?」

「あ!」

「思い出した?」

「井上有紀!懐かしいな。全然分からへんかった」

「ひどいなあ。私は最初の講義の時から見つけてたよ」

「え?じゃあ、何で言わへんかったん?」

「気付いてほしかったからさ。全然気付いてくれなかったけど」

「ごめん。まさか地元の奴がいるとは思わんかった」

「それは私も。びっくりしたよ」

 こんな感じで井上有紀と再会した。有紀は良くも悪くも普通の女の子だった。中学の時も目立つタイプではなかった。大学生になった今も、別段昔と変わらなかった。普通だ。普通の女の子だ。ただ、今は普通に可愛い女の子だった。

オレはすぐに気後れしてしまった。オレは女の子と、どう会話していいか全然わからなかった。彼女は大勢の女友達に囲まれていた。みんなレベルが高い。オレは基本的にぼっちだったし、たまにつるむのも相田のような変人だけだった。もはや、彼女はオレが関わっていい存在ではなかった。高嶺の花だ。

そういうわけで、オレは彼女と距離を置くことにした。そして、無事に何事もなく平和な日々は続いた。そのまま何事もなければオレと有紀は再会を一度喜んだだけの幼馴染で終わったはずだった。

2回生になった頃だ。有紀を見かけなくなった。講義が被らなくなったからではない。出欠簿に彼女の名前を見つけていたのだが、彼女は一度も現れなかった。大学の食堂で見かけることもなくなった。彼女の所属していたグループは健在だったが、その中に彼女の姿はなかったのだ。オレは、そのグループの中で、まだわりと地味な感じの子に目をつけた。講義終わりに呼び止めて有紀のことを聞いた。

「あの、すいません。ちょっと待ってください。聞きたいことがあるんですけど」

 彼女は立ち止まりオレを怪訝な表情でみた。怪しんでいるようだ。

「何ですか?」

「有紀と・・・あ、いや、井上さんと知り合いですよね?」

「はい・・・そうですけど・・・」

「最近、というかここ数カ月、井上さんを見ないんですけど、何か知ってますか?」

 彼女の表情がさらにこわばる。

「あ・・・いや、オレ、あいつの幼馴染なんです。小・中と一緒の学校で、あいつのこと知ってるんです。けど、最近あいつのこと見かけないから、ちょっと心配で・・・」

 彼女はためらいながら言った。

「そうなんですか。実は私もよく知らないんです。LINEしても既読つかないし、家にも行ってみたんだけど出ないし・・・」

「あいつの下宿を知ってるんですか?住所を教えてくれませんか?」

「え?でも・・・」

「お願いします。心配なんです。病気かもしれないし、何かあったのかもしれない。頼みます」

 彼女は少しの間、何かを考えた後、スマホをとりだしポストイットにペンを走らせた。

「ここです」

そう言って彼女はオレにポストイットを渡した。

「私が教えたこと言わないでください」

「ありがとうございます!」

 オレは頭を下げた。すぐに講義室を出て、教えてもらった住所へ向かった。

 たどり着いたのはクリーム色のおしゃれなアパートだった。すごく入りづらい。そう思いながら、有紀の部屋番号を探した。部屋は二階だった。オレはインターホンを押した。チャイムが鳴る。しばらく待ったが反応はない。オレはもう一度押した。しかし、相変わらず反応はない。一旦、帰って作戦を練ろうかとも思ったが、もう少し粘ってみることにした。右手で軽く扉をたたきながら名前を呼んだ。

すると、ガタンという音が部屋の中から聞こえた。間違いない。誰か部屋の中にいる。強盗などの場合も想定して、オレは少し身構えた。扉に近寄る足音がする。ガチャンという音がして、扉が少し開いた。中には、再開した時の面影が全くない気怠そうな顔をした彼女が立っていて、扉の隙間からオレを覗いていた。

「何?」

 オレは焦った。

「あ、いや、えっと・・・」

「何?なんであんたがいんの?」

 かなり不機嫌そうだった。前にみた彼女とは全く違う。

「最近、大学で見ないからさ。どうしたんだろうって思ったんだ。それだけなんだけど・・・」

「うざい」

 バタンと扉が閉まった。足音が遠ざかる。

 しばらく動けなかった。ショックが大きかった。完全に拒絶された。かなりのダメージだった。ただ、オレは安心もしていた。誘拐とか病気とかではないみたいだ。

 オレはふらふらと帰路についた。

 さて、これで完全に折れていたら再びオレと彼女はそれっきりとなっただろう。ただオレは折れなかった。なぜか?知らん。

 次の日からオレは、毎日19時ぐらいに彼女の部屋に行った。なぜ19時なのかというと、日の出てる時間ではストーカーとして誰かに通報されるかもという不安があった。逆に遅すぎると彼女に悪いと思ったので、19時という時間を選んだ。

