後編
三年生になると進路にあったコースの選択科目を受けるのが中心になる。希望通り、モニカは治癒師のコースへと進むことができた。ティナも一緒だ。魔法騎士のコースに進んだライナスとはほとんど接点がなくなるかと思ったが、あの日以来、食堂や廊下ですれ違えばあいさつや多少の会話をするようになっていた。
それだけと言えばそれだけだが、モニカは十分に満足だった。毎日が充実していて、前世を含めて今がきっと一番楽しいと思う。ライナスへの気持ちは募るばかりだが、この距離感を崩したくなくて、モニカはこの頃ティナにもライナスの話をしなくなっていた。
ゲームのことはもう気にしていないがきっかけではあるので、卒業する時にライナスに告白できたらと思う。
「今度、魔法騎士コースとの合同実習が行われます」
治癒師コースの授業の一つで、ある日教師からそう告げられてモニカはすぐにライナスの顔を思い浮かべた。ぱちりと瞬きを一つして思考を授業へと戻すと、ちょうど前の席からプリントが渡された。
あちらの実技訓練の授業に参加し、負傷者の治療を実際にやってみるとのことだ。実技訓練はどんなに注意していてもいつも全員がそれなりに負傷するので、どうせならと数年前からこの合同実習が行われるようになったらしい。
もちろんこちらもまだ生徒の身なので教師や外部から治癒師を数名講師として呼び、指導を受けながらの治療になる。合同実習までは治癒魔法のおさらいや、実習で使う魔法薬の作成を行って準備をするらしい。
実習は五人グループで行い、モニカはティナと同じグループになった。後はティナと仲がいい女子と、男子が二人いる。実習までの準備もグループで行うため、自然と仲間意識が芽生えていった。
当日は晴天で、会場は運動場だ。治癒師のコースと違って魔法騎士のコースは少しだけ女子より男子の方が人数が多かったが、それでもモニカが最初に見つけたのはライナスだった。三年生になってから彼はますます精悍になったと思う――「ライナスくん、かっこいい……」と声が漏れるのが聞こえ、モニカは一瞬自分が言ってしまったのかと焦ってしまった。
つぶやいたのは同じグループの、栗色のやわらかそうな髪にブルーの瞳が印象的な女の子だった。ティナと仲がよく、ティナと同じくらいかわいらしい顔立ちをしている。
心臓が嫌な音を立てるのが聞こえ、表情を強ばらせながらティナは彼女の方を見ないようにうつむいた。ライナスはかっこいいし、モテる。誰かが彼に告白した噂を何度か聞いたこともある。でもこんな身近に彼に好意を持っている存在がいたことはなかった――彼女はただ「かっこいい」とつぶやいただけでなく、その鮮やかなブルーの瞳は確実にライナスへの恋心が浮かんでいた。
ゲームのスチルに写っていた主人公の後ろ姿が茶色の髪だったことを唐突に思い出した。
ティナは主人公の友人だったから彼女と仲がいい子の中に主人公がいてもおかしくないと前々から思っていた。でも、もしかして彼女が……? いざこうしてその可能性を目の前に突きつけられると、どこか見知らぬ土地に置き去りにされたような、急に足元の地面が抜け落ちたような感覚になる。
「モニカ」
足の裏に地面の感覚が唐突に戻ってきた。
ゆるゆると顔を上げるといつもと変わらない表情のライナスが立っていた。モニカの表情の暗さに気づいたからか、「どうかしたのか?」と心配そうにたずねてくれた。
「体調が悪いのか?」
「ううん、ちょっと緊張して……」
背中に視線が突き刺さるのを感じる。きっとあのブルーの視線だ。
「いつもがんばってるんだ。モニカなら大丈夫だ」
「ライナスくん……ありがとう」
「今日はよろしく頼む」
「うん、ライナスくんもがんばって――あんまり大きなケガはしないようにね」
「そこは普通にケガしないようにじゃないのか?」
「それじゃあわたしたちの実習ができなくなるし」
視線はまだ突き刺さったままだが、それでもモニカは自然と笑顔を浮かべることができた。ライナスが困ったように笑ったのを見て、なんとなく肩の力が抜けたからだ。今はただ、実習のことを考えよう。
*** ***
治癒師を目指す生徒たちは防御結界で守られた救護テントの中で負傷者の手当てを行っていた。グループで対応しているようだったがどのグループが対応するのかはランダムだ。ライナスが救護テントに行った時、モニカがいるグループとは別のグループに割り振られた。
それを少し残念に思うのはどうしてだろうか?
