理屈っぽい女はお嫌いですか?

春日あざみ@電子書籍発売中

バリキャリ女子とオンボロ軽自動車

 親から譲り受け、デザインがスキじゃないとか何だとか言いながら、惰性で乗っていた軽自動車がついに駄目になった。


 すでに購入からだいぶ経っていて、あちこち凹みも目立っていたが、今年の夏になって、エアコンが壊れた。初夏のうちはなんとか我慢していたものの、もはや限界。


 このオンボロのために、極力修理費用は払いたくないが、仕方なくディーラーに持ち込むことにした。


「ああ、コレはねえ。ガスが抜けてますね。年式を考えると、どこからか漏れているかも。しかもガスが抜けてる状態で結構走られてるので、エアコンベルトもやられてます。交換しないとエンストしちゃいますよ」


(コレはさすがに修理しないと乗れないか…)


 見た目の悪さはもう諦めているが、走行中に壊れるような事態は避けたい。親切そうな笑顔の営業マンに、恐る恐る尋ねた。


「おいくら…でしょうか」


「ガスの充填と、エアコンベルトの交換で、約二万円ですね。これでもし、しばらくしてまたガス抜けちゃうようなら、さらに十万くらいですね」


 最悪の場合で十二万。オンボロ車の維持費用としては高すぎる。


(三十一歳まで独身で、バリバリ働いてきたんだし。車くらい贅沢してもいいよね…)


 外資系企業の経理部門で、この歳でマネージャーまで上り詰めた。しかし、キャリアを積めば積むほど、親からは「性格がキツくなった」と言われるし、男性も寄り付かなくなった。それなりに仕事で成果を残すためには、それなりのストレスを背負っているし、確かにイライラしていることは多くなった気はする。


(ただ一生懸命、頑張ってるだけなんだけど)


 異性からチヤホヤされるのは、控えめでおっとりしていて、女性としての「線引」を心得ている子たち。男性と並んでも一歩も引かない自分は、男からすると「生意気な女」なんだろう。活躍すればするほど、どんどん息苦しくなった。


 大体バリキャリ女子、ってなんなのよ、と心のなかで悪態をついた。男がバリバリ仕事したらエリートで、女性はバリキャリって、ばかにしてない?


 イライラが、顔に出ていたのかもしれない。営業マンが私の顔色を伺うように、確認をしてきた。


「あのう…お客様、いかがなさいますか」


 一瞬迷ったが、どうせ同じお金を払うなら、と、決意が固まった。


「買い替えます。あの車にお金払うの、もったいないんで」


「それでは、軽自動車のカタログをお持ちしましょう。それとも中古車をご覧になりますか。条件を言っていただければ、お客様に合うものをご提案できますよ」


 鉄くず同然の車に乗っていたので、車にはコストをかけない人だと思われたのかもしれない。価格帯の安そうな製品ラインを勧められて、そう思った。


「あの、私スポーツカーに乗りたいんです。カタログ、見せてもらえますか」


 その言葉を聞いて、営業マンはぎょっとした。


「普段女性が街乗りで使われるなら、軽自動車で十分ですよ。スポーツカーになると価格も高額ですし、運転技術もいります。ご両親とお住まいで、別途乗用車もお持ちなので、スポーツカーは生活スタイルに合わないかと」


 (「女性の街乗り」って。女性はどうせ長距離は乗らないっていう偏見からのコメント? …いや、実際そういう女性が多いのかも)


 ベテラン風の営業マンであることを考えると、経験からでたアドバイスなのかもしれない。


「私はドライブが趣味なので、乗るだけで気分が上がるような車に乗りたいんです。コストよりもそっちが重要で」


 そう伝えたのだが、どうもこの営業マンは、女がスポーツカーを選ぶ、という選択肢が納得できないらしい。平行線の会話に嫌気が差し、修理もせずに店を出てきてしまった。


(まあ、実際使い勝手は軽自動車の方が良いのかもしれないけど。もう少しお客の気持ちを汲んでくれたっていいじゃない)


 エアコンのきかないムワッとした車内に戻る。エンジンを掛ければキュルキュルおかしな音が出た。営業マンの案内にしたがって、出口へ向かう。左にウインカーを出し、走り始めると、前方にもう一軒ディーラーがあるのが見えた。