 とにかくオレは毎日のように有紀の部屋に行って、差し入れを渡した。プリンや栄養補助食品、スポーツドリンクなど。とりあえずオレは有紀を病人と思うことにした。病人をほっておけないからという理由により、自分を正当化した。しかしながら、オレは有紀がどういう状態に陥っているのか気づいていた。おそらく、うつ病である。うつ病による引きこもり。だからこそ、オレには救いがあった。オレには引きこもりの気持ちが十分に理解できるのだ。

 まず買い出しに行くのが面倒くさいはずだ。ゆえに差し入れがうれしいということに確信があった。予想通り有紀も差し入れを受け取ってくれるようになった。

 有紀が顔を出してくれるようになってから、オレは次の作戦にでた。

「ゆき~松谷ですけど~開けてくださ~い」

 オレは大声で呼ぶ。

「恥ずかしいからやめて」

「さっさとでてこんのが悪い。ほれ、差し入れ」

 差し入れの入ったビニール袋を渡す。

「ありがと・・・」

 小さく有紀がお礼をつぶやく。

「なあ、ちょっと散歩いかへんか?」

 オレは作戦を実行に移す。

「え?」

「散歩だよ。ちょっとだけでいいから歩こうぜ。そこら辺をぶらぶらさ」

「嫌だよ、行かない」

「頼む。ちょっとぐらい付き合えよ」

「意味わかんない」

「わかんなくていいよ。頼む。一回でいいから、いこう」

 有紀はまだしぶっている。

「こんな格好だし。髪もボサボサだし。外出たくないよ」

「そういうと思ってさ、マスク持ってきた。これつけとけば誰か分からへん。あと上着もな。もう暗いし、誰にもわからへんて。な?いくぞ」

 オレは彼女の手をつかんで引っ張る。

「ちょっと待ってよ」

 彼女がオレを引っ張り返す。

「靴履くから待って」

 うつむいて彼女はつぶやく。


 オレと有紀は一列に並んで歩きだした。散歩コースは決めていた。川べりをずっと歩いてから対岸を歩いて一周するコース。オレのお気に入りの散歩コースだった。歩いている間、オレは彼女に話しかけなかった。彼女もしゃべらなかった。ゆっくりと歩いた。彼女もゆっくりオレについてきてくれた。ただそれだけだ。ただそれだけの時間だった。30分ほど歩いて、彼女のアパートに戻ってきた。

「付き合ってくれてありがとな。また明日も来るから。じゃあな、おやすみ」

 オレは有紀の返事を待たずに歩きだした。


 次の日も、また次の日もオレは有紀を散歩に誘った。意外なことに有紀は最初の時ほど嫌がらなくなった。オレは徐々に歩く距離をのばしていった。雨の日もオレ達は散歩した。相合傘をしながら。さすがに有紀は嫌がったが、強引に連れ出した。この頃にはオレはすっかり自信がついていた。頼めば有紀はついてきてくれるし、少々強引なことをしても怒らない。オレは有紀と散歩に行くのが楽しみだった。

 有紀の方にも変化があった。後ろについて歩いていたのが、今では隣を歩いている。しゃべらなかったのが、「あんな店あったんだ」とか「月がきれいだね」とかしゃべるようになった。ボサボサだった髪もきれいになってきたし、服装もちゃんとするようになってきた。どんな理由で引きこもるようになったのかは分からないが、有紀はほとんど立ち直ってきていた。