治療を受けながらモニカの方をちらりと見ると、真剣な顔でライナスもよく話す同級生の治療にあたっていた。ふと彼女のとなりにいた同じグループらしき男子生徒が声をかけるのが見え、彼女に二言三言声をかけると真剣だった表情がぱっと明るい笑顔を見せた。
「終わりましたよ」
声をかけられ振り返ると、自分の治療が終わったところだった。礼を言って立ち上がると、おざなりな返事と共に治療をしてくれた生徒はノートに雑然と何かを書き留めていた。立ち去る際に再び視線を向けたモニカはもう真剣な顔をしていて、目の前の生徒と同じようにノートに何かを書き込んでいる。
傷はきれいに治っていたが、石を無理やり飲み込んだようなそんな気分だった。
合同実習が終わってすぐには声をかけられなかったが、それでもその日のうちにライナスはモニカに再び声をかけていた。なんとなくそうしたくて彼女の姿を探していたからだ。彼女は学食のテラス席で友人と何か真剣に話していた。ノートが広げられているから、今日の合同実習のことだろうか?
あの後も何度か治療を受けたが結局ライナスがモニカのグループにあたることはなかった。三度目の治療の時、ライナスの治療にあたっていた女子生徒が彼の視線の先にモニカがいることに気づき、少し悪戯っぽい顔をしながら「モニカは真面目だしいい子ですよね」と告げた時はさすがにライナスも気まずくなった。
今、こうしてモニカの友人に意味深な視線を向けられて、ライナスは同じ気持ちになっている。
「それじゃあ、もう行くね」と手早く広げていたノートや教材を片づけてモニカの友人は困惑するモニカを置いて去って行った。ぎこちない空気が二人を包み、それでもこのまま立っているわけにはいかないとライナスはひと言断りを入れてさっきまでモニカの友人が座っていたモニカの向かいの席に腰を下ろした。
それでも何て会話を切り出したらいいかわからない――ライナスは目の前に広げられているモニカのノートをじっと見つめていた。きちんと定規で線が引かれた表に魔法騎士コースの生徒の名前――ライナスが知っている名前もある――と、ケガなどの具合、それからどんな治癒魔法が使ったかが書かれている。モニカのそういう真面目なところを褒めればいいのに、いつものライナスならそうするのに、どうしてか今日はそれもできなかった。
*** ***
テラス席に吹くやわらかな風は二人の間の空気を吹き飛ばしてはくれない。
目の前に広げられたノートには今日の実習でつけた記録が載っていて、モニカはティナとそれをまとめているところだった。最終的にはレポートにして提出する課題だ。締め切りは数日先だが実習を受けてすぐに手を付けた方が記憶も鮮明でやりやすいと思ったのだ。
課題をやりながらモニカはティナが最近はほとんど話題にしていなかったライナスのことを口にしたのを――きっと今まで何度も話題にしたかったのだろう――きっかけに、さりげなく同じグループのブルーの瞳の彼女がライナスのことを好きなのかをたずねた。
ティナは気まずそうにしながらも肯定し、気を遣ってくれたのかモニカの方がライナスと仲がいいと言ってくれはしたが、モニカの頭の中にはどうしてもあの前世でやったゲームのことが思い出されてどうしようもない気持ちになった。
でもティナに前世のことやゲームのことを話せるはずもなく、「でもあの子の方がかわいいし……」と口からこぼすことしかできなかった。成績もいいし、友だちも多い。あんな子に好意を寄せられたら、さすがにライナスだって悪い気はしないだろう。
もし、あの子がゲームの主人公ならなおさらだ。
「今日はお疲れさま」
沈黙に耐えられず、モニカはとりあえずそう声をかけた。「ああ」と返事をしたライナスは彼らしくなくどこか落ち着きのない雰囲気をまとっている。
「えっと……何か、わたしに用だった?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
でも何か言いたそうな顔をしている。モニカは広げていたノートを片づけて、ライナスを見つめた。どこか不機嫌なのに気まずそうな、申し訳なさそうな色をたたえたライナスの明るい緑色の瞳がモニカを映している。
何度かためらった後、意を決して口を開いたライナスの声は、しかしモニカを呼ぶ明るい華やかな声によって遮られることなった。
軽い足取りで駆け寄ってくる彼女の栗色の髪がふわふわと揺れている。その明るいブルーの瞳がライナスをとらえると、頬がぱっとバラ色に染まった。
「ラ、ライナスくん! 今日はお疲れさま。ライナスくん、すごくかっこよかった」
にっこりと笑ってそういう彼女は恋する女の子の顔をしていて、これ以上にないくらい愛らしい。一方で、ライナスは「ああ」とか「ありがとう」とか簡単な返事はするものの、どこか困惑したような視線を彼女に向けていた。
「えっと……どうしたの? 何か用事だったんじゃ……?」
「あ、そうなの。ティナを捜してたんだけど知らない?」
「さっきまで一緒にいたんだけどどこにいるかまでは……」
「そっかぁ……モニカとレポートするのは聞いてたから一緒にいると思ったんだけど」
「ごめんね」
「ううん、気にしないで」
そう言いながらも彼女はライナスに何か話したそうな顔をしていた。それでも話題が見つからないのだろう。立ち去ることもできずその場に留まる彼女にしびれを切らしたのはライナスだった。
「モニカ、そろそろ行こう」
「えっ?」
立ち上がったライナスはモニカの荷物とモニカの腕をごく自然な動作で手に取ると、すぐに歩きはじめてしまった。ぽかんとするブルーの瞳の彼女を置いて。「またね」と焦って告げたモニカの声に反応はしてくれたから大丈夫だと思うが、ちょっと失礼な態度になっていないだろうか?