(あ、あそこ、スポーツカーがある)


 ガラス張りのショールームには、赤い、ピカピカに磨かれたスポーツカーが展示されていた。ついついその美しさに魅了され、衝動的に左側にウインカーを出し、駐車場に入ってしまった。


(しまった、勢いで入っちゃった)


 私が入ってきたのに気がつき、三十代くらいの営業マンが急いで出てきた。私は運転席のウインドウを開け、彼に話しかける。


「すみません、予約とかしていないんですけど、新車の購入を検討してて。いまお席あいてます?」


 決してイケメンではないが、短髪で清潔感があって、爽やかな雰囲気のその営業マンは笑顔で答えた。


「大丈夫ですよ。お車はあちらへお願いいたします」


 彼の案内に従い、車を停める。運転席のドアを開けてくれた営業マンは、美しい角度でお辞儀をして言った。


「本日はよろしくお願いいたします。江南えなみと申します。暑いので、まずは中へどうぞ」


 人懐っこい笑顔を浮かべる彼に、好感をもった。ただ、先程「女がスポーツカーなんて」という態度を取られたばかりだったので、要望を率直に伝えることに躊躇している自分もいる。商談席に案内され、お客様シートに情報を埋めていく。そして希望車種欄に「スポーツカー」と記入した。


 私が頼んだコーヒーを持って席に戻った江南さんは、早速シートに目を通す。どんな反応が返ってくるかドキドキしながら、江南さんの一言を待った。


「ご記入ありがとうございます。スポーツカーを選ばれた理由を伺っても?」


 ほらきた。女性がスポーツカーなんてって、やっぱり思っているんでしょ。私はため息をつき、先程と同じ返答を繰り返した。


「ドライブが趣味なので、乗るだけで気分が上がるような車に乗りたいんです」


 また同じやり取りの繰り返しだろうか。眉間にシワを寄せ、腕を組む私に対して、江南さんは意外な一言を放った。


「ちょうどね、今日、スポーツカーの試乗車が空いてるんです。…乗ってみちゃいましょうか」


 ニッコリと、先ほどとは違う、いたずらっぽい笑みを浮かべた彼に、少しだけドキッとした。まるでこれからいたずらでも一緒にしようかというような誘い方だ。


「…はい!是非」


 「では、早速準備してきます」と言って席を立った彼の後ろ姿にワクワクしつつ試乗車の準備が整うまでの間、私はコーヒーをゆっくりと楽しんだ。



 ***


「えっ、こんなに車高が低いの? しかも、地面の振動がめちゃくちゃ伝わる!」


 スポーツカーに乗ったのはこれが初めて。実際に乗ってみると想像との違いに驚く。見た目がかっこいいと思ったのと、なんとなく憧れがあってスポーツカーと言ってみただけだったので、具体的な特徴などは一つも知らなかった。


「はい。スポーツカーは、乗りこなすにはテクニックが必要なので、より多くの路面情報を伝えるために伝わってくる振動も大きいのが特徴なんです。これまで乗られていたのが車高の高い軽自動車なので、特にここは違いを感じるポイントだと思います。まあでも慣れですよ」


 目線が低いので、まるで世界が変わったように見える。初めは驚いていた振動も、段々となれてくると、心地よい。ただ、足回りが狭い感じがするのと、想像以上に荷物を乗せるスペースが無いかも。


「乗ってみると色々発見がありますね。やっぱりいいなあ、スポーツカー」


 楽しそうな私の笑顔を見て、江南さんも満足顔だ。


「昔のスポーツカーと違って、今のスポーツカーはオートマのものが増えましたし、駐車の難しさもバックモニター等でカバーできるようになりました。やはり慣れは必要ですが、決して乗りづらい車ではなくなってきてるんですよ」


「…でも、女のくせにって思います?」


 その一言に、江南さんはわたしの顔を振り返った。


「何かあったんですか?」


 そんなことないですよ、とか、確かに女性の購入者は少ないですね、という回答が返ってくると思ったのだが。「何かあったんですか?」って。自分の質問の奇妙さに気づいたのか、「あっ」という顔をして、江南さんは頭を掻いた。


