後編

「えっ……夕宇ゆうが私のこと、好きなの?」


 耳まで真っ赤にして、潤んだ瞳を泳がせるあきら

 初めて見る表情に、目が覚めた。


 焦りや恐怖に囚われて人の秘め事を晒すだなんて。

 私は最低最悪だ。


 夕宇が震える声で呟く。

(言ってしまったらほんの少しでも可能性があるかもって思ってしまうのに。本当はそれが辛くて苦しくて言わなかったのに。なのに、どうして?)


 悲しみに満ちた声は耳を塞いでも止められない。罪悪感で胸が苦しい。


(……驪玖りくの、馬鹿)

「……ごめん!」

「驪玖!?」

 私は走り出していた。


 一刻も早くここからいなくなりたかった。

 死ぬまでもう夕宇のままでいいとさえ思った。


 夕宇は何も言わない。気配すらしない。私の中から消えてしまったのかも知れない。



 街の明るさから逃げた先に辿り着いたのは、夜ごと稽古けいこはげんだ自然公園だった。

 夜の闇より暗いもやが私を覆い、囁く。


「おマエにいキルカちハなイ」

「アのコニはみアわナい」

「ヨワくテみにクい」

「そんなの分かってる!」


 斬り捨てた物ノ怪もののけは短い叫びを残し消えていく。視界が晴れた先にいたのは。


 二本の尾を生やして佇む、巨大な白狐びゃっこ

 夕宇から空尾の尾は一本だったと聞いている。彼女が戦った時点で尾を欠いていたか、元々一本だったのかは定かではないが。どちらにせよ今の空尾は、かつてを上回る状態だ。

 挨拶代わりとでも言わんばかりに遠吠えをした空尾が一足で距離を詰めてくる。慌てて刀を構えようとするが間に合わない。強烈な痛みと衝撃が全身を駆けてから、丸太みたいな前足に殴り飛ばされたと理解した。


 鞘を突き立てて踏ん張る。次の攻撃に備えるが。

 空尾の足元から揺らめく狐火が湧き上がり、瞬時に目の前に吹きつけた。守りの綾技りょうぎで炎を斬り払っても、防ぎ切れない残滓ざんしがスカートを焦がし肌を焼く。


 夕宇の稽古がなければ今頃死んでいたけど、あっても防戦で精一杯。単独でなら戦えるかもと思った自分が恨めしい。でも私には二人を求める権利なんかない。


 戦っていても、頭は二人のことでいっぱいだった。


「ぐっ──ぁ」

 しまった、と思った時には刀を弾かれ前足で地面に押さえつけられている。

 身動きが取れない。空尾を取り巻く狐火が迫る。


 ──夕宇。

 あなたが晶とすぐに仲良くなるのが羨ましくて、嫉妬しちゃったんだ。

 取り返しのつかない辛い想いをさせてしまって。本当にごめんなさい。

 ここで死んだら、ちゃんとお別れできないのが残念だな。


 目を瞑る。押しつける足の重さに息が止まる。意識が遠のいていく。


綾技りょうぎ! 白花しらはな矢絣やがすり!」

 瞼の裏を赤く染める閃光。短いうめき声。肺に流れ込む空気。


 目を開けると、平突きから正眼へと刀を構え直す晶の後ろ姿があった。

 その脚は震えている。だけど恐怖に負けることなく、立ち向かっている。


「ごめんね、驪玖をひとりにして」

「に、げて……」


 まだ酸素が足りない中で必死に絞り出す。不意打ちを受けた空尾は距離を取り様子をうかがっている。私を置いていけば、まだ逃げられる。


「逃げないよ。でもわたしだけじゃ負けちゃうから、驪玖も戦ってくれる?」

「……当たり前、でしょ」

「それが驪玖のカッコいいところ。誰にも知られず死んじゃうかも知れないことを当たり前にできるなんて、世界一凄いんだから!」


 空尾と睨み合いながらも、晶は言葉を止めない。


「わたしのヒーローなんだよ。驪玖がいるから頑張れるんだよ。驪玖がわたしを、つくってくれたんだよ!」


 晶と私は住む世界が違うと信じていた。

 でも、それは独りよがりな思い込みで。

 私達はいつだって、ふたりでひとつだったんだ。


 朧気おぼろげだった視界が晴れる。

 痺れる脚に力を込めて立ち上がる。

 急に身体が軽くなった気がした。まるで誰かの力が流れ込んでくるような──。


(やっぱり驪玖の身体の方が動きやすいですね)

(夕宇、今までどこに……!)

