第14話:断片・倒錯・混迷
田上沙紀
CIA支部 神戸印刷所
ラジオからはクリームの『ホワイト・ルーム』が流れていた。
しかしその部屋は、その空間は真っ白というには余りに色彩に溢れすぎている。壁面を埋め尽くすようにピン止めされた地図や雑誌の切り抜き、写真たち。その微かな隙間を縫うように書き込まれたメモ書き。
家具は、中央に置かれた大机だけ。後は書類や書籍が散乱するばかり。
此処は、CIAの支部局。表向きには印刷所となっているビルの一室。情報分析官の部屋だった。
田上は情報を貰うために、此処に来ていた。どうして、通してもらえたかは聞くべきではない。世の中には見えない繋がりというのがある。それは、金であったり、権力であったり、名声であったり、多様であるが、他言無用であるという点において共通している。
部屋の主。奥の壁面を見据えるように佇む男がいる。彼は田上に電子音声みたいな声を掛けた。
「ガイから話は聞いているよ。曰く、共通の敵であるとね」
男の名。ダドリー・エルロイ。CIA日本支部の情報分析・管理官。偏執狂。灰色のスーツを着ている。髪型は坊主。頭の風通りが良くなるという話だ。現に、剃り残しが畝のようになり、エアコンの風の流れに指向性を加えている。冗談だ。
「第七連隊の名簿が欲しい。其処に、全黎軍の中枢を知る奴のことが載ってる可能性がある」
「その前に、聞かせて欲しい。その奴というのは、君の知り合いかね。君も第七連隊に在籍していたことがあるようだが」
「知らない。見たこともない。知っていたら、とっくに言っている」
「それもそうか。君が第七連隊を去ったのは第二次ノモンハンの少し前。その後、第七連隊はノモンハンで瓦解した。となれば、その女が連隊に編入された時期はほぼ最後の編成替え時に絞られるわけだ」
「そう言うことになる。残ってるか?」
「別段、中央の極秘文書というわけじゃない。管理もそれなりにずさんだった代物だ。何なら、戦前から手に入る程度だ。持っていなくちゃ、CIAの名折れだ」
そう言って、エルロイはファイルを取り出す。事前に全て予測していたかのように、付箋付けまでされている。
「目星を付けておいておいたよ。ガイから又聞きしていたからね。年は三十後半。背格好は170cmm程。分厚い黒ぶち眼鏡をかけていたことから、視力は薄弱。髪は黒。丁度、君に眼鏡をかけて、より冴えなくした感じだ」
エルロイはペラペラとのたまい、ペラリペラリとページを捲った。
「恐らく、こいつだ」
エルロイの指さすページを覗く田上。軍隊の名簿など初めて目にした。あの時は生き残ることに必死で、どういう管理がなされているかなど知ったことではなかったのだ。
黄ばんだ用紙の上には、『芦田晢』という名と不機嫌そうな表情を浮かべた女とも男とも思える中性的な顔立ちの痩せた顔が載っていた。分厚い眼鏡を掛けている。
画質は荒かったが、確かに、あの女に似ていた。
それでも、確信というには程遠かった。
「他に…」
田上のその言葉をエルロイは遮った。
「他はいないさ。文字通りな。全てKIA(戦闘中死亡)だよ」
「それはよっぽど不自然だな」
田上は諦めた。余計な答えをしなかった。
「奴のその後の足取りはファイルにまとめておいた。点々としているが、確かに日本にいる。いや、日本じゃないな、此処は秋津州だ」
田上はその言葉を無視し、ファイルを掴み取った。そして部屋を出ようとノブに手を掛ける。
その後ろ姿にエルロイが独り言のように呟いた。
「ところで、君の名前を名簿から探したんだが、見当たらなかったよ。ずいぶん遡って調べてみたが、不自然な程何もない」
「兄貴の名義で偽証入隊したから、当然さ。兄貴の名前で調べてみるんだな。1941年あたりが良いと思うぜ」
「お手数だが、兄上の名前を教えてくれるかな?」
「自分で調べるこったな。CIAだろう?」
扉はバタリと閉じた。その風圧で書類が一枚捲れてしまった。
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