「…すいません。うちに来店された際に、すごーく悩まれた顔をしてたもので。ちょっと気になって」


 そんな風に思われていたのかと、がっくりうなだれた。とりあえず、目の前に見えていた海岸沿いのレストハウスの駐車場に、赤いスポーツカーを停めた。


「初対面の方にこんな話するのもあれなんですけど」


 膝上に置かれた自分の両手に目をやり、話そうかどうしようかと躊躇した。ただ、仕事での鬱憤と、先程のディーラーでのやり取りに対するイライラが募っていたところだったので、ちょっと愚痴ったら楽になれるかもと思い、おずおずと話し始めた。


「私、世間で言うバリキャリ女子ってやつなんですよね。同期の男性社員に負けたくなくて、ガツガツ仕事して、成果が認められて管理職になったんです。・・でも、女のくせに、ってずっと言われて。男性の部下に指示するにも一つ言い方を間違えると『なんだよえらそうに』って。おまけに私が出世したのは、『女性の管理職比率を上げないといけないからだ』って言われてて」


「そうですか…」


 真面目な顔をして、江南さんは相槌を打った。なだめるでもなく、男性の部下を擁護するでもなく、只々聞く姿勢を見せてくれる江南さんの態度に、私は饒舌になってしまう。


「男性が作った男性本位の組織の中で、女でもやれるんだってところを見せたくて頑張ってきたけど。でも頑張れば頑張るほど、自分の居場所が窮屈になっていって。出世するほど出会いは少なくなるし、ただ仕事をしてるだけなのに、やることなすことネガティブに受け取られるし。それで、趣味のドライブで発散できたらなーと思って、ディーラーに来てみたら、そこでも『女がスポーツカーなんて』って。あんたたちの定義で『女』を決めつけないでよって、なんかやるせない気持ちになっちゃって」


 そこまで話してハッとした。初対面の販売店の営業マンに話す内容ではなかった。


 恥ずかしさで顔が、みるみる熱くなる。


「そうですねえ、女性活躍社会ってよく言いますけど、僕も『女性活躍』ってなんだよって、たまに思います。男女平等じゃないからこそ、出てくる言葉ですよね。女の人が活躍してないの前提みたいな」


 車を売るために、お世辞で同調してくれたのだろう。ますます自分が惨めになった。


「そんな不平等な世の中で、鈴木様は活路を開こうとしているんですよね。それは本当に、立派なことですし、大変だと思います。車ぐらい、好きなの乗ったってバチは当たりません。――ただね、一つだけ思ったのは、女のくせにって言われることへの反発で『女性が乗らないイメージの車』をあえて選んでいませんか?」


 その言葉にハッとした。スポーツカーがかっこいい、と思ったのは本当だし、試乗してみて良いなとは思った。ただ、やはり技術的な部分や実用性で、乗りづらさを感じたのは確か。慣れで改善される部分を差し引いても、「自分に本当にあった車」という意味で、この車が最善ではないかもしれないと、心のどこかで思っていた。


「すごい、江南さん。少ししか話してないのに、そこまでわかるなんて」


「いえいえ、なんとなく、そんな気がしただけで。せっかく選ぶなら、『自分が本当に乗りたい車』を探してみませんか。男がとか、女がとか関係なく、自分らしい車を探してみるのも良いかと」


 一重で、どちらかと言うとしょうゆ顔の彼がニッコリ笑うと、目が糸のようになる。モデルのような美しい顔立ちをしているわけではないけれど、形の良い鼻をしていた。眉毛も適度に整えていて、ひげも濃くない。よく見ると結構好みの顔かもしれない。


「…あれ、僕の顔なにかついてます?」


「あっ! いえいえ、なんでも無いです」


 再びりんごのように染まった私の頬を、彼に気づかれてはいないだろうか。私は平静を装いながら、スポーツカーのハンドルを握った。



 ***


 それから何度か販売店に足を運んだ。結局スポーツカーは断念し、二度目はSUV、そして三度目の今日はコンパクトカーに試乗する。


 前回も江南さんは、試乗ついでに私の愚痴を聞いてくれていた。愚痴なんて面白くないだろうに、興味深そうな顔をして何度も何度も頷き、そして思わぬ一言をくれる。決して長い時間ではないのだが、それは私にとって癒やしの時間だった。