(晶と貴方を探していたんですよ?あんなことしておきながら置いて行くなんて、酷いですね)

(……ごめん)


 逃げたい一心で夕宇を拒んでしまったのか。まさか本当に私からいなくたっていたなんて。


(ですが、驪玖のお陰で晶から答えをもらえました。惨敗でしたけどね!)


 からりと笑う夕宇。少しだけ罪悪感が軽くなった。


 刀を拾い、空尾を正面に捉える。

 全身が痛い。

 だけど、今まで感じたことがないほどに力が湧いてくる。

 まだ、戦える!


「いくよ、晶!」

「うん!」

 地面を蹴る。二人と一体の間に張りつめていた見えない糸が弾ける。晶が編んだ術が光の柵になり空尾の狐火を寸前でせき止める。鋭い爪と牙を掻い潜り、懐へと踏み込む。

 逆袈裟ぎゃくけさから始まる高速の六連撃。唐竹からたけ割りを即座に返して連撃へと繋げ、横薙ぎで巨体を押し返す。

 刀を納めて編む術は、暗い紫のジグザグ模様。闇より黒い雷が両手の間からほとばしり、空尾を吹き飛ばす。

 その先で待たせているのは、輝く六角のあやを編んだ晶。


しろがね蜘蛛ノ網くものい!」

 足元から伸びた白銀の網に空尾は縛り付けられる。

 しかし狐火が瞬時に火を点けた。網は持って数秒だ。衝撃を与えればその前に破れてしまうだろう。


 ならば使える技はただ一つ。

 自分に自信がなかった。だからこの技は嫌いだった。


 でも、今なら。


 息を吐く。世界から音が消えて、夕宇の声だけが心に差し込む。


(大丈夫。驪玖の刃は、何よりも強くてまっすぐです)


 綾技りょうぎ──無綾むりょう一色いっしき漆黒しっこく


 鞘から駆ける純黒の一閃が、断末魔すらなく空尾を両断した。

 あまりにもあっけない終焉しゅうえん


 ──の、はずだった。


「きゃぁああっ!」


 一瞬の油断だった。斬られた空尾がどろりと黒煙に溶け、晶の背に吸い込まれていく。胸を押さえ膝をつく晶。乗っ取られるまで時間がない。どうするか考えるより早く、私の手が術を編み始めていた。


(ここは私に任せて!綾術、朱之籠目あけのかごめ!)


 糸が退魔の象徴である六芒星を形作ると、同じ紋様が繰り返された半球が晶を包む。閉じ込められた晶は苦しそうにもがきながらも、あかい網に両手をかけた。


「ぎぃいいい!」


 人の姿から想像もつかない金切り声と必死の形相。縦に裂けた瞳孔が限界まで見開かれる。

 効いている──そう思ったところで、私の顔が歪んだ。


「晶の力が吸われています!晶か術のどちらかが壊れてしまいます!」


 夕宇は術の最中。私とは入れ替われない。

 術を解けば空尾は晶の身体で逃げてしまうが、このままでは晶が死んでしまう。


 絶対に嫌だ。

 身体は動かない。だけど腕を晶へと伸ばす。足を一歩ずつ踏み出す。

 晶は私が救うんだ。


 たとえこの命にかえたとしても!


