第4話「クソガキ固有スキル"超単純"発動」

「悪い!」


 山脇やまわきの声があきらへ届いた。


「気にするな! 協力だぜ!」


 偵察に来たバチを撃ち落とし損ねた山脇を、今度は旺が救った形だった。タンク内の洗剤を減らしていた山脇の水鉄砲は勢いを衰えさせていたのだ。


「補給だぜ」


 警戒しつつ、旺はポケットから台所用洗剤を山脇へと投げ渡すのだが……、


「もっとないか? 半分くらいまでしかないぞ」


 水鉄砲に補給できた台所用洗剤は、タンクの半分を少し超えたくらい。水鉄砲の飛距離はタンク内の液量に比例するため、射程が短くなっていく。


「ヤバいぜ……」


 旺が顔を青くしたのは、もうないからだ。タンクを常に満タンにしておかなければ飛距離が最大にならない事など、完全に見落としていた。


 ――取りに戻るか?


 それも一つの手ではあるのだが、旺は迷わされた。じりじりと前進していくしかない状況で、もう一度、スタート地点に戻るのは心理的な抵抗があった。


 ――もう一回、最初からここまでやり直す?


 鎌首かまくびをもたげてくる想いは、焦りと恐怖から来る逃避だった。ハチを打ち落としながら近づいていくという行為は、思った以上のストレスとプレッシャーをもたらしている。


「いいや、戻れん! 戻ったら、もう来られないぞ!」


 山脇にそういわせた感情が何かは、旺には分からない。


 迷いや焦りがあった事は確かだが、それ以上にあったのは、旺に欠けている部分を補えるものからくる刺激だった。



 旺にがあるならば、山脇にはがある。



 共に穴があるものであるが、互いにカバーし合えるからこそ相棒だ。


「行ける手がある!」


 山脇がそういった次の瞬間、にわかに空を覆っていた黒雲に青白い光が走る。


「!?」


 旺に顔を背けさせる雷光だ。


 その雷と共に、暗雲はバケツをひっくり返したという表現そのままの雨を降らす。


「これは、もうダメだぜ」


 旺の心を折るには十分だったが、山脇は違う。


「いいや、今なら行けるだろ!」


 逆だ。


「援護しろ! 俺が突っ込む!」


 旺へと水鉄砲を投げ渡し、段ボール箱を構える山脇。


「無茶だぜ。何メートルあると思ってる!?」


 旺は制止しようと声を張り上げるしかなかった。巣に段ボール箱をかぶせられる距離まで一気に接近してしまうなど狂気の沙汰だ。


「逃げ切れないぜ!」


「逃げるんじゃなくて、攻めるんだよ!」


 山脇の返事も旺と同じく荒らげられた声だった。


「釣りで一番、向く天気って知ってるか?」


 山脇が一気呵成いっきかせいの攻勢に転じようと考えた理由は、祖父と共によく行った釣りの経験だった。


「あ? 何?」


 これは旺の方が知らない。


「雨なんだよ。雨が、気配を消してくれるから、釣れるんだ」


 確かに小雨が最もよく釣れる天気である。大雨になれば魚は動かなくなり釣れなくなるが、今回は釣りではない。


「この雨が、俺の気配を消してくれるだろ! 一気に行く!」


 千載一遇せんざいいちぐうの好機だと確信したからこそ出た言葉だ。


 ――確かにこの大雨なら、毒液が飛び散る範囲も狭いし、毒も散る……か?


 それでも旺は迷いを消せない。なまじ知識がある分、知らない事に対する恐怖、躊躇ちゅうちょが存在してしまうからだ。


「信じろって!」


 旺の知識が山脇を救った事が多いように、山脇の直感が旺を救った事も多い。


 雨が降っている今がチャンスだ。


 そしてにわか雨は、降り続いても分単位。


 ――タイムロスは避けるぜ!