「今回のお車はこちらですね。どうぞ、お乗りください」


 いつも通り、江南さんは運転席のドアを開けてくれた。隣に乗り込むと、いつもどおり車の特徴を説明してくれる。


「…という特徴がありまして。あとこの車、税金が乗用車よりお安いんです。あとは、ラゲッジスペースが広い。加速もいいですし、風格も高級感があります。デザインもスポーツタイプがあるので、お好みにあうかと。まあ、とりあえず、説明はコレくらいにして走ってみましょう」


 エンジンのスタートボタンを押すと、心地よいエンジン音が車内に広がる。私達は販売店の駐車場から、ゆっくりと抜け出した。


「三回も試乗をお願いしてしまってすみません」


「いえいえ、僕も毎回楽しみにしてます」


 穏やかな笑顔に、今日も癒やされる。こういう包容力のある旦那さんっていいなあと、密かに想像しながら、アクセルを前に踏み出していく。


「そういえば、軽自動車って、女性が好きそうな可愛いデザインのがありますけど、乗用車ってないですよね」


 私はふとした疑問を口にした。


「軽自動車のデザイナーは、女性が多いんですよ。割合として軽自動車乗る女性が多いので、それでなんでしょうね」


 ハンドルを握りながら、私は頭に浮かんだ疑問をふと口にした。


「なんで『女性は街乗りが多い』とか、『乗るなら軽』みたいな傾向になるんでしょうね。乗用車に乗りたい女性も、それなりにいると思うけどなあ」


 その言葉に、江南さんは「そうですねえ」と言いながら、腕を組んで考えた。


「…現実的な問題として、価格もあります。昔と比べて、全体的な年収が落ちてるんです。ただね、車両価格って、昔に比べてあがってるんですよ。安全装備の義務化やらで、最新技術を使用した機能をたくさんくっつけるので。結果として、買いづらくなってるんです。女性の方が非正規雇用が多かったり、相対的に年収が低いので、傾向として軽自動車以外手が出せないという現状もあると思います」


 その話を聞いて、なんだか嫌になった。


「ここでも社会構造の問題が出てくるんだなあ。もう、学校とか、会社とか、行政とか、社会のすべてが、男女関係なく、平等に機会を与えられるようにならないと、女性が自由に車を選ぶこともできないんですねえ。だいたい、この国は女性に多くのことを求め過ぎなんですよ。子どもを産んで育てながら、家事も仕事もバリバリやれって。過労死しろって言ってるようなものです。だから正社員で働き続けられなくて、家庭との両立のために非正規でーってなる人も多いのに」


 そこまで言って、ちょっと後悔した。理屈っぽい女だって思われたかもしれない。ちょっと良いなと思い始めている江南さんに、自分の嫌な部分を見せてしまった。いつもこういう話をして、「面倒くさい女」レッテルを貼られるのに。


 だが、再び江南さんは、意外な反応を見せてくれた。


「それね、僕も常々思ってたんです」


「えっ」


「僕の母は、それこそバリバリのキャリアウーマンだったんです。でもね、ホント、大変そうでした。鈴木様が言うように、求められるすべてをこなしてて。ただ、それと同時に、父も大変だったんです。父も営業マンだったんですけど、契約取れるまで帰るな、根性で仕事しろ、家庭を言い訳にして休むな――とか言われてたみたいで」


 これは、男だって大変なんだぞ、という反論なんだろうか。熱っぽく語る江南さんに、私は安全運転を心がけながらも、その話の行く先を、ハラハラしながら聞いていた。


「まあ、何が言いたかったかって言うと。男性の働き方とか、ど根性文化みたいなのが変わらないと、女性が仕事を頑張れないって話なんです。家事や育児を分担したくても『男は仕事、人生を仕事に捧げろ』とか会社に言われて、『出世』とか『給料』とかを人質に取られたら、家庭に時間割けないじゃないですか。もちろん男性側のマインドチェンジも必要ですが、社会的に、男女関係なく、ワークライフバランスと家族を大事にする文化と制度を構築しないといけませんよね」


