中編

「今日はあきらの家で遊びましょうよ!」

「じゃあ美華みかちゃんと瑠輝るきちゃんも誘って、帰りにお菓子買っていこうね!」


 授業が終わると私は身体を夕宇ゆうに譲る。その間は夢の中みたいな感覚だ。

 夕宇は瞬く間に私の生活に馴染み、晶との距離を詰めた。

 綾貸師あやかしだから。

 夕宇が大人だから。

 見慣れた私の姿をしているから。

 妥当な理由は考えつくけど、私が晶と過ごしてきた日々が夕宇に負けたような気がした。収まりの悪い心で過ごす日々はこれで二週間。

 なのかなのかは、自分でも分からない。


 ふと、目が合った晶が顔を近づけてくる。


はどう?」


 密やかな囁きに心臓が止まりそうになる。今は夕宇なのに、私のことまで気にかけてくれている。


 嬉しくて、後のことなんて考えずに二つ返事をした。




「アキラ! 授業の復習までしてくれてマジで助かった!」

「ウチも晶のおかげで美華に教える手間が省けたよ」

「ルキだってアキラに教わってたじゃん!」


 ゲームと勉強を終え解散するはずが、晶の家の前で言い合う美華みか瑠輝るき。最初は名前と顔が一致しなかったが、元気なのが美華で落ち着いているのが瑠輝だ。私が夕宇に身体を貸してから、この二人や他のクラスメイト達とのやり取りが増えた。


「にしてもツヅラちゃん、マジで最近明るくなったよねー」

「うん、別人みたい」

「期間限定のイメチェンです。そのうちまた戻ると思いますが、そうなっても仲良くしてあげてくださいね」

(ちょっと、変なこと言わないでくれる?)


