Two of Us

フロクロ

Two of Us

「きゃ、ひゃんぷ!行きませんか……!」

「なんて?」

 誰もいない夜の研究室に、うわずった声が響き渡る。

 そしてそれは私が初めて見る、風花が誰かを誘う瞬間であった。


 ◆


 私、文倉ふみくらつむぐと雨森あめもり風花ふうかは、東京の大学院の同じ研究室に所属する、修士一年だった。

 その研究室の女子は私たちの二人だけで、だからか自然と一緒に時間を過ごすことが増えた。

 といっても実験を共同でするとか昼食を一緒に食べるとかその程度で、二人でどこかに遊びに行くことは今まで(院に来てからこの一月になるまで)一度もない。私は人を誘ってどこかへ行くようなタイプではないし、風花はなおさらだ。私たちは友人というより、共同作業者とでも呼ぶべき関係性だった。

 しかし、今、そんな風花が私をなにかに誘っているのだ。

「なんて?」

 実験器具を片付ける手を止め、思わず聞き返す。

「あの、キャンプ、行きませんか……来週、研究室空いてないから、もし嫌じゃなければ……」

 が尻すぼみで消え入りそうになっていく風花の声を聞き届けて、私は考え込んだ。

「ふうむ」


 ◆


 午前9過ぎに御茶ノ水駅に集合した私たちは、三時間ほどゆらゆらと電車を乗り継いで房総のキャンプ場の最寄り駅に到着し、駅に併設された食堂で山菜そばを食べた。

「文倉さん、このぐるぐるの野菜、なにぃ……」

「ん~……ゼンマイ?かワラビじゃないかな……」

 真冬の冷気で固まった指先が鉢に伝わる熱で溶けていく。

 最寄り駅、とはいってもキャンプ場までもかなり距離はあり、ここからはバスで目的地まで向かう。

 が、その前に……

「じゃあ、バーベキューしたい食材、かごに入れてって」

「はい!」

 駅近くのスーパーで夕飯の買い出しを済ます。モコモコのダウンとニット帽に身を包んだ風花は肉やベーコンやソーセージばかり入れるので、結局私は野菜ばかり選ぶ羽目になった。

「風花、普段ちゃんとバランスの良い食生活できてる?」

「私、実家だから……」

 十ヶ月目にして初めて知る事実。言われてみれば家が厳しいみたいな話を聞いた覚えがあるような、無いような……。とにかく、私たちはお互いのことを何も知らなかった。

 バスに30分ほど揺られると、海の近くのキャンプ上に到着。管理人さんにひとこと挨拶し、荷解きをする。テントは風花がこの日のために用意したらしい。私は家にあったガスコンロと折りたたみイス、ランタンを持ってきた。私がランタンの電池を入れ替えていると、隣から風花の弱々しい悲鳴が聞こえてくる。

「文倉さん……これ……どっちが本物のテント……」

「えーと……これはフライシートでこっちが本体ね。……風花もしかしてキャンプ初めて?ってしかもこのテント、一人用じゃん……」

「そ、そんな……」

 たちまち風花の表情が梅干しのようにシワシワになっていくので私は慌ててフォローする。

「まあ、このサイズなら二人くらいはギリ寝れるから、問題ないけどね」

 一通り設営が終わり、夕飯まで少し時間がある。管理所で借りた焚き火台に管理所で買った薪を焚べていると、風花は何やら嬉々としてリュックをまさぐりはじめた。

「じゃん」

 という効果音とともに出てきたのは、今やほとんど見かけない、ダイヤル式の古いラジオだった。

「焚き火にラジオ、キャンプっぽいでしょ」

 キャンプにラジオのイメージはなかったが、言われてみれば、そうなのかもしれない。

 ラジオのアンテナをしゅるしゅると立て、ダイヤルを回すとノイズ混じりのニュースが聞こえてきた。昔のラジオは他愛のない雑談や視聴者のメールなどが読まれていたらしいが、今ではこの無味乾燥なニュースくらいしか流れてこない。