 なるほど。ついつい女性視点でばかり考えてしまったが、問題は女性の待遇だけではないのかもしれない。ただそう考えると、この問題は考えていたよりも更に根が深く、厄介な問題なように感じた。


「まあ、社会的な流れを変えるのは大変ですよね。家庭や会社で、自分の目の前にある問題から、少しずつ変えていくのが良いのかもしれません。一人ひとりが変えていけば、それは大きな変化に繋がりますし。僕もそのあたりを意識してやらないとな、と思ってます」


(「――僕もそのあたりを意識してやらないとな」って)


 もしかして江南さんも、結婚生活を通じて、実際に家庭で感じていることを元にして話しているのだろうか。


 彼の左手の薬指には指輪が無い。唐突すぎる気もするが、あと何回会えるかわからないことを考えると、今聞くしかない。


「…江南さんて、ご結婚されてるんですか」


「えっ」


 前方を見ているので、江南さんの表情は見えないが、明らかにびっくりした反応をしている。やっぱり急につっこみ過ぎただろうか。


「いやあ、こんな感じで理屈っぽいもので。なかなか受け入れてくださる女性がいなくて…」


 その言葉に、心臓が高鳴る。舞台裏では、「ちょっとしつこすぎるんじゃないの?」と私の髪を引っ張る心の声が、自分の衝動を引き戻そうと躍起になっている。でも、止まらなかった。


「…ちなみに、どんな女性が好みなんでしょうか」


「あー…そうですね。お互いに助け合えるような、補いあえる関係がいいなと思っていて。お仕事を頑張ってる、お互いに高め合える人がいいなと。…って僕は何を言ってるんでしょうね。――そろそろ戻りましょうか」


 販売店の駐車場に戻った時、こっそりと江南さんを盗み見ると、サイドミラー側を向いていて、顔は見えない。でも、こちらから見える、江南さんの右耳は、赤く染まっていた。


(――期待して良いのかな)


 店内に戻ったあと、今日乗った車が気に入った旨を伝え、見積もりを出してもらった。

 ターコイズブルーの、スポーツタイプのシャープなデザインのコンパクトカー。軽自動車より乗り心地が良くて、遠乗りにも街乗りにも使いやすい。駐車もしやすく荷物も乗せられて、いまからこの車に乗って出かけるのが楽しみだ。納得行くまで付き合ってもらったおかげで、「今の自分にあった車」がちゃんと選べたような気がする。


 次は契約のために、必要書類を揃え、代金を支払い、最後に納車。江南さんと話せる機会はあと三回だ。


 ***


 今日はいよいよ、代金支払いの日。ダメ元で江南さんに想いを伝えたくて、一番遅い時間に予約を入れた。頭金をATMでおろした跡、オレンジ色の看板の販売店に向かう。今日の展示車は、白いPHVだった。


「鈴木様、ご来店ありがとうございます。こちらのお席におかけください」


 私は案内された席に向かう。すでに客数はあと一組くらいで、私が最後の来店客のようだった。今日は支払い後、納車日の連絡事項を聞いて終わりだ。そんなに時間はかからない。


 このあと自分が伝えようとしている言葉を考えると、そちらに気が行ってしまい、説明を何度も聞き逃してしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、重要なポイントについては再度確認をする。


 いよいよ最後の確認を終えたところで、江南さんは私を駐車場まで見送りに出てきてくれた。


 ――周りに他の従業員が居ないことを確認し――私は意を決して、口を開いた。


「今日はありがとうございました――あの、もしご迷惑でなければなんですけど・・私と今度、デートをしていただけませんか」


 こっそりと、普段の自分からは考えられないような小声で言った。視線を地面におよがせ、かろうじて江南さんの手のひらを、視界の端に留める。私の言葉をきいた江南さんの手が、力を込めて握られたのが目に入った。



「…申し訳ありません。お客様とプライベートでお会いすることは…できなくて」



 その言葉を聞いて、舞い上がっていた自分の頬を、横から叩かれたような気持ちになった。


(冷静になって考えたらそうだよね。あくまでお客さんの一人として、上辺上でいい雰囲気を作ってくれてたのかな・・。なんか最後の最後に、迷惑かけちゃった)