 ある日、散歩中に有紀が言った。

「ねえ?ちょっとすわってもいい?」

 有紀は川べりにあるベンチを指さす。オレはベンチに向かって歩き、腰掛けた。有紀はオレの隣に座る。肩が触れそうなくらい近かった。

「ねえ?ずっと聞きたかったんだけどさ」

有紀が言う。

「何でこんなにしてくれるの?」

 うつむいてオレに尋ねる。

「毎日、毎日、会いにきてくれて・・・何で?」

「何でだと思う?」

「私のことねらってるんでしょ?」

 意地悪そうに彼女は言う。むかついたのでオレは率直に返してやった。

「うん。ねらってる」

「結局、下心ですか?男だもんね」

 有紀がオレを見つめて言う。

「ねえ?私としたいの?」

 オレを困らせたいらしい。オレは反撃してやることにした。

「うん。したい。そりゃそうやろ?高嶺の花が、いつの間にか手の届くところまで落っこちてきてんだから。誰だって手をのばすやろ?」

 しばしの沈黙。

「高嶺の花だったんだ」

「ああ。自覚なかったんか?オレには到底、手が届かなかったよ、大学で会った頃のお前は」

「今は違う?」

「うん。オレが届くレベルまで落ちてきたね。でも、だんだん戻ってきてる。最近はお前の横にいるのがしんどいよ。やっぱり、お前は高嶺の花で、オレは道端のうんこだよ」

 有紀は笑う。そして彼女は言う。

「じゃあさ」

彼女は右手をオレの左手に重ねる。オレの頭は沸騰した。

「じゃあ、私が高嶺に戻る前に、何とかしないといけないんじゃない?」

 オレは彼女の方を振り向く。彼女もこちらを見ていた。頭はパニック状態で、思考停止中。ただ、何かしらの引力によりオレは彼女のくちびるに引き込まれていった。ゆっくり、ゆっくりと顔を近づける。彼女は逃げない。

 そんなこんなでオレ達は付き合い始めた。有紀も無事に元通り大学に通うようになった。そして、二人とも無事に卒業し、就職した。就職先も近かったため、大学を卒業してからもオレ達は交際を続けた。


 遊園地にきたのは久しぶりだった。基本的にオレは人混みを避ける。有紀とのデートも空いている場所ばかり選んだ。そして有紀も文句を言いつつ、付き合ってくれた。今日に限って、いつもと違うことをした理由、それは今日が最後だからだ。最後のデートぐらい普通に有紀が喜びそうなことをしたかった。それだけだ。

 ここは国内でも大きいほうの遊園地だ。今日はクリスマスということもあって、家族やカップルでごった返している。

 オレはさっそく嫌気がさしてきた。でも有紀はうれしそうだった。有紀がパンフレットをオレに見せながら言う。

「ねえ松谷、これに乗ろう?」

「へいへい」

 オレは有紀に従う。オレにはこういう場所での楽しみ方が分からなかった。だから有紀に全部まかせることにした。オレと有紀はアトラクションへ向かう。恐竜にまつわるアトラクションだった。オレは長蛇の列に驚いた。どこまで列が続いているのか分からなかった。待ち時間は30分とのことだ。

「まあこんなもんでしょ」

 有紀は冷静にいう。オレには信じがたい。

「待つんですか?30分も」

「仕方ないじゃん。これくらい普通だと思うよ」

 オレはため息をつく。オレ達は列の最後尾に並んだ。思いのほか、早いペースで列は進んでいった。

「こんなんじゃ、一日中、待ってばっかになるなあ」

 オレはぼやく。

「待つのが大事なんだよ?待った方が乗った時の感動がおおきくなるの」

「さいですか」

 オレは有紀の言葉に適当に返事をする。

「分かんないだろうなあ、松谷には、一生分かんないかもね」

 有紀はうれしそうで、どことなく悲しそうに言った。

 ようやくオレ達の番がきた。オレ達はボートに乗り込む。ボートが走り出す。ボートは水面をゆっくり走っていった。周りにはたくさんの恐竜がいた。もちろん模型だ。でもなかなかの迫力だった。そしてボートは水面から出て、ゆっくり高度を上げる。なぜだろうか?もちろん分かっていた。次の瞬間、重力がなくなる。オレは悲鳴をあげる。ボートは勢いよく水面にぶつかり、水しぶきをあげた。オレは座っていた席が悪かったせいか、びしょ濡れになった。有紀は大笑いしている。

「死ぬかと思った」

「本当に怖かったねえ」

 有紀は楽しそうだった。オレもなんだかんだで楽しんでいた。

 次に有紀が選んだのは劇だった。15分ぐらいの短い劇があるらしい。もうすぐ開演するらしかったので、オレ達は会場へ向かう。到着するとまた人混みだった。でも劇の場合は一度に見れる人数も多く、待ち時間はなかった。オレ達は中段くらいの席に座った。劇が始まる。

 台本はピーターパンみたいな感じのありがちな内容だった。でも演出がすごかった。アクロバットが次から次へと続く。見ていてとても楽しかった。登場人物のセリフ回しもよかった。特に悪役のセリフがよかった。