「ライナスくん」
どこに向かっているのかわからないままモニカは小走りに大股で歩くライナスの後ろを追いかけて行った。テラスから随分と離れた人けのない廊下でさすがに息苦しくなりライナスの名前を呼べば、立ち止まった彼は振り返って自分がモニカの腕をつかんだままなこと、モニカの歩幅が自分の歩幅とだいぶ違うことに気づいたのか申し訳なさそうな顔をした。
「すまない……」
「う、ううん……大丈夫。でも、その……よかったの?」
「何がだ?」
「あの子……ライナスくんのこと……」
「俺はモニカと――いや、名前も知らないのに、好意を持たれても正直迷惑だ」
心臓を深々と突き刺されたような気持ちだった。一年生の時の自分は、やっぱり迷惑だったのか……。ショックを受けたのが顔に出てしまったのか、ライナスはハッとしてそれから視線を斜め下へとそらした。
「いや、そうじゃないな……」
「えっ?」
「相手にも、よる」
明るいグリーンの瞳が今までになく真剣にモニカを見つめた。
さっき傷ついた心臓は現金なものでもうその痛みを放り出し、代わりに落ち着きなく揺れ動いていた。
「……モニカこそ、迷惑じゃないのか? 俺のこんな……今日、同じグループのやつと仲がよさそうだったし……」
思わず口が開いてしまった。ライナスが何度か救護テントに来ていたことは知っていたが、まさか見られているとは思わなかった。
「仲はいいと思うけど、そういうのじゃないよ」
頬が熱い。不満そうなライナスの表情がうれしかった。
「今日だって、実習中は治療のことしか話さなかったし……」
「だけどうれしそうにしてただろう?」
どこまで細かく見ていてくれたのだろう?
「それは――たぶん、ノートをほめられた時だと思う」
見上げたライナスの緑色の瞳は、まだ真っ直ぐモニカに向けられている。
「わたし、他に好きな人なんていないよ」
「えっ――?」
ぽかんとした次の瞬間、ライナスの耳が彼の髪の色と同じ色になるのが見えた。そのことになんだか首元が熱くなり、モニカもそっと視線をそらした。
「……俺も、他に気になるヤツなんていない」
そう言ったライナスが、どんな顔をしているかモニカにはわからなかった。
「今度、自主訓練につき合ってくれないか?」
話題を変えるように、ライナスは言った。
「自主訓練に?」
「時間が空いた時でいいんだ――見学で……俺がもしケガをしたら治療して欲しい」
そっと視線を上げると、ライナスの耳はまだほんのりと赤く染まっていた。
「今日、一度もモニカのグループにあたらなかったから……」
「残念で」とそうぼそりとつぶやいたライナスに、モニカは笑みをこぼした。
「うん、いいよ。わたしも、ライナスくんの治療にあたらなくて、残念だなって思ってたから」
うれしそうに笑うライナスの顔に、モニカは目を細めた。人けのない廊下には夕日が差し込んでいる。こうして二人で向き合ってこんな風に話す場面はゲームに存在していなかった。でももう前世も乙女ゲームも気にする必要はない――告白のタイミングだって、ゲームと違って卒業の時じゃなくなるかもしれない。前世のゲームの世界でも、モニカには現実なのだから。
ゲームにはなかったちょっとした約束をしながら、モニカは心からそう思った。きっとこれからもライナスとはモニカの記憶にない日々を少しずつ重ねていくのだ。
現実は甘くない 通木遼平 @papricot_palette
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