第15話:ブラック・ディープ・マーケット
ショージ・ヤマダ
神戸市 闇市『出馬通り』
通りは喧騒に満ちていた。焼けた内臓の匂いやバクダン(醸造メチル)の刺激臭に満ちていた。糞や小便の臭いも混じっていたが、この辺りではそう特筆すべきものではなかった。サイゴン程は酷くないにせよ、此処も相当なものだ。
出馬通りをこの場所たらしめている最大の所以。人種の坩堝。黒も白も黄色も溢れている。G.Iが余りいないことが、サイゴンとの違い。PKSの連中も此処に来るには制服を脱いでくる。表の権威は此処には持ち込めない。
ヤマダは手近な中華麺屋の暖簾をくぐった。
ちっぽけなバラックに緋色のネオンサインを捧げ、『又吉亭』という店名をこれ見よがしに主張していた。暖簾には油が染みつき、最早、麻なのか木綿なのかレーヨンなのかすら判別がつかなかった。
店内には、ヤマダ以外の客は二人しかいなかった。アカの連中が良く被っている人民帽を斜にかけた男。草臥れたカクテルドレス姿の娼婦じみた女。人民帽には例の赤い星、女の指には鉤爪をかざす白頭鷲を模したパンチングリングが閃いている。
双方、狭い店の両端に陣取っている。とはいえ、店の席はカウンターのみで、その幅も五メートルもない。ヤマダは二人の丁度、中間の位置に腰掛けた。
店主が声を掛けてくる。彼は薄汚れたエプロンとバンダナを身に着け、丸眼鏡を掛けていた。ミミズクみたいな瞳でヤマダを見ていた。
「金はあるのか?」
「アシダの紹介なんだが」
ヤマダは赤紙をカウンターに滑らせた。
「何が欲しい」
「それの裏に書かれているもの全て」
店主は紙切れを眺め、それから言った。
「ちょっと待ってろ。お冷は其処にある勝手に飲んでいろ」
店主は店の奥へと消えた。そんなスペースが何処にある、と思うが確かに彼はキッチンの覆いの奥へと消えたのだ。
店主がいなくなり、その代わりを務めるように人民帽を被った男が声を掛けてくる。
「やあ、ヤマダ君。麻袋の被り心地はいかがだったかね」
人民帽の男は小馬鹿にするように言ってきた。いや、『ように』ではない。確かに小馬鹿にしていた。
「その言いぐさは無いでしょう。スティール」
鷲指輪の女が突然に食って掛かった。
「だって、間抜けと言う他ないじゃないか。ロージー」
スティールと呼ばれた人民帽男は語りだした。
「この間抜けときたら、勝手に胡乱な工場に来といて、それも散弾銃を持っていったっていうのに、まんまと女一人に取っ捕まったんだ。散弾銃を奴に突き付けもせずにだぞ?偉大なる作家はこういったんだ『一度描写された銃は絶対に引き金を引かれなければならない』」
ロージーと呼ばれた女は自身の金髪を弄りながら言い返した。
「弾も入ってないダブル・バレルが何の役に立つっていうのよ。ナポコフの銃の話を持ち出すなら、残弾切れの銃の持たされた役割は引き金を引かれないことでしょう?」
スティールは声を荒げ、スラヴ訛りを剥き出しにして言う。
「いいや、違うざぁ。銃さの役割は何処までも生き物を殺すごとざ。例えぇ、弾が切れていても、何処からがぁか炸薬のぱんぱんに詰まった弾丸が再装填され、硝煙を吐き出すと決まってる。そう定められてる」
「貴方の小うるさい役割論理も運命論も聞き飽きたわ。結果を決めるのは結局、人心よ。論理性も何もかもかなぐり捨て、その先に答えがあるの」
ロージーの視線がヤマダへと向く。
「例えば、彼がアシダの意見に対し、葛藤しながら結論を導き出そうとしているみたいにね。彼女の、全霊軍の理念を麻袋の下で聞かされ、何を考えたかが大切よ。銃がそこにあるから引き金が引かれるなんて馬鹿げてる。『銃が人を撃つわけではない。人が人を撃つ』分かるでしょう?」
ロージーの言葉は、ヤマダに走馬灯の如く、あの女の言葉と麻袋の粗い目を思い出させた。
『ユナイテッド・フルーツ・カンパニー総帥のミッキー・カーボとスラヴ・ブリューのスヴェトラーノフ・コーシュキンは共同事業に向けた会合を開く予定だ。この場所で最も力を持つ二人だ。いけ好かないだろう?手前勝手な正義や論理で此処に入り込んでいる。他所の思惑を持ち込もうとしている。馬鹿げた主義主張だ。そんなものは此処には不要だ。押し付けられる側の気持ちを思い知らせてやる時だ』
低く、掠れた声。
「ニイタカヤマノボル」
思わず漏れたその声に誰かが聞き返した。
「なんだと?」
眼前のカウンターに店主が立っていた。カウンター上には大きなバックパックが置かれていた。
ヤマダは混乱を隠せず首を振った。状況が理解できない。
店主はそれを見て取り、溜息をつく。載せられたバックパックを叩く。
「書かれていたものはこの中に詰まっている。人が必要なら、連絡しろ。前金は腐る程貰ってる。カジノの一つや二つ余裕で開業できる程にな」
バックパックをヤマダへと押しやる。
「お前が何をしようが、俺は知ったこっちゃない。代金を貰い、売っただけだ」
そう言って、店主は奥へと引っ込もうとした。
ヤマダも会釈し、店を出ようと立ち上がった。最後に思い出したように聞いてみる。なんの気なしに。
「最初にいた二人の客は何処に消えたんだ?」
そうだ、両脇の二人は消えていた。そして、店主も奥へと消えた。まるで何も聞こえていないかのように。
皇紀1965 ワニ肉加工場 @gavialdiner88
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