「お楽しみのところ悪いが、その子はこれからオレと甘~い時間を過ごすんだ。さっさと退きやがれ」

 こんな感じのセリフがあって、気に入った。オレ達は大いに楽しんだ。劇が終わってからも、オレは悪役の真似をして有紀を笑わせた。

 そうやって二人でアトラクションやショッピングを楽しんでいるうちに、日が暮れた。さらに人が増えた気がする。理由はおそらくクリスマスイベントだろう。クリスマス限定のイベントがあるらしい。大通りでミュージカルが行われるらしい。有紀が見たがったので、オレ達は人混みをかきわけて会場へと向かう。イベントはたいしたものではなかった。ミュージカルの内容もありがちなものだった。最後に特大のクリスマスツリーに明かりがともった。それだけだ。でも有紀は感動しているようだった。

 イベントが終わり、オレ達は遊園地を出た。そして、近くの適当な店でごはんを食べた。イベントが終わってから、オレはずっと頭の中でシミュレーションをしていた。これからやることのシミュレーション。




 オレと有紀は駅のホームで乗り換えの電車を待っていた。いつもこの駅で、オレと有紀は別々の電車に乗って別れるのだ。今日も二人で次の電車を待っていた。10分後に有紀が乗る電車が到着し、その5分後にオレが乗る電車が到着する。普段から人の少ない駅であることに加えて、もう21時になるので駅のホームにはほとんど人はいなかった。オレと有紀はいつもホームの一番端で電車を待った。今日も同じように、二人してホームの端に並んで立っていた。