「驪玖、貴方一体……!?」


 後ろからの声に振り向くと、そこには驚く私がいた。

 自分でも分からない。でも、晶を救えるならなんだって構わない。

 夕宇の術をこじ開けて、晶を力いっぱいに抱き締める。肩に噛みついてくるけど、そんなんじゃ私は止まらない。


「晶を返せ! 晶は私の──私だけのものだぁあああ!」

 術なんかにならないぐちゃぐちゃのままの力を晶に捧ぐ。


 肩の痛みが弱まる。晶の背から黒い煙が立ち昇った。

「死んでから覚えた貴方のためのとっておき、見せてあげます!」


 夕宇が編み上げたのは、ぞっとするほどに鮮やかな大輪の花。


はふれ、天よりくだりし紅蓮の毒華どくか──彼岸花」


 両手から溢れた花は炎へと変わり、世界を燃やす。

 黒煙となった空尾は瞬く間に燃え上がり、のたうつように渦巻いていたが。


 逃げ場所はどこにもなく、私達の眼前で跡形なく消え去った。



 ──終わった。

 倒れ込んで、晶がいないことに気が付く。いつの間にか私は自分の身体に戻っていた。


「驪玖、夕宇。大丈夫?」

 自分もまだ動くのすらやっとだろうに、私達を気遣う晶。


「さっきので私の全部、使いきっちゃいました……」


 夕宇の存在が薄くなっていく。終わりがそこに迫っている。


「もう、さよならなの……?」

「泣かないで、晶。貴方を救って往けるのなら、本望ですよ」


 抱きしめた晶の頭を撫でる。

 ──夕宇は私と一緒だったんだね。

 同じ人を好きになって、夢中になって、命を懸けて。

 もっと早く、気づいていればよかったな。


 心に留めきれない想いが涙にかわる。夕宇のものなのか、私のものか分からない。一緒に泣けていればいいなと思った。


「夕宇。わたしにあなたを送らせて」


 晶は回した腕をほどいて、両手に金色の光を灯す。ぼろぼろに泣きながら震える指で編むのは、あと一手で完成する綾の橋。


「この綾をとれば、あなたは向こうへいけるよ」

「晶にはなむけを頂けるなんて、私は幸せ者ですね」


 夕宇はゆっくりと金の糸を手に取る。橋は完成すると目映まばゆく光り、全身を包んだ。


「綾術、黄金こがねの架け橋」


 夕宇は絵本の最後みたいに術の名を結ぶ。人ひとりが渡れる金色の橋が現れて、その向こうからはあたたかくて懐かしくなるような光が射している。


「晶、驪玖。貴方達に出会えたこと、生まれ変わっても忘れません」


 全身の感覚が明瞭になる。私を抜けた夕宇が橋を歩いていく。


「わたしも夕宇のこと忘れないよ! 好きになってくれて、幸せだった!」

「私も絶対に忘れない! あなたは私達のなかに、生きてるから!」


 一度だけ夕宇は振り返る。思い残すことのない、晴れ晴れとした笑顔があった。


「ありがとう。またね」


 ‡


 それから私と晶は目が腫れるまで泣いて。

 涙で濡らした服に凍える私達は、肩を寄せて歩いていた。

 家の灯りさえ消えた暗闇の中で、息づかいが小さく震えている。私は意を決して、名前を呼んだ。


「晶」

「うん」


 不安に次の言葉と足が止まる。

 断られたらどうしよう。


 ──ううん。私はもう、怖がるだけの弱い私じゃない。


「手、繋ごうよ。寒いでしょ」

「……うん!」


 晶の右手へと指を伸ばす。晶は指先で軽く触れてから、五本の指を絡めてくる。しっかり握ったその繋ぎ方の名前を思い出して、冬の夜を忘れるくらいに身体が熱くなった。


「えへへ。驪玖、すごくあったかいよ」

「晶だって、あたたかい」


 不意に視界が明るくなり、晶と目が合う。


 顔を見られるのがなんだか恥ずかしくて、私達は息を合わせたように光の射す方を見上げる。


 厚い雲が晴れた空に、大きな満月が優しく輝いていた。



「”月が綺麗ですね”」

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あやかし少女 綺嬋 @Qichan

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