【39】築22年RC造5階建て5階角部屋504号室
大学生だった二十の頃、絵梨花に別れ話を切り出され出て行かれた時もそうだった。
三十八になった今の俺もまた、広いマンションに住んでいることを後悔していた。
その時と違って救いがあるとすれば、彼女たちとはまた会えるかもしれないということと、リビングの中央に”でん”と居座る相棒の存在があることだった。
「ちゅん太。お互いに寂しいけど頑張ろうな」
「……」
十二月。
駅前の飾り付けや道行く恋人達を見るのが辛かった。
大晦日恒例の歌番組を一人で観ながら年を越す。
一月。
正月三が日を実家で過ごした。
両親からは結婚を急かされ『いい人はいないのか』と詰問を受けるが、俺には何と答えればいいのかわからなかった。
二月。
うちの会社ではバレンタインデーのチョコのやり取りが禁止されている。
入社直後は”何だか中学校みたいだな”とも思っていたが、お陰でホワイトデーは毎年とても気楽に過ごすことが出来ていた。
ただ、たったひとりだけその決まりを守らない社員もおり、彼女からは今年もこっそり――いや、仕事中に堂々とデスクに呼び出されてチョコを渡された。
本来は断るべきなのだろうが、その相手が上司なのだから受け取らないわけにもいかなかった。
三月。
日本有数の無積雪地帯である当地にも、昨夜は珍しく雪が降ったらしい。
なぜ”らしい”と言ったのかといえば、俺はその時信州で冬山をやっている最中だったからだ。
ソロだったものだから、危うく遭難しかけて肝を冷やした挙げ句に、両親にも会社にもこっ酷く説教をされてしまった。
それでも山は俺の唯一の趣味なのだから、申し訳ないがやめることは出来ない。
それにもし俺が死んだら、絵梨花と沙百合が葬式に駆けつけてくれるかもしれない。
そして四月まであと数日となった、その日。
せっかくの休みだというのに朝からどこかで工事でもしているのだろうか、外が煩くて目が覚めてしまった。
今日は一日家でだらけるつもりだったのだが、もしこれが昼まで続くようならば不本意だが出掛ける他あるまい。
とはいっても、四十前の独身男が昼間から一人で遊べる場所など無いこの国だから、無駄にガソリンを消費して行くあての無いドライブでもするしかないだろう。
いつでも出掛けられるように朝食と身支度を済ませ、ちゅん太に寄り掛かりながらスマホでニュースサイトを見ていると、壁のドアホンから来客を報せるチャイムが響き渡る。
居留守を決め込もうと思ったのだが、三度四度としつこく鳴るそれに観念すると、ゆっくりと立ち上がってモニターに目を遣った。
(……あれ?)
3インチの小さなモニターは、まるで墨か何かで真っ黒に塗りつぶされたように映像が映っておらず、通話ボタンを押し話し掛けても返事は返ってこなかった。
面倒だ……。
重い足を引きずりながら廊下を通り、玄関の鍵とドアを開けならが少しだけ恐い顔を作る。
生まれつきの人相の悪さゆえ、大抵のセールスはこれだけで撃退出来る。
「はい、なんでしょ――」
「こんにちは。お休み中のところ申し訳ありません」
「……いえ」
「隣の503号室に引っ越してきた佐々木です。これ、つまらない物ですが」
「……ご丁寧にどうも」
「女だけの世帯ですので、もし何かあったらお力添えをお願いするかもしれませんが、その時は何卒宜しくお願いします」
「それは全然構わないですけど……。あの、これっていつまで続けるの?」
長い髪を後ろでまとめた母親は神妙そうな面持ちを一気に崩すと、横歩きをしながらドアの影に身を隠した。
そして次の瞬間には、母と同じ顔をした娘がウサギのようにピョコンと飛び出してくると、そのまま俺の胸に飛び込んでくる。
その勢いに、ほんの僅かに上体を後ろに持っていかれそうになったが、日常的にちゅん太とぶつかり稽古をして暇潰しをしていた俺からすれば、小柄な彼女のタックルなどは全く以てどうということはなかった。
「かずきさん! ただいま!」
「うん。おかえり……沙百合ちゃん」
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