茶番の始まり

 朝いつものように目を覚ますと、昨日のよどんだ気持ちはもうなくなっていた。カーテンを開け外を見ると、外はまだ薄暗く目を細めれば、うっすらではあるが夜空に星を確認することができる。窓を開けて外の空気を吸い込むときりっと冷えていて、新鮮な空気が新しい自分歓迎しているようだった。

 新聞屋さんが朝刊を郵便受けに投函とうかんしたのが見えたので、下に降りそれを取って、第一面を見て顔面に重いパンチをくらった気がし、その場で釘づけになった。


 中国で新種の伝染病発生か!?


 USOコイター通信によると、昨夜18:00頃四川省の成都の某有名マーボ豆腐レストランのマーボ豆腐を食べた客の数名が、食べた直後に不調を訴え、複数が病院に緊急搬送きんきゅうはんそうされ、その内の一人が搬送直後に死亡。病院側の発表によると、原因不明の症状が搬送された患者の全員から確認され、現在はその患者全員を隔離かくり中。四川細菌研究所に送ったサンプルの分析結果、前例ぜんれいがない未知のウィルスを検出。

 保健当局はこの事件を重く受け止め、レストラン付近を封鎖の上、レストラン内を徹底てってい調査。従業員の数名からサンプルと同じウィルスを検出し、その従業員から事情を聴取ちょうしゅしており、未知のウィルスの感染経路の特定に全力をあげている。

 また、レストランに来店していた客の追跡を試みているが、成都市内で不動の人気を誇るそのレストランは、連日多くの客が国内外より足を運んでおり、追跡は困難を極める。その日訪れていた客も何らかの形でウィルスに感染している可能性があり、テレビ、ラジオ、インターネットで保健所への出頭を呼び掛けて、感染拡大の防止に努めている。


 成都、マーボ豆腐、ウィルス?朝から耳にしたくない単語が朝刊の一面をにぎわせている。急に冷水を浴びせられたように、体が震えだしたので急いで家の中に戻った。更なる情報を得ようと思いテレビをつけた。民法のどのチャンネルも、朝から緊急の特番を組んでいるらしく、似たような構成の番組ばかりが目立っている。一番信頼性のあるUSOネットワークの番組に決め、アナウンサーの言葉に耳をかたむけた。


「えー、只今入りました情報によりますと、成都市は本日より都市封鎖を決行することを決定。市民の外出は必要最低限に制限、公共の交通手段は運転の見合わせ、教育機関は小中高、大学を含め休校。それでは、ここで感染対策センターのセンター長である宇曽うそうさんからお話を聞いていきたいと思います。それでは宇曽センター長、当局の対応は大袈裟おおげさなようにも見えますが、どう思いますか?」


「当局の対応は後手ごて後手ですね。本来ならば、国内全体を封鎖すべきですが、成都市内のみを対象としているので、あまり効果は期待できないと思います。事件は昨日になってようやく表沙汰おもてざたになりましたが、感染対策の観点から言うと、一週間以上前から何らかの兆候ちょうこうがあったと見るべきです。人の移動が活発な成都という大都市ですので、世界中からも観光客が訪れているはずです。ましてや、人気の高いレストランから発生していますので、今一番にやるべきことは、世界中の国際線を全便欠航させることです。特に中国からの便は、本国に送り返さないと、取り返しのつかないことになると思います」


「日本の対応はどういった方法が一番効果的でしょうか?」


「ここに来る前に、内閣総理大臣ともお話してきましたが、国内封鎖しか対策方法はないと思います。昨晩から徹夜越しで、緊急の内閣会議が行われており、もうすぐ官房長官より国内封鎖が正式に発表されると思います」

 