 そして、ニュースの内容はいつも同じだった。国交のこと、軍備のこと、そして気候のこと────


 ◆


 2045年、地球全体の気温が突如、3℃下がった。たった3℃、と思うかもしれないけれど、この3℃によって氷床の面積が変わり、海流が変わり、気団の位置関係が変わり、世界中の気候が変化した。その気候の変化は各地の第一次産業に回復不可能な打撃を与え、結果、世界は二度目の世界恐慌に突入していった。今なお多くの国が同盟国以外との国交を制限し、事実上の鎖国体制を取っている。そして日本もこの例外ではない。


 かつて行われた貿易の多くを絶ち、そして絶たれた日本はまず東京、大阪を中心とした都市圏を工業地区、それ以外の全てのエリアを農業地区に指定し、国内の生産の安定に血税を(文字通り血と税を)注ぎ込んだ。その甲斐あって、10年かけて日本の食料自給率は見事100%にまで回復したが、その期間に失ったものも大きかったらしい。


 そして2070年、現在私たちは、都内の国立大学(今は国立大は全国に三つしか無い)の理工学部で研究を行っている。理工学部は他の3つの学部──法学部、経済学部、医学部──と異なり学士課程から報奨金が出るので、実質、金持ちと権力者以外が大学に行く唯一の道となっていた。そしてそれは、私のような農業地区出身者──私は岡山出身だった──が工業地区に移住するための数少ない手段でもある。


 理工学部だけ報奨金が出るのは他でもない軍部(つまり自衛隊)がバックに付いているためだ。基本的に国防に関連する技術に優先的にリソースが割かれ、私たちもご多分に漏れず自律AI機動兵器の機体を研究している。要するに、自分のプログラムを自分で書き換えるロボ兵器だ。まあ私たちが研究してるのはそのボディで、プログラムはノータッチだけど。


 ◆


 退屈で長ったらしいニュースが終わった頃には、私たちはすでに食器も片付け終わっていた。洗い物でかじかんだ指先の感覚を焚き火で取り戻す。

「結局食材、たくさん余っちゃったね」

「肉を買いすぎなの」

「文倉さんはお酒買いすぎだよ……」

 しゃべり疲れたラジオからは音楽が流れ始めた。ラジオで流れるのはたいてい2030-50年代の音楽だ。日本の音楽産業は今ではすっかり衰退し、優れた音楽作品は全て過去のものとなってしまっていた。

「風花は大学院出たあとどこ行くとか考えてるの?」

 無意味な質問。理工学部を出たあとは企業か政府の研究機関に行くほか無い。特に私たちの研究室は、軍部の研究施設以外の行く宛などはじめから無いのだ。

「ううん、まだ考えてない。まだ一年だから、いいかなって」

 風花は目を伏せて、困ったように笑った。

「文倉さんは?」

「私はね~」

 無意味な質問の責任を取るべく、フフン、と鼻を鳴らして私はこう答えた。

「哲学者になろうと思ってる」

「テツガクシャ?」

 風花はキョトンと首を傾げた。もはや今ではめっきり聞かなくなった単語。私も父の話でしか聞いたことがない。

「常識を疑ったり、時には自分で書き換えに挑戦してみたりするの」

「それ、仕事なの……?」

「昔はそういう仕事もあったらしいよ」

「え~……よくわからないけど、かっこいいね……!」


 ◆


 長い移動で疲れ切って程よくお酒も入った私たちは日付を跨ぐか跨がないかというところで寝袋に入った。

 少し手狭なテントに、窮屈な二人。聞こえるのは海のさざめきと、知らない虫の声と、草がテントに擦れる音と、風花の寝息。

 はぁーっ。

 研究室の同期と、気づけば千葉の田舎でテント泊。なんでこんな事になってるんだっけ。

 ぐるぐると思考と夢の混合物が巡ってしまい、どうにも眠れない。夜風に当たろうと思い、外に出た。

 背後には広がる農地、正面には静かに凪いだ水面。眩しい月明かりに目を細めていると後ろからずるずると風花が這い出てきた。

「ごめん、起こしちゃった?」

 風花は目にかかる長い前髪を揺らしながらふるふるっ、と首を横に振る。

 そのままさっきまで座っていたイスに再び収まり、消し炭になりかけていた焚き火に二人で手を当てた。そして二人で星空に目を遣る。

「文倉さん、星ってこんなに……たくさんあったんだね」

 工業地区に囲まれた東京の空が晴れ渡ることはめったに無い。かつては星だけでなく富士山まで見通せたというが、いずれも写真と口伝の世界の話になっている。この星空を見ると、故郷の岡山の空を思い出す。