「そ…そうですよね! すみません。今のは忘れてください。とりあえず、納車、よろしくおねがいしますね!」


 その場をつくろうように、それだけ言って、江南さんの誘導を待たずに店を出た。


(恥ずかしい…! もう納車日なんて、来なければ良いのに)



 久々の本気の恋は、無残にも崩れ去った。


 ***


 大安吉日。私の心はどんよりとした曇だったが、本日は快晴。納車日は縁起が良い日がいい、ということで、大安を選ぶ人が多いのだそうだ。私はあまり気にしなかったが、せっかくだからと江南さんが大安に予約を入れてくれた。


 真新しい車を我が家の駐車場に入れた江南さんは、青いストライプのボタンダウンのシャツを着て、濃いネイビーのズボンを履いていて、いつもよりさらにかっこよく見えた。手に入らない憧れの人は、更に良く見えてしまうものなのかもしれない。


 なんとなく目をそらしつつ、納車時の説明を聞く。江南さんは書類を揃え、私に手渡して言った。


「これで、すべてのお手続きは完了となります。この度は当店をご利用いただきありがとうございました」


 これで江南さんに会えなくなると思うと、切なさが募った。だが同時に、今後も定期点検などで連絡をもらうことを考えると、気まずさが込み上げる。仕事では押しが強い私も、こと恋愛に対しては乙女なのだ。


「それでですね、お知らせとご提案なんですが」


 久しぶりの想定外な江南さんの一言に、思わず視線を彼の顔に向けた。


「実は僕、来月から副店長になるんです。で、管理職になると同時に、店舗も異動することになりまして」


「わあ、それはおめでとうございます」


 担当替えか。寂しいが江南さんの都合でそうなるなら、それはありがたい。ただ、まだ話に続きがあるようだった。先程の安定した営業スマイルはどこへいったのか、江南さんはソワソワしている。


「営業のときは、どんなに好きになっても、絶対にお客様とはプライベートで関係は持たないようにしてたんです。他のお客さんの手前もありますし…」


 (ん? 一体何の話?)


「副店長になると、担当のお客様をすべて手放して、営業マンに割り振ることになるんです。店も異動になるので、以前のお客様と顔を合わせることもなくなります・・で、ご提案なんですが」


 色白の江南さんの顔が、みるみる紅潮していく。困ったような、照れくさいような顔をしながら、最後の一言をひねりだした。


「僕と、お互い支え合えるような夫婦関係、築いてみるのはどうでしょう。ウチは業務時間も不規則ですし、休みも鈴木様とは合いませんし、不便が多いですが。ただ、うちの社内でも、働き方改革とかやってて、僕、そのプロジェクトメンバーの一人なんです。――鈴木様となら、よりよい夫婦の形を、話し合いながら試行錯誤しながら作っていけるんじゃないか、いや、いきたいな、と思いまして」


 そこまで一気に言い切って、江南さんは最高潮に真っ赤になった。


「つまりそれって」


 深呼吸したあと、彼は重要事項の説明を繰り返すように、再び言った。


「僕と、結婚を前提にお付き合いしていただけませんでしょうか。困難に正面から体当りして、一生懸命がんばる貴方に、僕は――恋をしてしまったようです。昇進が確定したタイミングで、納車日に告白しようと、ずっと思ってて…先日は本当に、うまくご返答ができず…すいません」


 驚いた。デートのお誘いの返答が、まさかこんなことになるなんて。本当に、この人は予想の斜め上を行く返答をしてくれる。笑いをこらえきれなくなった私は、ついに吹き出してしまった。


「…ふふ! 急展開過ぎますよ、江南さん! でも…」


 満面の笑みを顔に浮かべ、私は江南さんの気持ちに答えた。


「よろこんで! ――二人で、新しい夫婦の形、つくってみましょうか」


 それを聞いて江南さんは両手で顔を隠し、ものすごく弱々しい声で「ありがとうございます…」と言った。御年三十三歳になるという男性としては、可愛すぎる反応だった。

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