 旺も腹を決めた。


「……よし、ちょっと待て!」


 投げ渡された水鉄砲を左手に持ち、旺は二挺拳銃ならぬ二挺ライフルになる。洗剤がタンクの半分しか入っていないため射程が短くなるが、それを手数でカバーしようという構え。


 ――でも2発か3発くらいか!


 腹を括って尚、拭いきれない不安が旺の中で強まるが、


「よし、行くぞ!」


 山脇が振り返らなかった事が、その不安を消し飛ばす信頼に変えてくれる。


 雨の中で視界が悪いが、山脇が走り出した瞬間、巣から偵察のハチが現れたのが見えた。


「ッ!」


 旺が右の水鉄砲を打ち落とす。


 山脇が進めたのは、1メートルか2メートルか、そんなものだ。


 その間に2匹目が現れる。


「くそ!」


 今度は左で撃ち落とす。


 トップスピードに入った山脇が進んだのは3メートル。


「3匹目!」


 左の水鉄砲を捨ててポンプアップする旺は、その3匹目にギリギリ間に合った。


 だが4匹目が巣から――、


「間に合わん!」


 旺が両目に絶望の色を浮かべてしまうのだが、ダッシュしていた山脇は地面を蹴り――、


「間に合った!」


 偵察のハチが巣から飛び立つ寸前、ジャンプした山脇が段ボール箱をかぶせた!


「スプレー!」


 右手を伸ばした山脇。


「おう!」


 そこへ旺がハチ用殺虫剤のスプレーを投げ渡した。


 段ボール箱の持ち手部分に張ったガムテープをノズルで突き破り、


「ッ!」


 スプレーを噴射した瞬間、バタバタと暴れ出した段ボール箱に山脇がしがみつく。ハチが最後の抵抗を始めたのだろうが、段ボール箱はハチの針でも貫通できない。


「もう一本だ!」


 空になったスプレー缶を投げ捨てる山脇に、旺が「おう」ともう一本、最後の一本を投げ渡す。


 その2本目が空になる頃、段ボール箱を持ち上げんばかりに暴れていたハチの勢いは完全になくなった。



***



 夕焼け前の空には、にわか雨の後に差す陽射しが虹を架けていた。


 一大決戦を終えた勇者二人はというと――、


「痛ェ……」


 山脇は仇を討ったと胸を反らして帰った家で、「そんな危ない事はしなくていい!」という父親のゲンコツを受けた頭を撫でていた。


「お前も?」


 溜まらず家を飛び出してきた旺も、同様に頬を撫でていた。


「そっちはほっぺたかよ。俺は頭だぞ」


「報われねェなァ」


 これが仇討ちの報酬かと思うと、流石にやるせない気持ちが強くなるのだが、報酬は別にある。


「ねェ、ねェ!」


 二人に投げかけられる声は、もう二人分。


 振り向く先にいるのは、聡子と蜂に刺されたその弟。


「あぁ、大丈夫だったか? 痛かったな。ハチは――」


 弟の視線まで頭を下げた旺に対し、聡子の弟は手に持っていたアイスを差し出し、


「大丈夫だった」


「山脇くんと杉本くんが仇討ちしたって、山脇くんのお姉さんに聞いたから」


 二人は山脇の姉から顛末を聞いてやって来たのだった。


「危ない事するなって怒ってたけど」


「俺はビンタ、山脇はゲンコツくらったよ」


 苦笑いする旺の頬に、聡子の弟がアイスをくっつけた。


「だからお礼! 一緒に食べようよ」


 旺の頬にくっつけられたのは、2本が繋がって1本になったチューブ入りのアイス。


「山脇くんも、一緒に食べよう」


 山脇の方へは、聡子が同じアイスを差し出した。


 ハチ退治の報酬は、ゲンコツとビンタではなく、春夏限定のホワイトサワー味のアイスだ。



 かくして無謀なガキ二人の戦いはハッピーエンドである。

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無謀なガキ二人は、いかにして凶悪なハチに立ち向かったのか? 玉椿 沢 @zero-sum

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