「あと、文倉さん……」

「つむぐ、でいいよ。私だけ名前で呼んでるの不公平だし」

「じゃあ、つむぐ……ちゃん。こんなこと訊くのも変だけど、なんでキャンプ、ついてきてくれたの?」

 正直、私だってなんで来たのかよくわかってなかった。ちょっと頭を捻って見せてから、適当に答える。

「ん~?ん~~~……せっかく風花が誘ってくれてるんだし……それに、東京はクソだし」

「っぷ!!あっははは!」

 え!風花が笑った!しかも声出して!

 それは、私が初めて聴く風花の笑い声だった。風花もこんな顔、するんだ。私は訊き返してみる。

「風花こそ、なんで私なんか誘ってキャンプに?」

 すると風花は急にうつむいてモジモジしだして、そしてそのままうつむいてモジモジしながらしゃべった。

「昔、研究室の男子に、変なことされたとき、ふみ……つむぐちゃん、守ってくれたでしょ」

「あ~?あ~~~飯塚ね。あのセクハラ野郎、次近づいたら殺す!!って脅してやったからね。」

 院に入りたての頃の話で、もうすっかり忘れていた。風花が無抵抗なのを良いことにベタベタと身体を触ってくる男子がいたので、気づいたら金的に蹴りを入れていたのだった。

「だから、あのときのお礼、言いたくて……」

 でも、お礼のためだけにわざわざキャンプってこともないでしょ。と思っていると風花が言葉を継いだ。

「あ、あと、実は私、東京から出たことなくて、出してもらえなくて……ずっと、外の世界を見てみたくて、でも、ひとりでは勇気が出なくて、それで、ひとりだと怖いけど、つむぐちゃんとなら、大丈夫かも、と思って……」

 ふむ……ん?

「えっ、もしかして、今日の泊まり、家族には……」

 風花は目を閉じて、ふるふるっ、と首を横に振った。

「あー、ふ~ん……」

 …………。

 気まずい沈黙。

 どうやら私はいつの間にか共犯者にされていたらしい。それとも手引き役……?ここはもう少し家族のことを訊いてみるべきだろうか、それとも東京がいかにクソかの話に戻る?というかクソなのは東京じゃなくてこの世界?また思考がぐるぐると巡る。

 私は救いを求めるように近くに転がっていたラジオのチューニングをいじって、この時間の隙間を埋めてくれる音を探った。すると、いつもより緊迫感のある声が、やはりノイズ混じりに聞こえてきた。

「東京湾に配備された自律型AI起動ユニットが暴走、都内に124発のミサイルを放ち、23区が火の海となっています!」

 私と風花は唖然とし、お互いを見つめる。今度はさっきとはまた別の、奇妙な沈黙が二人の間に流れた。どうやら、私たちが作っていたロボはすっかりバグってしまい、わけもわからず東京を焼き尽くしているらしい。プログラムはノータッチなので、私たちの責任じゃないけど。

「……東京、半分なくなっちゃったみたいだけど」

「…………」

「とりあえず、お酒、もう一本いっとく?」

「……いっとく」


 ◆


 午前三時、冷たい空気がチリチリと頬を刺す。

 カップに入れたスパークリング清酒を一滴も飲まず、風花は大きく息を吐き、そして静かに吸い込んだ。

「……わざとなの……」

 蚊のため息のような声で風花は吐露した。

「テント……一人用買ったの……」

「…………ふーん」

 私は、力の及ぶ限りで素っ気ない返事をしてみせた。

「とりあえず、延泊確定だね」

「食材、たくさん余ってるしね」

「お酒もね」

 西の空が静かに、明るく白んだ。

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