エピローグ

【40】家族

 去年までは広告系の会社に勤めていた絵梨花だったが、今はフリーランスでWEBデザイナーをしているそうだ。

 俺も基本的には在宅リモートの勤務形態だった為、週に三日程度は互いに暇を見つけてはどちらかの家に上がり込むという、まるで大学生だったあの頃のような生活が今年の四月から始まっていた。

 沙百合は俺たちの母校の大学に進学したのだが、そこでもやはりリモート授業化が進んだ影響で、彼女らどちらとも顔を合わせない日はもはや無いと言っても過言ではなかった。


 沙百合が学校に出掛けた日の午後。

「そういえば私、一樹に謝っておかないといけないことがもうひとつあったの」

 いつものようにフラフラとやってきた絵梨花が、突然そんなようなことを言い出す。

 普段とは少しだけ違う雰囲気を感じ取った俺は、いったん仕事の手を休めて椅子ごと振り返ると言葉の続き待った。

「沙百合がね、『かずきさんにいっぱい、いろんなところに連れてってもらったの!』って言って、スマホの写真を見せてくれたことがあってね」

「色々ってほど色々ではないと思うけど、確かに一緒に出掛けたよ。ショッピングモールにハンバーグ屋さん、それに遊園地と――あ、あとあの公園にも行ったよ。湖の道路のところにある」

 まだほんの数ヶ月前の出来事ばかりだというのに、なんだか全てが懐かしく思えた。

「あそこにも行ったでしょ? 高速のICインターチェンジのとこにあるホテル。昔、私と行ったとこ」

「……あの子、そんなとこの写真も撮ってたの? てか普通、親に見せる?」

「そこは我が子ながらちょっと、ね」

 絵梨花は肩をすくめながら小さく溜め息を吐いた。

 それはそうと、だ。

「あの……申し訳ありませんでした」

 心からの詫びを入れる。

「うん? いいのよ。どうせあの子が無理言ったんでしょ? 昔からそうだから。相手が一番困ることを言って自分の方を向かせようとするの」

「それでもやっぱり……すいません」

「それもぜんぶ私が悪かったんだから気にしないで。それにホテルに泊まったって言っても何もなかったんでしょ?」

 確かに一線こそ越えはしなかったが、 果たして何もなかったと言い切れるかといわれると少し微妙だった。

「えっと……」

「あ、キスはノーカンでいいよ。それもあの子の計略だったらしいから」

 あれは夢の中での出来事だったのだと自分の中では解決していたのだが、まさか当事者の母親からその真相を聞かされるとは思ってもみなかった。

「あの子も私と一緒だね」

「へ? 一緒って?」

「一樹が初めての人だってこと」

 今この瞬間にでも地球が爆発してくれたらいいのにと、割と真面目にそう思った。


 かつて娘がしたのと同じように、ベッドの上で体育座りの姿勢を取った絵梨花は、まるで独り言でもつぶやくように言った。

「とにかくね、私はあの子が幸せにさえなってくれさえすれば、他のことなんてもうどうでもいいの。それでね、一樹。ちょっとヘンなこと聞いてもいい?」

 今日ここまでの会話で変でない部分など一つもなかったはずだが、この期に及んでまだ何かあるというのだろうか?

「まあ、いいよ」

 卓上に置かれたままになっていたコーヒーに口をつけながら彼女の言葉を待つ。

「一樹は沙百合と一緒になる気って、ある?」

「ぶっ!」

 そのあまりに突拍子もない問い掛けに、口に含んでいたコーヒーを全量吹き出してしまう。

「ごめんね、おかしなことを言い出して。でも私ね、ちょっと本気なの。去年の秋にあなたのところから彼女が帰ってきて、それからずっとずっと考えていたの。一樹ならきっと、沙百合のことを幸せにしてくれるって」

 何を馬鹿なことをと、そう言おうとしてすぐに口を噤む。

 それはあまりに絵梨花が真剣な表情をしていたからだった。

「誤解を恐れずに言えば、だけどさ。俺はたぶん、沙百合ちゃんのことが好きなんだと思う。でも付き合うとか結婚とか、そういうものの延長線上にある好きかって聞かれたら……うーん」

 そもそものところ、俺と彼女との間にそびえる年齢差という壁は、かつて独国を東西に隔てていたそれよりも高くすら感じる。

「そうね……ごめんなさい。あ、それじゃあこうしない? また来年にでも同じ質問をするから。一樹もその時まで少し真剣に考えておいてよ」

「……」

「それでもし、その時にも決められなかったら、またその次の年にも聞くから」

 そのそこはかとなく楽しそうな物言いに、彼女がどこまで本気で言っているのかがわからなくなってきた。

「絵梨花はそれ、本気で言ってるの? それともからかってる?」

「え、本気よ? それにこの方法ならね、一樹がいつまでも決断できなくても三人で一緒にいられるでしょ?」

 だったら最初からそう言ってくれればいいのに。

「俺も」

「うん?」

「俺も絵梨花と沙百合ちゃんとずっと一緒にいられたらなって。そうするためにはどうするのが一番なのかって、その方法をずっと考えてる」

「……やっぱり一樹のことを好きになってよかった。私も、それに沙百合もね」


 コーヒーの飛沫で斑になった机の上をウェットティッシュで拭いていると、ベッドから立ち上がった彼女に上着の裾をくいくいと引っ張られる。

「ね、一樹。今週末は私もあの子もお休みだからさ。もしお天気がよかったら潮干狩りに行かない?」

「ああ。もうそんな季節になるのか」

 彼女らが隣の部屋に越して来てからというもの、まるで光のような速さで時間が進んでいるような気がする。

「アサリはちょっとキモいけど、沙百合ちゃんとの約束だし」

「よかった! って、玄関から音、聞こえなかった?」

「そろそろ沙百合ちゃんが帰ってくる頃だから、彼女じゃない?」

 そんなことを話していると案の定、廊下をパタパタと駆けてくる音がこちらへと近づいてきた。

 絵梨花は立ち上がるとドアを開けて娘を迎え入れる。

「沙百合、おかえりさない」

「沙百合ちゃん、おかえり」

「お母さんかずきさんただいま! 今日は何の話してたの?」

「一樹がね、あなたのことが大好きなんだって」

 沙百合の大きな瞳がより一際見開かれる。

 確かにそんなニュアンスの話ではあったが、今の要約は優良誤認の恐れがある。

 しかし、容姿も中身も母親とよく似た彼女はとても聡明であり、悪意ある広告主による誇大表現だと一瞬で見抜いたようだった。

「私もかずきさんとお母さんのこと、すっごく大好きだよ」



 今週末は潮干狩りに行って、それで秋になったらあの遊園地で三人で観覧車に乗ろう。

 冬が来たら鍋パーティーなんかもいいかもしれない。

 次の春を迎える頃には泊まりの旅行を計画しよう。

 来年も再来年も色々なところに行き、沢山の思い出を三人で作りたい。

 そして俺たちはいつの日にかきっと、本当の家族になるのだろう。

 そんな確信めいた予感があった。

 だけど今日は、とりあえず。


「今夜は三人であそこに行かない?」

 俵型の大きな、あの店のハンバーグを食べに。


 THE END

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