 疲れもあってか二人とも黙っていた。ホームはとても静かで落ち着いた雰囲気に包まれている。オレは沈黙を破り、話を切り出した。

「なあ、今日、楽しかったか?」

 有紀はうなずきながら答える。

「うん。楽しかったよ。遊園地とか久しぶりだったもん。いっつも近所の河原とかに連れていかれるし」

 オレは笑った。

「悪かったな」

 有紀も小さく笑った。

 オレは少し間をおいてから言った。

「なあ、別れようか」

 オレはホームの線路を見つめながら静かにはっきりと言った。

 有紀からの返事はなかった。

 オレは線路を見つめ続ける。

 有紀の顔を見たかったが、できなかった。

 沈黙が続く。

オレはゆっくり呼吸を繰り返しながら、有紀の返事を待つ。

「そうね」

 有紀は言った。

 オレは有紀の方を振り向いた。

 有紀はうつむいて線路を見つめていた。

 オレはまた線路に視線を戻した。

 言葉が出てこない。また沈黙が続く。

「じゃあ、これっきりでいい?」

 有紀が言った。

「うん。これっきりでいい」

 オレはか細い声で答えた。

 駅のホームは静かだった。オレ達二人しかいないのかと思うほど静かだった。

 静寂がオレの胸をしめつける。

「何も言わへんのか?」

 我慢できずにオレは聞いた。

「何で?」

 有紀は言った。

「理由とか聞かへんのか?」

「じゃあ、何で?」

 オレはまた黙った。色々な言い訳を考えていたが、すべて消えてしまっていた。

「お前、結婚したいやろ?でもオレは結婚する気ないからさ。やから、別れんとしゃあないやろ」

 オレはかろうじて言葉を絞り出した。

「じゃあさ、私が結婚しなくてもいいって言ったらどうする?」

「はあ?」

 オレはとっさに有紀の方を向いた。有紀もこちらを見ていた。目と目が合う。

有紀が首を傾げて微笑む。

オレはそれを見てすぐに顔をそむけた。

「ウソつけ。しょうもないこと言うな。そんなこと思ってへんやろ」

 オレは強い口調で言った。

「もし、本当だったら?」

 有紀がオレを追い詰める。オレはまた有紀の顔を見る。子供をからかうような顔をしていた。オレは腹が立った。

「仮定の話なんかしてもしゃあないやろ。そんなこと思ってへんくせに」

 オレは有紀の問いから逃げた。

「もうこれっきりでしょ?答えてよ」

 有紀の口調は優しかった。オレは動揺を必死で抑えようとしたが無駄だった。言葉が出ない。必死で次の言葉を探していると先に有紀が言った。

「私がそう言っても別れるんでしょ?」

 オレはさらに動揺する。オレは何とか声を出した。

「何でそう思うんや?」

「なんとなく」

 有紀は答えた。

「なんとなくって何やねん」

「松谷さ、もう決めてたでしょ?たぶん、ずっと前から」

 オレは有紀の言葉の意味が分からなかった。

「松谷、遊園地なんていかないよね?クリスマスもいつだって私の家で過ごしてたじゃん。今年に限って遊園地なんてさ、なんか変だって思うよ」

 オレは見透かされていたらしい。なんとも安直で分かりやすい男であることを思い知らされた。

 有紀は大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。そして口を開く。


「行くんでしょ?明日」


 どこまでも見透かされていた。

 オレは黙っていることしかできなかった。

 有紀が笑う。

「分かりやすいなあ、松谷は相変わらず」

 オレは何も言えない。

 有紀も口を止めた。

沈黙が続く。

少ししてからオレは口を開いた。

「何で分かるん?」

「分かるよ、それくらい。もうずっと一緒にいたんだよ?」

 有紀は続ける。

「だって私が19歳の時からでしょ?付き合い始めたの」

 有紀は指を折って数える。

「もう10年以上、緒にいるんだよ?それに小学校と中学校も一緒だから、ほとんど20年だよね。家族よりも一緒にいる時間、長いんだよ?」

 かすかに有紀の声が震えていることに気づいた。

「ねえ?覚えてる?付き合い始めた日」

「11月やったっけ」

 有紀がうなずく。

「11月14日だよ。私、ちゃんと覚えてるんだから。まさか、こんなに長く一緒にいるなんて思わなかったなあ」

 有紀は昔を懐かしんでいるようだった。

「オレも思わんかったな」

「いきなりキスされた」

「あれはお前が誘ったんやろ」

 有紀は笑う。

オレは笑わない。

「ねえ?松谷」

 有紀はオレに問いかけた。

「もし、あの日に戻れたら、また私にキスする?」

 オレは有紀の顔を見た。目がうるんでいる。泣くのを必死でこらえているようだった。

「分からへん」

 オレは正直に答えた。

「私はね・・・」

 有紀はオレの目を見つめて言った。

「私はまたしてほしいな」

 有紀の目から涙があふれた。

 オレは有紀の表情に心を奪われていた。

「それでね・・・またフラれるの」

 涙を流しながら有紀は笑った。

 電車の到着を知らせるアナウンスが響く。

 有紀はかばんから小包を取り出し、オレに渡した。

「はい、お誕生日プレゼント」

 オレは黙ったまま受け取った。

 電車が到着し、扉が開く。

「じゃあね、バイバイ」

 そう言って、有紀は電車にのった。

 電車の扉が閉まる。

 有紀は背中を向けたままだった。

 電車がゆっくり走りだす。

 オレはただじっと、遠ざかっていく有紀の背中を見つめていた。

 やがて電車は見えなくなった。


 オレは有紀からもらった小包を開けた。中身は絵本だった。


『傷だらけのネコ』


 とある町に一匹の黒ネコが住んでいました。

 黒ネコの体は傷だらけでした。

でも、黒ネコはどんな傷もへっちゃらです。

 黒ネコは町のネコ達みんなから好かれていました。

 何をしても、どんなことをしても怒らないからです。

 町のネコ達はおもしろがって黒ネコを傷つけました。

でも、黒ネコはへっちゃらです。


ある日、一匹の白ネコが犬に襲われていました。

そこに黒ネコが通りかかり、助けに入りました。

でも、黒ネコは何もしません。

ただ、犬に傷つけられるばかりでした。

飽きてしまったのか、犬は帰っていきました。

黒ネコは一段と傷だらけになりました。

でも、黒ネコはへっちゃらです。

 それ以来、黒ネコと白ネコは一緒に過ごすようになりました。

 でも、相変わらず黒ネコは傷ついてばかりいます。


 白ネコと過ごす間にもどんどん黒ネコの傷は増えていきました。

 でも、黒ネコはへっちゃらです。

 ある日、白ネコが黒ネコに言いました。

「もう傷つくのはやめて」

 黒ネコは言いました。

「僕は大丈夫だよ。へっちゃらさ」

 白ネコは言いました。

「あなたが傷つくと、私が痛いの」

 黒ネコにはその言葉の意味が分かりませんでした。

 すると、白ネコは落ちていたガラスの破片で自分の手を切りました。

 赤い血があふれてきます。

「うわ!何をするんだ!」

 黒ネコは大あわてで、白ネコの手の傷を、自分の手でおさえました。

「どうしたの?へっちゃらでしょ?」

「それは僕の傷のことだよ。君の傷のことじゃない」

「私だってそうよ。」

 白ネコはもう一方の手で黒ネコの手を包みます。

「あなたが傷つくと私も傷つくの。あなたがへっちゃらでも、私はすごく痛いの」


 それ以来、黒ネコは傷つくことをやめました。

 おもしろがっていた町のネコ達は愛想をつかして黒ネコから離れていきました。


 でも白ネコだけはずっと黒ネコのそばにいました。


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