赤井貴恒くんとたぬき顔のみどりちゃん

朝倉亜空

第1話

 にぎやかなクリスマス・イブの夜。だが、今年の聖なる夜は、河合みどりにとって人生で最も味気ないものであった。大学受験を控えているのだ。今は追い込みの時期。浮かれている暇はない。目指せK大。死ぬ気でK大。K大には、みどりの所属する軽音楽部の男子OBで、一学年上だった先輩、そして、みどりにとって初恋の相手である、赤井貴恒(たかつね)が通っているのだ。早く赤井先輩のいるところに自分もいかないと、どこのポニーの骨かもよくわからないようなのに、赤井先輩を取られちゃう! だから、何が何でもK大合格なのだ。みどりは一心不乱に問題集と格闘していた。

 不意にきゅうぅと、おなかが鳴った。頭を使うと、本当におなかが減る。みどりは夜食タイムとして、台所へ行った。「あれー、無い。切れちゃってるんだ」

 大量に買いだめしていたはずの大好物、「赤いきつね」が一つも見当たらなかった。

 もともとみどりは「赤いきつね」の味は普通に好きな味だった。それが、大好きになったのは、ある時、自分の意中の人、赤井貴恒の下の名前が「き・つね」と読めることに気づいたことによるものだった。赤井貴恒イコール「赤いきつね」。それからはもう、食べるカップ麺は「赤いきつね」一択である。迷いなし、浮気なし。一杯また一杯と食べるごとに、自分と赤井貴恒の気持ちと気持ちが近づいていく……、そして、ゆくゆくは二人はひとつとなり……。「赤いきつね」はみどりのおなかを満たし、妄想はみどりの心をパンパンに満たしていった。

「知らないうちに食べきってたのね。じゃ、買いに行かなきゃ」

 ジャケットを一枚羽織り、みどりは夜の街へと繰り出していった。

「おや、こんないい夜なのに、かわいこちゃんが一人きりかい? かわいそうになぁ。オレなら空いてるぜ。どうだい?」

 無視無視完全無視。

 みどりは丸みを帯びた小顔で、やや下がり気味の目元はパッチリ黒目がち、愛くるしい印象を与える、いわゆるたぬき顔である。だから、さっきの様なナンパ野郎に出くわすことも結構な数を経験している。

 ほどなくして、コンビニに到着した。

 深夜にもかかわらず、お客さんが多い。それも、カップルの。まあ、今夜ばかりは仕方がない。

 みどりはそそくさとカップ麺の置き棚へ向かっていった。

 オーソドックスなものや焼きそばタイプ、高級店の味を再現した本格派など、棚には何種類ものカップ麺が並んである。で、かんじんの「赤いきつね」は……。あった。「緑のたぬき」と並んでどっちも最後のひとつずつ。さすが人気商品、よく売れてるんだ。

 みどりが「赤いきつね」を手に取ろうとしたその矢先、別の手が伸びてきて、先にそれを取ってしまった。男の手だ。

「あっ、だめっ!」つい、みどりの声が出た。

「え?」男は訝しげに、みどりの方を向いた。

「あっ!」みどりは二度目のビックリ声をあげた。「あ、赤井、先輩……」

 そこには「赤いきつね」を手にした赤井貴恒が立っていた。

「あれ? 誰かと思えば、みどりちゃんじゃないか。思いもよらない場所で出会っちゃって、びっくりしたよ」赤井はにっこりと笑いながら、言った。

「わ、わたしもです。赤井先輩、お元気でしたか」

「うん、おかげさまでね。みどりちゃんこそ、元気そうだね。受験勉強、大変だろうけど、身体を壊さないようにしてね」

「はい。有難うございます。わたしは毎日「赤いきつね」を食べてますから、元気いっぱいです」

「そうなんだ」赤井はクスッと笑った。

「えーと、わたし、何か変なこと言いましたっけ」

「まあ、なんというか、「赤いきつね」ってすごいなって思って」

「はい! 私にとっては、滋養強壮剤の効果もあるんです!」みどりはニコニコ顔で答えた。「それはそうとして、赤井先輩、どうしてこんなところにいるんですか。確か、おうちはこのへんじゃなかったと思うんですけど」

「うん、この近所に住む大学のサークル仲間に会いに行ってね、その帰りなんだけど、遅くなっちゃったんで、夜食に「赤いきつね」を買って帰ろうかなって」

「お、女の人、とかですか……」みどりは恐るおそる聞いた。

「ハハハ、そんなわけないない。もし、そうなら、ホラ、周りを見てごらんよ……」赤井はみどりにカップルだらけの店内を見回すように促した。「もしそうなら、今夜は、ぼくはここに一人ではいませーん」

 今度はみどりのほうが、赤井の少しおどけたような言い方と、ほっとしたのとで、クスッと笑った。

「あっ、笑ったな、みどりちゃん」

「わ、笑ってなんかないですよ。全然」そう言ったものの、みどりの特徴的なキョロリとした愛嬌のある目は、喜びを隠していないままだ。「ところで、赤井先輩は「緑のたぬき」は食べないんですか。わたしにぜひ、その「赤いきつね」を譲ってほしいんですけど……」

「うーん、それはさあ……」赤井は何か、少し言いにくそうだ。「なんていうかさ、その……」

「どうしたんですか」

「あのさあ、男の人が、女の人と、まあその……、一線を越えて、凄く仲良くなることをさ、「食べる」とかって言うじゃない? それでさ……」ここで赤井はひと息ついた。「みどりちゃんって、可愛いたぬき顔だよね。だから……、照れくさいんだよなぁ、「緑のたぬき」を食べるっていうのがね、イケナイ連想をしそうでさ……、だから、今まで一度も食べられないんだよ」

 みどりはドキリとした。心の中を暴かれたような気がしたのだ。赤井が「緑のたぬき」を食べない理由こそが、まさにドンピシャで、自分が「赤いきつね」を食べる理由そのものだったからだ。真逆だ。ハレンチに真逆だ。みどり、己を恥じる。

「な、なんなんですか、その理由って。考えすぎですよ、うん、飛躍しすぎ! そんな理由で「緑のたぬき」を食べてないなんて、もったいない。人生、損してますよ。絶対、美味しいのに。一度食べたら、気に入るのに。小えびの天ぷらをカリカリっと食べてよし、おつゆにじっくり浸して柔らかくして食べてよし、かき混ぜて、おつゆに溶かして飲んでよし、赤井先輩のお好み次第で、何色にも染まるんですよ。第一、「緑のたぬき」は食べてもらいたがっているんです。え。えっと、たぶん……。とっ、とにかく、取り換えっこしてください」みどりはそう言って、棚から取った「緑のたぬき」を赤井に差し出した。

「そ、そんなにみどりちゃんが言ってくれるなら……」みどりの言葉の勢いに気押されて、赤井は意を決して次の言葉を言った。「一つ、条件を付けるけど、受け入れてくれるかな?」

「なんですか」

「ぼくへのクリスマスプレゼントとして、たった今から、ぼくとお付き合いを始めるって、それはいけない?」

 みどりのたぬき顔はみるみる真っ赤になり、まるで、熱々の熱湯をたっぷり注いだお椀の様に、ホカホカに火照っていった。

 みどりは、赤面した顔でこっくりと、うなづいた。それは、今まさに、永年の望みであった、「赤いきつね」と「緑のたぬき」が一つになり、「赤いたぬき」が誕生した瞬間であった。

 今夜はみどりにとって、人生で最高のクリスマス・イブになったとさ。


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赤井貴恒くんとたぬき顔のみどりちゃん 朝倉亜空 @detteiu_com

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