 夕宇がいなくなったら私はどうやって付き合っていけばいいんだろう。何せ私には晶しかいなかった。考えるだけで目が回りそう。


「なにソレ」

「なんか変な子?」


 美華と瑠輝が露骨に顔をひきつらせた。どうせ私は信用されていない。積み上げてこなかった私が悪いけど、面と向かってそんな表情をされるとこたえる。


 晶が夕宇の左手を握る。『大丈夫』と聞こえた気がした。


「驪玖は事情があって時々様子が変わったりするけど、本当にいい子なんだよ。ふたりがよければ、これからも関わってあげてほしい」

「まぁアキラの幼馴染なら悪いワケないな!」

「うん、安心と信頼のブランド」


 さっきの顔が嘘みたいに、美華と瑠輝は口を揃える。

 自分まで嫌われてしまうかも知れないのに。怖れずに言いたいことが言える晶は凄い。


「そんなわけで明日からもヨロシクな! 帰るぞルキ!」

「はいはい。じゃあね、二人とも」

「美華ちゃん瑠輝ちゃん! また明日!」

「気をつけてくださいね」


 二人を見送ると、どっと疲れがこみ上げてくる。賑やかな一日だった。終わってみると少し寂しい気もするけど、これは私じゃない。

 私のあやを借りた夕宇の生活なんだ。


「驪玖、夕宇。今日もありがとうね」

「いいえ。晶の方こそみんなに勉強まで教えて、疲れたでしょう?」

「わたしは全然だよ。これくらいしか、できることないから」


 何が『これくらい』なんだろう。晶は私にたくさんのものをくれているのに。

 途端に作り笑いになる晶を、夕宇はまっすぐに見つめた。


「晶。貴方は自分で思うよりずっと多くの幸せを与えているんです。さっきだって、驪玖のことを守ってくれました」

「当たり前のことをしただけだよ」

「ならば尚更です。お日さまみたいに貴方が自然にくれるあたたかさがあるからみんなが明るく過ごせるんだと、私が断言します」

「……ありがとう! ちょっと最近自分に自信がなかったけど、夕宇のお陰で元気でたよ」


 満面の笑顔になる晶。家の灯りを背に受けた姿は、まるで後光の差した天使だ。


「ふふ、それはよかった。では私達も今日は帰ります」


 夕宇は晶の手を名残惜しそうに握る。細い指で返す優しい応えは私に贈られたのものじゃない。

 私のものじゃ、ないんだ。




 晶の家を後にした私は、日課となっている稽古のために自然公園へと向かう。頭の中でリピートし続けるのは晶と夕宇のやりとり。


 夕宇は大人で、死人だ。言うべきことを分かっている。

 でも、晶にかけた言葉は私のものでなきゃいけなかった。どうして私が言えなかったんだろう。私の姿なのに私じゃないことがたまらなく恥ずかしくて悲しい。


 夕宇に綾を貸したその日から、私の目を通して視た夕宇の世界の中心には必ず晶がいて。


 それはまるで──。


「ねえ、夕宇。晶のこと、好きになったでしょ」


 足を止める。半分に欠けた月が照らす公園には人も虫もいなくて、静寂せいじゃくが響いた。


(やはり、貴方には分かってしまいましたね)


『どうして』なんて聞くつもりはない。晶の魅力は私が誰より知っている。


(優しくてあたたかくて。何の躊躇ためらいもなく私を受け入れてくれて。生きていた時に会えていたら違う未来があったと、間違いなく言えます。いいえ、死んでからでも、会えてよかった)

(それが晶だから。綾貸師を続けているのだって『みんなを助けたい』からなんだよ。偉いよね)


 私なんて自分のためだけに綾貸師をしている。なんて、みじめなんだろう。


(はい。傍にいられればどんなに幸せなのだろうと、考え止まないのです)

(晶には伝えないの?)

(私はいずれ消える存在です。今を生きる晶の心を荒らしたくはありません。それに──)

(それに?)

(いいえ。それより稽古、始めましょうか)


 その稽古も、もう頭打ちだった。

 目に見えて上達があったのは一週間ほど。

 夕宇としては技術的にはもう教えられることはないらしく、あとは精神的な問題らしい。

 そんなこと言われても困る。私はもっと強くなって、空尾を倒して、晶を守らなきゃいけないのに。

 試行錯誤に振るう刀が物ノ怪もののけを全て斬り倒したところで、夕宇が重く呟いた。


(驪玖。最近、物ノ怪が以前に比べて減ったと思いませんか)

(言われてみればそうかも)

(私達が出会った時から少ないと感じてはいましたが、最近はあまりに顕著です)


 人々が幸福になれば物ノ怪は生まれにくくなるけど、今の世の中はそんなはずない。


(空尾が物ノ怪を喰らう速度が増しているのかも知れません)


 つまり、本来の力を取り戻しつつある。このままでは手に終えなくなってしまう。


(急がなきゃ。もう一度、探しにいこう)



 しかしそれから半月が過ぎても空尾は見つからず、稽古の成果も上がることはなく。一方で晶と夕宇は楽しそうに日々を過ごしていて。二人に置いていかれてしまったような気持ちはいよいよ抱えきれなくなりそうだった。


 近頃は晶との放課後の見回りも早く終わるけど、家に送り届ける頃には真っ暗だ。玄関前で振り返った晶は、重い雲に覆われた空の下でほのかに明るい街の方を見つめた。


「最近は物ノ怪が少なくていいね。いつもこうなら、みんな安心して暮らせるんだろうなぁ」

「……うん、そうだね」


 晶はその理由を知らない。言えば空尾を探しに行ってしまうだろうから。隠しているのは後ろめたいけど、晶を危険に晒したくはない。


「驪玖、今日もありがとう。また明日ね」


 私はこんなに晶のことを考えて、気持ちを隠して、強くなろうとしているのに。


 夕宇には感謝している。

 私に友達を作ってくれた。

 綾貸師の技術も教えてくれた。

 でも、私だって晶ともっと仲良くしたい。伸び悩みだって『あとは貴方の心次第です』で片づけないで欲しい。


 夕宇ばっかり、ずるいよ。


 ……だから、ちょっとくらい、いいよね。


「──待って。晶」

「ん、どうしたの?」


 足が震える。

 呼吸が浅くなる。

 でもきっと私は笑顔だ。

 だから下を向いたまま、明かり越しの晶が作った影の中で、私は口を開いた。


「夕宇ね、晶に恋してるんだよ」

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