「えーたった今、首相官邸と中継が繋がりましたので、そちらの映像に切り変えます」


「国民の皆様もニュースを見て、既にお知りになった方もたくさんいると思いますが、改めて政府としての見解をここで発表したいと思います。四川省成都で発生した新型ウィルスはクソ87と呼ばれることが、昨晩の世界不健康機関の緊急集会で決まりました。その時に協議された世界各国の都市封鎖案第666条の採決が賛成多数により決定し、日本もその勧告に従い本日より、全ての国民に対して外出を必要最低限に控えるように勧告します。クソ87はくしゃみで拡散するという見方が強まっていますので、外に出る時はマスクの着用をお願いします。国民の皆さまが一致団結すれば、これ以上の拡散を防ぐことは可能です。日本国内ではクソ87は現在未確認となっておりますが、これは正式な検査の方法が医療機関に導入されていないためであります。ウィルス・細菌の専門機関が考案した簡単な検査方法として、ご自分で鼻をほじってみてください。指に何か付着すれば、それがクソ87の可能性は非常に高いのですので、焦らずにご自宅にて待機してください。クソ87の初期症状は自覚症状があまりでないので気がつきにくいという点があります。だからと言って、今何もしないで野放しにしておくと、後々大変なことになりますので、どうかご理解ください。政府としてもいち早く解決法を見つけて、国民の皆さまが安心して暮らせる国を再建することをお約束します。公立の教育機関は全て休校となりますので、絶対にお子様を外に出さないようにお願いします。」この官房長官の発表はどこか胡散臭い。国民に外出を制限させる法的根拠がどこにもなく、あくまで仮定の上にこのクソ87が成り立っているように聞こえる。はっきりしているのは、鼻をほじって、鼻くそがあれば、クソ87の保持者となってしまい、くしゃみをすればそれが拡散される。聞きようによっては、今までは風邪として扱われていたものが、新しい名前をつけられ、政府とメディアという強力なバックアップを得て大々的に喧伝けんでんされて、人類最大の敵となって表れた。バカらしいことが大好きな死神たちなら、腹を抱えてこの中継を見ていることだろう。


 ゆみは荒井君のことが心配になった。昨日もらったメールにも返信していなかったので、連絡してみることにした。電話帳の中から荒井君を見つけて発信ボタンを押した。もしかしたら当局に拘束こうそくされ、ありえない疑いをかけられて拷問ごうもんされているかもしれない。


「はい、もしもし」そんな不安をよそに荒井君は電話に出た。


「荒井君?大丈夫なの?」


「昨日のメールを見て電話をしてくれた?なら心配する必要はないよ。マーボ豆腐はあきらめたけど、中国医学に興味を持ち始めてさ、そっち方面にかじを切り変えようかなって考えているんだ」


「そのことも心配だったけど、今ニュースでそっちが大変なことになっていて、昨日もお店に来ていたお客さんが病院に運ばれ、店の周りが封鎖されたって」


「それは大袈裟おおげさだな。メールにも書いたけど、こっちのマーボ豆腐は殺人的な辛さで知られていて、店にも心臓の悪い人は食べないようにってでかでかと掲示けいじされているんだよ。食べる前にも、マーボ豆腐を食べて死んでも、当店では一切責任をもちませんっていう書類にサインしなきゃ食べさせないぐらいだからね。それでも、物好きがいてね、年にけっこうな人数の人が死ぬらしい。危うく僕もその一人になりかけたけど。不思議なことに、食べて死んだ人がでた次の日からはもっとお客さんが増えるんだ。辛さに対する対抗意識が半端じゃないからね。よーし!やってやろうじゃないか!って気分になるのかな?この店はすごい繁盛はんじょうしていて、それが市内の中心地にあるんだから、路上駐車や行列でいつも周辺交通はマヒ状態、行列に並んだ人がごみをぽいぽい路上に捨てるから、いつも掃除の人がうじゃうじゃしていて、その人たちの制服が保健当局ぽっく見えたんじゃない?それに昨日は映画のロケがお店の周辺と厨房内でも行われていて、僕もエキストラとして参加したんだ。だから一時間ぐらい周辺を完全封鎖していたな。何でも感染症をテーマにした映画らしく、僕がほじった鼻くそがマーボ豆腐に混入されて、それを食べた人が倒れたり、世界中に散らばっていくっていうホラーコメディーみたい」楽しそうに近況を報告する荒井君。ゆみは自分の耳が信じられなかった。これじゃあまるでじゃない!虚構きょこうと現実を巧みに混ぜ合わせたやらせ。そう考えた時に、死神が言っていたことを思い出した。これから史上最大の茶番劇が始まる。

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